「親が子を愛すというのもそんなに簡単なことじゃない」 作家・町田そのこが考える、虐待問題の難点
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親から子への虐待は、今なお根深い問題としてこの社会に存在している。切実に助けを必要としているのに、声をあげられない子どもたちに対して、私たちはいったい何ができるだろうーー。『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』などの短編集で注目されてきた作家・町田そのこの自身初となる長編小説『52ヘルツのクジラたち』は、自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年が出会い、それぞれの孤独な魂を共振させる物語だ。北九州の小さな港町を舞台としたこの作品に、小説家であり母でもある町田そのこは何を託したのか。(編集部)
善意は示し方ひとつで刃にも変わる
――海中で歌うようにして仲間に呼びかけるクジラ。けれどそのなかに、通常より高い周波数で声を発するがゆえに、仲間に出会うことができず、孤独にさまよう“52ヘルツのクジラ”がいるという。すべてを捨て大分に越してきた女性・貴瑚を主人公に、52ヘルツのクジラのような孤独を抱える人々を描く本作は、読んでいてずっと、胸が痛かったです。こちらのモチーフはどのように思いつかれたんですか。
町田そのこ(以下、町田):デビュー作の『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』が魚をモチーフにした短編集で、海洋生物についていろいろ調べているときに、52ヘルツのクジラの存在を知ったんです。でも、短編でまとめるにはテーマが深くなりそうな予感があったので、いつか長編を書くときのためにとっておくことにしました。もともと、三冊までは連作短編集の形で頑張ってみようと思っていたので、四冊目となる今作でようやく着手した、という感じです。
――長くあたためていたそのモチーフは、どのように物語として編みあがっていったんですか。
町田:52ヘルツのクジラに重ねてイメージしたのは、声なき声を発している存在でした。たとえば虐待にあっている子どもなど、切実に助けを必要としている人たちです。助けを求めたのに無視されてしまった人、そもそも声をあげることさえできなかった人、聴こえていたのに気づかなかった人、たまたま気づいて手を差し伸べることができた人……。私はあまりプロットをしっかりたてないタイプなので、貴瑚を主軸に第一章を書きながら少しずつ、彼女のまわりにどんな人たちがいたのか、どういう人生を歩んできたのか想像しながら、イメージを膨らませていきました。
――貴瑚は、家族から搾取されてきた女性です。両親は弟を溺愛し、母親の連れ子だった貴瑚は小学生のころからネグレクトされて育ちました。あげく、義父が難病を発症してからはその介護を背負わされ、逃げ場を見つけられないまま心も体も病んでいく……。先だって起きた、若い女性による介護殺人を思い出しました。
町田:ああしたニュースを見るたび、こういう場合はどうすればよかったのだろう、と考えてしまって。その答え、というか解決方法を、物語を通じて探っていったところはあります。あの事件は刊行のあとに起きたものですし、やはり現実は救いようのないことで溢れているので、もっともっと考えていかねばと思っているのですが……。私には子供がいるので、やはりどうしても虐待問題についても考えてしまうんですよね。どうすれば子供たちはこんなひどい目に遭わずに済んだのだろう、誰か手を差し伸べてあげることはできなかったんだろうか、自分だったらどうすればいいのだろう、ということを。
――その想いは、母親から「ムシ」と呼ばれている少年に映しだされています。シングルマザーである琴美から虐待を受け、言葉を発することができない彼の事情を知った貴瑚は、彼を「52」と呼ぶことにして、一時的に保護します。
町田:彼は、声なき声の象徴として書いていました。どうすれば彼は声を出せるようになるのだろう、と考えることが、本当の意味で“手を差し伸べる”というのはどういうことか、を考えるのと同義で。善意って、難しいですよね。示し方ひとつで刃にも変わる。貴瑚が小学生のころ、担任の先生の「考えなしの善意」によってより家庭環境を悪化させたように、露見しないすべを身につけるだけ、より根深い問題となっていく可能性もある。実際に声をあげてより苦しい思いを強いられるようになった子供もいるでしょうし、それがわかっているから最初から黙る選択をしている子供もきっといるはずで。
――昨年、小学生の女の子が虐待死してしまった事件も、まさにそうでした。
町田:「よかれと思って」が悪手となる可能性はもちろん、最後の失敗となってしまう可能性もある。貴瑚の担任のように、一度手を差し伸べてうまくいったように見えるからそれで終わり、ではだめなんだと思うんです。本当に改善されたと断言できるまで、2回、3回、4回……と恒久的に続けていかなくてはならない。でもじゃあ実際のところ、どこまでできるんだろう? というのを書きながらずっと考えていました。赤の他人でしかない貴瑚が、52に対してどう接していくのが適切なのだろう。どうすれば本当に“救う”ということになるのだろうか、と。
