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“音楽フェスのない夏”がもたらす価値観の変化 フェスが果たしてきた役割と今後の行方を再考

音楽

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リアルサウンド

「人々が互いに尊敬し合い、健康と安全を取り戻せる未来が近い事を信じ、来年の8月に苗場でお会いできる事を楽しみにしています」(『FUJI ROCK FESTIVAL ’20』公式コメント)

参考:オンラインフェス『カクバリズムの家祭り』から考える、新たな音楽の届け方

 2020年6月5日、こんな言葉とともに今年の『FUJI ROCK FESTIVAL ’20』(以下、フジロック)の開催延期が正式に発表された。この時点ですでに発表になっていた『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2020』(以下、ロックインジャパン)と『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2020 in EZO』(以下、ライジングサン)の中止、さらにはもともと東京五輪との兼ね合いもあり今年は開催予定のなかった『SUMMER SONIC』(以下、サマーソニック)と合わせて、2020年の夏は「4大フェスの開催されない夏」となってしまった。

 『フジロック』が初めて開催されたのが1997年。その後1999年に『ライジングサン』、2000年に『ロックインジャパン』と『サマーソニック』がスタートし、実に20年以上にわたって日本の夏を彩ってきたロックフェスティバル。これらの催しは時間の移り変わりとともに徐々にその色合いを変化させていき、今では「夏フェス」という呼称とともに「夏の定番レジャー」としてすっかり定着した。そんなイベントが軒並み開催されないという状況は、エンターテインメントを取り巻く様相が様変わりしていることをわかりやすく象徴している。

 世の中的には音楽ファン以外も視野に入れた大型イベントとして認識されつつあったこれらのフェスだが、特に「日本のアーティストを中心に開催されるフェス」に関しては、2010年代初頭から半ばにかけて大きくは2つの観点から音楽シーンに刺激を与えていた。具体的には、「ジャンル間のミックス」と「ヒットチャートの代替」である。

 前者については、女性のアイドルグループとベテランのミュージシャンがその代表格として挙げられる。古くはPerfumeを始めとして、BABYMETAL、欅坂46といったグループが、「アイドル」という存在に向けられる固定観念をフェスの場で打ち破っていった。また、松任谷由実や山下達郎といった誰しもに知られる存在が若い音楽ファンの前に姿を現すことで、オーディエンスとアーティスト双方が大きな刺激を受けることとなった。

 また、『ミュージックステーション』をはじめとする音楽番組では、期待のニューカマーを紹介する際の枕詞として「フェスで入場規制!」というフレーズがお馴染みになった。「複数枚商法」の隆盛によってオリコンのシングルチャートの実態がわかりづらくなる中、「フェスでどの規模のステージに出演しているか」「そのステージに溢れんばかりの人を集めているか」がヒットの指標として機能するようになった。

 一方で、こういった役割が徐々に見えにくくなってきていたのが2010年代末の「邦楽フェス」の状況だったという見方もできそうである。アイドルグループがフェスに出るのはもはや一般的になり、「ロックバンド以外のアクトや大物アーティストも含めたラインナップ」自体の物珍しさは低減した。加えて、特に大きいのが「“ヒットの指標”としてのフェスの後退」である。

 この背景にあるのが、日本におけるストリーミングサービスの浸透である。最近では若手アーティストの紹介文句が「フェスで人気」から「サブスクで人気」にシフトした。再生回数ランキングの動向が繰り返し取り上げられるとともに、「TikTokを起点にサブスクのチャートにランクインし、その一連の動きがテレビでピックアップされる」という新しいヒット曲誕生の流れも一般化しつつある。この傾向は、今年の夏を経てさらに加速するはずだ。

 「4大フェスのない夏」から始まることになった2020年代。このディケイドで、フェスは音楽シーンにおける存在意義を再構築する必要性に迫られるのではないだろうか。

■文字通りの「祝祭の場」としての再興へ

 フェスという興行そのものが苦境に立たされているのは日本だけではない。イギリスでも、今年の状況によってフェスを取り仕切る会社が経済的に影響を受けると来年以降にも響いてくるという懸念が示されている(参考:NME「UK festival sector at risk of collapsing without “urgent and ongoing support”」(海外サイト))。また、4月に開催予定だったアメリカの大型フェス『Coachella Valley Music and Arts Festival』(以下、コーチェラ)は10月への延期を発表した後に今年の開催を断念した。

 そんな中で、日本から「フェスの復活」の狼煙を上げようとしているのがクリエイティブマンによるフェス『SUPERSONIC 2020』(以下、スーパーソニック)である。

「もしこれが今年9月に本当に行われたら、世界初のインターナショナルな大きいフェスになるんですよ。コーチェラもない、グラストンベリーもない、いろんな国でフェスが中止や延期になっている。そうすると世界的なニュースにもなる」(参考:SPICE「スーパーソニック開催に向けてクリエイティブマン代表・清水直樹氏が語る」)

 コロナウイルスに関する状況が相変わらず不透明ななか、『スーパーソニック』は入場者数を間引くなどの入念な感染予防を施したうえでの開催を検討している。また、今年の開催がなくなった『フジロック』も、翌年の開催時には今年のチケットが繰り越せるという形での「再始動」を目指している。

 前述のとおり、2010年代において一部のフェスが背負っていた「音楽シーンの見取り図」としての役割はコロナの状況にかかわらず徐々に後退しつつあった。そのうえで現状について考えたときに、こういったことが言えるのではないだろうか。2020年代のフェスは、改めて文字通りの「祝祭の場」として再定義されるのではないか、と。

 「集まること自体が悪」とされるような今の世相において、オンラインで提供されるエンターテインメントは日々充実の一途をたどっている。ただ、おそらくその状況は、「人が集うことによる楽しさ」への欲求を潜在的に高めている。

 「オンラインでリアルを代替する必要はなくて、オンラインこその新しい楽しさを提供するべきだ」という声も各所から聞こえる。コンセプトレベルではこの言説は間違っていないものの、「リアルな場の不在」による喪失はその「新しい楽しさ」によって本当に埋められるのか。結局、多くの音楽ファンが「本当は生で観たい」と思いながら、自身の気持ちに折り合いをつけつつオンラインでのエンターテインメントを楽しんでいるのでないか。

 様々なタイプのアーティストを求めて多様なトライブが集まり、同じ場所で1日を過ごす。フェスが持つこの構造は、コロナ禍を経た時代にこそ大きな価値を持つ。「集まれない」時間を多くの人が体験したからこそ、「異質な存在が集まる」ことで生まれる感動と興奮はより鮮烈になるだろう。そこに描き出される祝祭空間そのものが、フェスというものの存在意義として上書きされるはずである。

 2020年7月上旬時点で日本における感染状況はいまだ予断を許さず、『スーパーソニック』の開催自体もまだどうなるかわからない。今から「フェスの未来」といったことを考えるのも、正直なところ時期尚早だと思う面もある。それでも、いや、だからこそ、「人が集まって楽しむ」というプリミティブな欲求を刺激する場としてのフェスの再興を今から思い描きたい。(レジー)