映画『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』主題歌担当のLMYK 謎めいたシンガーの素顔とルーツに迫る
音楽
ニュース
アニメ映画『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』の日本語吹替版主題歌「Unity」を、すでに耳にした人も多いのではないだろうか。柔らかくも躍動感あふれるトラックの上で、囁くように、しかし凛とした強さを感じさせるボーカルを披露しているのは、この曲でデビューを果たすシンガーソングライター・LMYKだ。
ドイツ人の父と日本人の母を両親に持つ彼女は、ニューヨークで音楽活動をしている中、様々な縁が重なりジャム&ルイスと邂逅。彼らのスタジオでセッションを繰り返すうちに、くだんの楽曲「Unity」も生み出されたという。
アーティスト名といい、どこか神秘的な歌声といい謎の多い彼女だが、素顔は一体どんな人なのだろう。デビュー翌日となる11月7日にライブ映像を公開、SNSを中心に話題となっている彼女に、生い立ちからデビューに至るまでの経緯、この曲に込めた想いなどたっぷりと聞いた。(黒田隆憲)
自分の苦悩と「気づき」を歌詞に
ーー小さい頃はどんな子でしたか?
LMYK:大人しくて、恥ずかしがり屋で、人見知りでした。でも運動はすごく好きで、グローブをはめて一人で壁にボールを投げたり(笑)、キックボードに乗って近所をぐるぐる回ったりしていましたね。あと、家族にインタビューしてそれをビデオカメラに撮ってニュース番組を作るとか、「ものづくり」もすごく好きな子供でした。
ーーニュース番組を作っていたんですか!
LMYK:今ならiPhoneで、もっと簡単に出来ますよね。あと、文字を書くのがなぜか好きでした。何か意味のあるものを書くというよりも、紙にインクが乗る感覚が気持ちよかったんです。
ーー資料を見ると「2年間、一切人と口を利かなかった」とあるのですが、本当ですか?
LMYK:はい、4歳から5歳の時ですね。その時のことはあまり覚えていないんですけど、何となく記憶の片隅にあるのは「自分の声は変だ」と思い込んでいたこと。あとは何が理由だったのか……いろんなことが「怖い」と思ってもいました。
ーー音楽に目覚めたのはいつ頃ですか?
LMYK:ずっと歌うのは好きだったんですけど、人前で歌ったことはなくて。大人数でワイワイとかではなく、家族や友達と一緒にカラオケに行ったりはしていましたね。それで大学2年生か3年生くらいの時に「やっぱり歌いたい」と思って、人前で聞かせたことのない自作曲をアコギで披露するようになりました。主にソロでライブをやったり、FacebookやYouTubeに音源を上げたり。
ーーアコギはいつ頃から弾き始めたのですか?
LMYK:17歳くらいの頃から弾いていました。姉が習っていたのでリビングにいつも置いてあって、それを触っているうちにだんだん弾けるようになって。
ーー当時はどんな音楽が好きでした?
LMYK:洋楽も邦楽も、いわゆるポップスを聴いて育ちました。特に宇多田ヒカルさんには勝手に共感しているというか。「わかる!」って思うんですよね。歌詞もそうですし、それ以外で伝わってくるものもあります。10歳くらいの頃からずっと『First Love』を聴き込んでいたので、自分のルーツにあると思います。
ーー曲を作るようになったのは、どんなきっかけだったのですか?
LMYK:ちょうどアコギを弾き始めた頃に、初めて玉置浩二さんの曲を聴いたのがきっかけです。それまでも、例えば安全地帯の「ワインレッドの心」などは知っていたのですけど、玉置さんのソロの楽曲はちゃんと聴いたことがなくて。初めて聴いた時は包み込まれるような世界観に感銘を受け、自分でも曲を書いてみようかなと思いました。ただ、「曲を書く」と言っても、アコギを弾いているうちに何となくメロディが浮かんできた感じで、最初の頃はちゃんと1曲として完成させてはいなかったんですよね。
ちなみに10歳くらいの頃にウクレレを買ってもらって、オープンコードを使って1行だけ初めて作曲をした時の歌詞が、〈My Baby Was A Boy〉という今考えると訳の分からないもので、いまだに覚えています。そういう感じで、今も何となく歌詞やメロディが思い浮かぶのだと思います。
ーーアコギの弾き語りで曲を披露していた頃は、今とはかなり違う音楽性だった?
LMYK:そうですね。ジョニ・ミッチェルとか好きだったので。
ーー「日本では進学したくない」と単身渡米し、大学で起業家コースを専攻したそうですね。
LMYK:高校生の頃に夏の間ニューヨークへ遊びに行って、その時に「卒業したらニューヨークへ絶対に行こう」と決めました。最初の2年は一般教養を履修して、それから起業家コースを専攻したのですが、子供が好きなのもあって子供服のデザインをやろうとしたこともありました。結局やらなかったんですけど。
ーーそれはどうして?
