細野ゼミ 1コマ目 細野晴臣とアンビエントミュージック(前編)
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活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を始動させる。
ゼミ生として参加するのは、細野を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第1回では、細野のキャリアを語るうえで欠かせない音楽ジャンルの1つ、アンビエントミュージックを題材に語り合ってもらった。前編では細野と「アンビエントミュージック」の出会いを中心に聞く。
取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん
今の時代こそアンビエント
──「細野ゼミ」第1回の題材は「アンビエントミュージック」です。
細野晴臣 何も知らないよ?
ハマ・オカモト&安部勇磨 あははは(笑)。
──細野さんは長きにわたるキャリアの中で、数々のアンビエント作品を発表されています。そもそもハマさんと安部さんの中でアンビエントのイメージってどんなものですか?
ハマ 僕の中では、それこそ細野さんやブライアン・イーノの作品くらいしか知識がなくて。勇磨はアンビエントって詳しい?
安部 僕もわかってない(笑)。
細野 じゃあ、みんなわかってないんだな(笑)。
安部 僕個人で言うと、ここ1、2年くらい観葉植物に聴かせるために作られた「Mother Earth's Plantasia」という電子音楽のCDを聴いていたりして、「アンビエントっていいなあ」と、なんとなく思ってはいたんです。あと、アメリカのレーベルLight In The Atticが日本産のアンビエントやニューエイジミュージックをコンパイルしたCD(「KANKYO ONGAKU: JAPANESE AMBIENT ENVIRONMENTAL & NEW AGE MUSIC 1980-90」)もよく聴いていて、いろいろ調べていくと収録されているアーティストが細野さんのお友達だったりして(参照:コラム「国内で長らく“無視”されていた日本産アンビエント&ニューエイジが、今なぜ世界的に注目されているのか」)。そういうところから最近興味を持つようになりました。
──アンビエントって安部さんくらいの世代の人たちも聴いているものなんですね。
細野 密かに聴かれているらしいね。
安部 言葉がないのがいいんじゃないですかね。今、いろんな人の言葉がSNSとかを通じて自分の中に、否応なしに入り込んでくるじゃないですか。そこには時として差別的な言葉が含まれていたり。そういった風潮にみんな疲れてしまっているから、今アンビエントが注目されているような気がして。実際、聴いてて楽ですし。
細野 僕もそうだよ。アンビエントいいよ、今。
安部 どんなにいい歌詞だとしても言葉自体に疲れてしまっているときもあるから。最近はアンビエントみたいに、ただただ流れているような音楽を気持ちいいなと思うようになりました。
細野晴臣とアンビエントの邂逅
──細野さんが初めてアンビエントという音楽を意識したタイミングはいつでしたか?
細野 YMOをやっていた頃、自宅ではブライアン・イーノのアンビエントシリーズをずっと聴いていたんです。とにかく落ち着くから1日中流しっぱなしだった。イーノが立ち上げたObscure Recordsというレーベルがあるんですけど、そこからリリースされた作品がどれもいいんだよね。ハロルド・バッドというピアニストとか……。
安部 あの、メモ取っていいですか? えーと……ハロルド・バッド。
ハマ 僕はICレコーダー回してます(笑)。
細野 ふふ(笑)。当時はアンビエント系のミュージシャンがよく日本に来てたんだよね。イーノの弟(ロジャー・イーノ)が来て、ラフォーレ原宿でライブをやったり。Penguin Cafe Orchestraも五反田の簡易保険ホールまで観に行ったよ。
──ブライアン・イーノがアンビエントというキーワードを提唱し始めたのは70年代後半ですね。
細野 イーノは「Ambient 1: Music for Airports」という作品を1978年に発表していて。この作品はタイトル通り、空港の施設内で流されることを想定して作られているんだけど、これってすごくアーティスティックな考え方なんだよね。つまり音楽そのものに明確な目的があったミューザックのようなものと違って。ミューザックというのは、例えば工場で働く人をリラックスさせるために流すような音楽のことを言うんだけどイーノのやっていたアンビエントは新しいイマジネーションだったの。
ハマ はっきりした目的があるようなないようなコンセプトなんですね。
細野 BGMやエレベーターミュージックとは違って決して実用的なものではない。その代わり今までの曲より長かったり、ミニマルだったり、繰り返しがあったり、構造的な部分に新しさがあった。それがイーノの専売特許だったんだよ。
ハマ なるほど。
細野 そういう音楽をよく聴いていた70年代の終わりか80年代の初期だったか、あるイベントでDJをやる機会があって。清水靖晃と一緒にやったんだけど、「グレゴリオ聖歌」とビートのある音楽を同時に流して、どうなるかっていうことを試したんだよ。アンビエントハウスをやったのは、それが最初だと思う。当時アンビエントハウスという言葉は全然知られていなかったんだけど。
ハマ それ、すごく気になってたんですよね。どのタイミングでアンビエントハウスという言葉が広まっていったのか。
細野 よく通っていた六本木のWAVEという輸入レコード店に「Ambient House」っていうCDが売っていたんだよ。「うわっ」と思って買ってみたら、それはイタリアの作品だった。イタリアでもアンビエントが流行ってたんだよね。
ハマ 初めてアンビエントハウスという言葉を認識したのはその作品なんですか?
