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映画と働く 第3回 録音部:反町憲人「視点は監督やプロデューサーに近い」

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ナタリー

イラスト / 徳永明子

1本の映画が作られ、観客のもとに届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。

今回は録音助手、録音技師として「座頭市」「男子高校生の日常」「ステップ」など多くの作品に携わってきた反町憲人に、映画業界に入ったきっかけ、録音部を選んだ理由、仕事の魅力などについて語ってもらった。

取材・文 / 平野彰 題字イラスト / 徳永明子

遅れて来た思春期、チャンネルNECOで観た日本映画

──履歴書によると反町さんは日活芸術学院(※かつて東京・調布の日活撮影所内に存在した映画学校。2013年に閉校)に入学して映画業界を志したようですが、その前は何をされていたんですか?

大阪の大学に行っていました。ただ日活芸術学院へ行くことを決める前に、映画とは関係がない会社への就職活動は一応していたんです。父親のつてで「ここを受けろ」と言われて何社か面接を受けてはいたんですけど、遅れて来た思春期というか、親が敷いたレールに乗るのが嫌で。そもそも受かる気がないからどの会社からも落とされていました。

──映画に興味を持ち始めたきっかけ、日活芸術学院に行こうと思った決め手は?

もともと文化的なことにそれほど興味があったわけじゃないんです。中学と高校ではバスケットボールに熱中していました。でも自分の部屋にテレビがあってケーブルテレビも入っていたから、チャンネルNECOでたまに日本映画を観ていて。高校の最後のほうから大学に入ってすぐの頃かな。

──その頃観た日本映画の印象的な作品があったら教えてください。

SABU監督の「弾丸ランナー」とか「ポストマン・ブルース」が好きでした。それからチャンネルNECOは日活が関わっているから、その頃にCMを見て日活芸術学院を知ったんです。大学の友達に「こういう学校があるよ」と教えてもらったということもあるんですけど。

──日本映画ではないですが、履歴書の「人生の1本 / 今の職業を志すきっかけになった1本」には「バタリアン」と書かれていますね。

今の職業を志したきっかけとまでは言わないですけど、当時は「走るゾンビ」というのが新鮮でしたから(笑)。地上波でもよく放送されていましたよね。でも日活芸術学院で「バタリアン」が好きなんて言うやつは自分だけでした。

──一般的な企業に就職することをやめて日活芸術学院に入ると決めたとき、ご両親に特に反対はされませんでしたか?

親は厳しかったといえば厳しかったんですけど、自分は男3人兄弟の真ん中で、いざとなったら自由にさせてもらえたというか。それで面接を受けて、学校に入ることにしました。

ぎりぎりまで悩んで録音を選んだ

──学校ではどのように授業が進んでいったのでしょうか。

最初の半年は総合コースというところで基礎的な授業を受けました。そこからまたコースを選んで残りの1年半、詳しく勉強することになっていて、録音部を選びました。

──なぜ録音部を選んだのでしょう?

学校に入ったときは監督をやるつもりだったんですけど、ぎりぎりまで悩んで録音を選びました。というのも演出とか撮影、照明は人気があるから20人も30人も行くわけです。希望者が多いから、1年半で3本撮るとして自分が監督をやれるという保証はない。3本撮る中でいろんな部署を少しずつかじっても勉強にはならないんじゃないかと思いました。その点、録音コースは人気がなくて3人か4人ぐらいしか希望者がいない。その分経験はすごく積めたんです。僕は新聞奨学生として学校に入って、自分で稼いだお金で学費を払ったから、どうせならたくさん勉強がしたかった。あと実習でナグラというレコーダーを使う機会があって、マイクを通してその機材で聴いた音がものすごくかっこよかったということも決め手の1つです。

──しっかりと考えて進路を選んでいますね。新聞奨学生としての生活はいかがでしたか。

こっちは学生の気持ちで行くけど、いきなり400件以上の顧客を与えられて、間違えたら責任重大だと言われて。夜中の2時半に起きて、朝刊を全部配り終えるのが6時前ぐらいでした。それまでもアルバイトはしていたけど、新聞奨学生をやって「働くって大変だ」と思い知りましたね。今の仕事と新聞の仕事、どっちがきついかと聞かれたら新聞だって答えますよ(笑)。

──ちなみに学校の同期で、今映画業界にいる人はほかにいますか?

