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つんく♂が語る、作曲家・筒美京平への憧れ

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さる10月7日に作曲家の筒美京平が亡くなった。1966年に作曲家として活動をスタートし、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オング「魅せられて」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」など数多くのヒット曲を世に送り出してきた筒美。彼からの影響を公言するアーティストやクリエイターは枚挙に暇がなく、今回登場してもらったつんく♂も、そんな“筒美チルドレン”のうちの1人だ。昭和の日本音楽史を代表するヒットメーカーから、平成~令和のヒットメーカーである彼が受け継いだものとは? 本稿では“ロック漫筆家”安田謙一を聞き手に迎え、メールインタビューを通じて、つんく♂に筒美京平への思いを語ってもらった。

取材・文 / 安田謙一(ロック漫筆)

筒美京平とつんく♂の共通点とは?

筒美京平の訃報はツイッターで知った。

歌手が亡くなったときには、すぐにその人の歌を聴くことはしないのに、このときばかりは珍しくレコード棚に手を伸ばした。伊東ゆかり「ふたたび愛を~伊東ゆかり・筒美京平 LOVE SOUNDS」のジャケに写る肖像を確かめて、それは棚に戻して、堺正章「サウンド・ナウ!」を取り出して針を落とそう、としたけれど、なんだか落ち着かない。家を出て近所を歩きながら、スマートフォンで、筒美京平が全曲の作曲と編曲を手がけた「サウンド・ナウ!」を最初から最後まで通して聴いた。すべてが抱きしめたくなるほど愛おしい音楽。筒美京平を浴びたような実感を得ることできた。ささやかだけど、忘れられない時間を過ごした。

数日後、音楽ナタリー編集部から、筒美京平に関して、つんく♂にインタビューすることができるという連絡があった。

作曲家、編曲家で、作詞は手がけなかった筒美京平。作曲家であると同時に作詞家でもあるつんく♂。異なる役割を持った2人の共通点を1つ挙げるなら、例えば、一見、無茶振りともいえる歌手のポテンシャルの引き出し方だろうか。筒美がデビュー時の麻丘めぐみに出したとされる「君は高音にさしかかる際、泣き声になるからそれを生かしなさい」という伝説的なアドバイスと、つんく♂のユニークなボーカルディレクションとには共に歌謡曲ならではの面白みの、キモのようなものを感じる。

筒美京平の訃報に際し、つんく♂はTwitterで「ええ・・・憧れに憧れた作曲家先生。ご冥福をお祈りいたします。こんなお仕事させていただいた日が懐かしいです(注:2007年にリリースされた企画盤「the popular music ~筒美京平トリビュート~」に参加、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」をカバーしたことを指す)。先生の曲に歌詞をのせたかったです」と、哀悼の意を表した。「憧れ」という言葉の中身をもっと深く聞いてみたくなった。今、こうして、「憧れ」という文字を「あこがれ」と平仮名表記にしてみると、麻丘めぐみの2ndアルバムの大きなタイトル文字が頭に浮かび、「悲しみよこんにちは」が流れてくるのであった。

バンドマンとして多くのヒット曲を放ち、のちに職業作家として筒美と同じ立場でも活躍したつんく♂は、どんなふうにその存在を意識してきたか。それ以前に、作曲家のことなど意識しない子供の頃から浴びるように筒美作品を聴いてきたつんく♂に、まずは記憶をさかのぼって、その魅力を語ってもらった。

耳や頭にへばりついてくるメロディ

「音楽を聴くだけだった小学生から中学生の後半の頃、曲を作ったり歌詞を書いたりするバンドマンやニューミュージックの歌手のほかに、歌手だけに徹した人がいるんだなと思いました。もっとも意識したのは大学生になってから。自分のバンドで曲を書くようになってから、ヒットチャートに入ってくる曲がたくさんある中、バンドマンが作った曲とそうでない曲の違いはなんだろうと考えた時期がありました。人気のあるバンドだけど、なんか曲が心に入ってこないなあ。イメージや雰囲気、ルックスだけで売れてるんじゃないか? 逆に、耳や頭にへばりついてくるメロディがあるぞ。これはなんだろうって。その頃は今のようにネットで検索というようなことができなかったので、カラオケの表記とか、レコードを買ったときとかに『あれ? このメロディのタイプ、好きだな。誰の曲かな?』って思うようになりました。そこから“筒美京平”という名前の出てくること出てくること。あれも、これも、それも、あっちも。筒美京平だらけ。驚きましたね。そうやって今振り返ってみて、印象深いのは『わたしの彼は左きき』という曲。麻丘めぐみさんが歌ってた映像が頭の中に記憶されています。例えば、堺正章さんの『さらば恋人』や中原理恵さんの『東京ららばい』、桑名正博さんの『セクシャルバイオレットNo.1』など、僕の中で筒美京平先生の耳にへばりつく曲の特徴って短調にあるように思います。特に男性アイドルへの提供曲にはマイナー調が多く、色気を引っ張り出してたんだと。女性アイドルでは太田裕美さん、石野真子さんや松本伊代さんには長調でかわいくポップな曲調を持ってきて、しっかりヒット曲となっている」

