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狩野英孝=50TAに聞く、「ラブアース」など奇抜な楽曲を生み出す音楽遍歴「HYDEイズムがそのまま自然と芸になっている」

音楽

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リアルサウンド

 『ロンドンハーツ』(毎週火曜よる11時15分放送/テレビ朝日系)にて、約3年ぶりに新曲「ラブアース」を発表した“50TA”こと狩野英孝。50TAは狩野が音楽活動を行う際の別名義で、同番組にて2009年に誕生した。当初はドッキリ企画だったものの、視聴者の反響を受けて2010年にはCDリリース、2011年には幕張メッセでライブを開催。今年5月に50TAとして久々にテレビ出演した際も、「ラブアース」の歌詞〈何これ、すっごーい!〉が話題に上がるなど、強い人気を誇っている。

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 もともと芸人になる前はミュージシャンを目指していたという狩野英孝。自身のYouTubeチャンネル「狩野英孝【公式チャンネル】EIKO!GO!!」では、様々なコンテンツを配信する中で弾き語りでのカバー歌唱をアップしているほか、50TAでは作詞作曲も手掛けている。規格外な音楽的発想、芸人特有のワードセンスがブレンドされたクセの強い楽曲は、一体どこから生み出されているのか。50TAに繋がる音楽遍歴や楽曲制作のコツなどを狩野英孝に聞いた。(編集部)

■ゆずや19に影響されて仙台のアーケード街で朝までストリートライブ

ーー狩野さんが最初に音楽に触れたきっかけを教えてください。

狩野英孝(以下、狩野):小学校2年生の頃、母親の言いつけで無理やりピアノを習わされていたんですけど、それが幼いながらすごく嫌だったんです。当時、僕の周りでは男性がピアノを弾くのも珍しかったですし、他の男友達は空手やサッカーみたいなスポーツを習っているのになんで俺はピアノなんだって。

ーー年齢的に気恥ずかしさもあったのかもしれませんね。

狩野:でも、中学2年の頃に文化祭の合唱コンクールでピアノ伴奏に任命されて、そこで金賞を取ったんです。金賞といっても校内のではあるんですけど、「うわ、なんだこの湧き上がる気持ちは」みたいに初めて音楽で手応えを感じたというか。ピアノは中学3年までやっていたんですけど、金賞を取った次の年の文化祭ではキーボードとしてバンドに参加して、それもすごく楽しかったんです。で、そこから自然と高校でもバンドを組んでみたい、と思うようになったんです。

ーーどんどん音楽にのめり込んでいくんですね。

狩野:そうですね。高校生の頃はお小遣いやお年玉、バイト代も全部CDに費やしていました。90年代、僕らの青春時代は音楽が盛んで、音楽番組もたくさんありましたね。日常生活の中で彼女に振られただの、友達と喧嘩しただの、親から怒られただの、そうやって凹んだ時に音楽を聴いて癒される、みたいな。中高時代は音楽漬けの毎日でしたね。

ーーちなみに、最初に作詞作曲した曲は覚えてますか?

狩野:高校のときに初めて作った曲が「blue a breeze」っていう曲で。文法的に合っているかはわからないんですけど、当時英語の辞書をすごく調べて、「青いそよ風」という意味でつけた曲ですね。

ーー曲のテーマはどういう内容だったんですか?

狩野:この曲は、L’Arc-en-Cielの「風にきえないで」という曲にインスパイアされて作った曲なんです。なので、どうしても「風」という言葉を入れたかったからタイトルが「blue a breeze」に。メロディは被らないようにしているんですけど、ギターのコード進行は「風にきえないで」を参考にしていて、学校から帰ってきて夜な夜な作曲作業をしたのを覚えています。

ーー歌詞はどういうものだったんですか?

狩野:ラルクが持っているセクシーでミステリアスな部分に当時惹かれていたんですけど、自分の曲にもそういう要素をいれたいという感じで歌詞を書いた記憶がありますね。高校2年生くらいの時ってロクな恋愛も彼女もできたことないし、お酒も飲んだことなかったのに、「今日は酔いたい気分だ」みたいな歌詞を入れたり、背伸びして大人ぶった歌詞を書いていたと思います(笑)。

ーーそういう意味では、50TAにも繋がる音楽としてのルーツはL’Arc-en-Ciel?

