「秘密戦隊ゴレンジャー」アカレンジャー誠直也、当時は「1年持たんなと思っていた」
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誠直也
「秘密戦隊ゴレンジャー」の関連上映が、本日11月2日に東京・TOHOシネマズ 六本木ヒルズで開催され、アカレンジャー / 海城剛役の誠直也が登壇した。
第33回東京国際映画祭ジャパニーズ・アニメーション部門内の「秘密戦隊ゴレンジャー」生誕45周年記念スーパー戦隊特集の一環として催された同イベント。1976年製作の「秘密戦隊ゴレンジャー 真っ赤な猛進撃!」「秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン」「ジャッカー電撃隊 VS ゴレンジャー」の上映前に、誠が舞台挨拶を行った。
大学卒業後、1971年に俳優デビューした誠。「仁義なき戦い」シリーズなどに出演したのち、1975年から2年にわたり放送された「秘密戦隊ゴレンジャー」の主演を務めた。オーディションではなくオファーを受けて出演が決まったことを明かし、誠は「現場に行くまで、撮影がどういうふうに進行するのかわからなかったですね。アクションに関しては相手がいることですから、全部約束事としてやっていかないと危ない。その訓練は、撮影に入る前にちょっとだけやりました」と振り返る。
イベント中盤には、今やスーパー戦隊シリーズでおなじみとなった爆破シーンの話題に。誠は「2種類ありまして。5寸玉という火薬の上にガソリンの入ったビニール袋を置く、炎を上げる種類のもの。あと火薬の上にセメントを乗っけて、噴煙を飛ばすものがあるんです。ガソリンのほうはまだいいんですが、セメントを飛ばすやつは、マスクの前が見えなくなるんです。こちらは単車で走ってますから、けっこう危なくて、ひっくり返ったことは何度かありましたね」と苦労を語る。さらに、ロープをつたって船から移動する撮影を回想し「疲れきってね。途中で手が痛くて、ドボンしたことがあります。『ちょっとストップ』と行って下に飛び込みました」と告白。また撮影中に、火薬で髪が燃えた経験や、脚を陥没骨折した体験なども明かした。
そして誠は、東京・生田スタジオをメインとしたセットでの撮影について「行ったときはびっくりしましたね。バラック建てのようなひっどいスタジオで、スタジオとは名前だけ(笑)」と語り、「雨が降るとうるさくて撮影できないんですよ。普通、雨が降ると(ロケではなく)セット撮影に変えるでしょ。でも逆に、セットで撮影できなくなるんです」と笑う。さらに、主なロケ場所も撮影所も自然あふれる環境だったことから「顔を蚊に刺されて、赤いできものができまして。カットバックの切り返しで、顔がつながらないこともありました」と秘話を披露して笑いを誘った。
結果的に、2年間続く人気番組となった「秘密戦隊ゴレンジャー」。放送開始から3カ月ほどはまったく手応えや反応がなかったそうで、誠は「製作サイドも手探りだったし『1年間の番組だと言ってるけど、これは持たんな』という雰囲気がありましたよ。でも半年経ったくらいで、辺鄙なところにある撮影現場にまで親子連れがちらほら来るようになりまして。そのあたりから視聴率がぐっと上がりました」と回想する。そしてスーパー戦隊シリーズが、現在放送中の第44作「魔進戦隊キラメイジャー」まで続く歴史を築いてきたことに関して「形を変えた『ゴレンジャー』が40年近く続くなんて、(当時は)想像できなかったですね。僕が今ここで何十年か前にやった番組の話をしてることも、うれしい話なんですけど、不思議ですね」と感慨深げにコメントした。