米映画産業、ディズニーの再編計画はパンドラの箱? スタジオの劇場所有をめぐる独占禁止法撤廃の動きも
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困窮するアメリカの映画館事情に、久しぶりに良いニュースが届いた。10月23日から、ニューヨーク市以外の映画館がようやくオープン可能(25%以下の収容率及び1回の上映につき50人以下の条件付き)となった。全米劇場所有者協会(NATO)や世界映画館連盟(World Cinema Federation)はニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事に宛てた書簡で、カリフォルニア州のように州全体ではなく郡ごとに規制を緩和する策を訴えていた。この措置により、州全域で映画館が閉鎖されているのはニューメキシコ州のみとなったが、ニューヨーク市内、ロサンゼルス郡、デトロイト市、シアトル市など大都市では現在も映画館の開館は認められていない。2020年内に公開予定だった大型作品が2021年以降に公開延期または配信に移行したことにより、劇場運営会社は困窮している。コロナウイルス対策により劇場を閉鎖(収容率の低下)→興行成績不振→さらなる公開予定作の延期・配給方法の変更→劇場経営難と、負のスパイラルはおさまりそうもない。
米シネコンチェーン最大手のAMCが10月13日に投資家向けに開示した情報によると、2021年年頭にはキャッシュが枯渇する可能性があるという。先週、金融サービス会社による信用調査で格付けが引き下げられ、AMCの株価は2020年に入ってから約44%下落している。AMCがアメリカ国内で経営する598館のうち494館で観客動員数が8割減を記録し、特にニューヨークとロサンゼルスという映画の2大市場が閉鎖されたままなのが痛手となっている。営業を再開している州でも、多くは20%から40%のキャパシティで営業しているうえに、人々の心理的不安が完全に払拭されていないことも動員に大きく影響している。今年7月末、AMCはユニバーサル映画と提携し、映画の劇場公開から17日以内にプレミアム・ビデオ・オン・デマンド(PVOD)でのホーム・エンターテインメント移行を認めた。今年4月にドリームワークスアニメーションの『トロールズ ミュージック★パワー』を劇場公開と同時にPVODで配信したことでユニバーサルとAMCの関係に亀裂が生じていたが、PVODの売上からAMCにも収益が還元されることで合意に至っている。また、ユニバーサルは12月23日に公開予定だったドリームワークス・アニメーションの『The Croods: A New Age(原題)』の劇場公開を11月25日に早めた。感謝祭の祝日に合わせた公開だが、その真意はクリスマスシーズンに間に合うようにPVODをリリースすることにある。劇場公開から配信までの期間を短縮した歴史的合意をもってしても、映画館を救うことは難しそうだ。
このような状況はAMCに限ったことではなく、シネコンチェーン世界最大手でアメリカ市場第2位のシネワールドは、10月8日より英国の127館、米国で展開するリーガル・シネマズ536館を無期限で閉鎖している。MGMが『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の公開延期を発表したこと、英国を含むヨーロッパで再びコロナウイルスの感染が拡大していることに起因している。ヨーロッパの劇場経営者を代表する国際映画館連合(UNIC)は、先週ディズニーが下した『ソウルフル・ワールド』のディズニープラス配信(ディズニープラスのサービスが行われていない地域では劇場公開を予定)の決定に対し声明を出した。「ヨーロッパ、そして世界の多くの地域の大部分の映画館は営業を再開し、観客に安全で楽しい劇場体験を提供できるようになった。運営会社は、新作映画の公開スケジュールに基づき、観客に安全な体験を提供するために大規模な投資を行ってきた。『ソウルフル・ワールド』がヨーロッパの映画祭で上映された後の劇場公開を心待ちにしていた我々にとって、今回の決定は大きな打撃である。人々が映画館に戻ることを促進するには、新しい作品を公開するほかにない。公開延期や配信への移行など、映画館が生み出す価値を無視するような決定は非常に残念であり、問題だと考える。映画館や観客だけでなく、自分たちの映画を大スクリーンで見せたいと思っているクリエイターにとっても、このような状況には深い苛立ちを覚えるに違いない」と書いている。
