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ぴあ 総合TOP > 映像で音楽を奏でる人々 第19回 DEVICEGIRLSが20年を超えるキャリアの中で感じた、VJという仕事に必要なこと

映像で音楽を奏でる人々 第19回 DEVICEGIRLSが20年を超えるキャリアの中で感じた、VJという仕事に必要なこと

音楽

ニュース

ナタリー

DEVICEGIRLSこと和田一基。

音楽の仕事に携わる映像作家たちに焦点を当てる「映像で音楽を奏でる人々」。この連載ではこれまで、ミュージックビデオの監督を中心にさまざまな人々の話を聞いてきたが、今回は本連載初のVJである、DEVICEGIRLSこと和田一基に登場してもらった。

VJの仕事は、DJが複数の楽曲を組み合わせて音楽を作り上げるかのように、クラブやコンサート会場などにおいて音楽に合わせて映像を流すこと。あらかじめ作っておいた映像を状況判断しながら流したり、ライブ中に撮影しているカメラ映像をそこに組み合わせたり、映像素材をリアルタイムで生成したり、構成する手法は多岐にわたりその役割も広義になってきている。

VJブーム真っ只中である1997年にキャリアをスタートさせて以来、いくつものDJパーティやライブなどでフロアを沸かせ、特に電気グルーヴのステージには欠かせない存在となっているDEVICEGIRLS。本稿では彼にこれまでたどってきた23年間の足跡を聞きながら、VJという仕事を探る。

取材・文 / 橋本尚平 撮影 / 梅原渉

VJを始めるきっかけになった、長野オリンピックでのゲリラパフォーマンス

うちの家庭は複雑で、母が岡山で当時のニューミュージック界隈のアーティストの皆さんのたまり場になるようなバーを経営していたこともあって、中1までは同郷の叔母の家で暮らしていたんです。ある時期から母は東京に行ってしまったので会えるのは夏休みだけになり、母が働いてる間はいろんなミュージシャンに預けられて、スタジオで遊びながら過ごしていました。だから今の自分が音楽のライブに関わる仕事をしてるのは、なんか縁があったのかなという気がします。子供の頃はテレビが娯楽の中心で、当時の僕にとって映像は遠い夢の世界、音楽のほうが身近な存在だったんですよね。その夏休みの東京滞在時に、母に映画やライブに連れて行ってもらったりしたことが、エンタテインメントやカルチャーを好きになるきっかけになったので、最近他界しましたが、その部分では感謝を伝えたかったですね。

絵を描くのはずっと好きでした。中1のときに美術の先生に「将来、絵を描いて暮らしたいんですけど」と真剣に相談したんですが、「東京に行かなきゃダメだね!」ってあっさり言われて(笑)。「おや? そういえば俺、母が東京にいるな……」と思い立ち、すぐさま東京に引き取ってもらいました。なので、僕が母と暮らしたのは中学2年生からの7年間だけです。そして浪人を重ねては東京藝術大学だけを目指していたんです。もうノイローゼになるんじゃないか?って勢いで(笑)。浪人中に1回、受験をあきらめようと思って、憧れだったテレビ業界で大道具の仕事をしたこともありました。でも、やっぱり自分はデザインが好きであきらめられないと気付き、最後にもう1回だけ受験してみるか!と試みてみたら、藝大は落ちたけど多摩美に受かったんです。

多摩美での生活は楽しかったですね。映像を始めたのは、慶応のSFCに通ってた友人がflowというアートインスタレーションユニットを始めるということで「わーちゃん、映像作れない?」と聞かれたのがきっかけでした。僕が入ったのはデザイン学科だったので、周りに映像を作ってる人はいなかったんですが、すでにクラブで映像を流す活動をしていた先輩たちがいたんです。その人たちに「インスタレーションで映像を流してほしいって言われてるんだけど」と相談して、やってみようと。それが、映像集団DEVICEGIRLSの始まりでした。

このインスタレーションアートが面白くて。いろんな場所にDJブースや照明器具、発電機などを持っていき“空間をデコレートして、場所のポテンシャルを引き出す”というようなコンセプトの活動をゲリラ的にやっていたんです。例えばその活動の一環として、長野オリンピックにも行きました。海外のオリンピックって会場の周りでいろんなアートパフォーマンスをやってるじゃないですか。「長野はぼたん雪が降るらしいから、それをスクリーンにしちゃおうぜ!」って盛り上がって。だけど思いのほか雪は降ってなくて、急遽、表彰式会場の向いにあるお寺の屋根に映像を投影することにしたんです。もちろん住職さんに許可を取って(笑)。今でいうプロジェクションマッピングみたいな感じですかね。やるんだったら人を集めようと、すぐにファミレスでフライヤーを作り、商店街の印刷屋さんで刷って、オリンピック会場で配りました。観に来てくれた海外のメディアからピンズをもらったりして楽しかったですね。

