アーティストの音楽履歴書 第30回 山中さわおのルーツをたどる
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山中さわおの音楽履歴書。
アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回はthe pillowsのフロントマンとして活躍すると同時に、ソロアーティストとして、DELICIOUS LABELの主宰者としても精力的に活動する山中さわおの音楽的なルーツを聞いた。
取材 ・文 / 森朋之
小学生の頃からオルタナティブ
一番古い音楽の記憶は、小学校1年か2年のときに叔父が井上陽水さんの「夢の中へ」のレコードをかけてたことかな。異常に気に入ってしまって、「もう1回かけて」って20回くらい言ったと思う(笑)。あとは久保田早紀さんの「異邦人」。テレビ(三洋電機のカラーテレビ)のCMソングになってて、オリエンタルな洋楽っぽい曲なんだけど、すごく好きでレコードを買ってもらったんだ。
小学校の頃の2大ヒーローは、Yellow Magic Orchestraとゴダイゴ。YMOは未来の音楽みたいで、カッコよかった。ゴダイゴは基本的に英語詞だったし、子供ながらに洋楽のテイストを感じてたんじゃないかな。「銀河鉄道999」のマンガも大好きだったから、映画化されて、ゴダイゴが主題歌を歌ったときはまさに夢のコラボだったね。当時、世の中で流行っていたのは、郷ひろみさんや西城秀樹さん、たのきんトリオとかだったんだけど、俺はまったく好きじゃなかった。歌謡曲を好きになったことはほとんどなかった。ほら、オルタナティブ小学生だったから(笑)。
影響を受けたということでは、Simon & Garfunkelだね。「夢の中へ」を聴かせてくれた叔父が持っていたSimon & Garfunkelのレコードを祖母の家で見つけて、カセットテープに録音して……小4くらいからずっと聴いてたし、今でも好きだね。
RCとシナロケでロックンロールに覚醒し、佐野元春に衝撃を受ける
中学になると不良の真似事をし始めて、同じ時期にロックに興味を持ったんだ。最初に好きになったのは、ラジオで聴いたRainbowの「Kill The King」。題名もロックだし(笑)、めちゃくちゃ興奮してもっとハードロックを聴きたいと思って。音楽に詳しい同級生やクラスメイトの兄貴にいろいろ教わったんだけど、マイケル・シェンカーが一番好きだった。当時はヘヴィメタルにカテゴライズされてたんだけど、今聴くとロックンロールなんだよね。あとはDef Leppard。「Rock! Rock! (Till You Drop)」をTHE PREDATORSの登場SEにしてたこともあるよ。小樽市銭函でそういう音楽を聴いている中学生はほとんどいなかったと思う。Rainbowもマイケル・シェンカーもすごく売れてたけど、当時、ロックを聴いてるヤツはクラスに1人か2人だったんじゃないかな。
しばらくハードロックを聴いてたんだけど、あるときからビタッと聴かなくなったんだよね。その理由は、テレビでRCサクセションとSHEENA & THE ROKKETSのライブを観たこと。清志郎さんが「スローバラード」を歌ってたんだけど、バラードなのにフォークとも歌謡曲とも違っていて、ロックを聴いてるという感覚があって。歌詞がグイグイ入ってきたのにもグッときた。鮎川誠さんはギターを持って立ってるだけでカッコいいし、革ジャン、サングラスも不良の雰囲気ですごく惹かれた。そのときから「もしかしたらハードロックってダサいんじゃないか?」と思い始めて(笑)。心はもうロックンロールに向かってたね。