LMYK:ミシンが全然使えなかったんですよ(笑)。最初に先生がお手本を見せて「この通りにやってみてください」と言われても、さっぱり分からなくて「これは向いてないな」と断念しました。それで起業家コースを専攻しつつ、3年生の頃から音楽を始めました。始める前と始めてからでは全然違う環境になりましたね。大学の中でしか交友関係がなかったのが、音楽を始めてからは様々な人と出会うようになったので。
ーーニューヨークには7年滞在したそうですね。どんな音楽活動をしていたのですか?
LMYK:最初はオープンマイクを色々探して、片っ端から出演していました。毎日どこかしらでやっているんですよ。とにかくたくさん回って、そこから「ライブやってみる?」と声がかかることもあるし、オープンマイクで出会ったアーティストに誘われて、一緒にライブに出たこともありました。
ーーオープンマイクに出演するミュージシャンは、それこそジャンルもバラバラ?
LMYK:大抵はアコギの弾き語りですかね。あとはポエトリーリーディングやスタンドアップコメディ。それを観るのが目的の人もいるし、関係なく食事する人もいる。でも皆さん、大抵は温かく迎え入れてくれますね。ガヤガヤうるさくて自分の声さえ聞こえないような環境で歌ったこともありますけど(笑)。
最初の1年くらいは弾き語りのスタイルでやっていて、2年目の最後の方にLogic Proを使い出して、声をハモらせたり、ドラマーや鍵盤奏者を迎えて同期させながら演奏してみたりしました。
ーー当時はどんなことを歌詞にしていたのですか?
LMYK:最初の頃に書いていた曲は特にそうなのですが、自分の苦悩と「気づき」というか。曲の中に必ず「気づき」があることは共通していたと思います。具体的に「こうすればいいよね?」みたいなサジェスチョンではなく、「それだけじゃなくて、もっと大きいものがある」という気づき。歌詞は実体験だったり、今の自分の考えだったりすることが多いです。
「Unity」がコロナによって深まる孤立感への応援歌になったら
ーー日本でデビューが決まったのは、どんな経緯だったのでしょうか。
LMYK:音楽活動を始めて2年くらいした頃、私が子供の頃からの知り合いから連絡があって。彼は宇多田ヒカルさんのディレクターさんや、ジャム&ルイスとも付き合いがある人で。そのディレクターさんが「新しい才能を探している」ということで、私がYouTubeに上げていた動画を紹介してくれたんです。そこから「みんなで何か一緒にやらないか?」という話になって。
ーーそれはすごい。ジャム&ルイスと一緒にやってみてどうでしたか?
LMYK:最初はもうビックリでした。スタジオへ行った時も自分のほっぺたをつねりますよね。「これって、夢?」と思うし(笑)。スタジオの雰囲気にも圧倒されました。彼らがミリオンを制覇したアルバムのジャケットがズラーっと並んでいて、宇多田ヒカルさんの大きなポスターも飾ってあって。でも、お二人ともすごく優しくて、「down to earth」(分別のある)な人たち。気さくで優しく紳士的でした。
ジミーさんとテリーさんは、制作スタイルも全く違うんですよ。スタジオも別々で、青い部屋と赤い部屋みたいに区切られていました。データをアップロードするための2人専用のサイトがあって、その日にやった仕事のファイルをそこで共有しているみたいでしたね。
ーー2人は幼馴染みなんですよね。性格も違いました?
LMYK:全く違いましたね。社交的なのはジミーさん。グラミー賞の選考委員でもあるし、ラジオもやっていますからね。一方、テリーさんはSNSなども全くやってなくて、どちらかというと職人的かもしれない。プロデューサー気質でもあるし。テリーさんにはボーカルを録ってもらったり、ハーモニーを一緒に考えたり、歌詞を一緒に考えたりしてくれましたね。とにかく、彼らとの仕事はとても刺激的でした。
ーーデビューを機に、アーティスト名を本名からLMYKにした理由を教えてもらえますか?
LMYK:一番のきっかけは「Unity」が出来上がったときですね。この曲をリリースするときに本名だとしっくりこない気がして(笑)。実は「LMYK」って私の名前のイニシャルなんですよ。それを見たディレクターに「かわいいし、これにしない?」と言われたんです。それで、ちょっと考えようと思ってトイレに行って、鏡を見た時の自分の姿がすでに「LMYK」に思えたのでこれでいこうと決めました。
ーーいい話ですね。そのデビュー曲「Unity」はどんなふうに作ったのですか?
LMYK:この曲は映画『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』の主題歌として書き下ろしたものです。お話をいただいて、この曲ができる前にも何曲か提出したんですけどなかなか方向性が合わず、あともう一回だけラストチャンスをもらってアップテンポで明るい曲調にガラッと変えようと思って作ったのがこれでした。ジョン・ジャクソンさんという、ジャム&ルイスとよく一緒に仕事をしているコンポーザーにトラックを作ってもらいながら、私がメロディと歌詞を付けていきました。
ーー英語と日本語をミックスする歌詞は、どのように思いついたのですか?
LMYK:最初の方は日本語でばかり書いていたんですけど、1年ちょっとくらい前から英語のフレーズも入れるようになって。そうしたらもっと自由に表現できるなと。英語と日本語で韻を踏むなど、表現の幅が広がったと思いますね。
ーーこの曲はコロナの影響もありますか?
