『ブルシット・ジョブ』著者が資本主義に投げかけた問いとは? “クソどうでもいい仕事”の本質を考える
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2020年7月『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー著・岩波書店)の邦訳が発売され話題となっている。
残念ながら、このように刺激的な著書を世に送り出したアメリカの文化人類学者デヴィッド・グレーバーは同9月に59歳の若さで急逝した。同氏は2011年9月17日、アメリカ合衆国の憲法記念日にニューヨークで始まった「オキュパイ・ウォールストリート(OWS=ウォールストリートを占拠せよ)」運動で指導的な役割を果たした人物でもある。彼はこの運動で「私たちは99パーセントです」というスローガンを生み出したことでも知られている。
実際、この運動がどういう背景事情により行われたかは後述するが、ここで端的に解説するとすれば、資本主義経済が人類をとてつもない所得格差に陥れたということだ。
彼はそんな所得格差をうみ出した資本主義を否定し、無政府主義の立場をとる。
そして彼は同書において、ブルシット・ジョブに振り回されるビジネスパーソンの声を代弁し、シット・ジョブにつくビジネスパーソンの所得の低さに怒りの声をあげるのだ。
では、先ずここでブルシット・ジョブとシット・ジョブについて説明しておきたい。
「ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないととりつくろわなければならないように感じている。」
また、彼はこうも言及している。「ブルシット・ジョブはたいてい、とても実入りがよく、きわめて優良な労働条件のもとにある。ただ、その仕事に意味がないだけである。」
彼は、ブルシット・ジョブをこう定義した上で、具体的に5つのタイプのくそどうでもいい仕事をあげている。
一 取り巻きの仕事:誰かの権威を見せつけるような仕事。具体例、受付、ドアアテンダント
二 脅し屋の仕事:他者との勢力争いの上に成り立つ、誰かを脅迫する要素をもつような仕事。具体例、軍隊、企業弁護士、広報の専門家など
三 尻拭いの仕事:誰かのまたは組織の欠陥を穴埋めするような仕事。具体例(図版参照)
四 書類穴埋め人:本来必要のない書類を作成し、保管するような仕事。具体例(図版参照)
五 タスクマスター: 本来は必要でない人を管理したり、その人達のために余分な仕事を作ったりする人。具体例:中間管理職、リーダーシップ専門家
一方、「シット・ジョブはふつう、ブルシットなものではまったくない。つまり、シット・ジョブは一般的には、だれかがなすべき仕事とか、はっきりと社会を益する仕事にかかわっている。ただ、その仕事をする労働者への報酬や処遇がぞんざいなだけである。」
この具体例は、コロナ禍で市民のために働いているゴミ収集作業員、配送ドライバー、またケアワーカーなどだ。かつて3K(きつい、危険、きたない)といわれた仕事もシット・ジョブに該当するだろう。だが、シット・ジョブの多くは社会や市民、消費者から必要とされ、当該業務に従事する者も総じてやりがいを感じていると彼は説く。
だが、彼らはその日暮らしに近く、(仕事に対する使命感もあるだろうが)現場から離れることができないため、ウォールストリート占拠運動に参加できなかったというのだ。
ここまで解説した上で、一旦ブルシット・ジョブとウォールストリート占拠運動を分けて考えたい。
先ず、ブルシット・ジョブ運動がなぜ生まれるかだ。筆者も多くのブルシット・ジョブを経験してきた。そしてこのような仕事は、ある意味で安定した仕事が提供される大きな組織に多く存在するように認識する(このような組織における仕事のあり様を、彼は経営封建主義と言っている)。
そのような組織で、どうでもいい仕事が発生する一因は、リスクマネジメントだ。
そして、企業や組織を取り巻くリスクは、増え続ける一方で減ることはない。
