たんぽぽ・川村エミコ、初エッセイ『わたしもかわいく生まれたかったな』に込められた切ない想い
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今から40年前の1979年12月17日。雪がしんしんと降る日の大体おやつの時間、私は生まれました。
読み始めたとき、エッセイではなく純文学を読んでいるようだと思った。お笑いコンビ・たんぽぽのボケ担当である川村エミコ初のエッセイ集『わたしもかわいく生まれたかったな』。芸人が書いたエッセイというイメージからかけ離れた静謐な文章は、学校で一度も1軍になれなかった私の心をぐりぐりと抉ってくる。
川村の人生は、ずっと切ない。高齢のご両親がいて、たった一人の娘として大切に育てられ、芸人という仕事を選ぶ際にも家族は反対しなかった。一見恵まれた人生だ。不幸ではない。悲惨でもない。ただ、切なさはずっと彼女の人生に漂い続けている。
作中に「ポシェットの色を選べるのはかわいいみほちゃん」という話がある。みほちゃんというのは川村の従姉妹で、大人からよく「綺麗ねぇ。」「今時の子ねぇ。」「細くてかわいい。」という言葉を大人からかけてもらえるような、かわいらしい女の子だ。ある日、川村の母がみほちゃんとえみちゃん(川村)のためにポシェットを作ってくれた。二つあるうちの、ひとつは紺色。もうひとつは水色。〈つまり、その、一瞬で水色がかわいいと思いました。〉水色がかわいいと感じたえみちゃんの前で、みほちゃんはこう言い放つ。「わたし、水色にするー!」
速かったです!そして、「するー!」断定の言葉!願望では無いのです!「するー!」の威力をその時初めて知りました。川村恵美子、9歳の春。おだやかな風の日でした。
ああ、わかる。この感覚。物心ついたときから自分のかわいさを信じて疑わない者だけが発することのできる「するー!」という言葉。9歳の女の子の世界は主に「かわいいもの」と「かわいくないもの」で構成されていて、自分のかわいいをわかっている子は当然のように「かわいいもの」を選択する。(決して紺色のポシェットがかわいくないわけではないのだけど、よりかわいいもの、という意味合いで)結局ゴネたもん勝ち、のようなかたちで水色のポシェットはみほちゃんの元に嫁いでいく。
このこと以来、自分の考えや意見を言うことに憶病になっていったかと思います。
繊細さは、子どもとして生きていく上で、時に大きな重りとなって自身を苦しめる。川村は、そういった意味で「子どもが向いていない人」だ。人が何気なく放った一言で深く傷つき、傷が癒えるまでに長い時間を要する。
幼稚園に上がって少しした頃、父親にこんなことを言われる。「えみちゃん!えみちゃんはあまり綺麗なほうじゃないです。なので、字は綺麗な方がいいから、書道を習いましょう。」。
綺麗とか綺麗じゃないとか、かわいいとかかわいくないとか、かわいい従姉妹のみほちゃんがいたので薄々、いや割と濃いめで気付いてはいましたが、今思えばこれが初めてダイレクトに感じた瞬間でした。自分がかわいいかどうか、ちゃんと向き合う瞬間でした。
産まれてたった何年かしか経ってない女の子が、父親から「綺麗じゃない」と言われた。それも何気ないことのようにサラッと。川村本人も「サラッと」書いてはいるが、幼心にどれだけ傷ついたのかは想像に難くない。「わたしもかわいく生まれたかったな」。彼女がこのタイトルに込めた意味を考えると、胸の奥からいろいろなものがこみあげてくる。
川村は最後の章で「恋がしたい」という思いを15ページにも渡って綴っている。告ってないのに振られる。男性にメールを送っても返信がない。自分から好きになった人と付き合ったことがない。ステキな人はたくさんいるが好きまでいかない。読みながらずっと、彼女がステキな人とお付き合いできたらいいなあとしみじみ感じていた。恋がしたいと願う彼女の姿は、ひとりの女性としてとてもかわいらしいと思った。
書き終えてみると、幼少期からの経験全てが今の私を作ってくれていて、繋がっていて、私の大事な部分であることがわかりました。
そして、最後小さな私がいつも見守ってくれている気持ちになりました。「大丈夫?大丈夫だよ。大丈夫。」って。なぜでしょう。涙が出てきます。
小さなあの子と一緒に語りかける。大丈夫だよ。大丈夫。
■ふじこ
兼業ライター。小説、ノンフィクション、サブカル本を中心に月に十数冊の本を読む。週末はもっぱら読書をするか芸人さんの配信アーカイブを見て過ごす。Twitter:@245pro
■書籍情報
『わたしもかわいく生まれたかったな』
著者:川村エミコ
出版社:集英社
出版社サイト(試し読みあり)