当時、佐野元春さんを知ったことも大きかった。親友の宮谷くんに佐野さんのベスト盤「No Damage」を貸してもらったんだけど、それまでに聴いたことがない音楽だったんだ。都会的でポップなんだけど、聴いてる感覚はロックンロール。歌詞のメッセージ、声も一発で好きになった。それ以来、俺にとって一番のロックンロールアイドルはずっと佐野元春さんだね。「No Damage」を聴いたあと、1stアルバム「BACK TO THE STREET」、2ndアルバム「Heart Beat」、3rdアルバム「SOMEDAY」も続けて聴いて。当時、佐野さんはニューヨークに1年間行っていて、日本に戻ってきてリリースしたのが「VISITORS」。初めてリアルタイムで聴ける新作だからすごくうれしかったんだけど、唖然としたね。「VISITORS」はラップを取り入れたアルバムでしょ。まずラップというものを知らなかったし、「メロディが素晴らしい人なのに、メロディがない音楽をやるのはどうしてなんだろう?」と戸惑って。なんとか好きになろう、理解しようとめちゃくちゃ聴いたけどね。
「ロックのギターを弾きたい!」と願った中学時代
ライブを観るようになったのは、高校生になってから。札幌の高校に入って、PENNY LANEっていうライブハウスでバイトを始めたんだ。今のPENNY LANEは札幌の西区なんだけど、当時はすすきのの交差点のところにあって、俺はカウンターでドリンクを作ってた。デビュー前のRED WARRIORS、PERSONZとかメジャーのバンドのライブもかなり観たね。
ギターを弾き始めたのは、小学校4年のとき。ちょうどSimon & Garfunkelを聴き始めた頃かな。家にガットギターがあったからクラシックギターを習ってたんだよね。中1のときに音楽雑誌の「YOUNG GUITAR」を買ったらタブ譜が付いていて、その中にMichael Schenker Groupの「Are You Ready To Rock」があって。知ってる曲だったからコピーしてみたんだよね。イントロからサビの前までずっと8小節のリフが続くから、それを練習して。何時間かやったら弾けるようになって、カセットデッキで曲を流しながら合わせて弾いた瞬間、気分的にはもうプレイヤーだった。ガットギターだから弾きづらかったし、サビは弾けなかったんだけど(笑)、めちゃくちゃ興奮して。そのときから「ロックギターを弾きたい」という気持ちがすごく強くなったんだけど、俺が住んでる街には楽器屋なんてないし、そもそもお金もなかったから。エレキギターを弾くようになるのは高校生になったからだった。
CBS・ソニーオーディション予選通過も……
高校時代にはオリジナル曲も作り始めてた。どうしていいかわからないから、まずはコンテストに応募したんだよね。いろいろエントリーしたんだけど一番受かりたかったのはCBS・ソニーオーディション。尾崎豊さん、THE STREET SLIDERS、ECHOES、聖飢魔IIなどを輩出したオーディションで、当時は「CBS・ソニーオーディションで優勝すればスターになれる」という感じだった。カセットデッキで録った弾き語りのテープを送ったけど落ちたんだよ。まったく納得できなくて、いろいろ考えた結果、「弾き語りだと曲のよさがわからないんだな」と気付き、お金を貯めて機材を買おうと思ったんだ。夏休みの間、鉄工所でバイトして10万くらい貯めたんだけど、ちょうどそのときに友達のバイクを壊して弁償するハメになって(笑)。また翌年同じバイトをやって、リズムボックスとアンプ、マイクを買ったんだ。MTRは高くて買えなかったんだけど、ダブルカセットのラジカセで多重録音できることに兄貴が気付いたんだよね。まずドラムを録って、それを再生しながらベースを録って。次にドラムとベースが入ったテープを流しながら、ギターを録って……ということを繰り返して、ドラム、ベース、ギター、歌が入ったデモテープを作った。それをCBS・ソニーオーディションに送ったら、前の年と同じ曲だったのに予選通過の電話がかかってきて。「ほらな」って感じだったね(笑)。
でも、その年は結局、グランプリは“該当者なし”だったんだよね。俺は育成アーティストみたいな扱いになって、レコーディングしたり、ラジオに出たりしたんだけど、それもうまくいかず。コンテストに受かってデビューすることはできなかったんだけど1つ重要なことがあって、それは上田ケンジに出会ったことなんだ。KENZI&THE TRIPSを一時脱退していたウエケンさんが札幌に帰ってきていて、同じオーディションにいたんだよね。ウエケンさんが「君、面白いね」って声をかけてくれて。俺は茶髪のパンクヘアだったし、ウエケンさんと俺は浮いてたから、気になったんじゃないかな(笑)。そこから仲良くなって、それがのちのち、the pillowsにつながるんだよ。
