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細野ゼミ 2コマ目 前編 細野晴臣とエキゾチックサウンド(前編)

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細野ゼミビジュアル

活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。

ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。第2回では、細野が1970年代後半に発表した“トロピカル3部作”に多大な影響を与えたエキゾチックサウンドを題材に語り合ってもらった。

取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん

エキゾはタイトルに出る

──本日はエキゾチックサウンドをテーマにお話しを伺いたく思います。まず細野さんから、エキゾチックサウンドについて簡単にご説明いただいてもよろしいでしょうか?

細野晴臣 エキゾチックサウンドっていうのは、すごく狭い意味ではレス・バクスター一派が始めたアメリカの音楽ね。ストリングスセクションからなる、いわゆるムード音楽的なサウンドと言うのかな。で、エキゾの代表曲である「Quiet Village」を作ったのがレス・バクスター。それをマーティン・デニーがジャングル風のサウンドに仕立ててカバーしたら1950年代に大ヒットしちゃった。

安部勇磨 マーティン・デニーがオリジナルじゃないんですね。

細野 そう。実はエキゾチックサウンドの源流にあたるようなブラジルの音楽があって。アリ・バホーゾという有名な作曲家が作った「Na Baixa do Sapateiro」 (ナ・バイシャ・ド・サパテイロ)っていう名曲。それが元の音楽なのね。

ハマ・オカモト そうなんですか、へえ。

細野 だいぶあとにこの曲を知って驚いたよ。バホーゾはカルメン・ミランダの曲も書いているし。

──細野さんがエキゾチックサウンドに最初に興味を持ったのは?

細野 小学生の頃ですね。当時はテレビがない時代だったから、よくラジオを聴いていて。ある時期、頻繁に流れてたのがマーティン・デニーの「Quiet Village」だった。世界的に大ヒットしていたから。初めて聴いたときは曲よりも、ジャングルの中にいるような鳥の鳴き声みたいなものが印象に残って。あとで知ったんだけどオージー・コロンというパーカッション奏者が鳥の鳴き声を真似て声を出していたんだよ。

安部 SEじゃなくて声なんだ。

細野 すごい人がいるんだ。その人がメンバーにいたんで、ああいうサウンドになったんじゃないかな。

ハマ 特技だったんですかね(笑)。

細野 特技。声帯模写っていうか。それがずっと印象に残ってた。

──お二人はエキゾチックサウンドにどんな印象がありますか?

ハマ それこそやっぱり細野さんの作品を通じて知ったところはありますよね。マーティン・デニーという名前も細野さん経由で知ったし。

安部 僕もまったく一緒。細野さんのアルバム「泰安洋行」(1976年発表)を10代の終わり頃に聴いて「なんだこれ!」ってなって、そこでマーティン・デニーとかを知りました。うまく言えないけど、妖術的なパワーみたいなものを感じて。全然詳しくないんで、今日は勉強したいなと思って来ました(笑)。

──先ほど細野さんの口からムード音楽という言葉が出ましたけど、いわゆるムード音楽とエキゾチックサウンドは似て非なるものだったりするんですか?

細野 そうですね。でも当時はマーティン・デニーとかのサウンドをなんて言ってたんだろう。そもそもムード音楽って日本発祥の言葉なんだよ。アメリカでは、なんて言ってたんだっけな。イージーリスニングか。

ハマ どういうジャンル分けだったんでしょうね。

細野 日本ではジャンル分けがレコードショップによって違うんだよね。昔は“中間音楽”っていう棚があって、そういうところにあの手のレコードが入ってた。

ハマ 中間音楽って面白いですね(笑)。

細野 ジャンルで分けられないものがエサ箱と言われたボックスにいっぱい入ってて。

ハマ 「これ、どこの棚に入れたらいいんだ?」って、レコ屋の店員さんが困っちゃうやつですね(笑)。

細野 マーティン・デニーなんかは、そういうところに入ってたと思うんだ。でもムード音楽っていうと、マントヴァーニとかパーシー・フェイスとかストリングスアンサブルが人気商品だった。

ハマ もうちょっと正統派っぽい楽団というか。「何をもってエキゾか?」っていうのがすごく気になるんですよ。鳴ってる楽器とか音階とか、なんとなくのイメージはあるんですけど。

細野 特に厳密な規定はないからね。

ハマ 雰囲気なんですかね、そういう意味では。

細野 雰囲気。でも、だいたい曲名に出てる。

ハマ安部 ああ!

