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『私の家政夫ナギサさん』が突きつける、時代の変化と価値観のアップデート

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リアルサウンド

 価値観のアップデート。長い人生の中で、その必要性を感じるタイミングが多々ある。現実でいきなりそれをやるのは大変だが、フィクションを観て心の準備をすることはできる。火曜ドラマ『私の家政夫のナギサさん』(TBS系)第2話を観ていると、改めて私たちは時代が大きく変わる時期にいるのだと気づかされた。

参考:趣里、『私の家政夫ナギサさん』のキーパーソンに 多部未華子の妹役として放つ存在感

 やっぱり「おじさん」の家政夫は恥ずかしい? 競合他社のライバルたちと親睦を深めるのはアリ? マッチングアプリで出会うってどうなの? 結婚して子どもが生まれたら「普通の幸せ」? そんな問いかけがいくつも見えてきた。これまで多くの人が当たり前として受け入れてきた価値観を、そのまま飲み込むのではなく、個人としてはどう思うのかを咀嚼できる時代になったのだ。

 もちろん噛み砕いた上で、これまでの「普通」を自分の人生に取り入れていくという選択肢もある。一方で、咀嚼してみて自分には合わないと思ったのなら、新しい形を自ら作るという選択もできなくもない。そういう時代になった。「普通」か「普通じゃないか」ではなく、「あなたの普通」と「私の普通」……そんなふうにお互い寛容でいられる社会になれば、生きづらさから解放されるのではないか。

 メイ(多部未華子)は、家政夫のナギサさん(大森南朋)が来てくれたことで、心身ともにすっかり満たされた。健康的な食事、ぐっすり眠れるベッド、モノがすぐに見つかる整理整頓された快適なな空間を手に入れることができた。さらに、落ち込んだ気持ちまでケアしてもらい、ナギサさんの仕事ぶりに「お母さんって偉大」という言葉がこぼれる。

 しかし、それでも家政夫の手を借りることに抵抗感が拭えない。ましてや、「やればできる」と育ててくれた母親に、他人の「おじさん」のサポートを受けているなんて知られてはいけない。「なんで自分のことも1人でできないの!」とガッカリされるに決まっている。
ドラマでは、ドタバタコメディ風に母親からナギサさんの存在を隠し通していたが、メイの心境を考えると決して笑えないのだ。その「やればできる」は、「私を蝕む呪いの言葉」と自覚しているくらいなのだから。

 そしてナギサさんはナギサさんで別の呪縛に苦しんでいるようだ。それは「おじさん」という生き辛さ。いくら母のような気持ちで、メイの部屋を見つめていたとしても、夜に1人で立っているだけで「怪しい」と警戒されてしまう。

 きっと女性だったら、そんなことはなかったはずだ。この家事代行サービスの仕事だってもっとやりやすかったし、メイにも「おじさん」だからと追い出されるように拒絶されることもなかった。

 エプロンをギュッと握りしめながら「私はおじさんですから……」と話すナギサさんに、メイの妹・唯(趣里)は「ナギサさん、プロの仕事におじさんもおばさんも関係ないですよ」と声をかける。人生には自分で選べないことがたくさんあるけれど、自分で「これだ」と決めた道ならば、他の誰かの価値観に縛り付けられる必要はない。

 とは言いながら唯も、メイに対しては「結婚して子どもができて手料理のあったかさとか家族とホッとする時間とか……そういう“普通の幸せ“をお姉ちゃんにも味わってもらいたいと思った」と母親と同じく自分の価値観を押し付けてるだけだったと苦笑いする。

 結婚しなくたって、子どもができなくたって、買ってきた食事だって、1人の時間だって、幸せな人はいる。マッチングアプリで最高の出会いをする人もいれば、競合他社のライバルとうまく付き合うことで双方が利益を得ることもある。全てはケースバイケース。

 だが、やはり新しい選択は前例が少ない分、うまくいくかは未知数だ。ましてや大事に思う家族なら、「こっちのほうがいい」とアドバイスしたくなるもの。しかし良かれと思ってした言動が、人を追い詰めることもあるから、価値観のすり合わせは難しい。

 何がその人にとって「幸せ」になるかは、体験しなければわからない。ならば、チャレンジの数はなるべく多い方が「幸せ」が見つかる確率は高い。そして、その挑戦は今この瞬間の自分ひとりのためではなく、少し先の時代を生きる自分と似た価値観の人の「生きるのが楽しい」に繋がっていく。

 価値観をアップデートさせるのは、未来の誰かのために「楽しい」を最大化させる人類の知恵かもしれない。だからもし身近な人が先駆者となって、残念ながら失敗に終わったとしても、「そこに気づけてよかったじゃないか」と言ってあげようではないか。きっと攻めたり咎めたりしても、誰も救われない。

 せっかく生まれたのだから、誰もが自分の「いい」と思うものをのびのびと発信できる世の中になってほしい。例えばヒロインを救うのが、白馬に乗った王子様じゃなくて家事が得意なおじさん、ドキドキじゃなくてじんわり癒やされる……そんなラブコメディがあってもいいではないか。この先も多様なエンタメが生み出され続けるために。そう、いつだって火曜ドラマは、新しい価値観を受け入れるための、心の整理をしてくれるのだ。

(文=佐藤結衣)