狩野:ラルクもそうですし、19やゆずのようなフォークデュオもすごく好きでした。そういう方々が売れていない時代にストリートライブをしていたという話を知ったら、自分も仙台のアーケード街で朝方までストリートライブをやりましたし、『雷波少年』でBluem of Youthが旅をしているのを見たときは「俺も旅をしながら曲を作りたい」と思ってギター一本でヒッチハイクの旅に出たり、いろんなアーティストに影響を受けてアグレッシブに動いていましたね。

ーーストリートライブといえば、上京後に新百合ケ丘でライブした際は、いきものがかりより動員していたという話もありましたね。

狩野:僕も、いきものがかりさんが言っているのを聞いたんですけど、その当時は本当に異例の時でしたね。毎週水・金とかで定期的にやっていたんですけど、僕らが現地に行く前からお客さんが集まっていて、ライブ終わりは業界人っぽい方から名刺もいただきましたし、このままプロにいくんだろうなっていう気持ちはありました。

ーーただ、そこから選んだのはミュージシャンではなく、芸人の道だと。

狩野:上京した当時はプロミュージシャンになりたい、CDを出したい、という夢はあったんです。でも、生で見たお笑いが本当に衝撃的だった。面白いというか、お笑い芸人ってカッコいいなって。50TAもそうなんですけど、昔から自分にはナルシストみたいなところがあって。どうしても、カッコいい仕事に就きたかったんですよ。だから、その時一番カッコいいと思った芸人の道に進みました。でも、芸人になってからもネタ作りをしながら曲作りやギターの練習をしたり、音楽も並行してやっていましたね。

ーーその時の音楽経験が回り回って今に活きているのは不思議ですね。

狩野:色々と経験しておいてよかったです。無理やりでもピアノを続けていたからこそ、コード進行のイロハぐらいは身についていて、それが曲作りに役立っている。僕の経験したことが50TAですべて繋がったという嬉しさはあります。

■「ラブアース」を愛してくれて本当にありがとう

ーー50TA企画のスタートは、2008年に『ロンドンハーツ』でオンエアされた企画「マジックメール」にて、狩野さんが秋山莉奈さんに「涙」という曲をレストランでプレゼントしたことが発端です。そこから12年たちますが、当時を振り返って思うことはありますか?

狩野:僕も50TA企画の総集編で改めて当時の自分の姿を見たんですけど、12年前の僕は目がバキバキしてるなって。今では出せない、若さゆえのパワーがあるんですよ。今だと芸人の第7世代がすごいってよく聞くじゃないですか。それで第7世代の番組を見ると、怖いものしらずというか、一回にかけるパワーが尋常じゃないんですよね。それは20代の頃の僕も一緒で、あそこで少しでも気を抜いたり、サボったりしていたら今はなかったと思いますね。自画自賛ではないですけど、20代の俺はすごいな、あのパワーは今出せないかもなって思いました。

ーー今はもう出せないですか?

狩野:あれは出そうと思って出せるものじゃないのかなって。「涙」の時だって、好きな子のためにレストランで歌うのも今はさすがに……羞恥心も出てきてますし。そもそもアイドルとデートすること自体がありえないことで、何がなんでもこの子を落としたいっていう気持ちでしたね。ちょっと夢みたいな現実離れした感覚だったんです。だから視聴者から引かれることも堂々とできてたんですよね。今は僕自身もすごい人だなって感覚で見ちゃいますね。間違いなく“痛いやつ”じゃないですか(笑)。

ーーそんな歴史がありつつ、4年ぶりの新曲「ラブアース」が完成しました。『ロンドンハーツ』で田村淳さんから「4日で曲を作ってほしい」と依頼されて制作がスタートしましたが、話を受けた時はどんな印象でしたか?

狩野:50TA企画に関しては、僕もやる直前まで何も知らされていないんです。本当に急に言われるので。だから今回も「ついにきたか」みたいな感慨に浸る間もなく、言われてから速攻で作業に入りました。でも、唐突すぎたのでスタッフの方にも聞いたんですよ。「4日しかないからワンコーラスでいいですか?」って。そしたら「いや、フルでお願いできれば」と返ってきて、もうやるしかないな、と(笑)。

ーー(笑)。じゃあ、目まぐるしく作業していた感じですね。

狩野:そうですね。バタバタしてました。結局、曲が出来ても終わった余韻に浸ることなく、次から次へと新しい展開が始まって。ただ、SNSなどで視聴者の方の良い反響を見て安心しましたね。

ーー「ラブアース」はどのように作っていったんですか?

