『泣く子はいねぇが』仲野太賀×吉岡里帆、同い年のふたりが語る「大人になるとは?」
映画
インタビュー
吉岡里帆、仲野太賀 撮影:源賀津己
秋田県男鹿市の伝統芸能「男鹿のナマハゲ」をモチーフにした自らのオリジナル脚本を映画化した新鋭・佐藤快磨監督の劇場映画デビュー作『泣く子はいねぇが』。本作で娘が生まれても大人になりきれない不器用な青年に扮した仲野太賀と子供じみた彼に限界を感じ、厳しく突き放す妻のことねを演じた吉岡里帆の対談が実現!
佐藤監督の脚本に惚れ込み、出演を快諾。久しぶりに共演したふたりが、役との向き合い方や演じる際の苦労、芝居を交わしたときの相手の印象、佐藤監督ならではの演出スタイルといった撮影の裏話から、本作のテーマでもある「大人になるとは?」に関するそれぞれの考えまでたっぷり話してくれました。
そこから見えてくる『泣く子はいねぇが』ならではのかけがえのない世界観と佐藤快磨ワールドとは!?
ふたりでガッツリ芝居をするのは今回が初めてだった
――佐藤監督のオリジナル脚本を最初に読んだ時はどんな感想を持ちました?
仲野 素晴らしい脚本だと本当に思いました。いまもそうなんですけど、自分自身20代になって、何でもっと上手くできないんだろう? とか、何でもっと大人になれないんだろう? というモヤモヤした気持ちが漠然とあって。10代のころの気分が心の中心に未だに図太く横たわっているという自覚もあったんです。そんなときにこの脚本を読んだんですけど、大人になりきれない、父親になる自覚がないまま父親になった主人公のたすくには、求められたことに応えたい気持ちはあったけれど、応えられるだけの域に達していなかった僕が投影されているような気がして。この脚本なら、20代の等身大の自分を遺憾なく表現できると思いました。
吉岡 私は、秋田県出身の佐藤監督が長い時間をかけ、練りに練って脚本を書かれたという話を聞いてから読んだんですけど、構成の緻密さに驚いたのと同時に、監督がいままでやってこられたことをこの作品にぶつけているなというのをすごく感じました。「男鹿のナマハゲ」という文化を通して、未熟な青年の父性を描いていく語り口も面白いですよね。その中で日本人独特の心の機微が描かれていたから、本当にやり甲斐のあるお仕事をいただけたなと思って嬉しかったんですけど、内に籠った個人的な心の葛藤を表現するのは難しい作業になるんだろうな~というちょっとした恐怖も感じました。
――たすくを仲野さん、ことねを吉岡さんが演じるって聞いたときは、それぞれどう思われましたか?
仲野 ことねが吉岡さんって聞いたときは本当に嬉しかったです。というのも、吉岡さんと最初にご一緒したのがたぶんドラマの『ゆとりですがなにか』(16)なんですけど、あのときは面と向かってガッツリ芝居をしないまま終わってしまって。その後もあまりご一緒する機会がなかった。ここまでガッツリ芝居をするのは初めてですよね?
吉岡 うん、初めてですね。
仲野 しかも、同い年なんですよ、僕たち。
吉岡 そうなんですよね。
仲野 だけど、吉岡さんの最近の活躍は知っていたから、そんな吉岡さんがこの映画に参加してくれたことがとにかく有り難くて。すごく濃い時間を一緒に過ごせるんじゃないかなって勝手に思っていました。
吉岡 太賀さんが主人公のたすくを演じるということは私も事前に聞いていて、それもこの映画に参加したいと思った理由のひとつだったんです。いま、同い年という話もあったけれど、私にとって太賀くんは羨ましい人。やっている仕事、出演している映画を観るたびに、こういう仕事を手繰り寄せる人なんだなと思っていたし、そんな憧れの人とちゃんと仕事をしたかったから、今回、その念願がかなって嬉しかった。しかも、不器用な感じとか、たすくと太賀くんはどこかリンクするところがあって。太賀くんのことをそんなに知らないのに、しっくりくると言うか、台本を読んだときにすぐ、太賀くん演じるたすくの姿が脳内再生できたんです。
――たすく役、ことね役にはどのようなアプローチで臨まれたのでしょう?
仲野 僕は、たすくを楽な方へ楽な方へ行ってしまう、ここぞっていうときに何故か逃げてしまう甘えのある役だと捉えていて。それだけ聞くと、どうしようもない奴に思われてしまうんですけど、たすくの中にも彼なりの、ことねと娘に対する愛情がちゃんとあるんですよね。その切実さみたいなのが映れば、たすくが愛おしい存在になるだろうなと思っていたので、ことねや娘のことを思わなかったことは1シーンたりともなくて。吉岡さんとのシーンは数こそ少ないけど、いつもその想いを抱えながら向き合ってました。
――たすくに共感できましたか?
