『Mank/マンク』は懐古主義の作品ではない デヴィッド・フィンチャーが“いま”製作した意義
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マンクことハーマン・J・マンキーウィッツは、いかにして映画『市民ケーン』のシナリオを書き上げたのか? デヴィッド・フィンチャー監督初のNetflix長編『Mank/マンク』は、「映画史を変えた不朽の名作」とも「呪われた映画」とも称される『市民ケーン』の知られざる誕生秘話に光を当て、製作・監督・主演をつとめた巨人オーソン・ウェルズの影に隠れたマンクという人物の実像と功績を浮かび上がらせていく。
1941年に公開された映画『市民ケーン』は、当時のアメリカで強大な影響力を誇った新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルに、若くして富と名声を手に入れた新聞王チャールズ・フォスター・ケーンの波乱に満ちた人生を描いた物語だ。煽情的な内容で発行部数を伸ばし、その富を誇るように城のような大邸宅を建て、若く美しい愛人を囲って彼女を大スター女優に仕立て上げようとする主人公ケーンの生きざまは、明らかにハーストの実人生を揶揄したものだった。
映画では年老いたケーンの苦い挫折と空虚な終焉までも描ききるが、当時まだハーストは存命中であり、言うなれば「予言」、あるいは現実に対するフラッシュフォワード(フラッシュバックとは逆に、主軸となる物語の自制よりも未来のシーンを劇中に挿入する話法)ともいうべき大胆かつ挑発的な仕掛けが施されている。映画公開にあたっては当然のごとくハースト側による妨害工作も行われた。
今回の『Mank/マンク』では、ゲイリー・オールドマン演じる主人公マンクがウェルズに依頼された脚本を書くために、砂漠に囲まれた観光牧場にアシスタントたちとカンヅメになる「現在」のストーリーと、1930年代のハリウッドでマンクが売れっ子脚本家として活躍しながら『市民ケーン』の核となる執筆動機を育んでいく「過去」が交互に描かれていく。頻繁に時制が入り乱れる構成は、まさに映画『市民ケーン』と同じ趣向だ。同作の代名詞である強烈なビジュアルスタイル……陰影の強いモノクロ映像、パンフォーカス(画面の奥から手前までフォーカスのあった奥行きのある映像。これをフィルム時代に実現するにはとてつもなく大がかりな照明設計が必要だった)を多用したメリハリのきいた画作りも、フィンチャーは随所で踏襲している。
また、高解像度の8Kモノクロカメラで撮影したのちに画と音にノイズを施し、さらにデジタル時代にはまったく必要のないフィルム交換マークまで付け足して、当時の「フィルム感」を再現するという念の入れようもすさまじい。かつてクエンティン・タランティーノが『グラインドハウス』(2007年)で試みた偏執的技法を、さらに徹底的に展開したフィンチャー流のフィルム愛は、たぶん若い観客には全然ピンとこないのだろうが、古参の映画ファンにとっては贅沢な贈り物だ。
それにしても、本作が配信に先駆けて一部劇場でスクリーン上映された際、ビスタ映写の上下に黒い帯のかかったスコープサイズという「昔の4:3ワイド仕様のDVD」みたいな上映環境だったのは、なんとも呆れた。おそらく上映素材自体の仕様がそうなっていたのだと思うが、こういう杜撰な仕事を老害映画ファンは許さない。
さて、80年前の出来事を描いた『Mank/マンク』が懐古主義一辺倒な映画かというと、決してそんなことはない。むしろ2020年という現在にこそ迎えられるべき物語として映像化されていることは、本編を観れば明らかだ(ネタバレを避けたい読者には、ここでページを閉じることをお勧めする)。
マンクに『市民ケーン』の脚本を書かせた「やむにやまれぬ感情」の根底には、1934年に行われたカリフォルニア州知事選が強い影を落としていると、フィンチャーは見ている。ちなみにそのフィンチャーとはデヴィッドにあらず、本作の脚本を書いた監督の実父ジャック・フィンチャー(2003年没)のことである。
このとき「カリフォルニアで貧困を終わらせる(End Poverty in California=EPIC)」というスローガンを打ち出し、民主党から立候補したのは、社会主義作家であるアプトン・シンクレア。のちに映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)の原作となった小説『石油!』の著者でもある。だが、ハーストらの共和党寄りメディアは、シンクレアの政策を痛烈に批判(社会主義と共産主義を意図的に混同させるような言説は、戦後ハリウッドに吹き荒れた「赤狩り」の下地でもあるだろう)。さらに大手映画会社MGMのルイス・B・メイヤー社長らと結託し、巧妙に民主党政策への忌避感を植えつけるヤラセのニュース映画を作らせた。結果、シンクレアは落選。メディアによる大衆への印象操作が抜群に功を奏したことは、マンクにも忘れがたい痛恨を残す。