狩野:番組でオンエアされた通り、最初に淳さんからフワッと曲のテーマを振られて、その場で「何これ、すっごーい!」っていうフレーズが降りてきたんです。淳さんからは、それを活かしても、全く変えてもいいと言われたんですけど、せっかく降ってきたのでこのフレーズは残したいと思って。最初は「何これ、すっごーい! ◯◯」みたいに続く言葉を探したんです。でも、考えるうちに「何これ、すっごーい!」は最後の一発でいいかなって。最後の最後にくる「何これ、すっごーい!」の方が会心の一撃感があると思って、ああいう歌詞の構成になりました。4日しか制作期間はなかったんですけど、「何これ、すっごーい!」の配置はけっこう悩みましたね。

ーーそういう構成は直感的なものなんですよね。

狩野:そうですね。あんまり深く考えないのがコツというか。考えすぎるとやっぱり欲が出てくるんですよ。芸人あるあるなんですけど、紙とペンを持って机の上で頭を回転させて考えるギャグよりも、先輩から無茶振りされて出てきた言葉の方がウケたりする。それってやっぱり欲がないからなのかなって。崖っぷちまで追い込まれて、何か生まれないかって絞り出した言葉がハマることが多いんです。そこは曲も一緒で、淳さんから無茶振りされて、「えっと、えっと」みたいに焦りながら歌った方が良い曲が生まれる傾向が強いんです。

ーーでも、せっかく作るならちゃんと良い曲を届けたいという気持ちはありますよね。

狩野:それはもちろんあります。面白い曲だねって言われるよりも、良い曲だねって言われたいです。「ラブアース」に関して言えば、コンセプトは「みんながノれて、一丸となって楽しんでもらえる曲」にしたいと思いながら作りました。

ーーコロナウイルス感染予防の緊急事態宣言もあり、そういう時期だからこそこういう元気になる曲は必要なのかなとも思いました。

狩野:そうですね。今回一般の方々に「ラブアース」のアレンジを公募する企画も行っていて。家から出られない期間が続いた中で、家にいながらできる遊びのひとつにはなれたのかなって思います。そのアレンジしてくれたバージョンも聴いたんですけど、どれもこれもクオリティが本当に高いんですよ。アレンジするためには曲を聴き込まなきゃいけないし、それなりの時間を使って作ってくれていると思うと感動しましたね。「ラブアース」を愛してくれて本当にありがとうって。

■僕にとっての音楽は“追い風”

ーーこれまでキャッチーな曲を作り続けている狩野さんにとって、良い曲の基準とはどのようなものでしょうか。

狩野:曲調的な部分だけでなく、元気にしてくれる、前向きな気持ちにしてくれる曲は好きですね。青春時代は本当に音楽漬けの毎日で、音楽は心の薬だと思っていたんです。本当に凹んだ時に励ましてくれるのは音楽だけだ、みたいに。高校3年の頃にすべてが嫌になった時期があって、その時に助けてくれたのがMr.Childrenの「花 -Mémento-Mori-」でした。〈負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう〉っていう歌詞が、当時反抗期で何もかもが上手くいかなかった僕の心に刺さりました。

ーーあと、50TAは衣装もインパクトがありますよね。ビジュアル的な部分は何からインスパイアされているんですか?

狩野:そこは、やっぱりHYDEさんですね。1番最初に50TAでライブをした時、メイクさんにも「L’Arc-en-Cielみたいにしてください」ってお願いしたんです。そのメイクさんも同年代だったのですぐに意思疎通できて、アイシャドウやネイル、髪も片方編み込んで片方を垂らすみたいなセットにしていただきました。自分がL’Arc-en-Cielになれたとまではいかないですけど、50TAとしての気持ちはグッと作りやすくなりましたね。

ーー歌い方やライブの所作もHYDEさんをイメージしている?

狩野:高校生の頃からHYDEさんの歌い方や間奏中の体のくねらせ方、衣装の使い方までずっと真似していたんです。50TAはもちろんですけど、芸人・狩野英孝のイケメンキャラもそこから生まれた感覚はあります。学生時代から体に染み渡っていたHYDEイズムが、そのまま自然と芸になっているというか。

ーーなるほど。50TAとしての曲も増えましたけど、作詞作曲はこれからも続けていきますか?

狩野:今後も作り続けたいですね。ただ、曲が増えてきちゃって、どんどん作曲が難しくなってくるんですよ。これまでの曲とは被らないように、被らないようにって心がけて作るんですけど、「あれ、これ聴いたことあるな」っていうことがある。だから作曲してると思うんですよね。改めて第一線で活躍し続けるサザンやミスチルって何十、何百曲も新しいものを作れて本当にすごいなって。

ーーこの質問はこれまでの50TA企画でも聞かれてきた質問ですが、最後に狩野さんにとって音楽とは?

狩野:僕にとっての音楽は追い風ですね。「blue a breeze」じゃないですけど、追い風を感じる、背中を押してくれるものが音楽なんです。僕自身も音楽に助けられたことは多いですけど、50TAを12年やってきて、一般の方々から「学生時代に聞いて笑いました」とか言ってもらえると本当に嬉しいんですよ。誰かの人生の追い風になれるような、パワーのある音楽をこれからも作り出していきたいです。(泉夏音)