仲野 ことねからしたら最低の旦那かもしれないけれど、共感できる部分はたくさんありました。自分と地続きのキャラクターだと思ったぐらい共感できたし、僕なら(表現)できると思いました。
――吉岡さんはいかがでした?
吉岡 たすくは父親になれなくてもがき苦しみますけど、私が演じたことねもそこは一緒で。母親にならなきゃいけない、母親になったことを受けとめ切れてないから、旦那のたすくとも向き合っているようで、向き合えてないなという印象があって。彼女がそうなってしまったのは、たすくよりもっと向き合わなきゃいけない子供という存在ができてしまったから。その感覚は本人も気づいていないレベルだと思うんですけど、たすくのことより子供が大事と言うか、子供を間に挟んで初めて会話をしているというその意識は常に持つようにはしていました。
――ことねは要所要所で出てくる感じでしたが、繋がりに神経は使いませんでしたか?
吉岡 難しかったです。しかも、センシティブに役を作り上げたから、その感覚を忘れたくないのに、自分の撮影が終わったら東京に1回帰って、全然違う仕事をしてからまた秋田に戻るのを繰り返していたので、その都度、感覚を取り戻すのに苦労しました。それに監督は時間の経過の中で風貌も心境がガラッと変わっていることも表現したいと言われたので、難しいなと。でも、たすくとしてそこにいる太賀くんと秋田の景色を見ると、それだけで、ことねにス~っと戻れたんです。だから、スゴいな~と思いました、秋田県と太賀くん(笑)。それと今回、私は役の心に自然になれるロケハンに感動していて。撮影ということを忘れさせてくれる、生活と地続きの秋田の景色には本当に助けられました。
あんな気迫のある吉岡さんは見たことがない!
――おふたりが一緒のシーンは最初どこから撮影したんですか?
吉岡 冒頭のシーンからです。胃が痛くなりましたね(笑)。
仲野 心休まるシーンがひとつもなかったね。
吉岡 ない! 本当になかった。だから、最初はもう少し愛情表現ができるシーンがあったらいいのにって思ってましたもん。これで本当に大丈夫なのかな~?って思ったぐらい夫婦関係が冷めきってましたね。
仲野 いや、本当に殺伐としていた。普段あまり会わないし、久しぶりに会ったから近況とか話したかったんだけど、シーンがシーンなんで緊張感がハンパなくて。
吉岡 とても、そんな気持ちにはなれなかった。
仲野 でも、僕、初日のあのシーンで吉岡さんと向き合った時に、ウワッ、ことね、強!って思って(笑)。たすくとことねの関係性ももちろんあるけど、それだけではない気迫を吉岡さんから僕は勝手に感じたんです。それが嬉しくて。俺も当然、気合いを入れて臨んではいるんだけど、吉岡さんはたすくが圧倒的に敵わないって思わせられる佇まいでそこにいてくれた。そこには母としての覚悟や女性の強さ、儚さも感じられて、そういったものを孕んだ状態で現場に臨んでくれていたから、本当に“ありがとう”って気持ちでいっぱいになりました。
吉岡 嬉しいですね~。でも、映画を観た関係者の男性陣には「めちゃくちゃ怖かった」って言われるんですよね。
仲野 僕もあんな吉岡里帆は見たことがなかった。それは、この映画を見た人はみんな思うでしょうね。勝手な思い込みかもしれないけど、パブリック・イメージの吉岡さんはこの映画にはいない。それをみんなに知って欲しい(笑)。
吉岡 めっちゃ嬉しい。私もやっぱりプレッシャーを感じながら現場に行っていたし、特にあそこはたすくに影響を与えなければいけない軸になるシーン。だから相当悩みながら臨んだし、悩みすぎて頭がはち切れそうになるぐらい熱くなってたんです。でも、太賀くんは本当にその役と場所に馴染んでいて。それまでそんなに悩んでいたのに、現場でいちばん最初に感じたのはそのことでした(笑)。
監督と太賀くんはお互いの愛がぶつかり合っているのを感じた
――佐藤監督がたすく役に最初から太賀さんを想定されていたから、それだけフィットしたのかもしれないですね。
仲野 監督の意図や想いは分からないけど、監督とはけっこうディスカッションしましたからね。愛し合ってるカップルみたいに(笑)。
吉岡 もう、愛し合い過ぎなんですよ、本当に(笑)。でも、そう思うぐらい、監督は太賀くんのことを大事に思っていらっしゃるなと思って。ふたりの仲のよさを見せつけられちゃったな~みたいな。
仲野 そんなことないんじゃないですか(笑)。
吉岡 いや、そんなことあると思う!