スピード感がほかの歌謡曲とは別格

「思春期に入って痛烈に感じるようになったのはメロディの耳にへばりつく感じとハラハラするスピード感です。やはり近藤真彦さんに提供したデビュー近辺の数曲は神がかっていると思います。おそらく、筒美京平先生がJ-POPのAメロ→Bメロ→サビという基本構成を発明されたんじゃないかって思うほどなんですが、近藤真彦さんのその頃の曲は自分で作った公式を自分で打ち破っていくような構成になっていることも多く、『スニーカーぶる~す』もそうですが、どこがサビかわからない。『Zig Zag Zag. Zig Zag Zig Zag』は歌いたいし、『Baby スニーカー ぶる~す!』も歌いたいし、『街角は雨……』のところも絶対必要だし。全部サビみたいな。テレビサイズで切られるときに、少しでも多く歌手がテレビに映れるように、サビをいっぱい持ってきて、番組Dが『これ切れねえじゃん』ってなるようにしちゃったんじゃないかってね。

そのあとにインパクトとして残ってるのは、少年隊の『仮面舞踏会』ですね。この曲もサビだらけの印象ですが、さっきも述べたようにスピード感がほかの歌謡曲とはまったく別格でした。バンドマンが単にテンポの速い曲をテクニック披露みたいに演奏するスピードと意味が違います。グルーヴというか、ノリというか、うねりというか。今、これらの下敷きがあるから僕らも『あのコード進行ね』とか『あのリズムね』って解釈できるけど、あの時代にあのメロディ、曲調を持ってくるのは、ある種日本における発明でしかないように思います」

職業作曲家として意識していること

“ハラハラするスピード感”というキーワードに脳内の再生ボタンを押され、郷ひろみ「誘われてフラメンコ」が流れてきた。続けて、平山三紀「真夜中のエンジェル・ベイビー」。そうだった。私がまず好きになった筒美京平の魅力は確かにこのスピード感だ。スピードは“ゲーム感”とも変換できる。その曲を聴いている間だけ味わわせてくれるスリル、天井知らずの目くるめく快感、そして軽さ。曲が終わったらなんにも残らない、その潔さ。闇雲に感動に導こうとせず、いたずらに余韻を求めようとしない。そういう作家である筒美京平を愛する者として、その魅力を伝え、共感を得ることはなかなか難しい。

さて、モーニング娘。をプロデュースするようになり、職業作曲家という立場となったつんく♂は同業者として、どのように筒美京平を感じていたのだろう。

「“プロであるということ”は、作品の前に締め切りやクライアントの要望というものがあることを知るという点。あれだけ膨大な数量と、そしてヒット作という結果を出した先生も『できないんだよね』とか『今、時期じゃないから』みたいな言い訳をせず、とにかく書きまくってたんじゃないかと思うんです。バンドマンとかアマチュアであれば1曲10分でもいいし、15秒で終わっても自分の作品ですが、ビジネス歌手たちが歌うものは長すぎず、短すぎず、マニアックでなく、時代のちょっと先にあって、ときには懐かしく、ときには甘酸っぱく、ときには汗くさく……。いろんな顔を持つべきであって、それってできるようでできない。振り返って、簡単に『ああ筒美京平っぽいね』っていうのはできるけど、実際に曲を並べてみると全然違う種類の曲がずらり。これほど種類の違うヒット曲を持ってる人ってそうそういないと思うんですよね。