これは、ますます複雑化し、過去の延長線上に未来がみえない社会環境、経営環境に対応すべく、損害保険商品の数がますます増えていることからも分かる。そんなリスクマネジメントは、企業やそこで働く社員にとってとても厄介だ。なぜなら、リスクマネジメントとは「まさかの時のための莫大なコストと手間」と揶揄したくなるほど、多くの手続きや膨大な作業を企業や社員に押し付けるものだからである。まさかの時は滅多にやってこないが、しかしながら、リスクを放置しておくことはできない。筆者も2000年以降、リスクマネジメントという言葉が日本に輸入されてから、ブルシット・ジョブが増えたと感じた。
試しに、グレーバー氏が指摘するくそどうでもいい仕事を、リスクと結び付けて考えてみてほしい。
次に、ウォールストリート占拠運動について、その背景事情を詳しく解説したい。これは現在、アメリカにおいてたった1%の国民が、同国すべての財産の約40%を占めるという事実だ。またこんな事実もある。2019年時点で世界の人口は77憶人であるが、財産という観点でランキングした際、上位8人の資産家と下位38.5憶人の保有する財産は、ほぼ同じであるということだ。このような格差を是正するために、99%の国民よ立ち上がれというのが、この運動の背景にあった。
さてここで、この2つを結び付けて、我々の仕事や未来というものを考えてみたい。
まず現在、多くの国において仕事はその人の生存と結びついているということだ。また、需要と供給の関係だけで言えば、その人の仕事が他の人には代替できない、すなわち代替可能性の低く、希少価値の高い仕事ができる人により高い報酬が支払われる。少なくとも資本主義経済下では、基本的にそのような力学が働く。
では、そのような経済活動の基本思想を否定し、仕事と生存(仕事がないと飢えて死ぬ)とを切り離すとすれば、計画経済を前提とする社会主義を採用するか、グレーバー氏が支持する無政府主義を選択すればよい。ちなみに無政府主義という単語には次のような解説がなされている。
大辞林 第三版の解説
国家をはじめ一切の政治権力を否定し、個人の完全な自由およびそうした個人の自主的結合による社会を実現しようとする思想。プルードン・クロポトキン・バクーニンらに代表される。アナーキズム。
第二次世界大戦後、経済活動の大前提をどう選択するかで、世界は東西冷戦、日本においてもレッドパージ(共産主義者追放政策)が行われるなど、思想をめぐり人々は激突することになった。だが、結果として多くの国は、計画経済も無政府主義をも選び取ることがなかった。人には欲望があり、がんばってもがんばらなくても取り分は同じというシステムに魅力を感じなかったのだ。
そしてもう一つ、無政府主義の定義である「個人の完全な自由」と仕事であるが、ある意味で個人がブルシット・ジョブを減らすのは簡単だ。大企業から中小企業へ、もっと言えば個人で仕事をすればよい。
大企業勤めからフリーランスになり、管理業務が著しく減ったという経験をされた読者もいることだろう。
だが、だ。人は自由を必ずしも欲していない。自由には当該個人の生存をも含めた責任がともなう。愛する家族を養っていれば尚更だ。そして、この責任を取り切れないかもしれないと当の本人が認識し、自由から逃走するのである。
したがって、引き続き現在の社会秩序に従うとすれば、人間の職業選択は「自由」と「恐怖」と「欲望」の3つの軸のどこかにプロットされるのだ。
なお、これはデヴィッド・グレーバー氏の理論を否定するものではない。氏が存命であれば、行き過ぎた資本主義について大いに議論し、その前提条件をどう修正していくか、結論の方向性を見出したかった。故人の冥福を祈るとともに、執筆に携わる者として氏の功績を血肉にかえて生きていきたい。
■新井健一
経営人事コンサルタント、アジア・ひと・しくみ研究所代表取締役。1972年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大手重機械メーカー、アーサーアンダーセン(現KPMG)、同ビジネススクール責任者を経て独立。経営人事コンサルティングから次世代リーダー養成まで幅広くコンサルティング及びセミナーを展開。著書に『いらない課長、すごい課長』『いらない部下、かわいい部下』『働かない技術』『課長の哲学』等。
■書籍情報
『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』
デヴィッド・グレーバー 著
価格:¥4,070(税込み)
出版社 : 岩波書店