そのディズニーは、10月12日にこれまで以上にディズニープラスなどの配信プラットフォームを活用し、配信・配給や放送などの出口に限らずコンテンツ制作を一元化する戦略的再編計画を発表した。ボブ・チャペックCEOは報道資料で、「ディズニープラスの驚異的な成功と、消費者向け直販事業を加速させる計画を踏まえ、より効果的な成長戦略と株主の利益のために、当社を戦略的に位置づける」と述べている。コンテンツ制作を一元化し、配給部門から切り離すことによって消費者にとって最適なツールを通じてコンテンツを提供できるようになり、ディズニープラス、アメリカ国内で展開しているHulu、インドなどアジアで展開している配信サービスStarをグローバル配信チームが指揮するという。この発表を受け、ディズニーの株価は5%以上値を上げ、投資家からのコンセンサスを得たことが証明された。5月末に配信を開始したHBO Maxを擁するワーナー・メディアも同様の動きを見せている。ワーナー・ブラザース映画は10月8日劇場公開予定だった『The Witches(原題)』(ロバート・ゼメキス監督、アン・ハサウェイ主演)の米国公開を中止し、10月22日よりHBO Maxで配信すると発表。ワーナーは、5月に劇場公開予定だった『弱虫スクービーの大冒険』をPVODで配信しているが、HBO Maxの配信に切り替えたのは今作が初。また、インドとパキスタンで有線放送のHBOチャンネル、ワーナー・ブラザーズ映画チャンネルを閉鎖すると発表。国際部門責任者は「HBO Maxについて今後数ヶ月のうちに多くの情報を出すことができるだろう。今後のワーナー・メディアの仕事の主力になっていく」と語っており、南アジアでのHBO Max推進を匂わせている。7月にサービスを開始したPeacockはコムキャストが株主のNBCユニバーサルの肝いり事業で、傘下のユニバーサル映画とAMCの取り決め次第では、Peacockでの配信も視野に入れているだろう。
ディズニーの大口投資家であるヘッジファンド会社サード・ポイントのダニエル・ローブ氏はVariety誌とのインタビューで、「映画館上映のビジネスモデルからシフトし、好機を迎えているストリーミング事業にさらなる投資を」との意見をボブ・チャペックCEOに呈したと明かしている。そのためには、株主配当金も全てコンテンツに投資すべきだ、とも。「Netflixには、膨大な量のコンテンツに投資し、それを償却してより多くの新規加入者を獲得できる巨大な加入者基盤がある。ディズニープラスはまだそこに達していないが、できるだけ早く到達する必要がある。彼らが加入者数でクリティカルマス(普及率が跳ね上がる分岐点)を獲得できないとすると、Netflixに対し永久に不利な状況に置かれるだろう」。今年4月、パンデミックが追い風となりNetflixの株価が上昇し、時価総額でディズニーを上回った際にディズニーが進むべき道は明らかになっていた。昨年までは、チャペック氏がCEOに就任する前に陣頭指揮を取っていたディズニーランドなどのパーク事業やホテル経営、クルーズなどの旅行産業とそれらに付随する飲食やグッズ売上がディズニーの収益の大きな部分を占めていた。だが、それらは全てこのパンデミックで壊滅的な打撃を受け、ディズニーの財政を激しく揺るがした。ローブ氏は、「ディズニーのブランドを確固たるものにしたテーマパークや旅行の体験は、Netflixとの差別化を図る不可欠なもの。そこから得られた顧客データに大きなチャンスがある。そして、マーベルやスター・ウォーズ、ピクサーなど、消費者を魅了するフランチャイズもある。それらのすべてを活用し、新規加入者を劇的に増やすことが可能」とし、「マイクロソフトからアマゾンまで、誰もが採用しているサブスクリプションモデルによって企業価値を高めることができる」と述べている。パンデミックか否かは関係なく、「旧態依然としたテントポール作品(会社の屋台骨となる大型作品)の公開を基にした収益モデルにしがみつくのではなく、業界全体の構造改革を推進するときが訪れたに過ぎない、映画館での興行は消滅することはないだろうが、根本的に変化してしまうだろう」とも語っている。