僕は自分の才能を信じるより、周りの才能ある人たちが出した結果を紐解いて、時代の中のその曲のポジションと、歌手の声とを総合的に判断して、曲を作り出すということを意識するようになりました。筒美京平先生ほどじゃないですが、僕も2000曲くらい曲を書かせてもらっています。こんだけ書いたら『ああ、つんく♂っぽいね』と言われるものもありますが、筒美先生の楽曲のように、実際、紐解ける人が紐解いたら『あ、全然違う』『こんな引き出しもあるんだ』って思ってもらえるようにいろんなタイプの曲を書くこと。これを意識しています。おそらく先生も自分からあふれ出てくる曲より、そのときそのときの時代から求められるものに答えてらしたんじゃないか。僕はそう思います」

アレンジを任せることで曲の味付けが変わる

初期作品のほとんどで作曲だけでなく編曲も手がけた筒美京平は、次第にアレンジャーを起用するようになる。一方、アレンジャーの起用においても、独自の作家性を表現してきたつんく♂は編曲についてどういう考えを持っていたのか。

「バンドって自分らでアレンジもしないと、ほかのバンドからナメられるというような感じもしますが、実際バンドマンといっても、大抵はどこかの音楽大学を出たりしてるわけでもないだろうし、英才教育を受けてるわけでもない。アルバムを2枚くらい作れば手数はなくなります。僕らもそうでした。なので、モーニング娘。が始まった頃、開き直って、頭にあるイメージをアレンジャーに伝えて、作品を具体化することを始めた。結果、それはとてもよかったです。筒美先生もある頃からアレンジを任せるようになって、また曲の味付けが変わっていった、というエピソードを知った僕にとっても、それは大きな自信につながってます。ちょうど『LOVEマシーン』を作り出すちょっと前に筒美先生のスタッフをされてた方からそのエピソードを聞いたばかりで、頭の中で、そのことはとても大きくメモリーされていました」

筒美作品を自分で歌って感じたこと

追悼ツイートでも触れられたように、つんく♂は2007年にリリースされた筒美京平関連の企画盤「the popular music~筒美京平トリビュート~」に参加、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」をカバーした。この選曲については、どのような思いがあったのだろう?

「絶対この曲を歌うと決めていました。先生から本当の主メロの楽譜をもらったわけではないので、正解がわからないんですが、オリジナルの桑名さんの歌、シングルで歌ってるメロディと僕らが『ザ・ベストテン』等の番組で何度も何度も聴いた桑名さんの歌うメロディとは譜割りが違うんです。僕は曲のリズムを考え、おそらく、こなれてから桑名さんが歌われてる譜割りが正解なんじゃないかと勝手に解釈してました。作曲家ならきっと『このリズムの曲ならこうメロディを付ける』と。特に編曲もされていた先生なので、曲そのものが持つリズムをめちゃ大事にされていたと思うんです。パーカッションやベースのリズムがちょっと違う編曲となっただけで、主メロが違って聞こえてくるので。なので、レコーディング当時はちょっと緊張もあって、少し真面目な感じでリズムが立ってしまってレコードになったけど、実際バックのアレンジに乗せて歌ってると、和製R&Bシンガーとしてリズム感のいい桑名さんなので、一番乗ってくるところにメロディを置いて歌うんじゃないかなと。とはいえ、今YouTubeでいろいろ観ても譜割りがその都度都度で違うものもあるので、それらの歌を僕の頭の中の解析機でさらに分析して、これがベストの譜割りであると編み出したもので僕はレコーディングいたしました。先生がこの譜割りの『セクシャルバイオレットNo.1』を聴いて『つんく♂、あいつはわかってる』って思っていただきたい。その一心で仕上げました。実際、聴いていただけたか、どう思われたかはわからないままですが(笑)」

筒美京平にもっとも憧れたところは?

つんく♂が筒美京平にもっとも憧れたのはどんなところだったのか。

「やはり何度も思うのは、ヒット曲、代表曲がそれぞれ個性的で、全然違うものであるという、このプロに徹した感じ。『どう!? こんなのも書けるよ』ってのも感じるし、『依頼されたのはこのタイプですね』みたいなプロ感です。先生のメロディに歌詞を載せて、で、アレンジを任せていただいて、仕上がったものを聴いてもらって『うん、やっぱ、つんく♂、わかってるな』って言ってほしかったですね」

つんく♂が語る筒美京平作品の「耳にへばりつく」という表現。やっぱり、これがキモである。私はそれを「下世話」と呼ぶ。下世話とは「あなたが欲しいものはこれでしょ」と示す態度である。つんく♂は「どや!」と大胆にそれを表現してみせた。筒美京平はすまし顔で秘孔を突いてくる。