細野 例えば、マーティン・デニーで言うと「Quiet Village」もそうだけど、「Rush Hour in Hong Kong」とか「Busy Port」とかね。アメリから離れた、アジア~南洋系の景色が多い。

安部 なるほどなー。面白い。

ハマ 曲名にエキゾ感が現れているというのは全然考えたことなかったです。

細野 だってインストだから曲名で主張するしかないんだよ、彼らは(笑)。

ハマ 確かにそうですよね(笑)。そういうタイトルが付いていたら、そういうふうに聞こえますもんね。

細野さんはトロピカルでしょ

──細野さんがご自身の楽曲にエキゾ的な要素を取り入れようと思ったのはどういうきっかけだったんですか?

細野 「トロピカル・ダンディー」(1975年発表)というアルバムを作ってる最中に、ある曲ができたんだよね。そこで何か足りないなと思っているときに思い浮かんだのが、小学生の頃に聴いたマーティン・デニーのジャングルサウンドだった。でも当時の僕はマーティン・デニーのレコードを持っていなかったら、持っていそうな人に声をかけたの。それが田中唯士。今のs-kenね。

安部 へえ!

細野 彼は当時「ライトミュージック」という雑誌の編集をやっていて音楽に詳しかったから聞きに行ったの。「マーティン・デニーのレコードを持ってる人いませんか?」って。そしたらイラストレーターの河村要助さんが持ってると。それを全部カセットにコピーしてもらって。

安部 じゃあ最初に知ってから、だいぶ時間が空いたんですね。記憶の中にあるサウンドだったというか。

細野 うん、そもそもエキゾチックなサウンドにそれほど興味があるわけじゃなかったし。

安部 そうだったんですか!

ハマ 「いつかこういうことやってやろう」みたいなこともなかったんですか?

細野 ない。まったくの思い付き。そのとき作ったのは「熱帯夜」って曲だったんだけど、もともとはThe Bandみたいな曲にしようと思ってたんだよ。

ハマ そうだったんですね!

細野 全然違うでしょ(笑)。

安部 そうですね(笑)。エキゾ前のバージョンも聴いてみたい。

ハマ じゃあ、「熱帯夜」がああいうサウンドになったのは細野さんの中ではたまたまだったんですか?

細野 そうだね。僕はずっと、たまたまで生きてきたから(笑)。

安部 じゃあ全然違う形もあり得たってことなんですね。

細野 うん。もうちょっとThe Bandっぽくなったかもしれない。

ハマ 「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」、そして「はらいそ」(1978年発表)って今では“トロピカル3部作”って呼ばれてるわけじゃないですか。「熱帯夜」を作ってる最中にマーティン・デニーを思い出さなかったら3部作も存在しなかったかもしれませんね。

細野 そうかもしれない。田中さんと会ったり、要助さんにカセットをもらったり、あとは久保田麻琴くんの存在も大きかったね。当時、僕はベースプレイヤーとしてファンクみたいなことをやってたから、「HOSONO HOUSE」の次のソロアルバムは、そういう作品にしようと思ってた。でも、ファンキーなサウンドに乗せて歌ったら、自分の声が曲のイメージに全然合わなくてね。その頃、久保田くんが遊びに来て、悩んでる僕を見て「細野さんはトロピカルでしょ」って言ったの。

──細野さんの歌声にはトロピカルなサウンドが合うんじゃないかって。

細野 そうそう。「細野さんはトロピカルダンディーだよ」って。それがそのままタイトルになっちゃった(笑)。

ハマ安部 あははは(笑)。

安部 そこから細野さんもエキゾなサウンドにハマっていったんですか?