細野 そう。イーノの作品以外でアンビエントというタイトルが付いた作品を見たのは初めてだったね。でも、同時期に自分も同じようなことをやっていたんだなと思った(笑)。これは世界的な傾向なんだろうと。そしたら、そのうちThe Orbというアーティストが出てきて。彼らはキーパーソンだね。あとはThe KLF。これもメモしたほうがいい(笑)。
安部 はい(笑)。
細野 彼らはドライブしながら環境音を録ったりしてた。
ハマ 車にマイクを立てて?
細野 そうそう。いろいろトリックはあるんだけど、あたかも架空のドライブをしているかのような作品を作って。当時はアンビエントというと環境音だったの。だから自分の音楽に環境音をSEみたいに被せる人もいた。それが初期のアンビエント。で、The Orbはビートのあるダンスミュージックとイーノ的なアンビエントミュージックを1つにした。それが大ヒットしてね。
ハマ 新しいものとして。
細野 水と油のようなものが一緒になって、みんなが飛び付いた。当時はアシッドハウスが流行っていたんだけど、“アシッド”ハウスっていうくらいだから、たぶんみんなアシッドをやってたんだと思う。で、アンビエントを聴いてチルアウトしたんだよ。つまり踊るための音とチルアウトが一緒になっちゃったの。
安部 ちょうどいい塩梅になってしまったと。
細野 そのときはけっこうびっくりしたね。こういうことが起きるんだって。
──ちなみに先ほど話題に挙がったThe KLFの一番有名なアルバムが「Chill Out」です。
ハマ その名も「Chill Out」なんだ!
ビル・ラズウェルから突然の電話
細野 そういえばアンビエントにのめり込んでいる頃、「近所まで来てるんだけど今から会える?」って突然外国人から電話がかかってきたことがあって。ビル・ラズウェルだったんだけど。
ハマ ええ!
安部 以前からお友達だったりしたんですか?
細野 いやいや。お互い名前は知ってたんだけどね。
ハマ 「こちらはハルオミホソノの電話ですか?」みたいな電話だったんですか?
細野 そう(笑)。近くのファミレスにいるから来てくれと。それで会いに行ったら彼は「自分はアンビエントだ」って僕に宣言するんだよね(笑)。つまりで一緒に何かやろうよっていう誘いだった。それで1枚作ったのが「N.D.E」(1995年発表)。
ハマ&安部 へえ!
細野 ファイルのやりとりで作ったんだよ。
ハマ 当時から! 今みたいにネットが普及していなかったと思うんですけど、ファイルのやり取りってどういう感じだったんですか? 「ギガファイルに上げておくから」ってわけにはいかないですよね。
細野 オンラインではなかった気がするな。FedExだったかな? ちょっと覚えていない。その頃、YMO再開の話が進んでたんだけど、ずっと僕は抵抗してたの。「今、ポップなテクノはできない」って。でも、結局説得されて「TECHNODON」というアルバムをニューヨークで作ることになったんだけど。
ハマ 当時の細野さんはがっつりアンビエントモードだったわけですよね。
細野 うん、かなり深く入ってた。
ハマ それだとなかなかテクノには行きづらいですよね。
細野 あの頃の僕は海の中にいる動物みたいな気持ちだったから。陸の音楽と海の音楽とを分けていたわけ。で、2年くらい海の音楽を作りながらフローティングしてたんだよ。だからYMOの話が来たときは丘に引っ張り上げられたような感じだった。でも、「TECHNODON」の中でも自分の持ち曲はアンビエントっぽく作ったね。その頃、LOVE,PEACE & TRANCEっていうユニット(細野プロデュースによるユニット。メンバーは遊佐未森、甲田益也子、小川美潮、細野)をやっていたんだけど、そのときも僕は少しアンビエントモードだったの。サンフランシスコまで行ってキム・カスコーンって人にミックスをやってもらって。その人はアメリカで数少ないアンビエントをやる人だったの。で、会いに行ったら「アンビエント」って書いてあるバッジを付けてた。
ハマ&安部 はははは(笑)。
細野 だからアンビエントって、当時はジャンルというよりも標語だったの。
安部 精神性だったと。
細野 しかもキム・カスコーンがやってるレーベルがSilent Recordsっていう名前で。
ハマ その人と細野さんは精神性が共通していたんですか?
細野 僕より過激だったから怖かった(笑)。
ハマ バッジを付けてるってすごいですよね(笑)。意味合いが強すぎる。
細野 すごくストイックな人で、ミックスもちっちゃーな音で作業して。サイレントだなと。
ハマ レーベル名通りの(笑)。そんなに音が小さかったんですか。
細野 うん。ヘッドフォンもしないでね。
アンビエントは偽物と本物がある
──細野さんがアンビエントに傾倒していた時期は90年代なのかなと思いますが、今も再びアンビエントにハマってるという意識があるんですか?