このときオリンピック期間だけクラブに改造されていた倉庫があって、「“メダリスト入場無料!”とか謳ってるけど、来るわけねーし!(笑)」なんて思っていたら、突然「ここで映像を流してよ」とお願いされたんです。ほかのメンバーは東京に帰ったんですけど、「こんな機会なかなかないぞ!」と思って、僕だけ長野に残りました。その期間は山小屋に泊まって、昼はオリンピックの中継を観て、それを反映した映像素材を作って、連日そのクラブでVJで流したりしました。今思えば、ここですでにのちの「FUJI ROCK FESTIVAL」でのVJ生活と同じことしてましたね(笑)。で、そのクラブにDJとして東京からTOBYさん(Tobynation)が来てて、「面白いね。東京に帰ったらLIQUIDROOMでパーティがあるから、そこでVJやってくんない?」って誘ってくれて。スヴェン・ヴァスの来日公演だったんですけど、その日を境により深くクラブシーンに関わっていくようになったんです。

今回の取材にあわせてアートインスタレーションユニット・flowのメンバーだった山岸清之進くんが動画を発掘してくれました。

時代的に懐かしい映像比、かつ劣化してて見づらいですが、セントラルスクゥエア(表彰式会場)の向かいで、ちょうど「船木ぃぃ」でおなじみ感動のスキージャンプ・ラージヒル団体金メダルの表彰式のときだったので、歓喜の声も聞いて取れます。商店街の隙間から見えるプロジェクションが当時はまだあまり見かけない新鮮な光景で、flowのメンバーだった田中陽明くんと思わず「いいねえ」と言い合ってるのが収録されてて、なんだか青春ですね(笑)。バカデカい発電機やプロジェクターなど、映像機材も大きく多かった時代ですが、現在よりフットワーク軽く行動していたこのときを忘れないでいたいです。

初期のVJキャリアと、その頃に影響を受けたこと

DEVICEGIRLSというのは、もともとはアートパフォーマンスをしたり美術展に出品したりする美大の仲間から始まったグループだったんです。当時VJをするには会場にビデオデッキ4台と巻き戻し専用機、数百本のビデオテープやモニターを持ち込んでいたので、メンバーの中に車を持っている仲間がいないとできなかったですね。今でこそ1人でもVJをやれる環境になっていますが。毎週末どこかに呼ばれてVJをやっていたので体力勝負だったし、美大生だから作品のプレゼン期間もあったので、7人のメンバーが入れ替わりでわいわい現場に行く、みたいな感じで活動してました。僕はこの活動が大好きだったので、全現場に行って必ずフェーダーを握ってました。卒業式の前日も朝までパーティで、寝過ごしちゃって式が終わってた!ってくらい没頭してましたね(笑)。

そもそも1980年代後半頃から日本のエンタテインメントやクラブシーンには、VJの礎となるような活動をしている人たちもいて、活躍されていました。DEVICEGIRLSを始めた大学生の頃に、ちょうどVJのブームが来たんです。僕たちも当時は雑誌の表紙になったりとか、「トゥナイト2」というテレビ番組のクラブ潜入取材で取り上げられたり、なぜか少し注目された(笑)。この頃は渋谷や西新宿にレコードショップがたくさんあって、僕もお金がないのにディグりに行き倒してましたね。その時期にあったたくさんの時間と、止めどない雑多な知識欲は、初めて絵を付けるDJやアーティストへの対応力などに、今とても生かされてると思うので無駄じゃなかったです。

当時、特に影響や刺激を受けた映像は、Underworldのメンバーが所属するデザイン集団・Tomatoの作品でした。中でも「洗濯機のホースにカメラを突っ込んで撮る」「透明なセルにプリントアウトしたグラフィックを手で動かす」みたいなハンドメイドでアナログな手法からできている作品を知り、イマジネーションが広がったんです。もともと筆と鉛筆でしか絵を描いていなかった僕は、VJを始めた当時CGを作るスキルをあまり持ちあわせていなかったんですが、Tomatoのスタンスを通じて、「映像の作り方って制約なく自由でいいんだな」と一気に許しを得た気がしました。そこからVJプレイをすることも映像ネタを作ることもより楽しくなっていきましたね。

