すべてから見放された少女、悲惨な物語の結末は? 『明治深刻悲惨小説集』が伝える、変わらない人間の業
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国内外の古典から絶版品切れによって埋もれてしまった名作まで、優れた文学作品を刊行する文庫として知られる講談社文芸文庫。このレーベルには尖ったアンソロジーを世に送り出す文庫という、もう一つの顔がある。
プロの建築家が編者となり、物語の構造や佇まいに「建築」を感じさせる小説を集めた青木淳編『建築文学傑作選』。収録作に自作の何を選ぶかは作者本人任せ、作品順は内容で決めずに作家名の50音順で、どんなアンソロジーが出来上がるか完成まで誰にもわからない。巻末には、編者の解説ではなく感嘆が記されている高原英理編『深淵と浮遊 現代作家自己ベストセレクション』といった、攻めた企画が少なくないのだ。
中でもインパクトの大きかったのが、2016年に刊行された齋藤秀昭選『明治深刻悲惨小説集』だ。前向きな姿勢を求めがちな世間の風潮に逆行するタイトルは、1895年頃に成立したジャンルである「深刻小説」「悲惨小説」が由来となる。
当時の20代を中心とした文学者たちが貧富の拡大する社会や人生の暗部を描き出そうとした小説は、現代社会が抱える闇をも照らし出し、2020年の今読んでもタイムリーな1冊なのである。
たとえば前田曙山「蝗(いなご)うり」は、この国の新首相が目指す社会像として掲げる「自助・共助・公助、そして絆」、そのすべてから見放された少女の物語だ。
夫を亡くし自身は肺結核で働くこともできない極貧生活の中で、名家の誇りと娘の存在が生きる支えだった女・お雪。彼女に清廉潔白に生きるよう育てられた娘・お梅は、まだ10歳ぐらいにもかかわらず雨の日も風の日も健気に蝗を売り歩く。不憫に思い小遣いをやろうとする者がいても、母の教えを守り決して受け取ろうとはしない。だが商売道具の笊を壊してしまい泣きながら帰る途中、偶然落ちていた笊を手に取り万引きを疑われたがために、周囲の同情も、母からの信頼も失い、八方塞がりの状態となってしまう。そんな悲惨すぎる物語を読むと、自助・共助とは公助に先立つほど頼りになるものなのかと疑問を抱かずにはいられなくなる。
潔癖すぎる貞操観念から、妻を過剰に抑圧する主人公の堅吉。この男の価値観の押しつけによって引き起こされる惨劇が、社会の規範から外れた行為を徹底的に糾弾する、昨今のスキャンダル報道の行き着く先を暗示しているようでもある江見水陰「女房殺し」。
出自を差別される家に生まれたがために、誰かを好きになろうと決して結ばれることのない運命にある兄妹。2人が歪んだ愛の形を見出す不穏な展開から、差別によってまた新たな差別の種が生み出される負の構造が浮かび上がる小栗風葉「寝白粉」などの収録作は、どれもバッドエンドばかり。それでもそこに至る過程に工夫が凝らされているからこそ、ハッピーエンドはあり得ないと予想できても、最後まで読まされる。
本書の最後を飾る樋口一葉「にごりえ」は、社会の底辺で苦しむ人間の生々しい声が今の読者にも突き刺さるに違いない傑作だ。主人公のお力は、表向きは飲み屋だが裏で売春も行う銘酒屋「菊の井」の看板娘。そのきっぷのよさが客を引きつけ、同僚からも好かれている。しかし彼女にも悩みはあった。悩みの種となっているのが、元常連客の源七。お力に夢中となって店に通い身を持ち崩したこの男は、縁を切られたにもかかわらず、まだ未練を残してつきまとおうとする。そんな源七の落ちぶれた姿を心配する、彼の妻・お初。彼女は何とか源七を立ち直らせようともがきながらも、家庭を滅茶苦茶にしたお力を憎む。
憎まれ役のお力だって、好きで男をたぶらかしているわけではない。遊女稼業を続けることに疲弊し、先行きの見えない将来に不安を感じてもいた。
〈菊の井のお力とても、悪魔の入れ替りにはあるまじ。さる子細あればこそ此処の流れに落こんで、嘘のありたけ、串談(じょうだん)に其日を送って、情は吉野紙の薄物に、蛍の光ぴっかりとする斗(ばかり)。(中略)さりとも折ふしは悲しき事恐ろしき事胸にたたまって、泣くにも人目を恥れば、二階座敷の床の間に身を投ふして忍び音の憂き涕(なみだ)。これをば友朋輩にも漏らさじと包むに、根性のしっかりした、気のつよい子という者はあれど、障れば絶ゆる蛛の糸のはかない処を知る人はなかりき〉。
お力・源七・お初、3人の視点から救いのない遊女の人生を立体的に描いたこの作品は、持続化給付金の対象から風俗業を外すことを決定した人々、それを当然だと思う人々にこそ読んでほしい。とはいえ、お涙頂戴で物語は終わらない。読者の想像を掻き立てる謎めいたバッドエンドを用意するあたり、樋口一葉もまた作家として尖っている。
■藤井勉
1983年生まれ。「エキサイトレビュー」などで、文芸・ノンフィクション・音楽を中心に新刊書籍の書評を執筆。共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社)、『村上春樹の100曲』(立東舎)。Twitter:@kawaibuchou
■書籍情報
『明治深刻悲惨小説集』(講談社文芸文庫)
選者:齋藤秀昭
出版社:講談社
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