ツァイ・ミンリャンが片桐はいりと対談、“引退宣言”の真意や新作「日子」を語る
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トークシリーズ「アジア交流ラウンジ」の様子。左からオンラインで参加したツァイ・ミンリャン、片桐はいり。
トークシリーズ「『アジア交流ラウンジ』ツァイ・ミンリャン×片桐はいり」が本日11月6日に東京都内で行われた。
第33回東京国際映画祭では新企画として、アジア各国・地域を代表する映画監督と日本の第一線で活躍する映画人が語り合うオンライントークを連日開催。新作「日子(英題:Days)」が第21回東京フィルメックスの特別招待作品として出品されたツァイ・ミンリャンがオンラインで参加し、会場の片桐はいりと対談を行った。
長年ツァイ・ミンリャンのファンと公言しており、2014年に彼が「郊遊(ピクニック)」のプロモーションで来日した際には、ともにイベントに登壇している片桐。当時ツァイ・ミンリャンは同作を最後に引退する意向を表明していた。過去のイベントを振り返り、片桐は「(イベントの登壇を)最初はお断りしようと思っていたんですが『引退しないでください!』と伝えるつもりでお受けしたんです。そのとき監督が『チケットがもっと売れたら考えるよ』とおっしゃってくださって。それから今日を迎えて、『Days』を観られたこの喜びよ!」と顔をほころばせる。
ツァイ・ミンリャンは「確かに『郊遊』を撮り終えたあと、私の中にはいろんな思いが去来していましたね。私は1作作るごとに街頭に立ってチケットを売りさばいていたんですが、それは私にとってすごく疲れることでした。撮らないって言ったのは、要するに映画館に行って観客がチケットを買って観るような作品を撮りたくないと思ったんです」と心境を吐露。「映画館で観るような映画は表現に規制がかかりますし、どうしても入れないといけない要素も出てくる。『郊遊』を撮ったときにはかなり疲れていましたが、決して映画自体を撮りたくないと言ったわけではないんです。例えば美術館に展示してもらうような映画を撮ろうと思いましたし、これからも続けていこうと思っています」と意図を説明した。
「日子」を鑑賞した片桐は「ツァイ監督は商業映画やドキュメンタリー、アートフィルムも撮られていますが、私にとってツァイ監督の映画は“ツァイ監督の映画”というジャンルだと思っているんです。この作品は商業映画やドキュメンタリー両方のいい部分を感じながら楽しんだのですが、監督はどのようなスタンスで制作されたんでしょうか?」と問う。ツァイ・ミンリャンは「郊遊」から「日子」までの日々を振り返り「『あなたの顔』やVR作品も制作し、いろんなチャレンジをしてきましたが自分の撮りたいように撮れるものしかやりたくないと思ったんです。だから私にとってはジャンルは関係なく、ドキュメンタリーであろうと劇映画であろうと映画が映画であれば私の作品であり、自分が表現したいと思ったものをなんらかの形で表現できればいいと考えるようになったんです」と述べた。
元々「日子」を映画化するつもりはなかったというツァイ・ミンリャン。過去の監督作すべてに出演しているリー・カンションの闘病に触れ「なかなか治らない病にかかった彼の姿を数年間撮り続けていました。これは美術館の展示にはふさわしくないと思いましたが、なんらかの形で作品にしたいと思ったので『日子』を制作することにしたんです」と述懐。また、劇中でも首の痛みに苛まれる男に扮しているリー・カンションについて「病に苦しむ姿はとても演じられるものではなく、切実でリアルな問題です」と話した。
質疑応答では、2人に向けて「コロナ禍の影響で映画を観る環境が変わったことについてどう思うか」という質問が飛ぶ。片桐は「『映画館に行こう!キャンペーン2020』に賛同している身なので誤解をされてしまうかもしれないんですが」と前置きし、「これまでは新しい映画が次から次へと公開されて、私にはトゥーマッチだなと感じていました。映画はあらすじを楽しむだけのものではありませんし、1回観たら終わりということではありませんから、何回も何回も味わうような映画を観たいなと考えていたんです。そんなときに『Days』を観られて感動しました」と改めて感想を伝えた。
ツァイ・ミンリャンは「コロナ禍と関係なく、今映画鑑賞の方法は多様化してますよね。でも内容はどうでしょうか。単一なものになっているのではないでしょうか」とコメント。「ですから、映画館自体も新しい形態になるべきだと思います。アートフィルムや個人的な映像表現のフィルムをかけるような、美術館方式の系列の映画館があってもいいのではないでしょうか。私自身が思うに、最近は映画館や配信で楽しめる作品であるにせよ、単一的な映画しか出てきていないように感じます」と語った。