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安田章大の写真集『LIFE IS』がアーティスティックな作品となった理由とは? 写真家・岡田敦に訊く

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 『LIFE IS』(マガジンハウス刊)は、2017年に脳腫瘍のひとつである髄膜腫を患い手術を受けた関ジャニ∞安田章大が、「命のこと、輪廻のこと、読み手によっては語れば語るほど押しつけがましくなるものだと感じています。ただ、経験値は独り占めしておくものではない、共有し共鳴してこそ意味がある。伝えたい信念は全て写真集の中に詰めました。『LIFE IS』が語ってくれています。もし、安田章大という生き物にご興味が湧いた方は、僕に触れてみてください」というメッセージとともに世に送り出した、これまでのアイドル写真集とは趣を異にする一冊だ。

 9月24日の発売前から増刷が決定し多方面で話題となっていた『LIFE IS』。ベールを脱いだ同書はオリコン週間写真集ランキング(9月21日~27日)で1位を獲得し、その人気ぶりを証明した。また安田本人の出演を含め複数のテレビ番組で取り上げられるなど注目度も高く、発売から1週間で早くも第4刷のアナウンスが流れた。

 そうしたなか流通が追いついていない時期もあったようで、Twitterには「つ!い!に!入荷したと連絡がやっっっときて私の手元にも『LIFE IS』が(10月12日)」「今日、やっとで届いた!もう、胸いっぱいです。弱くて強い。素敵な人 これからも応援させてください(10月9日)」など、ようやく手にした人々の喜びの書き込みが多く見られた。内容の注目度はもちろん、今後の部数増も期待される。

 今回、作品の世界観を安田と共に作り上げた写真家・岡田敦にインタビュー。企画が生まれたきっかけや撮影エピソードなどを伺った。岡田は2007年、写真界の芥川賞と呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞。その後も次々と話題作を発信している気鋭の写真家である。

安田章大による「3つのオーダー」

 昨年、マガジンハウス「anan」誌上で安田と岡田が対談をしたのが、彼らの初対面だった。木村伊兵衛写真賞受賞作である『I am』をはじめ、以前から岡田の表現する写真に強い関心を持っていた安田にとって、岡田は憧れの写真家だったようだ。そのときのことを岡田は、「10年以上前から僕の作品が好きだと言ってくれていたのは知っていました。対談で仲良くなり、お礼の電話までいただきました。その後、食事へ行ったときに『ふたりで一緒に何か作ろう』という話になり、僕たちの中で写真集の企画がスタートしました」と振り返る。

 企画構想にあたって、安田は「命のことを表現したい」「闘病中の写真を入れたい」「アート本にしたい」という3つのオーダーを岡田に相談。そして岡田はこのコンセプトをベースとした企画書を作成した。出来上がった企画書は、安田の想いが乗りうつったかのように厚さ数センチにもなるものだった。それを持って安田はジャニーズ事務所や出版社に直談判したという。

 現役の人気アイドルである安田が冒頭のような想いを込めて写真集に臨むのは、すごく勇気のいることだろう。事務所のOKが出たのは、異例のことではないだろうか。それだけ安田の想いや熱量が強かったのだ。岡田は、「安田さんは話したいことをたくさん抱えていました。けれどそれは、彼の芸能人生を左右するものだと感じました。彼が話したいことを、僕が一度自分の世界に飲み込んで、言葉ではなく写真の中で語らせる。安田さんが経験したことを、『芸術』という形に昇華させることが僕の仕事でした」と振り返り、「彼の想いを読み違えないように、安田さんが闘病中に書いた日記や絵にも目を通し、彼のコンサートや舞台にも足を運びました。彼が経験してきたことを追体験するのはとても苦しいことでもありましたが、それは作品を作る上で必要なことでした」と話す。そして真摯に安田の熱意を受けとめた岡田は、3つのオーダーを含め、安田が伝えたいことをどのように一冊にまとめるか、企画から出版までに1年以上もの時間を費やした。

 最終的に頭部CT画像など闘病中の写真は、アートディレクター・中島英樹のアイデアで、写真集本体には収録せず別刷りの体裁となった(ブルー1色で、サイアノタイプのような小冊子だ)。

 なおタイトルの『LIFE IS』は、安田が考えたもの。安田の中にない言葉を当てはめても、作品全体の説得力が弱まってしまうと考えたからだ。大文字や小文字の違いを含めて50個くらいの候補を安田がひねり出し、岡田とのディスカッションの中で選出。その作業は印刷所への入稿ギリギリまで続いたという。結果、覚悟の現れとしてすべて大文字表記の『LIFE IS』となった。「モノを生み出す苦悩は安田さんもよく分かっているでしょう。タイトルを決めたディスカッションは信頼関係の現れだと思いますし、安田さんが伝えたかったことをもっとも言い表せているタイトルになったと感じています」と岡田は感慨深げだ。