のちに「サイモン&タダタカシ」で一緒に仕事をした監督の小田学とか、撮影の鈴木周一郎とか、照明の志村昭裕ですね。

初めての商業映画は「座頭市」

──そして2年の学校生活を終えていよいよ業界に入るわけですが、そのきっかけは?

学校では現場実習制度があったので、インターンとしてプロの撮影現場に行く生徒たちもいました。でも自分は新聞を配っていたので、なかなかそれが難しかった。そうなると同期の間でも差が出てきて、焦りました。でも卒業間際に、先生が録音技師の方を紹介してくれたんです。なんせ学校が撮影所内にあるわけだから話が早い。日活スタジオセンターのポスプロ(※ポストプロダクション。映像作品の制作過程において、撮影後に行われる作業の総称)を統括する建物に連れて行ってもらって「こいつ春に卒業するんだけど仕事がないんだよ」と紹介されて、初めて商業映画の現場に入ることが決まりました。「そんな簡単に決まるの!?」と思いましたけど。

──その初めて現場に入った商業映画とは?

北野武監督の「座頭市(2003年)」です。

──なるほど。ちなみに録音部といってもまずは助手から始めるわけですよね。

録音部はまず録音技師がいて、基本的に3人の助手が付きます。チーフ、セカンド、サードとあって、作品によってはその下にフォースという完全な見習いや、学生が入る。「座頭市」のとき自分はサードとして入りました。サードは機材管理やバッテリー管理をやり、マイクを2本以上使うときにはセカンドと一緒にマイクを振ります。セカンドはメインのマイクを振る「ブームオペレーター」が役割。チーフは現場を統括する司令塔です。他部署といろいろなことを交渉したり、ワイヤレスマイクを俳優の体に着けたりします。

──通常はサードから順番にセカンド、チーフ、技師と上がっていくのですか?

日本ではそうですけど、海外では完全に分業みたいですね。

──反町さんは2013年公開の「男子高校生の日常」で技師デビューされています。サードから技師になるまでには通常どのくらいの時間が掛かるのでしょうか。

人にもよりますが、自分は比較的早いほうだと思います。ちなみに録音技師と録音助手は完全に別物。助手はマイクを持たなければいけなかったりするのでカメラが回っている場所にいるけど、技師は機材を乗せたサウンドカートの横に待機していて、現場から少し離れたところにいます。それから、技師になるとポスプロまで作業に関わることになりますが、助手の仕事は基本的に現場だけで終わります。

──技師がサウンドカートで使う機材の使い方はどのように習得していったのでしょう。

助手をやりながら撮影の合間に覚えていきました。不慮の事故、例えば技師がなんらかの理由で現場に来られないときに誰も録音機材を使えないと撮影ができませんから。ポスプロも、師匠の湯脇房雄(※録音技師。「億男」「るろうに剣心 最終章 The Final」などを担当)さんの作業を見に行って学びました。

寝言で「すいません、ちょっと待ってください」

──仕事をしていて特に苦労することを教えていただけますか。

寝られないということです。最近は減りましたけど、ざらにありました。最長で72時間寝なかったことがあります。セカンドで付いていたんですけど、72時間も寝ないと、3歩歩いただけで心臓がバクバク言う(笑)。これは後輩に今でも語り草として聞かせる経験です。それから映画の現場に来ているスタッフというのは、9割が画作りをしているわけで、音は目に見えるものじゃないからこちらの苦労が伝わりづらかったりする。例えば団地で撮影しているとき、演技も撮影も照明も問題なくても布団をたたく音が聞こえてきただけでNGになってしまう。そこで布団をたたく音が聞こえるかどうかは事前に読めないから、僕らが悪いわけじゃないんだけど、謝らなくてはいけないんです。どこかで犬が鳴いたら「犬鳴かせるな」と言われるし。家族に教えてもらったんですけど、寝言で「すいません、ちょっと待ってください」と言っていたこともあったみたいです。

