浅野いにお『ソラニン』が活写した、00年代の風景ーー種田と芽衣子はなぜ幸せになれなかったのか?
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今から20年前、「ノストラダムスの大予言」は大外れし、時代はあっさり2000年代に突入した。バブル崩壊からすでに数年が経ち、不景気という言葉にも慣れた頃。世には、就職氷河期によってフリーターとなった若者があふれた。携帯はあってもスマホはなく、「2ちゃんねる」が隆盛を誇り、誰もがSNSを利用する未来がくるなんて思いもしなかった。当然、数年後に日本人の意識をガラッと変えてしまうほどの未曾有の大災害がやってくるなんてことも。大きな事件もそれなりにあったはずなのに、「ゆるい幸せがだらっと」(「ソラニン」歌詞より)続くような空気が蔓延していたその時代は、『ソラニン』の舞台でもあった郊外の川沿いの景色によく似ている。
1980年生まれの浅野いにおは、そんな2000年代に20代前半を過ごし、漫画家として歩き始めた。
『ソラニン』は浅野いにおが2005年から1年ほど、『ヤングサンデー』誌上で連載していた作品だ。それまで主にオムニバス形式の作品を発表していた浅野にとってはほぼ初めてのストーリー漫画であった。連載終了後、単行本が発売されてからじわじわと口コミで広がり、2010年には宮﨑あおいの主演で実写映画化。映画のヒットと相まって若者のリアルを切り取る作風は各所で高く評価され、一躍人気漫画家として引っ張りだことなる。
そんな浅野の絵に描いたようなブレイクスルーとは対照的に、『ソラニン』はごくごく狭い範囲で繰り広げられる青春群像劇だ。大まかな登場人物は種田成男と井上芽衣子の主人公カップルと、彼らのサークル時代の仲間たち。舞台は、劇中では明確にされていないものの、東京都狛江市の小田急線和泉多摩川駅周辺となっている。都会と田舎の間の、どこにでも行けるのにどこにも行けないような街の感じが、大人になりきれないキャラクターたちの心象風景とリンクする。
大学時代にバンドサークルで出会い、付き合って6年目になる種田と芽衣子。したくもない仕事をして将来に希望が持てないまま、モヤモヤと毎日を過ごす中で、種田はかつての夢だったバンドでのメジャーデビューを目指し奮起する。しかし、結果は思ったようにはいかず、挙句、交通事故で帰らぬ人に。恋人を失った事実から立ち直れずにいた芽衣子だが、一念発起し、種田の残した楽曲「ソラニン」を歌うためにバンドを始める。永遠に続くかのようなモラトリアムな時間を経て、一方は死という思わぬ形で悩みから解放され、一方はその死を受け入れながら生きていく。いわば、喪失と再生の物語とも言える。
種田と芽衣子は一見どこにでもいる普通の恋人同士だ。20代も中盤にさしかかれば、夢破れて社会に飲み込まれていくというのも現実にありふれた話である。年齢を重ねたり、環境が変化すれば若かりし頃の熱みたいなものは失われていくものだし、自分がどうしたいか、なにが幸せかを常に意識して生きられる人は少ない。ただし、それも通り過ぎた時代を振り返ってようやくわかること。渦中にいる身には、果てしない暗闇を手探りで進むようなものだろう。『ソラニン』には、そんな大人“一歩手前”の葛藤が、もどかしいほど真っ直ぐに、痛々しく描かれている。
加えて冒頭に述べた当時の時代背景だ。種田はデザイン会社のアルバイト、芽衣子は新卒で就職した会社を辞め無職の身。互いの他に拠り所のないふたりは、傷つけ合うようになっていく。もし、物語の舞台が現在だったらもっとたくさんの選択肢があったはずだし、なんなら種田もメジャーにこだわらず好きな音楽を続け、YouTubeなんかで発表することもできただろう。でもそれができなかったのが2000年代のあの頃であり、種田と芽衣子だった。一見、普遍的な青春ドラマに思えるが、実は当時でなければ生まれ得なかったさまざまなファクターが作品を彩っている。種田と芽衣子が暮らす部屋の間取りやインテリア、芽衣子のファッション、町の風景。まるでアパートの隣人の話のような身近さで描けたのは、浅野本人が当時種田たちと同世代だったことはもちろん、時代を的確に捉える力があってこそのように思う。
『ソラニン』は2017年に新装版が発売され、後日談として37歳になった芽衣子たちの物語が掲載されている。種田の死から10年が経ち、それぞれの日常を生きる彼らの中に、種田の存在はもうずいぶんと小さくなっている。それはそれでとても清々しく、ある意味リアルだ。死を美化せず、淡々と過ぎていく毎日をこそ、浅野は描きたかったと言うが、後日談ではそれがいっそう顕著になった形だ。
時とともにあらゆる事象は変化し、流転していく。浅野も『おやすみプンプン』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』と、“時代”を描く作風はより精度を増し、熱狂的ファンを生み続けているが、おそらく今後『ソラニン』のような作品を手がけることはもうないし、おそらくできないだろうと思われる。それくらい本作には、あの時あの場所に確かにあった空気感がそのままパッケージされており、まるで郷愁のように読者の心に残り続けるのだ。
■渡部あきこ
編集者/フリーライター。映画、アニメ、漫画、ゲーム、音楽などカルチャー全般から旅、日本酒、伝統文化まで幅広く執筆。福島県在住。