「変なやつだけど、チャーミング」中野裕太が明かす、盟友 King Gnu 常田大希と過ごした刺激的な青春時代
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millennium paradeが10月2日にリリースした新曲「Philip」。常田大希のコメントによると、同曲は彼が二十歳の頃に作った曲のリメイクであり、当時から共に成長してきた仲間と曲を蘇らせたいという想いから、俳優の中野裕太がゲストとして招かれた。作詞とラップを担当した中野は、常田が学生の頃から親交があった人物で、かつては常田とともにGAS LAWというバンドを組んで活動していた。
今回は、中野へのインタビューを企画。俳優として活躍する中野が、音楽を語る貴重な機会となった。彼から見た常田大希とは。また、常田とのクリエイションは、彼に何をもたらしたのか。2人の関係性、「Philip」にある熱量の根源を探る。(蜂須賀ちなみ)
常田大希との出会い〜“音楽に救われた”過去
ーーまず、常田さんと出会ったきっかけを聞かせていただけますか。
中野裕太(以下、中野):昔、3歳下の弟(ピアニスト・作曲家の中野公揮)と一緒に暮らしていたんですけど、彼は、桐朋女子高等学校音楽科でピアノをやった後、(常田と同じ)東京藝術大学の作曲科に通っていました。2人でいつも、哲学や芸術の話をしているうちに、自然発生的に一緒に音楽をするようになって。当時のバイトの同僚を家に招いて、ミニコンサートを開いたこともありました。曲作りは僕が芸能の道に進んでからも続いていて、あるライブのとき、弟の友人や、知り合いに紹介してもらった弦の人たちにヘルプで入ってもらったんですけど、そのなかのチェリストが大希でした。
ーーなるほど。
中野:同じ大学だったこともあり、それをきっかけに公揮と大希が仲良くなって、大希が家によく遊びに来るようになったんです。大希がはうちで、電子ドラムのセットを持ってきて叩いたり、ループステーションとかサンプラーを持ってきて「こういう音はどう?」みたいなことを公揮と一緒にやっていて。最初は、僕はそれを「すごい!」「面白い!」みたいな感じで見ていて。
大希と知り合ったことで、兄弟のプロジェクトもそれまでとは違う毛色になって、公揮が新しく曲も書きました。そこから、僕と公揮と大希、当時知り合ったロビン・デュプイというフランス人チェリストの4人で、ライブをやることになったんです。それが結構よくて、ライブの打ち上げで「これはバンドにした方がいい」という話になり、それがGAS LAWというバンドになりました。GAS LAWが始まったのが、多分、2012~2013年だったと思います。ロビンはわりと早めに脱退して、それからコアメンバーは僕と公揮と大希の3人でしたね。
ーー藝大生2人に揉まれながらバンドをやるのは、結構ハードじゃなかったですか。
中野:まさに迷える子羊というか、自分のあまりの無力さにまずびっくりして(笑)。公揮が書くGAS LAWの曲って、緻密で、なおかつ半端じゃない変拍子を多用する。8分の6だったり、8分の11、12、13……というふうに小節ごとに変わっていくものもある。当時彼がイスラエルジャズに興味があったこともあり、そんな曲ばかりだったので、急激に異常に鍛えられた感覚はあります。
2~3年活動したあと、公揮がパリに行くことになってしまったので、GAS LAWは今休止中なんですけど、その前後で、僕と大希はよく一緒にクリエイションをしていて。大希が別にやっていた、Srv.Vinci、Mrs.Vinciで僕が詞を書いたり、ラップしたり、声をサンプリングで入れたりしたことがありました。逆に、僕の出演するドラマ・映画の音楽を大希に頼んで作ってもらったこともありました。
ーー俳優の中野さんにとって、音楽活動、公揮さんや常田さんと共にクリエイションする時間は、どのようなものでしたか?
中野:2人の弟と自由にパーソナルなことをやれる場所、自分を深堀りしてクリエイションできる場所。僕自身が、2014年頃にキャリアの大掛かりなシフトチェンジをしたんです。当時のレギュラー番組のプロデューサーさんに自分で挨拶に行き、「俳優業にもっと注力したい」と番組を降板させていただいて。GAS LAWが始まったのはその少し前だったので、“パブリックな仕事をしている”という感覚が強い時期の、パーソナルなものに飢えていた部分にフィットしたものでした。
ーーパーソナルな表現ができる場を持っておかなければ壊れてしまうかも、という感覚もありましたか?