──大失敗をしたことは……。

実はそれほど大きな失敗をしたことはないんです。あえて挙げるなら寝坊かな。例の72時間寝なかったときの翌朝、人生で初めて寝坊しました。ただその頃は撮影所の近くに住んでいたから、現場に向かう機材車が家の前まで迎えに来てくれて。寝てないのはみんな同じだから特に大目玉を食らうということもありませんでした。

──逆に楽しかったこと、この仕事をやっていてよかったと思ったことは?

例えばマイクを振ることがうまくなったときとか。あれは一種の特殊技術なんですけど、めちゃくちゃうまくなった瞬間って、自分自身も周囲のスタッフもわかる。「すげえ」ってね。それで役者さんのアドリブに完璧に対応できたときなんかはうれしいですね。

原田芳雄さんとご一緒したときのこと

──一緒にお仕事をされた方の印象深いエピソードがあれば。

「座頭市」のとき、後ろから斬られて倒れるという役者さんの芝居がなかなかうまくいかなかったんですけど、北野監督が「こうやるんだよ」と言って自分でやってみせた演技がすごくよかったこととか。自分自身でやってみせるという意味では、三池崇史監督もすごくうまいんですよ。

──役者さんとの思い出はありますか?

「大鹿村騒動記」で原田芳雄さんとご一緒したときのことはよく覚えています。そのとき自分はチーフとして現場に行ったんですけど、芳雄さんはワイヤレスマイクを嫌う方だったんです。そのことをすでに知っていた技師の方が、顔合わせの食事会で「着けさせてください」と前もって言いにいっていたんですけど、いざクランクインしたら芳雄さんはワイヤレスを渋られて。その頃、芳雄さんはもうご病気で余命宣告を受けていたんですが、すごく体調が悪い中ワイヤレスを体に巻かなくてはいけなくて、かなりつらそうでした。でも衣装を着替えられる前とか、万全のタイミングでワイヤレスを着けるように取り組んでいたら、芳雄さんのほうから声を掛けてくれるようになって。「反町を早く呼んでこい、着けるなら今しかねえぞ」と(笑)。「あいつが来ないと着替えられない」とおっしゃっていただけたことはうれしかったです。

芝居を録るだけが録音じゃない

──今後やってみたい、挑戦してみたいと思うお仕事はありますか?

去年、あるフィクションではない作品の仕事をやったんですけど、映画やドラマではないのでテストがなくていきなり本番で。一度カメラが回ると3時間回りっぱなしなんです。でもブーム(※先端にマイクを付ける竿状の道具)やマイクを画面に入れてはいけないし、ワイヤレスは見えないところに着けないといけない。部署が細分化されていて自分はワイヤレス班に入ったんですけど、1人で20人にワイヤレスを着けたときはしびれました。映画でも20人にワイヤレスを着けるということはなかなかない。それに位置を修正する機会もないから、かなり緊張しました。結果的にミスはなかったんですけど、あの経験は今後の映画の仕事にも役立つなと思っています。

──録音部として関わる作品のジャンルは問わないですか?

芝居を録るだけが録音じゃないじゃんと思ってますから。音楽を録っても録音だし、環境音を録っても録音。いろんなものを録音したほうが勉強になると考えています。

──これまでの反町さんのキャリアは劇映画中心ですが、「マイク・ミルズのうつの話」というドキュメンタリーにも参加されていますね。

そうですね。もし今またドキュメンタリーの仕事が来たら喜んで受けたいです。それから履歴書の「尊敬する映画人」に今敏監督のお名前を書きましたけど、僕はアニメ映画もやってみたい。まだ一度も経験がないんです。だから、今後挑戦してみたいのはどちらかというと、これまでとは全然違うカテゴリーの仕事ですね。もちろん実写映画の仕事もやっていきますが。

イタリアで「サムライ」と言われた

──「マイク・ミルズのうつの話」はアメリカの作品ですが、日本の作品との制作環境の違いは感じましたか?

