『エール』は“心優しいのび太の物語”? 「天才と、それを支える妻」のパターンを覆す
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NHK連続テレビ小説『エール』が、6月27日をもって第1回からの再放送に切り替わる。
同作は、昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而と、歌手としても活躍する妻・古関金子をモチーフにした物語で、「天才と、それを支える健気な妻の物語」かと思いきや、その印象は第1話にして大きく覆された。
【写真】幾度となくピンチを救ってきたドラえもん的・音(二階堂ふみ)
東京オリンピックの開会式直前。自らが作曲した「オリンピックマーチ」が間もなく演奏されようというとき、主人公・裕一(窪田正孝)は緊張とプレッシャーで国立競技場のトイレに隠れていた。そんな裕一を探し、強引にトイレから連れ出し、強い言葉をかける妻・音(二階堂ふみ)。それでもダダをこねる裕一の背中を押してくれたのが、戦争で身内をなくし、裕一の作った「長崎の鐘」に生きる希望をもらったという男性スタッフの言葉だった。あれ、何だろう、この懐かしく、しっくりくる感じ?
これまで『ゲゲゲの女房』『まんぷく』をはじめ、朝ドラで「天才と、それを支える妻」が描かれる場合、「ややエキセントリックで我が道を行く天才」と「おおらかな妻」というパターンが多かった。しかし、『エール』は天才のキャラも、その妻のキャラも大きく異なる。
最初は、「気弱で臆病でヘタレな主人公」裕一は、最初はいまどきの少年漫画の一つの定番キャラのように思えたが、物語が進むにつれ、様々な面が見えてきた。さらに、「強い妻」音とのやりとりは、なんだか昔から見てきたような身近感がある。なんだっけ?
そう思ううち、気がついた。裕一と音は、まるでのび太とドラえもんのようなのだ。
気になって調べてみると、SNS上の一部で裕一は「のび太」と呼ばれており、「裕一がのび太に見えた」「裕一は、音楽の才能だけはあるのび太」などと言われていた。
勉強も運動も何をやってもまるでダメダメで、臆病で弱気な裕一。この時点でのび太感が十分にあるが、幼少時に音楽で認められてから急に自信を持ち、どこか上から目線で手を振って挨拶するくらいに変わるなど、「すぐ調子にのる」ところも、のび太っぽい。
女の子にすぐデレデレするところも、意外と自信過剰なところも、かと思えば、ちょっとうまくいかないとすぐ落ち込むところも、すぐにだらけるところも、子どもが生まれると、まるで芸人・もう中学生のような高い声を出してトロトロにとろけ、仕事に行かずに終始ベッタリしてしまうようなところも、みんな「のび太」的だ。
また、音が妊娠し、体調もメンタルも悪化して学校をやめることになっても、お酒を飲んでいたり、実家の経営の苦しさや父親の病気、実家を継いだ弟の苦悩など推し量ることができなかったりする、根っからののんきぶり。
何より、大人になってからの裕一は、困ったことがある度、音に、鉄男(中村蒼)や久志(山崎育三郎)に、木枯正人(野田洋次郎)に、すぐに「どうしよう~~~」と泣きついて、何とかしてもらう。
そんなのび太くんの一番の味方・音もまた、『ゲゲゲの女房』の布美枝や『まんぷく』の福子と違い、おおらかに見守るのではなく、情熱的で(悪く言えば短気で)、己の欲望に忠実だ。
夫を健気に支えるというよりは、ヘタレな主人公の身に起こるトラブルに対し、本人よりもカッカし、給料の件などでは率先して怒鳴り込み、力業でちゃっかり事態を改善させる。その姿は、ジャイアンにイジメられたのび太に泣きつかれ、仕返しするための道具を出すドラえもんのようでもある。
ドラえもんはのび太に対してあまり正論は言わず、気持ちに寄り添う。いつでも一番の味方で、すぐにカッとなって、やりすぎてしまうことすらある。
何より、音は、「裕一を支えるための人」じゃない。自分の好きなモノ、自分の時間が大切で、裕一とはあくまで対等な関係なのだ。
とはいえ、ヘタレな裕一の良いところは、優しいところ。夫として、父親としての裕一はとにかく優しいし、冒頭のエピソードのように、気づかぬうちに誰かに勇気を与えていたり、早稲田大学の応援歌を作ったときのように、誰かの心の痛みに共感し、それを音楽へのエネルギーとする「共感力の高さ」「優しさ」も持ち合わせていたりする。
そんな裕一の才能や、良いところを一番深く理解し、信じているのも、やはり音だ。
基本的にダメダメで、「ズグタレ」と言われる、ヘタレで弱気なのび太的裕一だからこそ、その頑張る姿は、誰かへのエールとなる。また、困ったとき、悩んでいるときに、一人で抱え込むのではなく、誰かに助けてと言える、誰かの力を借りることができることは、今の時代に必要な能力のひとつかもしれない。
『エール』はそんなヘタレで弱気で優しいのび太と、最大の理解者で「相棒」ドラえもんの、ちょっと笑える、心優しい物語なのだろう。
(田幸和歌子)