石野卓球さんと初めて会ったのは、1998年にTOBYさんのパーティでVJをやってたときでした。「うわ、メディアで見たことある人だ!」と思いつつ、そのときは会話をした記憶があまりないんですが、ある日「ソロライブをやるからVJをやってほしい」と連絡が来て、2001年に東京と沖縄で開催された石野さんのソロツアー「カラオケナイトスクープ」というライブ形式でのツアーに参加することになったんです。僕らも初めてのライブ形式のツアーで、とてつもなくうれしかったのを覚えています。このツアー以降、石野さん、電気グルーヴのおかげでいろんな経験と景色を見させていただいてます。当時石野さんが主催していた屋内レイブ「WIRE」も2003年からメインフロアを担当させてもらえるようになりました。

お客さんからしたらVJの映像というのは、アーティストの作品の一部に見えてしまうものなので、今のイメージをどうしたいのか、アーティストの意向を汲み取り増幅させるのが僕の役目だと思ってます。アーティストは本番中に背後の映像が見えないので、より責任感を持たなければとも思っています。事前に打ち合わせもないことが主ですし、あらかじめ決められたものを流すわけでもないので、映像素材の下準備はギリギリまで用意するようにしていますね。VJは主張の加減が難しいのですが、キャリアを重ねていくうちにその押し引きのバランスを汲み取れるようになった気がします。ご本人は覚えてないと思うんですけど、ある日、石野さんがふと「代わりが効かなくなった」って僕に言ってくれたんです。VJをやっていて、一番うれしかった言葉ですね。このとき以降、ほかのお仕事でも誰に対してでもこんなふうに思われたいというのが、自分にとっての明確な目標になりました。まあでも、たまに調子に乗りすぎてしまうんですけど(笑)。

2003年から2013年の10年間VJを担当した「WIRE」が、1年の中で最もヘビーであり充実感のあるイベントでした。勝手に寝ずに54時間稼働し続けて燃え尽きてました(笑)。18:00から翌朝6:00過ぎまで12時間ぶっ続けでのVJプレイに加え、前日は徹夜でVJ素材を制作し続けていたので。「WIRE」では海外の名だたるトップDJたちが出演している中で、そこにVJとして毎年携わらせてもらうという光栄すぎる経験ができました。いろんな方に尽力してもらいましたね。こちらの動画は「WIRE」の最終年のダイジェスト映像にはなりますが、VJプレイも一部ご覧いただけます。

ちなみに「明らかに昨年と映像変わってるぞ!とお客さんに思ってもらえるような映像素材を作れないかな?」というところから発想したのが、“WIREガール”でした。これは、ラウンドガールのような女性が現在プレイ中のDJの名前が書かれたパネルを持ってLEDスクリーンに登場するというコンテンツです。毎年「今年はどんな“WIREガール”だろう?」とお客さんに期待していただけるようにまでなったのがうれしかったですね。

コンサート現場で学んだ完成されたショーエンタテインメント

大学を卒業したあとは、DEVICEGIRLSの活動をしながら、石井竜也さんの事務所でデザイナーとして2年ほど働かせてもらいました。そこでは、CDやツアーパンフ、グッズ、ファンクラブ会報とかのデザインをさせてもらってたんです。ここでも音楽業界のクリエイティブを学ばせてもらいました。そこを辞めてしばらく経った頃、その事務所で一緒に働いていた方と街中でばったり会って、「今、本間昭光さんのマネージャーをやってるんだけど、プロデュースしているポルノグラフィティのライブに映像演出を入れたい」という話をしてもらって。「そういえば和田くん、VJやってたよね?」って言われて、そのご縁があってポルノグラフィティの2004年のツアー「5th Anniversary Special Live "PURPLE'S"」に参加することになったんです。「WIRE」でアリーナクラスの会場でのVJは経験してましたが、初めて大規模なコンサートスタイルの映像演出に加わったのが、このライブでした。