LMYK:あると思います。今まで書いていたことがガラッと変わったわけじゃないんですけど、今まで以上に伝えたくなったテーマというか。コロナによって深まっていく孤立感に対して、応援歌になれたらいいなという気持ちはありましたね。
ーーちなみに、ステイホーム期間中はどんなふうに過ごしていましたか?
LMYK;家にいる時間と外にいる時間をバランスよく作っていました。ずっと狭い部屋にこもって制作するのは辛い。コロナ中は「自由に何か作れるかも」と思いつつ、逆に可能性がありすぎて絞れないところもありました。そこが難しかったですね。
ーー歌詞の中の、〈今までの過ちを初めて愛せた〉〈間違いでさえ 二人を引き裂くものではなく導くものだと〉というラインが印象的でした。
LMYK:「そうでありたい」という希望ですね。自分を許せなかったり、人を許せなかったり、「許せない」ということが一番自分を傷つけると思うんです。結局、自分が一番苦しくなる。そういうことを歌いました。自分にとっても、今おっしゃってくださったところが一番重要かもしれないです。
ーー声や歌い方もとても心に響きます。囁くようなのだけど強さもあって。
LMYK:ありがとうございます。歌を部屋で録っていたから、そうなっていったところもありますね(笑)。弾き語りで歌っていたときはもっと声も張っていました。
ーーご自身が日本人とドイツ人のダブルであることも、作る曲に影響を与えていると思いますか?
LMYK:以前は自覚していなかったのですが、今はそう思いますね。「そのこと(ダブルであること)が今の自分を作り出しているのかもしれない」って。何かすごくいじめられたりしたことはないし、相手もいじめているつもりは多分ないのだけど、でも「私は他の子たちとは違うんだ」ということはずっと思っていたし、思わされていました。それは今も感じることなので、今後も曲になっていくと思います。それがあるからこそ、さっき話した「気づき」もある気がします。
ーー今後、どんな活動をしていきたいですか?
LMYK:とにかく、もっと曲を書きたいです。それが「ものづくり」の中で最も好きなことなので。もちろん、作った曲を歌うことで「人と繋がる」こともすごく好きだし、その両方をこれからも続けていきたいですね。
■YouTube
LMYK -First Appearance at Warp Square Nov.07.2020
羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)スペシャルトレーラー|LMYK「Unity」
■Artist Biography
LMYK
(読み:エルエムワイケー)
シンガー・ソングライター、大阪府出身。
ドイツ人の父、日本人の母を持ち、大学在学中のニューヨークにて音楽制作を始める。
その音楽に世界屈指の音楽プロデューサーチームJimmy Jam and Terry Lewisが自らプロデュースを申し出る。英語と日本語をナチュラルにミックスした文体を囁き声で紡ぎ出すその音楽は、サブスクリプションサービス以降に現れるべくして現れたニューワールド・スタンダード
2020年11月6日、デジタルシングル「Unity」で前触れもなくメジャーデビュー。
■リリース情報
「Unity」(アニメ映画『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』日本語吹替版主題歌)
好評配信中
■映画情報
『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』
公開中
・ストーリー
人間たちの自然破壊により、多くの妖精たちが居場所を失っていた。
森が開発され、居場所を失った黒猫の妖精シャオヘイ。
そこに手を差し伸べたのは同じ妖精のフーシーだった。
フーシーはシャオヘイを仲間に加え、住処である人里から遠く離れた島へと案内する。
その島に、人間でありながら最強の執行人ムゲンが現れる。
フーシーたちの不穏な動きを察知し、捕えにきたのだ。
戦いの中、シャオヘイはムゲンに捕まってしまう。
なんとか逃れたフーシーたちはシャオヘイの奪還を誓い、
かねてから計画していた「ある作戦」を始める。
一方、ムゲンはシャオヘイとともに、人と共存する妖精たちが暮らす会館を目指す。
シャオヘイは、新たな居場所を見つけることができるのか。
そして、人と妖精の未来は、果たして――
・スタッフ
原作/監督:MTJJ
プロデューサー:叢芳氷、馬文卓
副監督:顧傑 脚本:MTJJ、彭可欣、風息神涙
作画監督:馮志爽、李根、周達炜、程暁榕、鄭立剛
美術監督:潘婧 撮影監督:梁爽 3D監督:周冠旭
音響監督:皇貞季 音楽:孫玉鏡
制作会社:北京寒木春華動画技術有限公司(Beijing HMCH Anime Co.,Ltd)
<日本語吹き替え版>
音響監督:岩浪美和 音響制作:グロービジョン
配給:アニプレックス、チームジョイ
・キャスト
シャオヘイ:花澤香菜 ムゲン:宮野真守 フーシー:櫻井孝宏
シューファイ:斉藤壮馬 ロジュ:松岡禎丞 テンフー:杉田智和
シュイ:豊崎愛生 ナタ:水瀬いのり キュウ爺:チョー 館長:大塚芳忠
花の妖精:宇垣美里(特別出演)
(C) Beijing HMCH Anime Co.,Ltd
映画オフィシャルサイト
LMYK オフィシャルホームページ
Twitter