仲野 嘘~!(笑)
吉岡 本当!(笑)お互いの作品や芝居への愛がぶつがり合っているのをすごく感じました。
仲野 よくないですね~。
吉岡 そんなことない。それがすごいよかったし、ふたりを見ていて、この作品は絶対に上手く行くという予感がしたから。
仲野 僕らはただ真面目に芝居のディスカッションをしていただけなんだけど、周りから見たら、ふたりのたすくらしさが見え隠れしていたのかもしれないし、お互いに甘え合っていたのかもしれないっていま気づいた(笑)。
吉岡 確かに、ふたりの性格がちゃんと混ざり合っているのかも。相性がいいんでしょうね。水と油のように分離せず、馴染んでいく……溶け合っていく感じがしました。初めての経験でしたね(笑)。
仲野 恥ずかしいですね(笑)。
こんなにスタッフに愛された新人監督に出会ったことがない
――そんな佐藤監督の演出や撮影スタイルで印象に残っていることは?
仲野 世の中には誰かが決めた平均点みたいなものがあるじゃないですか。佐藤監督は、社会に出て、その平均点にあと少しで届かなかった人をすごく愛おしく描くことができる人だと思っていて。それは監督が人間に対して期待や愛情があるからだと思うんですけど、その足りないものをユーモラスに、ちゃんと愛を持って提示してくれるんですよね。
吉岡 うわ~、私が言おうと思っていたこととあまりにも一緒だからビックリしちゃった(笑)。佐藤監督は、本当にその足りない部分や、普通の人が見落しちゃったり、人がどうでもいいと思って勝手に切り捨てるようなことでも絶対に切り捨てない。何ならゴミ箱から拾って、「いや、これ、まだ使えるよ」って言いながら、くしゃくしゃになった紙を伸ばしてメモ帳にしたり、手紙を書くことができる人という印象があります。私にオファーしてくださったときもこんな風に期待してくれてるんだ~と思って、すごく嬉しかった。完成した作品を観ても本当に優しい人だから撮れる映画なんだなって思いましたし、言葉や物の選び方に佐藤監督を感じて、一緒に過ごした時間を思い出しました。
仲野 佐藤監督は今回の『泣く子はいねぇが』が商業映画デビュー作ですけど、僕はこんなにスタッフに愛された新人監督に出会ったことがないです。みんな脚本を信じて、監督を信じていたから、この映画ができたと思うんだけど、やっぱりそれぐらい魅力的な人なんですよ。
吉岡 自分と同年代にこういう才能のある人がいらっしゃるのは嬉しいし、今回出演できて本当に誇らしい。
仲野 いや、同年代の映画監督に佐藤監督がいるっていうのは本当に心強い。これ以上心強いことはないと僕は思っています。
ラストシーンは現場もスゴかった
――吉岡さんはいま、佐藤監督は普通の人が見落してしまうものを拾い上げるって言われましたが、その具体的な例はありますか?
仲野 そんなの何回もあったよね。
吉岡 いっぱいある。でも、私がいちばん好きと言うか、心に残っているのは、たすくが娘のお遊戯会を観に来るシーン。たすくは、あそこで自分の子供を見つけられない。父親なのに、自分の娘の顔が分からないなんて、切な過ぎるじゃないですか。その切なさ具合が絶妙で、でも、あり得ることですよね。そこを佐藤監督は脚本に書かれていたから、本当にスゴいと思いました。
仲野 あのシーンは現場もスゴかった。僕も成長した娘をどの子が演じているのか分からない状態で撮影に臨んでいたから、あのお遊戯会のシーンでは実際にどの子が自分の娘なのか分かってないんですよ。で、その状態から、あのラストシーンに向かっていったから凄まじかったです。
――仲野さんは脚本を最初に読んだ時に、あのラストシーンをとにかく演じたいと思ったって言われてましたものね。
仲野 あのラストシーンは現場もスゴかった。どんなことが起こるのか全然想像できなかったし、実際に演じたときも、言葉ではなかなか言い表せられない複雑な感情になりましたから。
吉岡 いや~、あのシーン、実際には短い一瞬の時間ですけど、体感的にはすごく長かったですね。目で会話するってこういう感覚なんだって、撮影が終わってからしみじみ思いました。
ふたりが語ったラストシーンの詳細は、本作をこれから観る方々の楽しみを奪ってしまうので、ここでは触れない。だが、佐藤監督が脚本を書く際に映像が真っ先に浮かんだというその一連は、仲野太賀と吉岡里帆の魂と魂がすごい熱量でぶつかり合う映画史に残る名シーン。たすくとことねの切実な想いが、セリフではなく彼らの行動からひしひしと伝わってくる映画ならではの表現も秀逸だ。その衝撃と感動を映画館で体感し、この機会に「大人になるとは?」について考えてみるのもいいかもしれない。
(取材・文:イソガイマサト/撮影:源賀津己)
仲野太賀 ヘアメイク:高橋将氣/スタイリスト:石井大
吉岡里帆 スタイリスト:Maki Maruko/ヘアメイク:百合佐和子(SHISEIDO)
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