増子直純、吉野寿、吉村秀樹と出会ったザ・コインロッカーベイビーズ時代
高校を卒業したあとはザ・コインロッカーベイビーズというバンドを組んでライブをやり始めた。当時、札幌で「パンクナイト」というイベントがあって、それに出たかったんだよ。あとから知ったんだけど、どのバンドを出すかを決めてたのが、増子さん(怒髪天の増子直純)、吉野くん(eastern youthの吉野寿)、ヨウちゃん(bloodthirsty butchersの吉村秀樹)だったみたいで。誰かがコインロッカーベイビーズを紹介してくれて、「こいつらはすぐ出そう」って言ってくれたんだよね。俺らが出たときにゼラチンというハードコアバンドも出てて、そこでベースを弾いてたのが、怒髪天のシミ(清水泰次)。そうやって少しずつ、その界隈とつながったのかな。
今思い出したけど、あるライブのときに札幌のインディーズバンドをかわいがってたレコード屋のおじさんが、俺らのライブをビデオで撮影してくれたんだよ。当時はもちろんスマホなんてないし、ライブを撮影してもらえること自体がめちゃくちゃうれしくて。ビデオカセットをもらって観てたら、三脚の側にいた人が「このバンド、いいね。紹介してよ、一緒にライブやりたい」って言ってて。あとからわかったんだけど、それが吉野くんだったんだよね。
ただ、俺はパンクをやろうと思っていたわけではなくて。なんと言えばいいか……ヘンな音楽をやってた(笑)。ギターの音はクリアで、高速のアルペジオを弾いて、ドラムは速いエイトビードで。今思い返してみると、たぶんブリットポップみたいなことをやりたかったんだと思うけど、やり方がわからなかったんだよね。the pillowsがインディーズで出した「パントマイム」(1990年発表)にはコインロッカーベイビーズ時代の曲がけっこう入ってるんだけど、当時は「どうしたらいいかわからない」という感じだったかな。
The Stone Rosesが与えたthe pillowsサウンドへの影響
北海道でthe pillowsを組んで、20歳のときに東京に行くんだけど、そのときに持っていたCDはTHE COLLECTORSの「ぼくを苦悩させるさまざまな怪物たち」だけ。とにかく全然金がなかった(笑)。札幌にいた頃は印刷所で働いてたんだけど、リハーサルとライブをやることが目的だったから、そんなにがっちり仕事はしてなくて。もらってた給料は月に8万くらいだったかな。HERMITの岩田こうじも一緒に働いてたんだけど、あるとき社長から「もうちょっと働いてほしい。いくら欲しいか言ってくれたら、その分だけ働いてもらうから」と言われて。岩田と相談して「10万で」って言ったら、「少なすぎる。12万くらい働いてくれ」って(笑)。それでも「そんなにいらねえんだけどな」って感じだったんだよね。とにかく音楽をやりたかったし、生きていければそれでいいと思ってたから。
the pillowsを始めてから、すごく影響を受けたのはThe Stone Rosesだね。コインロッカーベイビーズのときの「やりたいことをやれているのかわからない」という状態に対する答えを教えてくれたのが、The Stone Rosesだったんだよね。まず、The Stone RosesのメンバーはSimon & Garfunkelが好きだと思うんだよ。「Scarborough Fair」のカバーをやってるだけではなくて、「Bye Bye Badman」はSimon & Garfunkelの「Homeward Bound(早く家へ帰りたい)」のようなアプローチだし、そのほかにも「April Come She Will(四月になれば彼女は)」の雰囲気に似たギターリフの曲もあって。ロックとダンスミュージックの融合というスタイルもカッコよかったし、「そうか、こういうふうにやればいいのか!」と思って。自分がやりたかったことの答えを導いてくれたんだよね。バンドのエピソードもバカみたいでカッコいいんだよ。インディーズのときのレーベルに不満があって、オフィスに乱入してペンキをぶちまけたり。仕返しのやり方がちょっと面白いでしょ(笑)。