――貴瑚が家族のもとから脱出できたのも、手を差し伸べ続けてくれた人がいたからでした。たとえば高校時代の友人・美晴。町で偶然、彼女に出会わなかったら、貴瑚はいつまでも家族に縛られ、それこそ最悪の事態を招いていたかもしれません。
町田:美晴は、私がこうありたいと思う理想の女性ですね。友達の“声”に気づくことができなかった自分を責める気持ちを、今度こそ助けようと思う力に変えて、ちゃんと行動できる人。声なき声を発している人たちのそばにはこういう人たちがいてほしいし、私もふくめてこういう強さが人には備わっていてほしいという願いを彼女に託した部分があります。
――そして美晴を通じて知り合った、アンさん。貴瑚が大分にやってきたのは、美晴とともに貴瑚を助けてくれたアンさんに“何か”があったせいだというのは、物語冒頭から匂わされていますが……。
町田:貴瑚は、ぱっと見は普通で、常識のあるきちんとした女の子に思われがちですが、母親に愛されなかった生育環境の影響もあり、やはりどこか心に歪があって、不安定。それゆえに、彼女が“声”を聞き逃してしてしまうことも、もちろんある。でもそれでもやっぱり、自分を責める気持ちを誰かを救う行動に変えていけたら……と思いますし、52との関係にその願いを託したかったんだとも思います。ただ、対応の失敗というだけでなく、「手を差し伸べてやっている」という気持ちが強くなるとそれは相手を支配する暴力になりかねない。自分より弱い他者を守ることで、自分の価値を再確認するようなことがあってはなりません。貴瑚の恋人だった主税は、悪い人ではなかったけれどその驕りが強すぎたせいで、どんどん貴瑚との関係がいびつになっていってしまった。貴瑚と52の関係がそうはならないようにというのは、意識していたところではあります。
“声”を聴き落とさないように、耳を澄ますしかない
――本作では、母と娘というのが大きなカギになってきます。実母に愛されなかった貴瑚。実母に出ていかれてしまった過去をもつ52の母・琴美。そして物語の後半では、母親にセクシャリティを認めてもらえずに苦しんだ女性も登場します。
町田:母と娘って、同性ならではの奇妙な連帯感があるなと感じていて。互いに理想を託しすぎると、ねじれてしまうんじゃないでしょうか。貴瑚の母親は、妾だった自分の母親(貴瑚にとっては祖母)のことを嫌っていて、自分だけはそうなるまいと思っていたのに、同じ道をたどってしまった。だから、妾の子となってしまった貴瑚のことも許せない。再婚して、夫とそのあいだに息子をもうけたから、なおさら。もしかしたら貴瑚が息子だったら、お母さんももう少し愛しやすかったのかもしれないな、と思います。もちろん、だからといって貴瑚の受けた仕打ちが許されるわけではないけれど……お母さんにはお母さんなりの苦しみと歪みがあったんだろうというのも、無視はできない話ですよね。
――逆に琴美は、父親に溺愛されすぎたゆえの歪みを孕んだ女性です。自己肯定感が高すぎるせいで、現実でうまくいかないことがあったとき、上手に対処することができなくなってしまう。
町田:貴瑚の弟もそうですけれど、愛されすぎるというのもやはり歪みではあるんですよね。なんでも許されて、正しく教育してもらえないのも一種の虐待なんじゃないかと思います。声を聞いてもらっているようで、実は、本当に必要なことは何一つ聞き届けられていないというか……。私自身は自己肯定感が低い方なので、琴美のような人にはもともとすごく憧れていたんですよ。私もそんなふうに自分に自信をもちたいし、自信を裏打ちする何かがほしいとずっと思っていた。でも、大人になった今は、自己肯定感が高くても低くてもその人なりに苦しいことはあるんだということがわかってきた。貴瑚の母親や琴美を毒親と断じるのは簡単だけど、親が子を愛すというのもそんなに簡単なことじゃないというのもわかる。人は、子供を産んだ瞬間に母親になれるわけじゃないですからね。母親になりきれなかった彼女たちの、そうならざるをえなかった背景も、もうちょっと書けばよかったかなというのは反省点ではあるんですが……。
――でもそこは、貴瑚の物語なので、書かないままでよかったと思います。読みながら、きっとこの人たちにも何かあったんだろう、というのはじゅうぶん伝わってきましたし、彼女たちに何があろうと、貴瑚と52が人生をつぶされかねない苦しみを負ったのも事実なので……。
町田:そう言っていただけると、嬉しいです。琴美は「私はお母さんに捨てられた。だから私も自分の都合で子供を捨てたっていい」と思っている部分があるんじゃないかと思うんですよ。そうすることでしか、自分の受けた傷を正当化できないんじゃないかな。彼女がシングルマザーになったのも、しなくてもいい苦労をすることになったのも、自業自得の部分が大きいんだけれど、お母さんや息子のせいにすることでしか自分の傷を正当化できなかったし、生きていく気持ちのバランスがとれなかったんじゃないのかな、と。
