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『東京BABYLON』アニメ化で再注目! CLAMP 未完の大作『X』に描かれた、90年代の不安

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リアルサウンド

 2020年10月、『東京BABYLON』アニメ化の報せは多くの漫画ファンを震撼させた。約30年前の作品に寄せられた反応の大きさは、漫画史に残る作家集団CLAMPの不動の人気を改めて立証したと言えよう。ここで興味深いのは、別のCLAMP作品も話題を巻き起こしたことだ。発表当時、Twitterトレンドにあがった言葉は「Xの続き」。『東京BABYLON』とも由縁ある未完の大作『X』、その再開を求める声は、長い歳月を経てもついえそうにない。

 1992年より連載が開始された『X』は、1990年代にしか生まれ得ないようなダークファンタジーだ。奇しくも同じ未完SF『幻魔大戦』にインスパイアされた本作は、サイキック調の能力を持つ高校生・司狼神威が仲間とともに地球滅亡の危機に立ち向かう「終末論」テーマになっている。加えて、1999年に人類が滅ぶとする五島勉『ノストラダムスの大予言』ブーム、および「そんな予言は当たらない」と冷めた視線を送る当時の日本社会に影響を受けたとされるだけあり、舞台となる1990年代東京の風情が色濃い。特にインパクトあるのは、山手線や新宿の高層ビル群など、東京のランドマークに張り巡らされた「結界」が破壊されると地球そのものも崩壊するという壮大かつローカルな設定だ。作中では、基本的に、東京の「結界」を壊して地震を起こすことで地球を蝕む環境汚染を留めんとする変革派が「地の龍」、それに抗って人類生存を目指す現状維持派が「天の龍」と定義される。

 それぞれ7人ずつとなる「天」と「地の龍」を筆頭に、地球の命運を担うキャラクターたちもCLAMPらしい個性と魅力に溢れている。まず目を引くのは、身体に剣を隠し持つ伊勢神宮の巫女・鬼咒嵐や『東京BABYLON』の主人公たる陰陽師一族の当主・皇昴流に見られるような日本的かつ霊的なモチーフ。さらに、秘密結社フリーメイソンに所属していた天才ハッカー・八頭司颯姫、池袋サンシャイン60地下につくられた製薬会社研究所で生み出されたクローン人間・那吒など、ITバブルのなかオカルティックで西洋的な陰謀説も流布された世紀末らしい設定がよりどりみどりとなっている。

 美麗な絵柄とトーンワークで展開する『X』は、今再読しても衝撃的だ。メインキャラクターがグロテスクに死にゆく様は読者の記憶に深く刻まれただろう。CLAMP特有のテーマとしては「運命」をも変えうる「想い」の重要性が光る。キャラクターたちは「天」と「地」の垣根を超えて交流し、性愛や怨恨といった言葉では表現しきれない複雑な関係を紡いでいく。主人公の司狼神威は「天」と「地」どちらにつくか葛藤するわけだが、こうした地球の命運がかかった選択にしても、大切な人にまつわるパーソナルな「想い」が要となる。そのなかで、特に目立つのは自己犠牲的な価値観だ。「大切な人を守ること」を願う者が多い「天の龍」には、自分の生命を重んじない姿勢も散見される。「自分が死んでも泣く人はいない」と語って独りで戦地に向かう夏澄火煉がその筆頭であるし、楽天的な態度でチームをまとめる有洙川空汰にしても愛する人を守って死ぬ「運命」に準じている。物語の後半には「地の龍」も巻き込んで「殺されたい者に殺される」、「誰かのために死ぬ」といった「願い」まで登場していく。悪い言い方をすれば、『X』には、大切な人を想うあまり「死にたがり」な人間が多いのだ。

 もしかしたら、ポジティブとは言えない思考のキャラクターにこそ、CLAMPの「1990年代の日本」観が込められているのかもしれない。これ以降は後半の重要な展開に触れることになる。主人公の司狼神威が「天の龍」を選択したことで「地の龍」として覚醒したもう一人の『神威』は、東京の「結界」を破壊して人々を虐殺する最中、このような言葉を吐く。

「『何があっても死にたくない』と思っている奴が本当に少ないんだな…日本には」

 非情に見える「地の龍」の『神威』の行動は、ある面で一貫している。相対する相手の「本当の願い」がわかるゆえに、それを叶え続けているのだ。そのため、虐殺を始める前『何があっても死にたくない』と願う少女には避難を勧めたし、「天の龍」相手でも「死にたくない」と望む猫依護刃を結果的に殺めることはなかった。この「地の龍」の『神威』は、数々の自己犠牲的な「願い」を叶える中、こう漏らす。

「誰も誰かを殺してはいけないなら どうして見失ってしまうんでしょうね 大事なことを」

 この「誰か」のうちに「自分自身」も入るとしたら、「本当の願い」を自覚しない限り「地の龍」に勝てないとされる主人公・司狼神威も「大事なこと」を見失っているのかもしれない。彼が声に出して望むのは「大切な幼なじみを守ること」、そして「幼なじみを取り戻すこと」。このなかに「自分も生きたい」、「自分も彼らと一緒に生きたい」欲求は感じられない。2020年現在、18巻で単行本が止まっている『X』だが、実のところ、その続きとなる数話分が2009年に刊行された『ALL ABOUT CLAMP』に再収録されている。ここでは、東京タワーで最終決戦が始まり、劣勢となった司狼神威が自らの「本当の願い」に気づいたような瞬間で終わっている。

 『ALL ABOUT CLAMP』において『X』は「最も時代に振り回された作品」だと作者陣より語られている。これにはまず、1990年代からさらなる変化を遂げた東京という都市の存在がある。同書で語られたように、2000年代後半に描かれたなら「結界」ランドマークに六本木ヒルズが入っていただろうし、今なら東京スカイツリーもはずせなさそうだ。しかしながら、2020年の世界には、より増大した1990年代的な不安も見受けられる。たとえば「地の龍」サイドの視点で重要となる環境汚染。気候変動危機の問題意識が2010年代にかけて拡大した結果、西洋では「人類の環境破壊によって滅亡する地球で無責任に子どもを産みたくない」と語る若者の絶望に注目が集まっていった。こうした不安の波は、ゆくゆく日本でも広がってゆくのかもしれない。当然ながら、私たちは、かつてCLAMPが描いた1990年代のその先を生きている。だからこそ、世紀末を乗り越えて20年経っても、多くの読者が『X』の続きを切に願うのかもしれない。司狼神威が選ぶのが生きる意志だろうと、はたまた別のものだろうと、不安に揺らぎながら生きる私たちはその決断を見届けたいのだ。

■辰巳JUNK
平成生まれ。おもにアメリカ周辺の音楽、映画、ドラマ、セレブレティを扱うポップカルチャー・ウォッチャー。著書に『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)
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