そもそも、「映画を観るのは劇場か、オンラインか?」の議論はコロナウイルス以前から過熱していた。NetflixやAmazonプライム・ビデオなどの配信サービスが最初に影響を与えたのは、ケーブルテレビに依存していたテレビ業界だった。ケーブルテレビサービスに加入しない“コードカッター”が増え、コムキャスト(NBCユニバーサルの親会社)やAT&T(ワーナー・メディアの親会社)は打撃を受けている。そして、テレビの次は映画の配給システムに刃が向けられた。ディズニーをはじめとした劇場公開型ビジネスモデルで動いていた大手スタジオでは映画部門とテレビ部門が分かれていたり、オンライン配信を含むホーム・エンターテインメント部門を映画配給の二次利用と位置付けていたことが議論の発展を鈍らせていた。「映画は劇場で観るもの」という感情論以上の決め手に欠けていたところに、コロナウイルスがものすごい勢いで形勢を変化させてしまった。人々にコロナウイルスの抗体ができ、有効なワクチンが開発されたとしても、その先にどんな新型ウイルスが待ち受けているのか、今の科学では予知することもできない。今、ハリウッドで起きている構造改革は、映画は文化や風俗であると同時に、アメリカの重要な基盤産業であるという側面が大きく関係している。ディズニーのチャペックCEOは、この構造改革は「消費者と株主の利益のため」と明言している。この発言は株主配当金をコンテンツ制作の資金とすることへの弁明だが、ディズニーを信じて投資している消費者や投資家のために、映画産業を廃れさせないという意思表明とも取れる。好意的な視点で捉えれば、ディズニーやワーナーは劇場公開予定作品を配信に移行することによって、映画産業全体が共倒れしてしまう状況を防ごうとしているとも言える。この非常事態を抜け出すことができた際には、映画が誕生してからずっと文化と産業を支えてきた映画館を、業界としていかに再建させていくのかが命題になる。
実は、このコロナ禍の最中にスタジオと映画館の関係についても大きな動きが生じている。昨年、米司法省は70年以上前に裁定された「パラマウント同意判決」の見直しを始め、今年8月に連邦裁判所が司法省の決定を承認した。この同意協定には映画配給にまつわる多くの反トラスト法(米独占禁止法)に則った取り決めが含まれているが、最も大きいのは映画配給と劇場経営の分離で、この協定の対象となった1938年当時の5大スタジオ(パラマウント、ワーナー、MGM、フォックス、現在は消滅したRKO)と下位3社(ユニバーサル、コロンビア、ユナイテッド・アーティスツ)に対し、劇場所有を禁じる判決を下している。この協定には現在は存在しない会社が含まれおり、またディズニーは当時配給を行っていなかったことから訴訟には含まれていなかったが、この協定に従っていた。そしてNetflixやAmazonプライム・ビデオなど新興勢力は対象外なので、現状でも劇場を所有することが可能だ。パラマウント同意判決が撤廃されると、スタジオが再び映画館を所有する可能性が生まれる。そしてパラマウント同意判決にはスタジオが作品をパッケージ化し配給するブロック・ブッキングを禁止する条項なども含まれていたので、スタジオと映画館との形勢に変化が訪れることを意味している。70年以上前、スタジオと映画館のカルテル化を防ぐために裁定された法律を見直すことが映画館再建の可能性を秘めているのは皮肉な話とも言える。
参考
・https://thewaltdisneycompany.com/the-walt-disney-company-announces-strategic-reorganization-of-its-media-and-entertainment-businesses/
・https://variety.com/2020/film/news/dan-loeb-disney-streaming-spending-1234796386/
・https://www.unic-cinemas.org/en/news/news-blog/detail/european-cinemas-voice-disappointment-and-dismay-over-disney-decision/
・https://www.hollywoodreporter.com/thr-esq/judge-agrees-end-paramount-consent-decrees-1306387
・https://www.justice.gov/atr/paramount-decree-review
■平井伊都子
ロサンゼルス在住映画ライター。在ロサンゼルス総領事館にて3年間の任期付外交官を経て、映画業界に復帰。
■配信情報
『ソウルフル・ワールド』
ディズニープラスにて、12月25日(金)より独占配信
監督:ピート・ドクター
共同監督:ケンプ・パワーズ
製作:ダナ・マレー
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公式サイト:Disney.jp/SoulfulWorld