中野:ありましたね。当時与えられた場所が、たまたまテレビやラジオーー純粋に俳優業に専念するというよりかは、芸能を広く経験するような場所ーーだったんですよ。目の前の仕事に自分なりにガムシャラに誠実に対応していても、やはりズレが大きくて。そうやって嵐の海を必死に泳いでいた頃、GAS LAWが始まったので、ある意味では、“音楽に救われた”というのはかなりありました。
今は当時と違って、芸能、今回のように大希と一緒に音楽することも、自分で個人的にアートをやることも、すべてをパーソナルなものとしてーーというよりかは、プロとしてパーソナライズしなければならないと思っているんですけど。その中でも音楽はより特殊な立ち位置にあります。過去の印象も含めて。だからこそ、僕はもう、公揮か大希としか音楽をやることはないんだろうなと。僕にとって、GAS LAWが音楽。
millennium parade「Philip」参加に至った背景
ーー中野さんから見た常田さんの人物像は?
中野:変なやつだけど、チャーミングなところもあって、音楽をやっている姿がすごくカッコいい人。基本、僕のなかでのイメージはずっと変わっていなくて。あいつって、ほとんどの楽器ができるんですよ。しかも、子どもがおもちゃで遊ぶように“当然楽器ができちゃう”という感じで。あいつにとっては、すべての楽器がレゴやラジコンみたいなものなんでしょうね。それは、簡単に言ってしまうと、才能じゃないかな。人生や生活、見えている景色が全部音楽というタイプの“ザ・音楽家”という印象です。
ーーそんな生粋の音楽家から、クリエイションの相手として選ばれている理由を、ご自身ではどのように認識していますか?
中野:純然たる音楽家ではない人間が、音楽にフィットしたときにたまたま出ちゃう雰囲気を面白がってくれているのかな、とは思います。面白がってくれているし、扱いも上手だから、信頼して任せられる。僕、どちらかというと、捧げる系なんですよ(笑)。なので、大希から「裕太くんの声がほしい」「裕太くんの詞が必要だ」と言われたらーー実際、大希はそういう言葉を投げかけてくれるんですけどーー当然捧げたくなりますよね。
ーー今話していただいた自己認識通り、私も「Philip」を聴いたとき、「得体の知れないラップだな」「というかラップなのか?」と思いまして。
中野:そうですよね。特に今回に関しては、意図的にそれをやった部分もありました。韻を踏む部分をあえてずらしたり、ナラティブな表現になるように詞を書いたり、ある意味すごく繊細にやっています。
僕は音楽畑の人間じゃないし、自分のことをラッパーだとも思っていないけど、当然いろいろな音楽を好きで聴いてきているし、研究はしています。ケンドリック・ラマーがどういうふうに言葉を嵌めているのかも、ブラックミュージックのアーティストたちがどういうふうに音楽にビートを絡めてきたのかも、どういうふうに派生・進化していったのかも、触ってはいるんですが、僕がそこに嵌りにいったって、当然敵うわけがないし、逆に言うと、失礼。「そうではない、僕なりの表現方法って何だろう?」というところで、今回もかなり苦労しました。
ーー「Philip」の原曲はSrv.Vinciの「Stem」で。だからこそ、当時からの仲間とともにリメイクしたいという想いが常田さんがあり、「Stem」でも作詞・ラップを担当していた中野さんがゲストに呼ばれた流れでした。
中野:大希が忙しくなったここ2年くらいは、そんなに連絡をとっていなかったんですけど、今年の7月初めに大希が家に来て。「一緒にやらないか」と誘ってもらい、「よしやるぞ」という話になりました。久しぶりの音楽だったので、ゆっくり取り組むつもりが、蓋を開けてみたら、スケジュールがパンパンで、結構時間がなくって(笑)。めちゃくちゃ大変ではあったけど、せっかく大希という大事な人に誘われたのだから、中途半端なクリエイションはどうしてもしたくなかったので、なんとかやり切りました。
ーー「Stem」から数年、というのはご自身でも意識されましたか?
中野:そうですね。詞の中にある、“ノイズの枝”というのも、元々「Stem」のコンセプトにあったものですし、シャレで「Stem」のワードとも絡めながら、現在の自分から見えている景色を自由に言葉にして。
「Stem」の詞を今読むと、あまりに若いというか。膿を吐き出したみたいな感じで、訳わかんねえなと思う部分もある(笑)。いろんなアップダウンを経験してきた分、精神的な重心も当時から移動しているので、それを詞にしたいという想いはありました。音楽との絡みに関しては、もちろん大希からも意見・アドバイスをもらいましたし、戦った部分もあります。
ーー特に難航したのは?
中野:ヴァース3です。僕は、音楽のパルスと感情のパルスというものがあると思っているんです。心臓の鼓動もそうだし、怒ったり悲しんだりするような人間の感情のパルスは「BPM90で」「4つ打ちで」というふうに常に規則的に変化するものではない。そこを音楽と噛み合わせるのが非常に大変でした。音楽に嵌めすぎても、ダメだし。
ヴァース3は、大希から「張った声がほしい」という要求があって、最初、感情のパルスに振り切った詞を書いたんですよ。だけど、そうしたときに「音楽のパルスと噛み合っていない」「モノローグの裏でBGMとして音楽が流れているみたいに聞こえてしまう」という問題があり。大希の好みもあるので、それを受けて、元々構成していたストーリーを若干入れ替えたり、韻の構成を見直したりして、試行錯誤しました。
アーティスト・中野裕太としてのこれから
ーー詞のストーリーやテーマはどういう観点から考えていきましたか?