――気持ちのバランス……難しいですよね。ラストで登場した、娘のセクシャリティを認められないお母さんの姿にとても胸が痛くなりましたが、人が生きていくためにはそれぞれ必要なよすがというものがあって、それを守るために他者を決定的に傷つけてしまうこともある。何があっても加害は許されることではないんだけれど、コントロールのきかない現実のなかで、じゃあどうすればいいのか……というのは本作を通じて本当に、考えさせられました。でもたぶん、まずは“声”を聴き落とさないように、耳を澄ますしかないのだろうな、と。
町田:本当にそうですよね。物語だから一つの終わりは迎えるけれど、はっきりとした答えが出るわけじゃない。だから私も、とくべつ何かを届けようという強い意思では書いていなくて、読み終わったあとに「もう少し頑張ってみようかな」と背中を押してあげられるぐらいの物語になっていたらいいな、と思っているんです。だから「私もちゃんと“声”を聞こうと思った」という感想が想定していた以上にいただけて、驚くと同時にとても嬉しく思っています。
田舎もそんなに捨てたものじゃない
――人とのかかわりを絶とうと大分にやってきた貴瑚が、老人たちに興味本位でかこまれたり、修理屋の村中という青年にちょっかいかけられることで注目を集めてしまったり、という田舎ならではのコミュニティのありようもおもしろかったです。
町田:他人に手を差し伸べるという行為には、どうしても少なからずの自己満足が入ってしまうと思うんですが、でも、それでもやっぱり、本当に理由なく善意で動ける人もいるよなあと思っていて。村中くんにはまあ、下心も多少はありますけれど(笑)、でもやっぱり根本は「なんか困ってるみたいだからほっとけない」「自分にできることがあるんじゃないか?」という単純な気持ちだと思うんですよね。それでいて、だめなものはだめだとはっきり言えるその純真さは、書いていて私の癒しでもありました。老人たちは、まあ……私自身が、生まれたときから田舎に住んでいるので、肌で味わってきたことをわりとリアルに描きました(笑)。
――「無職は子供に悪影響だから働け」とか「そんな生活してたら人間として駄目になる」とか、初対面の貴瑚に言い募ってくる感じとか。
町田:本当にありますからね。車や髪の毛の色が派手だとか、夜帰ってくるのが遅いとか、よそのうちのおばあちゃんが当たり前のように注意してくる。横のつながりが強くて、コミュニティ全体に監視されているような感覚。だからね、若い頃は地元がきらいだったんです。都会の空気に憧れて、田舎の足りないところやいやなところばっかりが目についた。でも、大人になった今、感じるのは、田舎もそんなに捨てたものじゃない、ってことなんです。村中のおばあちゃんは敵に回すと厄介だけど、歩み寄ってみたら実はすごく頼りになって、適切に手を差し伸べてくれる人だった、とわかったように、物事を見る角度をちょっと変えるだけで状況は変わる。欠点だと思っていたところは、魅力かもしれない。それは土地も、人も。そんなふうに感じることができたから、今回、はじめて自分のよく知る土地を舞台にしました。
――ご出身は北九州なんですよね。
町田:はい。自分の暮らしに身近な土地を舞台にしたことで、52はもしかしたらあの駅の改札を抜けてひとり歩いていたかもしれない、というリアリティも生まれて。虐待も、セクシャリティの問題も、遠く離れたどこかの物語ではなく、すぐ隣で起きているかもしれない現実として私もとらえなおすことができました。きれいごとで片づけたり、なにか大きな施策を考えたりするんじゃなくて、村中くんや、村中のおばあちゃんや、町の興味本位で騒ぎ立てる老人たち。そうした普通の人たちとともに、どうすれば現実的に手を差し伸べあっていけるのかな、と。だからよけいに、貴瑚の母親や琴美についても、思いを馳せてしまうのかもしれません。もちろん世の中には悪魔のような心の持ち主もいますし、そういう人にまで寄り添おうとは思わないんですけど、でも、どんなに悪い人にもその人なりのやむにやまれぬ事情があって、過去があって、悪意だけでは生きていないんだということを信じたい。せめて物語のなかだけでは、それが許されないことだとしても、知っておきたいし書いておきたい、と思ってしまうんですよね。
――そのコミュニティのありようや、手を差し伸べあう人々の姿を、連作短編ではなく長編で書いたことに手ごたえはありますか。
町田:そうですね……。語り手を変えるのではなく、一人の人間のものの見方を変えることで物語を紡いでいく、というのはまた違う景色が見えるものだな、と思いました。貴瑚はずっと「魂の番(つがい)」を探していたけれど、彼女の声を聴いてくれたのはたった一人ではなかった。52の声を最初に聴いたのは貴瑚一人だったかもしれないけれど、彼女をきっかけに52のまわりには人が増えていった。人はそんなふうに“群れ”となって生きていくんじゃないのかな、と思います。
■書籍情報
『52ヘルツのクジラたち』
町田 そのこ 著
発売中
価格:1600円(税別)
出版社:中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/tanko/2020/04/005298.html