『プラダを着た悪魔』にみる、2000年代的ジェンダー観 シャネルが象徴する“固定観念からの解放”
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オシャレ映画としてもはやクラシックとなった『プラダを着た悪魔』。映画の原作小説は2004年に出版されてベストセラーになった。当時、NYのファッション・ビューティー業界で働いていた筆者や同僚の間でも面白いと大評判だった。ところが2006年に公開された映画版はフタを開けてみると、原作よりもミランダ(メリル・ストリープ)とアンディ(アン・ハサウェイ)がより男性目線で描かれていて、皆して驚いたことを覚えている。10月16日、『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ系)にて、視聴者からのリクエストに応える「金曜リクエストロードSHOW!」企画第3弾として放送される本作。この機会に、本作におけるファッションと女性像について改めて考えてみたい。
シャネルが「固定観念からの解放」の象徴に
まず、本作の魅力は、プラダ、マーク・ジェイコブス、ジミー・チュウ、カルバン・クライン、ケイト・スペードなどの人気ブランドが多数登場することである。とりわけ目立つのがシャネルで、アンディが纏うリトルブラックドレスやパールネックレスは、同ブランドのアイコンである。映画タイトルの「プラダ」ではなく、シャネルのアイコニックなアイテムがなぜアンディの成長物語に必要だったのかーー。
それは、シャネルの歴史に理由があると思う。1910年に帽子店から出発したココ・シャネルは、孤児という逆境に負けずに、「モードの民主化」という偉業を成し遂げた。この時代、モードは貴婦人による貴婦人のためのカルチャーであった。女性デザイナーも富裕層出身であったし、顧客も富裕層の女性だったという。
もちろん、今も昔もシャネルは高価で上流階級の女性しか買えないブランドなのだが、ココ・シャネルは20世紀前半にリトルブラックドレスを発表することによって、中下層の女性でもファッションを楽しめる現象を生み出したのである。当時はレースやフリルのついた丈の長いドレスがモードの主流。しかしこういったドレスはコピーが難しく、コピーできたとしても非常に高くついたことから、中下層の女性がドレスアップすることは夢のまた夢だった。けれども、装飾を省いた丈の短いシンプルなリトルブラックドレスは、安価にコピーすることができる上に動きやすい。その結果、リトルブラックドレスは世界中に広まり、普通の女性もオシャレが楽しめるようになったのだ。
また、シャネルのコスチュームジュエリーもアンディは身につけるが、これも階級社会に変革を起こしたアクセサリーだった。当時、アクセサリーには本物の貴金属しか使われていなかったが、シャネルがイミテーションのパールやストーンを使ったコスチュームジュエリーをモードにした。このようにして、シャネルは上流階級だけのものであったファッションを大衆にも広めたのである。被服文化において“女性を階級から解放した”シャネルのアイコニックなアイテムは、「ファッションは馬鹿らしい」とか「自分はこうなんだ」といった固定観念からアンディが自分自身を解放するシンボルのようにも思えるのだ。
「仕事を選ぶ」ミランダと「恋人を選ぶ」アンディ
次に、ミランダとアンディという2人の女性像を見てみよう。
まず、「成功」しているミランダは優しさのかけらもなく、離婚を繰り返す、愛に失敗した女性だと描かれている。ミランダが夫と口論するシーンでは、夫は「ミランダのことをいつも待っている夫」だと思われていることに腹を立てているし、ミランダは「ランウェイ」の編集長の座に居座り続けるためには、長年自分を支えてくれたナイジェル(スタンリー・トゥッチ)を犠牲することも厭わない。
同様に、アンディの恋人ネイト(エイドリアン・グレニアー)もミランダの夫と似ている。彼はアンディが仕事に情熱を傾けて彼に構わなくなっていくにつれ、ふてくされるようになる。その上、アンディの父親や女友達でさえも彼女が「変わってしまった」と、ありのままの姿を受け入れてくれない。彼らはアンディが昔のような“いい女の子”でいることを求め続けるのだ。
特に家父長制意識が色濃く表れているのは、アンディが“憧れる”クリスチャン(サイモン・ベイカー)という存在だ。彼はアンディにこう言う。「君は優しくて頭がいい。その仕事は無理だ」。そして、アンディの危機一髪を助けてくれるヒーロー的役割を果たす。結局アンディはミランダのような女性にはなりたくないと、“進化した自分”を受けいれてくれない恋人ネイトを選ぶ。ちなみに、小説版アンディの恋人はもっとアンディのよき理解者として描かれている上に、ミランダが夫に離婚を切り出されてソファで涙を流すシーンは小説にはなく、原作者はこの場面に驚いたそうだ(参考:The Devil Wears Prada author on the one thing she didn’t like about the film)。
成功し夫に捨てられるミランダと、要所要所で男性に助けられ恋人を選ぶアンディ。対照的な彼らが織りなす男性との関係性が映し出すのは、「女性は男性に助けられる存在」、「女性は優しさと成功を両立できない」、「女性は家庭か仕事かのどちらかを選ばなければいけない」というジェンダーステレオタイプではないだろうか。
極めつけは、映画版のラストが小説とは正反対なことだ。原作ではミランダは最後まで悪魔で推薦状など書いてくれず、アンディは自分の力で再生し、別の“女性”編集長と出会う。それなのに映画版ではミランダが推薦状を書いてくれ、しかも、新しい就職先の編集長は“優しげな男性”にすり替わっているのだ。
そもそも、映画の冒頭からして、様々な女性の身体のクローズアップから始まり、「NYで成功する女性は細く、美しい」という男性目線で語られている。本作はよくも悪くも2000年代前半の社会構造や意識がそのまま映し出されたものだろう。そう言えば、TVシリーズ『セックス・アンド・ザ・シティ』の監督デヴィッド・フランケルが本作も監督しており、『SATC』のキャリー(サラ・ジェシカ・パーカー)も性的に解放されながらも、家父長的な年上のミスター・ビッグ(クリス・ノース)に“選ばれる”ことに執着する点がアンディと似ている。彼女たちはどんなに才能があっても結局は自分の幸せを男性に委ねてしまうのだ。
現代において性的役割分業は女性から自立を奪い、男性には重圧を与える。だからこそ、この作品が浮き彫りにするジェンダーの固定観念を決して見過ごしてはいけないように思う。2006年から2020年の現在に至るまでの、 人々のジェンダー観とそれに基づいた描写の変化を考える上でも、 今改めて観ることで様々な発見が得られるのではないだろうか。
■此花わか
映画ライター。NYのファッション工科大学(FIT)を卒業後、シャネルや資生堂アメリカのマーケティング部勤務を経てライター に。ジェンダーやファッションから映画を読み解くのが好き。手がけた取材にジャスティン・ビーバー、ライアン・ゴズリング、 ヒュー・ジャックマン、デイミアン・チャゼル監督、ギレルモ・デル・トロ監督、ガス・ヴァン・サント監督など多数。Twitter:@sakuya_kono、Instagram:@wakakonohana
■放送情報
『プラダを着た悪魔』
日本テレビ系にて、10月16日(金)21:00〜22:54放送
監督:デイビッド・フランケル
製作:ウェンディ・フィネルマン
出演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ、エイドリアン・グレニアー、サイモン・ベイカー
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