中野:最初に大希から「大勢の人と連絡をとれるようなテンションはイメージしてほしい」と言われたんですよ。だけど僕は音楽家としてメジャーデビューしているわけでもないし、パブリックな作品を世に出すのはある意味今回が初めてじゃないですか。そうなったときに、まず、大勢と連絡ができる音楽家としての“声”、ボーカリスト/ラッパーとしての“声”を獲得しなきゃいけないと思ったんですね。
ーー“声”?
中野:はい。ボーカリストの方って、自分の伝えたいメッセージや生きているスタンスと詞・声質をリンクさせることで、表現している気がする。チャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」にしても、ビリー・アイリッシュの「bad guy」にしても、彼・彼女のスタンスやキャラクターがあるからこそ、ああいう詞、そして表現になっていて、人々に届いている。
そこから「じゃあ、今の僕にとってはどういうスタンスが正しいんだろう?」というところから、見直しました。まず思いついたのが、サマセット・モームの小説『人間の絆』の主人公・海老足のフィリップ。フィリップは先天的に脚が曲がっていて、いろいろな障害にぶつかりながら生きていて。彼みたいに、コンプレックスを抱えた一個人に対して、公園のベンチに座って会話するようなテンションが、今の自分に嵌まる“声”なんじゃないかと思ったんです。誰か、悩んでたり困っている人のそばにいてあげられたなら、それはすごく素敵なことですよね。詞の最後に書いたように「全部大丈夫さ」「行けよ、フィリップ」という感じで、説法がましくなく、上から目線でもなく、自然に、パーソナルな話として……というテンションが、今の自分にとってすごくしっくりくるものでした。
ーー差別と争いの連鎖を断ち切れるか、そういうものを下の世代に残さずにいられるか、という話として私は解釈しました。それって、世界的な人種差別問題にも、ひとつの会社の中のシステムの話にも当てはまることで。
中野:解釈によってはそうとも受け取れる内容なんじゃないだろうか、そういう浸透力を持ちうるんじゃないだろうかと、願う部分はあります。
僕はずっとオーセンティックなものに志向してきたんですけど、芸能の世界に入って経験する中で、これはみなさんも感じていることだと思うんですけど、純粋に志向していればそういられるのかというと、そうではない体制があったりするし、むしろ清濁を併せ呑んだからこそ、本当の自分が見つかったりもする。そうやって生きていく中、いろいろなかわし方、解決の仕方を経験したことで、僕なりにヒントが見えてきたというか。「次の時代、こうあったらいいな」「こういうことなんじゃないかな」というところに、辿り着いた気が少ししています。
ーー小石の比喩にはまさにそれが表れていますよね。ここは特に「Stem」の頃には書けなかった詞である気がします。
中野:小石のことを話すと、半日じゃ足りない……(笑)。やっぱり、今の自分の想い、今の自分が見ている景色を結晶化した詞にはなっています。そういう詞を大希に捧げたかったし、しっかり“声”を獲得したうえで、自分の表現を捧げたかった。
ーー旧知の仲同士で何年後かに集まって、クリエイションして、経った時間分の成長がそれぞれのアウトプットに出てきて、それを一つの作品として形にすることによって分かち合えるものがあってーーという関係って素敵だなと、今日お話を聞いて改めて思いました。
中野:ものすごく偶然的ですよね。今回ミックスも一緒にやったんですけど、大希の作る音も日々進化していて、こういうふうにエボルブ(発展)していくんだなと思いました。楽しかったし、面白かったです。
ーーMVも最高でしたね。
中野:MVは、僕はほとんどノータッチなんです。同時に走っていたので、きちんと絡んで作ったわけではないんですけど、向こう(映像チーム)も詞にアダプトしてくれましたし、僕も洒落っ気で“純血”、“混血”というワードを取り入れてみました。出来上がったものを見たときには「こんな表現になるんだ!」と。millennium paradeにゲストで参加することができてすごく光栄でした。
ーー中野さんは個人でも絵を描いたり詩を書いたりしていますが、アート方面での展開で、今後予定していることもあるのでしょうか。
中野:それはまだ秘密です(笑)。自分のなかでいろいろと準備していることはあります。俳優業も含め、気持ちとしてはパーソナルに、クリエイティブなことにどんどん携わっていきたいですね。素敵なものを作っていけたらいいなと思っています。
中野裕太 プロフィール
1985年生まれ、福岡県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、2011年に「日輪の遺産」で映画デビュー。近年は、アジア、ヨーロッパなどの海外でも映画出演。また、さまざまなアート制作を手がける。「C0Y1N」旗揚げ予定。
Photography by Takako Kanai
Styling by Masaki Usami
Hair&Makeup by Toru Sakanishi