北の大地で生と死の狭間を光へと歩む安田章大

 ロケは、厳冬期の北海道・根室で行われた。ロケ地のエリア選定や撮影内容は岡田が決めたというが、ではなぜ北海道だったのか。

 それは「写真で命のことを表現する」ための背景と時間的制約だ。たとえば南の島で笑顔の安田を撮れば、明るく前向きで快活的な姿を収められたかも知れない。しかし岡田は、現在も後遺症を抱える安田が、生と死の狭間で光が射す方へ歩い行くイメージを求めた。岡田は、「病気から復活したヒーロー像として、写真の中で命のことを安田さんに語らせたくなかった。キレイな物語として彼の経験をまとめるのではなく、儚くとも圧倒的に美しい世界の中に生きている、彼のいまの姿を写しとりたかったからです。そのためには、僕が知り得る限り最も美しく、命のことを感じられる場所で撮影する必要がありました」という。根室は、岡田が10年来撮影に訪れている場所だ。この土地を熟知し、土地の力を借りられる場所でなければ、多忙なアイドルが東京を空けていられる数日間のロケで、納得のいく写真を撮ることはできなかっただろう。

 根室では、撮影許可などの段取りや撮影に必要な小道具を、現地の知人(根室・落石地区と幻の島 ユルリを考える会)および根室市から協力をいただいたという。こうした他者の助けが得られるのも、10年来の関係があってこそ。人と人との尊い結びつきが、『LIFE IS』を支えているのだ。

 撮影中は、安田の体に十分な配慮をした。安田は後遺症の関係で、常にサングラスをかけているが、岡田の構想ではサングラスをかけたままでは発信されるイメージが1つのフィルターを通したものになってしまうのではないか気がかりな面もあったそうだ。しかし、病気のこともあるので「外してほしい」とお願いするのは憚られる。そこで、できるだけ薄暗い場所や早朝を選んだ。森や古い防空壕の中などがそうだ。結果的には、岡田がお願いすることもなく、安田は自身の考えで自然にサングラスを外した。岡田は、安田のこの写真集にかける想いの強さを、改めて感じたという。そして「表情やポーズが『演技』になってしまうと、命について語ることはできないと思いました」とする岡田は、ポーズや表情などの注文を付けずに撮影。あくまで自然に安田が醸す「雰囲気」を撮った。ブレやボケのカットも含めて、写真集で表現されている安田の表情や涙は、すべて本物なのだ。

 ページをめくっていて気づくのは、安田の写っていないページが多いこと。安田のアップを含めた比較的近い位置からのカットが全体の約6割を占める一方で、安田のいない、壮大な風景やイメージカットが3割ほど収録されている(その他、壮大な風景に小さく安田が溶け込んだカットなど)。そのことを岡田は、「命のことを語るのは、作家が一生かかっても語りえぬものだとも言えます。語りえぬものは無理に安田さんに語らせるのではなく、僕たちよりも遥かに長い時を生きてきた森や海、凍てつくような冬の夜空に輝き続けてきた星に語ってもらう方がよいと考えていたからです」と話す。こうしたページ構成、そして究極なまでのアーティスティックなイメージづくりは、従来のアイドル写真集にはなかった画期的なものと言えるだろう。

 安田の熱意によって事務所のOKが出たことはもちろん、「編集者や安田さんのマネージャーもロケには同行せず、企画から撮影までを通し、一般的なタレント本とはかなり異質な形でこの作品が出来上がりました。僕の作風を知っていて、作品を好きだと思ってくれて、そこから始まった企画なので、いつも通りのスタンスで作品を作ることが作家として誠実な対応だと考えましたが、間違いなく安田さんとしか生み出せない作品を作れたと思っています」と話す岡田の作家としての信念、そして安田との信頼関係が、アイドル写真集に新しい可能性を付加したのだ。

■岡田敦
北海道生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業、東京工芸大学大学院芸術学研究科博士後期課程にて博士取得(芸術学)。”写真界の芥川賞”といわれる木村伊兵衛写真賞の他、北海道文化奨励賞、東川賞特別作家賞、富士フォトサロン新人賞などを受賞。作品は北海道立近代美術館、川崎市市民ミュージアム、東川町文化ギャラリーなどに収蔵されている。Official Website
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