大学生がただしゃべりまくる漫画、なぜ大人気に? 田村由美『ミステリと言う勿れ』の新鮮な面白さ
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意味深なタイトルに、天然パーマの青年の顔が大きく描かれた表紙が強いインパクトを放つ『ミステリと言う勿れ』。「このマンガがすごい!2020 オンナ編」で第4位にも選ばれたこの作品は、大学生・久能 整(くのう ととのう)が様々な事件に巻き込まれつつも、その洞察力で謎を解決していく物語だ。これだけ書くと、タイトルに反して典型的なミステリのようだが、この作品で一番注目するべきは実は事件そのものではなく、整の「おしゃべり」なのである。
1巻のあとがきに「整がただただしゃべりまくる話」とある通り、とにかく整は隙あらば「僕は常々思うんですが」と自分の考えを語りだす。その内容は、「どうして日本語は親族をいう叔父さん叔母さんと ただの中年を指すおじさんおばさんと 音が同じなんでしょうね」など、とりとめのない雑談も多い。だがその中には、時々ハッとするほど大切な言葉が交じっている。
例えば、バスジャックに巻き込まれた時。ナイフを振りかざした犯人が「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問うたのに対し、他の乗客が、自分が殺されたくないから、罪になるから、などと答える中、整は「いけないってことはないんですよ」と言い放つ。秩序のある社会を作るために便宜上そうなっているだけで、ひとたび戦時下になれば人殺しは容認される、そんな適当な話だと。そして犯人に対して「あなたが今殺されないでいるのは ここにいるのが秩序を重んじる側の人たちだからです」と突きつける。
子供の頃、いじめから逃げたくても逃げられなかったという人にはこんな話をする。
「欧米の一部ではいじめてる方を病んでると判断するそうです」「日本は逆です いじめられてる子をなんとかケアしよう カウンセリングを受けさせよう 逃げる場を与えよう」「でも逃げるのってリスクが大きい 学校にも行けなくなって損ばかりする DVもそうだけどどうしてなんだろう どうして被害者側に逃げさせるんだろう」
子供を騙して親に不利な情報を聞き出そうとしている人には、「子供をスパイにしちゃダメです」と諫める。自分が話したせいで親の足を引っぱってしまったことを、一生悔やむからと。子供にそんなことわかるか、と怒る男に整は切り返す。
「子供はバカじゃないです 自分が子供の頃バカでしたか?」
言われた男は押し黙る。親の会話を聞いて、顔色を窺って行動していた「バカじゃない」自分の子供時代を思い出したからだ。
整が「僕は常々思うんですけど、」と語り始めるたびに、今まで当たり前に思っていたことが覆されていく。彼の考えもまたひとつの意見でしかないけれど、それを提示されることで、自分の中にある固定観念や視野の狭さに気づかされるのだ。
整自身の子供時代も、どうやら訳ありらしいことが見え隠れしている。だが、いつも一人ぼっちで過ごしていた幼い彼の前に、一人の大人が現れてこう言うのだ。「当たり前にそこにあるもの ある言葉 なぜそうなのか誰が決めたのか いっぱい考えてみるといいよ そしてそれを誰かに話そう」その言葉が、久能整という人間の根幹にある。
この作品を読めば読むほど、わかっていたはずのことがわからなくなっていく。正しいと信じていたことが「そうじゃないかもしれない」と足元を崩されるような気持ちになる。けれどきっと、「わからない」と感じることは「わかる」への第一歩だ。絵を描くのが好きだった少女が、自分が下手だと思ってやめてしまったという話を聞いて、整はこう言うのだ。
「自分が下手だってわかる時って目が肥えてきた時なんですよ 本当に下手な時って下手なのもわからない」「だから下手だと思った時こそ伸び時です」
不可解なバスジャック、連続殺人、遺産争いなど、本作はミステリとしても十分な読みごたえがある。だが、タイトルが示す通り、ただのミステリからもう一歩踏み込んで、自分の中の「わからない」と向き合いたいと感じるようになったなら、この作品はより一層味わいを増してくるだろう。
■満島エリオ
ライター。 音楽を中心に漫画、アニメ、小説等のエンタメ系記事を執筆。rockinon.comなどに寄稿。満島エリオ Twitter(@erio0129)