Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > ぴあ映画 > “戦国ホームドラマ”を描いた『利家とまつ』 『麒麟がくる』と異なる信長と光秀の関係性も

“戦国ホームドラマ”を描いた『利家とまつ』 『麒麟がくる』と異なる信長と光秀の関係性も

映画

ニュース

リアルサウンド

 現在、NHK大河ドラマは一旦休止し、同時間帯で『麒麟がくるまでお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペシャル』と銘打ち、同時代を描いた傑作戦国大河ドラマを特集中だ。同じ時代を描いていても切り取り方次第でこうも違うのかという新鮮な驚きと共に、名優たちのかっこよさ、美しさに痺れ、大河ドラマファンとしてはどうにも沸き立ってしまう。

●『利家とまつ』の“傾き者”スピリッツ
 『独眼竜政宗』『国盗り物語』ときて、6月28日放送の3本目は、2002年放送の『利家とまつ~加賀百万石物語』である。まつ(松嶋菜々子)の「私におまかせくださいませ」や、信長(反町隆史)の「で、あるか」といった名台詞が流行語になったことも印象深い。

 前田利家役に唐沢寿明、妻・まつ役に松嶋菜々子を配し、大河ドラマ『秀吉』の竹山洋が脚本を手がけたこのドラマは、なにより、聡明な妻・まつに支えられ、その人柄ゆえに信長、秀吉、家康に信頼された前田利家の夫婦愛を中心とした「戦国ホームドラマ」である。

 また、仕官先で石高をいかに多くもらい、出世を遂げるかで戦国大名たちが日々切磋琢磨する、「毎日が出世争い! 戦国サラリーマンとその妻たち」の物語でもあった。利家とまつだけでなく、秀吉(香川照之)と妻・おね(酒井法子)、佐々成政(山口祐一郎)と妻・はる(天海祐希)という3組の夫婦を描くことで、戦国を逞しく生き抜く三者三様の夫婦像を描いた。それは、熾烈な出世争いの果てに変わりゆくそれぞれの人生模様を浮かび上がらせるだけでない。男たち、女たちそれぞれの、時に命がけで互いをかばいあうほど熱い友情の尊さを描くと共に、彼らの関係が「天下を獲る」という野望によって複雑に歪んでいく悲哀も描いた。

 そして、このドラマの裏テーマであると感じるのが、利家たちの根底にある「傾き者(かぶきもの)」スピリッツである。「男は美しく働け」と利家の母(加賀まりこ)が教え諭したり、まつが「男は優しく美しいのが一番です」と独白したりと、とにかく「美しくあれ」と言われ続ける彼らは、実際、美しく、よく舞う男たちだ。

 第1話冒頭において、利家は白塗り化粧にド派手な衣装の「傾き者」ファッションで、槍を持って踊るように登場する。真面目にコツコツの印象が強い利家の根っこには、この若き日の彼がいる。そんな「傾き者」としての利家を、出会いがしらに軽く凌駕してしまう信長もまた、誰よりもスタイリッシュに死に際に舞う男である。

●佐脇良之(竹野内豊)の哀しい生き様
 何より、強烈なキャラクター、及川光博演じる風のように爽やかな前田慶次郎の妖艶さと言ったらない。不敵に微笑んだと思ったら、すぐにまつや利家たちにたしなめられ慌てふためく、可愛らしい弟分としての一面もあり、その一挙一動が見逃せない。そしてもう一人、一際美しく、哀しい男がいた。竹野内豊演じる利家の弟、佐脇良之である。

 このドラマの登場人物たちはとにかく結束が強い。時々残虐非道になるが、意外といい人で、部下の話もなんだかんだ聞き入れる上司・信長の下、利家たちは和気藹々と、出世争いに励んでいる。そんな中で唯一壊れていく「武士には向かなかった男」が良之だ。

 秀吉との出世争いに負けたことで精神のバランスを崩し、酒に溺れる。母やまつの支えもあり、ようやく一念発起するが、信長に「捨て駒」のような扱いを受け儚く戦死。武士として人を殺めることよりも、赤子の命を助けることを優先する優しい男は、仏像を彫り続け、戦場の花に手を伸ばしながら絶命する。

 大義や野望に生き、家族のために出世を目指す男たちが全員かと言えばそうではない。戦わずには生きていけない世で、命を大切にし、普通に生きていたかった男の哀しい生き様は、彼の手の内の小さな花と共に、多くの視聴者の心に残ったことだろう。

●『麒麟がくる』とは全く異なる信長と光秀
 最後に、『麒麟がくる』にちなんで『利家とまつ』の光秀と信長についてである。前述したように反町演じる信長は、わりと優しい。気づいたら部下や部下の妻たちと世間話に花を咲かせていたりする。光秀の謀反を知るまでの過程で「で、あるか」を何段活用にもして状況を把握していく姿は、死を前にしてキュートとしか言いようがない。

 一方の光秀を演じるのは、下から這いあがるかのような屈折した負のオーラを、その独特な声色で存分に漂わせる萩原健一。アットホーム家臣団といった感じの利家たちと一線を画し、冗談など一切通じそうにない、完全に異質な空気を纏った男だ。占いが得意だと言って何かと不吉なことを言い、髑髏の杯を配する姿は、まるで死神のよう。積年の恨みを語り尽くし、「天下国家のために」信長の首を狙う。彼もある意味、組織の中で疎外された男であった。

 こうやって見ると、『麒麟がくる』と『利家とまつ』の光秀・信長の関係性は全く違う。『麒麟がくる』の信長(染谷将太)は、部下との関係性の描写は比較的少なく、親に愛してもらえなかったというコンプレックスの中を漂い続ける永遠の子供といったイメージが強い。妻である帰蝶(川口春奈)を母のようだと慕い、光秀(長谷川博己)に褒められたことを無邪気に喜ぶ。

 『利家とまつ』は徹底して組織を描いた。一方の『麒麟がくる』は、まだ現時点で光秀の仕官前であるというタイムラグを加味しなければならないが、誰をよすがとすればいいのかさえわからず、それぞれに孤独で不器用な個人が、途方もなく大きく、漠然とした「麒麟」という夢に向かってどう足を進めるべきか模索する様が描かれているように思う。それは、18年の年月を経た、時代の変化であるとも言える。

 光秀と信長、このなんとも奇妙な、これまでにない関係性が、どう今後発展していくのか。休止後の『麒麟がくる』に期待したい。(藤原奈緒)