自分で自分の曲を好きかどうかにこだわり続ける
第3期ピロウズはオルタナティブロックの影響が強いんだけど、俺がオルタナを聴き始めたのは1995年くらい。ずっとイギリスの音楽ばっかり聴いてたから、NirvanaもPixiesもリアルタイムで聴いてなかったんだよね。最初のきっかけはたぶんSALON MUSIC。吉田仁さんがthe pillowsのプロデューサーになったんだけど、当時のSALON MUSICはかなりオルタナで、俺も大好きで。そこからいろいろ聴くようになって、PixiesやThat Dogを気に入ったんじゃなかったかな。ちょうどその頃、noodlesのyokoちゃんと出会ったんだけど、当時のライブの登場SEがThe Ampsの「Pacer」で、すごくカッコいいなと思って。yokoちゃんに「誰の曲なの?」って聞いたら、「The Ampsだよ。The Breedersのキムがやってるバンド」と言われて。そのときはThe Breedersを知らなくて、「Pixiesのベースのキム・ディールがやってるバンドだよ。さわおくん、好きだと思うよ」って教えてくれたんだよね。最初に「Last Splash」というアルバムを聴いたんだけど、めちゃくちゃビックリした。アレンジのアイデアがすごくて、衝撃を受けたんだよね。「No Aloha」という曲が好きで、それを参考にして「カーニバル」や「YOUR ORDER」という曲を作ったり、すごく影響を受けた。そういうことは多いよ、俺は。the pillowsの「Juliet」や「Borderline Case」はThat Dogみたいな曲を作りたいなと思って作ったしね。
初めて曲を作るときは、好きな曲を参考にするでしょ? 俺もそうだったし、今もそのままってことかな。そのときどきに憧れのロックアイドルがいて、「こんな曲を作ってみたいな」ってすぐに影響を受けるから。オリジナリティがあるかどうかは、聴く人が判断することだと思うんだよ。それよりも大切なのは、自分で自分の曲を好きかどうか。ヘンな言い方だけど、カッコ悪くていいんだったら、オリジナリティを出すのは簡単なんだよ。単に誰もやったことないことをやればいいだけだから。でも、そういう曲は好きになれない。自分が気に入っていれば、人がどう思っても関係ないし……もちろん好きになってくれたらうれしいけどね。だから影響を受けることは怖くないかな。
最近聴いているのは、身近なバンドが多いかな。a flood of circleの「2020」はとてもよかった。GLIM SPANKYの新作(「Walking On Fire」)もよかったな。ストレイテナーの新しいアルバム(12月2日リリースの「Applause」)、髭の新作「ZOZQ」もいいし。髭はこのところ、ずっといいね。今年はソロアルバムやCasablancaのアルバム、内田万里さんと一緒に作った作品を含めて、8作リリースするんだよ。これだけ出していると、ほかのものを聴く時間がほとんどなくて(笑)。もちろん全部気に入ってるから、楽しいよ。
山中さわお(ヤマナカサワオ)
北海道札幌市生まれ、小樽市育ち。1989年に結成したthe pillowsでボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞作曲を手がけている。1999年からは自身が主宰する音楽レーベル・DELICIOUS LABELを設立し、noodles、シュリスペイロフ、THE BOHEMIANSなどの作品をリリース。現在はthe pillowsのほか、JIRO(GLAY)と高橋宏貴(ELLEGARDEN)と共にTHE PREDATORS、yoko(noodles)と楠部真也(Radio Caroline)と共にCasablancaというバンドでも活動している。2020年11月に最新ソロアルバム「Nonocular violet」を発表。
※記事初出時よりプロフィールの一部文言を調整いたしました。