細野 当時、正統派のラテン音楽は聴いてたんだよ。「ミュージック・マガジン」の編集長だった中村とうようさんの影響で。だからキューバ音楽とかはいっぱい聴いてた。あとはヴァン・ダイク・パークス経由でカリプソを聴いたりね。わりとカリビアンはいっぱい聴いてた。

ハマ 言葉が適切かわかんないですけど、エキゾって“なんちゃって感”みたいなところがあるじゃないですか。空想上のイメージをもとに作られてる音楽だから、正統的なカチっとした音楽とはちょっと雰囲気が違うというか。

細野 あの根も葉もない、胡散臭い感じが面白くてね(笑)。

ハマ 細野さんに言ってもらえるとすごく安心しますけど(笑)、エキゾって、まさにその胡散臭い感じが魅力ですよね。

細野 だから本物のラテン音楽は当時の僕にはちょっと敷居が高すぎるぞと思ってた。

安部 へえ、そうだったんですね。面白い。

今聴くとロックな「泰安洋行」

──「トロピカル・ダンディ」を経て、「泰安洋行」でさらにエキゾな要素が強まっていくわけですが、アレンジを組むにあたって当時はどんなことを考えていたんですか?

細野 いや、でも「泰安洋行」を今聴くとロックバンドの音なんだよね。

ハマ ああ! 確かに演奏はそうですね。

細野 だってみんなロックやってる連中だから(笑)。「トロピカル・ダンディー」でも「Chattanooga Choo Choo」なんてやってるけど、演奏の雰囲気はLittle Featっぽいし。(鈴木)茂がスライドギター弾いたりね。今聴くとロックなんだよ。僕らはロック世代だったんで、そこから飛び出てはいない。

ハマ でもあの感じが今やオリジナルになりましたもんね。

細野 そういうことなのかな。

ハマ たぶん意識せずロックな感じが出ちゃってるわけじゃないですか。原曲を完全に模していたらあのカッコよさは生まれていないと思うんです。

細野 そう。そのまんまじゃない。要するにイマジネーションだよね。

ハマ そうですよね。「こんな感じだよね?」という音が乗っかってますもんね(笑)。

細野 ただ当時の僕はそれまでに感じたことのないような解放感に浸っていた。きっと自分の中で違う世界が開けていたんだろうね。マーティン・デニーの曲を聴いて踊ってたから(笑)。

ハマ あははは(笑)。

細野 「Sake Rock」「Hong Kong Blues」「Sayonara(The Japanese Farewell Song)」とか、そういう曲を聴いて創作舞踊してた(笑)。

安部 いい話(笑)。

細野 楽しかったんだよ。

ハマ でも結果的に3部作まで広がったわけですから、細野さんの中でトロピカル路線って大きな手応えがあったんじゃないですか? こう、探求心というか。

細野 どうなんだろう。特に探求してるつもりもなかったな。

ハマ 面白いと思いながら作ってたら3枚できちゃったみたいな?

細野 解放感が3枚分続いたんだよ。

ハマ 「解放感が3枚分続いた」って素晴らしい表現ですね(笑)。てっきり当時の細野さんは、この路線を追求していこうと思っていたのかと。

細野 そう言えばよかったかな(笑)。

ハマ いやいや(笑)。

細野 さっきも言ったけど、僕は常に行き当たりばったりでここまで来てるから(笑)。

楽しみながらやってれば、そのうちどうにかなる

安部 前に星野源さんと連絡を取ったとき、「ネバヤンはどうやって今のサウンドにたどり着いたの?」って聞かれたんですけど、そのとき僕は「細野さんのトロピカル3部作みたいなサウンドを目指していたんだけど、やり方がわかんなくてこうなってしまいました」って答えたんです。そしたら「SAKEROCKもまったく同じだよ」みたいなことをおっしゃってて(笑)。僕らはトロピカル3部作みたいなことがやりたかったけど、できなかったんです。

細野 それでいいんだよ。当時の僕らもマーティン・デニーみたいなことはできなかったわけだから。

──ちなみにSAKEROCKというバンド名も、細野さんを通じて知ったマーティン・デニーの曲名から星野さんが付けたということで。

細野 そうらしいね。初めてバンド名を聞いたときびっくりしちゃった。

ハマ つながってますよね、そこは。

細野 自分がやってたことが、こんなに離れた世代につながるとは思わなかった。

ハマ 源さんがマリンバを叩きたいと思ったのも細野さんからの影響なんですよね。

細野 実際に買っちゃったと言ってたからね。そこまでするとは思わなかった(笑)。

ハマ 人生で初めて“MYマリンバ”持ってる人に会いましたもん。

細野 そうそう、めったにいない。

安部 あっ、でも僕も買いました。

細野 エッ!マリンバ買ったの?(笑)

安部 はい。いつか、ああいう音を出したくなったときのために買って。一応持ってはいます。

細野 驚いたな、練習してるの?

