恐るべき“映画の子供”の誕生!『泣く子はいねぇが』で鮮烈な劇場監督デビューを飾る佐藤快磨監督とは?
映画
インタビュー
佐藤快磨監督
秋田県の伝統行事「男鹿のナマハゲ」から着想したオリジナル脚本の映画『泣く子はいねぇが』で、鮮烈な劇場監督デビューを飾る佐藤快磨監督。
その才能がただならぬものであることは、カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールに輝いた『万引き家族』(18)の是枝裕和監督を唸らせ、本作がデビュー作でありながら、権威あるサン・セバスティアン国際映画祭のオフィシャル・コンペティション部門で最優秀撮影賞を受賞したことからも明らかだ。
果たして突如、流星の如く現れ、世界の映画ファンを魅了する新時代の映像クリエイターはいったい何者なのか? 佐藤快磨監督を直撃し、過去作から最新作への道のりを辿りながら、彼の脳内とその眼差しの先にあるものを探ってみた。
サッカーと同じくらい情熱を捧げられた映画作りとの出会い
── 映画を撮り始めたきっかけは?
僕は映画をほとんど観てこなかったので、いまこうして映画を撮っていること自体が不思議で。ただ、サッカーをずっとやっていたし、ナイキのCMが好きだったから就職活動で広告代理店を受けたんです。でも、映像作品を作ってなかったので受からなくて。それでニューシネマワークショップという映画学校に1年間通ったんですけど、そこで映画作りを始めたらすごく面白かったんです。サッカーを高校卒業と同時にやめてから情熱を傾けられるものがなかったんですけど、そのときに“これだ!”という感じで映画作りに一生携っていきたいと思ったんです。
── ニューシネマワークショップでも監督をしたんですか?
卒業制作の監督に選んでいただいて、初めて役者さんに出てもらう『ぶらざぁ』(13)というタイトルの30分の短編を撮ったんです。その現場で、役者さんが自分の書いた脚本通りに演じてくれているのを見たときに、これまで生きてきて感じたことのない濃密な空気と空間を感じて。その衝撃が大きかったですね。
── 続く『ガンバレとかうるせぇ』(14)は高校サッカー部の女子マネージャーが主人公の映画ですけど、あの話はどこから?
大人になってから、高校時代のサッカー部の仲間やマネージャーとお酒を飲む機会があって。そのときにマネージャーが選手のために裏でしてくれていたことを初めて知ったり、選手とマネージャーの“勝ちたい”という気持ちは違うからと決めつけて、どこか疎外していたことを思い出したんです。そのあたりを、ある種の皮肉を込めて描けたらと考えたんですね。
── この作品は、ぴあフィルムフェスティバルPFFアワード2014で映画ファン賞と観客賞をW受賞し、第19回釜山国際映画祭のコンペティション部門「ニューカレンツ」にノミネートされました。
その年の「ニューカレンツ」のノミネート作品で僕の映画だけが自主製作だったんですけど、亡くなられた副ディレクターのキム・ジソクさんが「あなたにしか撮れない作品だから選びました」って言ってくれて、それがすごく嬉しかったんです。その言葉が、自分の中では映画を本格的に撮るきっかけなったような気がしますね。
── その次の『壊れ始めてる、ヘイヘイヘイ』(16)は、文化庁委託事業「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト2015」の監督に選ばれて撮ったものですね。
ええ。この映画は映画学校時代の同級生の原案を僕が脚本にして映画化したんですけど、主演をプロデューサーから推薦された太賀(現・仲野太賀)くんにお願いしたんです。太賀くんとはこの作品で出会いました。
── そして、『歩けない僕らは』(19)でSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019の観客賞を受賞しますが、この作品は回復期リハビリテーション病院1年目の理学療法士の女性と脳卒中で下半身が不随になった青年との物語です。
この作品が、それまでの中でいちばん大変でした。知らない世界でしたし、下半身不随の人を自分が描くことに対するおこがましさがあって、自分が撮る意味が見い出せなかった。それで脚本が全然書けなかったんです。苦しかったですね。でも、その分思い入れがあるし、自分でも好きな作品です。
足りてない自分を感じ、映像制作者集団“分福”へ
── 『歩けない僕らは』の撮影に入る前に、是枝裕和監督率いる映像制作者集団“分福”の監督助手募集に応募したのはどんな想いからですか?
商業映画の現場にほとんど行ったことがなかったので、現場を見て勉強しないとダメだなと思っていたときに“分福”の監督助手募集を知って。是枝監督の現場に行って、監督のもとで映画の勉強をしたいという想いで応募しました。
── 是枝監督の現場を経験されたんですか?
いや、監督助手としては採用されなかったんです。でも、そのときに『ガンバレとかうるせぇ』を観てくれたり、『壊れ始めてる、ヘイヘイヘイ』や今回の『泣く子はいねぇが』の脚本を読んでくださった是枝監督が「“分福”に来てもいいよ」って誘ってくださったんです。
是枝監督も唸った『泣く子はいねぇが』ラストシーン
── 是枝監督は『泣く子はいねぇが』の脚本を読んで唸ったということですけど、どこを評価されたのでしょう?
ラストシーンですね。僕も「男鹿のナマハゲ」にインスパイアされたあのラストシーンが真っ先に頭に浮かんだんですけど、是枝監督から「このラストシーンがいちばん泣けるように直せ!」って言われ続けました。でも、あそこは最初の脚本からまったく変わっていないです。
── 以前の取材で監督は「父親でもない自分が父性を探す映画を撮ったら新しいものができると思った」と言われましたが、どんな経緯でその考えに行きついたんですか?