細野 今? そう、さっき安部くんが言ってたように、普通のポップス音楽が聴けないんだよね。
ハマ いろいろ入ってきちゃうから。
細野 そう。昔のはいいよ。自分のラジオで最近かけたのはThe Books。ニューヨークのアヴァンギャルドな音響系のバンドで、もう解散してるけど。すごく好きだったから、最近そういうのをかけるようになったんだよね。レトロなもののあとにアンビエントの曲をかけたり。で、アンビエントというのは、偽物と本物があるんだよね。
安部 それ面白いですね。
細野 聴くとわかるんだよ。
安部 それは音なんですか?
細野 音だけじゃないね。
安部 アンビエントって誰しもがそれっぽくできてしまいそうなイメージがあるんですよ。
細野 実際できるんだよ。形を真似しようと思えば、いくらでも真似できる。
安部 アンビエントの中でもいいものとよくないものがあるんじゃないかと思って、その線引きがどこにあるのかを今日は細野さんに聞いてみたかったんです。
細野 それは難しいね。なんだろう、普通のポップスでもロックでも、1小節目、2小節目は大事じゃない?
ハマ なんでもそうですね。
細野 それと同じだよ。
安部 聴いた感覚で「あ、なんかいいな」と。
細野 やっぱり聴かせるための音楽だから、エンタテインメント性がないと面白くないでしょ。あまりにもエゴイスティックに作られると付いていけないよね。リスナーに聴いてもらって、面白いなと思ってもらうのが大事だから。
ハマ なるほど。エンタテインメントな感覚が通ってるか、通っていないかが大事なんですね。
細野 初期のアンビエントはどれも面白かったんだけど、いろんな人が真似するようになって偽物がいっぱい出てきて。そうなったら終わっちゃうんだけど。なんでもそうじゃない?
安部 そうですね。最初が一番面白いですね。
細野 エレクトロニカもそうだったんだよ。みんなが同じようなことをやるようになると面白くなくなっちゃう。
ハマ ブームが蔓延していくと、どうしても新鮮さは失われていきますよね。フォーマットもできあがっちゃいますから。
細野 予定調和になっちゃうんだよね。
ハマ 今度、細野さんと一緒にアンビエントのCDを聴いて「これはいい」「これは違う」とかやりたいですね。
細野 アンビエントイントロ当てクイズとかやってみたいな。
ハマ ははは(笑)。アンビエントのイントロの概念って(笑)。
安部&ハマのロックの線引き
──ちなみに安部さんとハマさんの中で、これはロックでこれはロックじゃないという線引きはありますか?
ハマ 感覚的な部分もあると思うんですけど、うちのメンバー間でよく話すのがThe BeatlesとThe Rolling Stonesの違い。ビートルズって誰が演奏してもある程度サマになるけど、ストーンズの曲はミック・ジャガーが歌わないとカッコよくならない。それがロックとポップの明確な違いなんじゃないかって。その人じゃないとダメだというのが僕ら的なロックとかロックスターの定義ですね。
──属人的というか。
ハマ イギー・ポップじゃないとカッコよくないとか。でも細野さんがさっきおっしゃっていた最初の1小節を聴いてアンビエントかどうかっていうのは、どの音楽にも通じる感覚ですよね。オリジナリティとか、その人じゃないとダメという感じをどうやって出せばいいのか。それって法則みたいなものもないからすごく難しい。そう思わない?
安部 思うね。結局は人なんだなって。ロックでもなんでもそうだけど、その人のままの音が出てるのが本物なんだろうな。
ハマ それはあるよね。
安部 イギー・ポップみたいな人が上裸でいればそれっぽく見えちゃうけど、そういう人が実家に住んでいて、お父さんとお母さんにごはん作ってもらってて、それで「世の中クソだぜ」って叫んでても「お前、実家やん」って思っちゃう。どんなジャンルでも、その人の生活とか、すべてが作るものに直結してることが大切なのかなと思います。
※近日公開の後編に続く。
細野晴臣
1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2020年11月3日の「レコードの日」には過去6タイトルのアナログ盤がリリースされる。
・hosonoharuomi.jp | 細野晴臣公式サイト
・細野晴臣 | ビクターエンタテインメント
・細野晴臣_info (@hosonoharuomi_)|Twitter
・Hosono,Haruomi(@hosonoharuomi_info) ・Instagram写真と動画
安部勇磨
1990年生まれ、東京都出身。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演を果たす。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表した。2019年に4thアルバム「STORY」を発表し、初のホールツアーを開催。近年は中国、台湾、韓国、タイでもライブを行うなど海外でも活躍している。
・never young beach オフィシャルサイト
・never young beach (@neveryoungbeach)|Twitter
・あべゆうま yuma abe(@yu_ma_tengo)・Instagram写真と動画
ハマ・オカモト
1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生と共にOKAMOTO’Sを結成。2010年5月にメジャー移籍1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、最新作は2020年8月にリリースされたテレビアニメ「富豪刑事 Balance:UNLIMITED」のエンディングテーマ「Welcome My Friend」を収録したCD「Welcome My Friend」。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を発売した。
・OKAMOTO'S OFFICIAL WEBSITE
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