あの作品は小ぢんまりとした体制だったしドキュメンタリーなので比較はできないですけど、日本の劇映画で海外のスタッフと一緒に仕事をしたときに感じた違いはあります。海外のスタッフは基本的に、録音時に入ってしまった余計な音とかは全部ポスプロで処理すればいいと思っている。そういえばイタリアで撮影をしたとき「サムライ」だと言われたことがあって。

──というと?

照明用のゼネレーター(発電機)を、現地のスタッフがマイクのすぐ近くに置くので「余計な音が入るからどけてくれ」とジェスチャーして移動させたり、そのほかにも連日、あれをどけてくれ、これを動かしてくれ、と僕が細かく指示していたんです。イタリアのスタッフは最初は戸惑っていたようだけど、だんだん慣れてきて、最終的には現場に入るなり「今日は何を動かせばいい? 教えてくれ」と言ってきて、なぜか「お前はサムライだ」と(笑)。

──(笑)

イタリアのスタッフはハリウッドのスタッフよりは現場の音を優先していた気がしますけど、そういうやり取りはありました。海外に行くと現地のスタッフから「日本人はストイックだ」と言われますね。でもNetflixとかAmazon Prime Videoとか海外の会社はスタッフへの待遇がしっかりしているなと思います。Netflixが映画やドラマの制作従事者に支援金を出した(参照:Netflixが映画・ドラマ制作者の支援基金設立、2週間程度で10万円支給)ことがありますよね。僕もその支援金をもらったんですけど、こういうことは本来、日本の映画会社にやっていただきたかったですよね。

──確かに……。ちなみに今ギャラの話が出ましたが、どのような仕組みになっているんでしょう。映画1本単位でいくら、というシステムなんでしょうか。

フリーランスのスタッフは、1作品でいくらという作品契約をされる方もいますが、僕の場合、1カ月あたりいくらというふうにギャラをもらっています。もちろん1カ月ですべての作業が終わらないことのほうが多いので、1カ月以上拘束されたらその分を日割りでもらうことになります。額でいうと、技師になれば世間の人が想像しているよりはもらえますね。でもすごく稼いでいるのは1割ぐらいの人で、ほとんどの人はそんなに儲けていません。それに、サウンドカートに積む機材は自分でそろえなければいけない。僕の場合で総額ウン百万円ぐらいかかりましたが、そういう出費を覚悟する必要があります。

録音部の視点は監督やプロデューサーに近い

──最後の質問ですが、録音部を目指す人へのアドバイスというか、伝えたいことがあれば。

録音部はあまり人気がないから人手が足りないんです。だから後輩の若手には「人材不足だから、仕事を覚えたらたくさん働けるよ」と言ってます(笑)。つまり需要は大いにある。それから自分が録音部に入ってよかったと思うのは、全体像が見えすぎるぐらい見えるということ。ほとんどの人は撮影に没頭してるけど、音を録る立場の僕らは現場をかなり引いた目で冷静に見ることができる。それはもう清々しいくらいです。

──正直なところ、そういうイメージは持っていなかったので少し意外です。

これは僕個人の意見ですけど、録音部の視点は監督とかプロデューサーに近いと思うんです。撮影から、ダビングと言われる一番最後の工程まで全部面倒を見なくてはいけない。その分、作品への愛情は強くなる……と僕は思っています。

反町憲人(ソリマチノリヒト)

1978年6月26日生まれ、兵庫県出身。大学卒業後、日活芸術学院に入学し録音を学ぶ。2003年に録音助手として「座頭市」に携わり、商業映画初参加。その後「世界の中心で、愛をさけぶ」「電車男」「恋空」「ハゲタカ」「シン・ゴジラ」「無限の住人」「ビジランテ」など数多くの映画で録音助手を務め、「男子高校生の日常」で録音技師デビューを果たす。そのほか技師として参加した作品に「人魚の眠る家」「チワワちゃん」「ザ・ファブル」「一度死んでみた」「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」などがある。