年齢を重ねれば重ねるほど、父親になったり、家族を持つ自分を想像できなくなったんです。そこから、そんな自分が父性に目覚めるのはタイミングなのか? それともある一定の時間なのか?って考えるようになって。そこを映画を撮りながら探して行けば、新しい父親の物語になるという確信があったんです。
キャストと一緒に考えていった「父になるとは?」「母になるとは?」
── 主演の仲野太賀さんとは『壊れ始めてる、ヘイヘイヘイ』に続いて2度目のタッグですね。
たすく役は、最初から太賀くんに決めていたんですけど、今回は前回と違い、僕も太賀くんも責任と覚悟を持ってこの映画に臨んでいたと思います。だから、意見をぶつけ合うことができたし、考えが共有できるまでふたりとも諦めなかった。それが信頼関係に繋がったような気がします。
── 太賀さんの言葉で印象に残っているものは?
言葉ではないんですけど、自分の考えが定まっていないときに限って、太賀くんが隣でごはんを食べていたりするんです。それはただ移動するシーンの前だったりするんですけど、どういう目的で移動するのか僕が考えていないと見抜いてぶつかってくる。それで、それが如何に大事なシーンかが分かったこともあったし、太賀くんがいなければ、この映画は違うものになっていたと思います。
── たすくの妻・ことねを演じた吉岡里帆さんは、監督が自ら手紙を書いて出演を依頼されたそうですね。
NHKのドラマ『京都人密かな愉しみ Blue 修業中』の中の1編『祇園さんの来はる夏』(19)の吉岡さんがすごく無防備な顔をしていて、それがことねという役に繋がったんです。それで、「父親になりきれない男が主人公の映画ですけど、女性も母になれるか不安だし、子供を産んだからといって母親になれたわけではないと思うので、母になるとはどういうことなのか? を吉岡さんと探していきたい」と手紙に書いて、送らせていただきました。
「切実な想いを抱えた人に光を当てたい」から映画を撮り続ける
── 監督が一貫してこだわっているテーマはありますか?
コミュニケーションをしているようでできていない、人間関係に臆病なディスコミュニケーションの人たちは自分を投影しやすいですね。観ていただいた方から「佐藤くんの映画は、最後でいつもナルシシズムが爆発するよね」って言われたこともあります(笑)。
── その閉塞感を打ち破っていく感じが、いまを生きる人たちの共感を呼ぶんでしょうね。
そうかもしれない。現代人は人間関係を閉ざしてひとりでも生きていけるんだけど、それでも誰かと繋がっていたいという相反する切実な想いも抱えている。僕はその切実さを肯定したいのかも。人と繋がらなくても生きていけるけど、そうじゃないよって言ってあげたいんです。
── その想いが、佐藤監督が映画を撮り続ける原動力ですか?
切実な想いを抱えた人に光を当てたいんです。自分も映画でそういう人物を見て勇気づけられたから、その人たちの心の内側に光を当てたい。きっと、心の内側を見たいんだと思います。心の内側は見えないし、映画も心の内側は映せないけれど、人の内側を見たいという衝動が、僕が映画を撮り続ける理由かもしれません。
新たなる才能の誕生! 自分にしか撮れないものを追及した『泣く子はいねぇが』
“映画作り”に自分の一生を捧げたいと思い、“自分にしか撮れない映画”を考え抜いた結果の産物でもある『泣く子はいねぇが』で待望の劇場監督デビューを果たす佐藤快磨監督。その素顔は一見シャイだが、話を聞けば聞くほどいい意味で頑固な、撮りたいもの、撮るべきものがはっきり見えている人だな~という印象でした。
その発言の数々は、それを形にしてきた自信と力強さを伴っていて頼もしさすら感じる。実際、過去作を順に観ていくと脚本=ストーリーと構成の精度が回を追うごとにアップし、演出力や映像センスもどんどん研ぎ澄まされていることが分かる。
『泣く子はいねぇが』に至っては、是枝裕和監督や“分福”に所属するプロデューサー、女性監督らの厳しい意見も自分のものにしていて、展開に一切の無駄がない。しかも、仲野太賀、吉岡里帆ら俳優陣の力を信じた、攻める映像表現で観る者の心を鷲づかみにしてしまうのだからスゴい! 恐るべき“映画の子供”が登場したものだ。
振り返ると、洋の東西を問わず、新たなる映画の才能は30代前後で覚醒し、“自分にしか撮れない”作品で世界中の映画ファンを魅了してきた。スティーブン・スピルバーグ監督が『ジョーズ』(75)を撮ったのは29歳のときだし、ポン・ジュノ監督が『殺人の追憶』(03)を撮ったのは33歳。岩井俊二監督は31歳のときに撮った『Love Letter』(95)で脚光を浴び、クリストファー・ノーラン監督が『メメント』(00)でその名を世界中に轟かせたのも29歳のときだ。
佐藤快彦監督は現在31歳だから、ちょうどその年齢。まだ原石かも知れないし、本人も気づいていないとんでもないイマジネーションとそれを視覚化する能力を秘めているかもしれない。いずれにしても、『泣く子はいねぇが』はその第一歩。新たなる才能の誕生を、ぜひ自分の目で目撃して欲しい。
取材・文:イソガイマサト
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