安部 練習したんですけど難しくて。一時中断して、今は壁に立てかけてます(笑)。

細野 でも買っちゃたのはすごいね。よく買う気が起きるな。あんな大きなもの。

安部 1回触れてみないと自分に合ってるかどうかもわかんないなと思いまして。

細野 そうか。昔はマリンバが備品としてスタジオにあったんだよ。

安部 今はそういう環境が失われつつありますよね。

ハマ スタジオ自体なくなってきちゃってるしね。フェンダー・ローズとかは僕らの世代でもスタジオにあって触ってましたけど、だんだんなくなってきてる。だから触らないと話にならないという勇磨の考えはごもっともで。

安部 細野さんは中華街ライブ(「泰安洋行」の発売を記念して1976年5月8日に横浜中華街の老舗広東料理店・同發新館で行われたライブ)でマリンバを叩かれてますけど、あれってけっこう練習したんですか?

細野 いやいや。持ってないから練習できないよ。適当にやってるんだ、いつも。

ハマ あの映像を観ると、とても適当には見えないです(笑)。

細野 スタジオでなんとなく「こんな感じかな?」って弾いてみて、本番になってから真剣にやるんだよ。

ハマ 本番で一気に集中して。

細野 そう。で、終わっちゃうともうできない(笑)。忘れちゃうっていうか。

安部 僕、すっごいうまいんだと思ってました。

細野 いや、とんでもないよ。星野くんの演奏を見てびっくりしたんだから。

ハマ 源さん、マリンバ超うまいですよね。

細野 うまい。あれは練習してる人の音だ。

安部 難しいですよね、マリンバ。

細野 でもみんな、ギターもベースも独学で弾けるようになってるわけだし。楽しみながらやってれば、そのうちどうにかなる。

安部 細野さんのそういうところがカッコいいなと思うんですよ。本職のマリンバ奏者が見たら弾き方とか違うのかもしれないけど、細野さんはユーモアみたいなものも込みで“こんな感じかな”ってササッと肩の力を抜いて演奏してるから、こっちもすごく聴きやすい。

ハマ わかる。そういえば以前、細野さんと対談させていただいたとき、「ベースの練習はしてたんですか?」って質問したら、「ベースの練習する代わりによく踊りに行ってた」って答えられて。そういう感覚がきっとプレイに現れていたんでしょうね。自分も練習の虫じゃないから、その話にすごく共感して。

細野 ああ、そう。じゃあ仲間だ、みんな(笑)。

ハマ ゼミ長に仲間にしていただけるのなら光栄です(笑)。

細野 でも楽器を本気でマスターするには一生かかるじゃん。

安部 そうですよね!

細野 極めている人は尊敬するけど、自分にはそういうことができない。時間も気力もない。

ハマ 楽器を弾いてて「楽しい!」って思えるぐらいが。

細野 そうそう。僕たちにはちょうどいい。

安部 元気出ました、ちょっとなんか(笑)。

※近日公開の後編に続く。

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2020年11月3日の「レコードの日」には過去6タイトルのアナログ盤がリリースされた。

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細野晴臣 | ビクターエンタテインメント
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安部勇磨

1990年生まれ、東京都出身。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演を果たす。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表した。2019年に4thアルバム「STORY」を発表し、初のホールツアーを開催。近年は中国、台湾、韓国、タイでもライブを行うなど海外でも活躍している。

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ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生と共にOKAMOTO’Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、最新作は2020年8月にリリースされたテレビアニメ「富豪刑事 Balance:UNLIMITED」のエンディングテーマ「Welcome My Friend」を収録したCD「Welcome My Friend」。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を発売した。

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