Kis-My-Ft2、悔しさや喜びの共有を経て繋がれた絆 グループ結成15周年に寄せて
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2020年7月26日。Kis-My-Ft2にとって、15回目の結成記念日を迎えた。2005年の今日、ひとつのグループとなり、図らずも同じ道を歩き始めた彼ら。大好きな日もあれば大嫌いな日もあった、7人だけの青春。
(関連:Kis-My-Ft2 北山宏光、中居正広を彷彿とさせる視野の広さ 『24時間テレビ』メインパーソナリティー抜擢への期待)
7人であることを選び続け、走り続ける“終わらない旅”は、これから先も続いていく。嬉しいときや楽しいときは、一緒に倍にしながら。
メンバー中、もっともジャニーズ歴が長い藤ヶ谷太輔は入所7年目、最年長の北山宏光はまもなく20歳という、決して早くはないスタートだった。
「落ちこぼれの集まり」「余りものの寄せ集め」。結成当時のKis-My-Ft2(以下キスマイ)を、彼らはそうした言葉で表現する。ユニット結成と解体、同期や後輩のデビュー……キスマイは“選ばれなかった”者同士だった。
結成1年を待たず初期メンバーが脱退。翌年にはHey! Say! JUMPがデビューし、キスマイはそのバックで踊った。心中はさまざま。けれどステージでは、折れそうな心も葛藤も、見せるわけにはいかない。
「チャンスを掴み取る、もう絶対に取りこぼさない」。気迫にあふれたパフォーマンスでファンを惹きつけ、ジャニーズJr.の先頭を走った。
それでも試練は訪れる。2010年9月、Kis-My-Ft2とA.B.C-Zによる主演舞台『少年たち 格子無き牢獄』。出演者一覧に、横尾渉と二階堂高嗣の名前がなかった。
この舞台を観劇し、心密かにキスマイのデビューを決めたジャニー喜多川。「5人」で動き始めた事態に、北山と藤ヶ谷が立ち上がった。直談判の末、掴み取った「7人」。ジャニー喜多川は、北山・藤ヶ谷を、7人を信じた。
“俺と藤ヶ谷は「できる?」と聞かれて「できません」って言ったことが一度もない”
Jr.時代を振り返り、北山が語った言葉。他のメンバーも想いは同じだった。今もキスマイのスタンスは変わらない。「なんでもやる」「NGなし」。チャンスには貪欲に食らいつく。そうして乗り越えてきた15年だった。
■個々が活躍するグループ
来年、デビュー10周年を迎えるキスマイ。個々が幅広いフィールドで活躍し、一般層にも愛されるグループに成長した。
熱い心でグループを引っ張り続けた北山は、今年の『24時間テレビ』メインパーソナリティのひとりに選ばれた。スパイクもボールもプライドも、すべて捨ててアイドルの道を選んだ北山。自身の選択が間違っていなかったことを、日々証明し続けている。「キスマイのためだったら誰に嫌われてもいい」。かつてそう言い切った北山の心は、きっと今も変わらない。
ドラマに映画にと、特に演技の世界で高い評価を得ている玉森裕太は、誰もが認めるキスマイの顔に成長した。Jr.時代は、宮田俊哉とともに常に怒られ役。当初こそ望んで前に出たわけではなかったが、「俺がセンターだって自覚と覚悟はある」(『Myojo』2016年9月号)、そう語るほど、多くのものを背負い、見えない努力をしてきた。自然体だからこそ、ブレずに強い男だ。
藤ヶ谷はコンスタントにドラマや舞台に出演する一方、『A-Studio+』のMCに抜擢。恩師である中居正広の“DNA”を受け継いだトークは、笑福亭鶴瓶も評価している。個人の仕事は「キスマイの藤ヶ谷太輔」としてカッコよく、背すじを伸ばして取り組む。ひとたびグループに戻れば、お茶目で少し天然な「ガヤ」。考えすぎ、頑張りすぎる男の顔がほころぶ。
■「キスマイのため」その想いを原動力に
「舞祭組」の結成、活躍も転機だった。
『プレバト!!』にて、俳句の才能を開花させた横尾は、資格を活かし『いぬのきもち』にて隔月連載を開始。レギュラー番組『10万円でできるかな』内企画「1食100円生活」では、オフの姿で“ガチ”の自炊対決を行うなど、新たなアイドル像を構築している。自問自答しながら進むべき道を定めた横尾は、今まさに絶好調。底が知れない、キスマイの最終兵器だ。
キスマイのバランサーといえる宮田は、個人での仕事も多数。幅広い層から愛されるアイドル道を邁進中だ。アニメファンからは「宮田ニキ」の愛称で親しまれ、今秋上映予定の映画『BEM』にてついに声優デビューが決定。「好きなものは好き」と貫けば、いつか実を結ぶときがくる。宮田の姿勢は、多くの人の希望になっている。
「キスマイのガヤ芸人になりたい」と語っていた二階堂。『世界の何だコレ!?ミステリー』の調査隊をはじめ、バラエティに積極的だ。器用で、幅広くなんでもできる男だが、メンバーに遠慮して一歩引く節がある。陰ながらの努力は、その姿を見ればもう、誰もが分かっている。誰よりもキスマイを愛する二階堂こそ、キスマイのさらなる飛躍におけるキーマンだろう。
何をおいてもキスマイを選び続けてきた千賀健永。『プレバト!!』では、俳句のほか水彩画でも高評価を受け、隙あらば絵の一部にキスマイを示唆するロゴを記す。溢れんばかりの芸術的才能は惜しみなくキスマイに注がれ、数々の楽曲で振付を手がけてきた。千賀が持つ豊かな感性とセンスは、キスマイのパフォーマンスをより一層、高みへと引き上げる。
ソロの仕事は「キスマイのため」。「キスマイを大きくしたい」、その想いを原動力に、彼らは切磋琢磨している。
■悔しさや喜びの共有を経て、繋がれた絆
最新アルバム『To-y2』に収録されている「COUNT 7EVEN」。ビッグバンドの演奏が映える、ジャジーな1曲だ。
“7人(SEVEN)でEVEN”“7人あってのキスマイ”=「7EVEN」、という造語を冠した楽曲に、印象的な一節がある。
〈繋いだものを離さぬように 続けるって難しいことは知ってる〉
第三者によって集められた、年齢も経歴もなにもかもバラバラの7人。まとまるのは容易いことではなかった。敬語禁止ゲーム、いくつもの喧嘩と衝突、悔しさや喜びの共有を経て、繋がれた絆。
今でも仕事で7人が揃った日には、自然にファンへと報告し、「メンバーの新しい一面を見た」と嬉しそうに綴る。これほど長い付き合いを経てなお、互いへの興味は尽きないようだ。
些細なことで揉めたかと思えば、もっと些細なことで手を叩いて笑っている。年齢を重ねても、彼らの距離感は変わらない。
「7人で生きていく」「一生、一緒」と、たびたび公言してきたキスマイ。7人で見たい景色、7人が見せたい世界、掴み取りたい夢がある。いくつもの逆境を7人で乗り越えてきた彼らの姿に、永遠に消えない虹の存在を、信じてみたくなる。
“余りもの”であったことさえ、振り返れば必然。70億分の7の可能性が集まった、奇跡のような日を通過点に、Kis-My-Ft2は進んでゆく。まだまだこれから、だ。(新 亜希子)