言うまでもなく、この出来事は今年(2020年)に行われたアメリカ大統領選と大いに重なる。現職大統領であり共和党候補のドナルド・トランプは、右派メディア(特にFOXニュース)の強大な影響力を味方につけ、さらにSNSも駆使してフェイクニュースを流布し、国民の狂信的愛国心と排他的敵対心をセットで煽ることで絶大な支持を得てきた。この選挙によってアメリカの国民感情は南北戦争時さながらに分断されたが、この「分断を煽るメディア重視の選挙戦」の原型を形作ったのが、まさに1934年のカリフォルニア知事選だったという言説もある。
映画『Mank/マンク』を観ながら、成金上がりのメディア王ハーストにトランプの姿を重ねてしまうのは、ごく自然なことだ。ハーストの若く美しい愛人マリオンの存在も、トランプの歴代トロフィーワイフたちの姿を思い出させる。ただし、マンクは自分を気に入ってくれた(たとえパーティーを盛り上げるための道化役として、であっても)ハーストに対しては敬意を抱いており、その愛憎半ばする思いから『市民ケーン』という畢生の大作を産み出すことになる。相手が俗物王トランプだったら、ちょっと難しかったかもしれない。
本作のシナリオは1990年代に書かれ、すでに『セブン』(1995年)のあとに映画化企画が動いていたこともあったという。だから、この作品が当初から2020年の大統領選に当て込んで構想されたという事実はない。これまた「予言の書」だったということか?……というよりは、メディアの政治的悪用など「今に始まったことではない」ということだろう。似たような状況は歴史上何度も繰り返されており、父ジャックはいつの世にも通じる警鐘をそのシナリオに盛り込んだ。そして、今回たまたまトランプvsバイデンという絶好のタイミングが重なり、奇跡のようなドライヴがかかって映画化が実現した……というのが実際のところではないだろうか。
ひょっとすると、デヴィッド・フィンチャーにとってはトランプの2度目の勝利こそが「望ましい展開」だったかもしれない。もしそうなれば、1934年の選挙でマンクが味わった苦渋は凄まじい痛みとともに共有されたはずだし、それでもマンクが彼なりの戦い方で反骨精神を貫く物語は、暗い時代に差し込む一筋の希望としていっそう力強く輝いたはずだ。幸いなことにそうはならなかったが、筋金入りの皮肉屋にして、デビュー時から一貫して悲劇の信奉者であるフィンチャーの思惑を推し測ると、ちょっとうすら寒い気持ちにもなる。
とはいえ、結果的に「負け犬が一矢報いる」痛快さを湛えた本作のラストシーンは、父ジャックの優しさを息子デヴィッドが素直に受け止めるかのようで、感動的である。そして、もしかしたら「己の才能の限界を見た者」同士の友情で結ばれていたのかもしれない、マンクとマリオン(アマンダ・セイフライド)との交流を描くシーンも、デヴィッド・フィンチャー作品らしからぬロマンティックな優しさを湛えていて魅力的だ。
ちなみに、劇中で泥酔したマンクがハーストをドン・キホーテに喩えるセリフがあるが、ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』は1950~60年代にかけてオーソン・ウェルズが映画化に挑み、クランクインまでしながら未完に終わった因縁の企画としても知られている(その後、テリー・ギリアムも映画化に挑戦し、やっぱり酷い目に遭ったのは周知のとおり)。マンク自身も、ハーストという巨大な風車に単身立ち向かったドン・キホーテの心境だったのかもしれない。
日本では今年公開の『ジュディ 虹の彼方に』(2019年)ではルイス・B・メイヤーのクズ野郎ぶりが暴かれ、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019年)には新聞王ハーストが思いがけないタイミングで登場するなど、映画ファンが『Mank/マンク』を楽しむためのお膳立ては着々と整っていたとも言える。今回も相変わらず情報量満載な作りなので、歴史と照らし合わせながら、隅々まで味わい尽くしていただきたい。
■岡本敦史
ライター。雑誌『映画秘宝』編集スタッフとして、本誌のほか多数のムックに参加。主な参加作品に『別冊映画秘宝 サスペリアMAGAZINE』『映画秘宝EX 激闘! アジアン・アクション映画大進撃』『塚本晋也「野火」全記録』(以上、洋泉社)など。劇場用パンフレット、DVD・Blu-rayのブックレット等にも執筆。Twitter
■配信・公開情報
Netflix映画『Mank/マンク』
一部劇場にて公開中
Netflixにて独占配信中
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ゲイリー・オールドマン、アマンダ・セイフライド、リリー・コリンズ、チャールズ・ダンス、タペンス・ミドルトン、トム・ペルフリー、トム・バーク
公式サイト:mank-movie.com