このときは「クラブでやってるようなことをやってほしい」みたいな感じだったので、意向を汲み取りつつ自由度高めでやってたんですけど、そこで僕が見たのは「もう充分に完成している素晴らしいショーのように見えていても、さらに良くなるようにストイックに修正を繰り返し、クオリティを突き詰めていくのが当たり前の世界」でした。僕以外のスタッフ、照明さんや演出を主とした全セクションが、1拍ごとの細かさで書かれたキューシートを見ながら動いていて。それまで僕はクラブでVJをやるときには、外音だけを聴きながら自分の感覚で「ウェーイ!」ってノリでやっていたけど、大勢の人が関わるライブではたくさんのスタッフが全員で同じ演出を成功させようとしていた。例えば音がミュートされて照明も全部消えた瞬間に、僕だけが1拍遅れて映像を残してスクリーンを光らせていたら、演出意図を台無しにしてしまうわけです。演出セクションの皆さんはそれぞれ専門の会社で経験を積んでから現場に入ってる中で、僕のようなストリート上がりの奴がいきなりその世界に放り込まれた状態なのに、そんな僕たちをプロデューサーさんもよく使ってくださったなとありがたく思っています。

このときにはDEVICEGIRLSとしてのVJ活動は僕1人でやっていましたが、「もっとちゃんとやらなきゃダメだ」と思い、信頼していた元メンバーに相談をし、映像制作会社として仕事を請け負うようになりました。それが今の会社LAPTHOD(ラプソッド)の始まりです。ポルノグラフィティの演出セクションの皆さんは長いツアーの間、終演後毎日遅くまで照明を直したり演出に手を加えたりというのをずーっと当たり前のようにやっていて。1つのショーエンタテインメントを作り上げるのにここまでやるもんなんだと思い知りました。そういう大事なことに気付けたキャリアスタートとなる現場がここでよかったなと思っています。

こちらは弊社LAPTHODが2012年より携わらせていただいているKREVAさんの今年のコンサート現場の模様です。オープニング演出映像を制作しました。今年は「無観客でありながら例年と同規模の会場にて開催される大型“生”配信フェス」というスタイルで行われました。配信限定ライブの場合、会場が明かされないことが多く、お客さんたちはどんな会場でライブを行なうか知らないので、出演者が横並びに登場した背景のスクリーンが一気に振り落とされると、その後ろに壮大な会場の景色が見えるという演出にしました。現場で配信画面を観ながら、想像を超えた画に感動しました。

デザイナー的な考え方と映画監督的な考え方、VJにとってはどちらも必要

もちろん、空気を読んで即興的にやることがVJにとっては大事なことで魅力でも醍醐味でもあります。自由度が高いクラブ、決めごとが突き詰められるコンサート。僕はどっちの現場にも携われているからこそ、コンサート現場で学んだ“完成されたショーエンタテインメントのスキル“をクラブに持ち帰り、今度はクラブで経験した“新しくて自由な実験の成果“をコンサート現場に持ち込めたらと思っています。そのバランスや経験を一番生かせるのが、自分にとっては電気グルーヴの現場なんです。“ノリではやれない揺るぎない確固たる部分”と、“ノリこそが大事で自由な部分”を併せ持たないといけない。加えてクラブで踊る人のマインドも必要で。これはもともと僕自身、踊るのが好きなので勝手に備わっていましたが(笑)。

クラブでVJをするときは、ものすごい数の映像アーカイブを用意しています。「動きが速いもの」「強さを感じるもの」「柔らかいもの」みたいに分類して。それを僕の主観で音に合わせて流していく感じですね。「この音なら踊っているときに、こんな映像が流れていたら気持ちいいだろうな」とか。あとは、例えば「照明がバキバキだから僕もテンションがそろう映像で合わせるぞ」みたいに空間のことも考慮したり、「今は何時頃かな?」という全体の時間軸も気にしています。だから主観と客観を両方持っていなきゃいけないんです。VJの主観がお客さんの感覚とかけ離れてしまったら盛り上がらないし、お客さんは同じ音楽を聴いても人それぞれ違うイメージを持っているから、そのさじ加減を大事にしています。そこを意識しながらも、つい僕は流す映像の1つひとつに意味を持たせたがりなんで、困ったもんです(笑)。

VJにとっては、「このコップの縁がもう少し薄いと飲み口が気持ちいいだろうな」みたいに人の気持ちを汲み取って、より良くしようとするデザイナー的な考え方と、自分がグッとくるもので世界観を表現する映画監督的な考え方と、どちらも必要なんだと思います。デザイナー的な意識だけでやっているとお客さんの記憶には残りにくいですし、映画監督的な意識だけだと主張しすぎてしまう。クラブでのVJの映像って、パッケージ化されるわけでもないし、記録として残らないじゃないですか。例えばDJだったら「今日はあの曲がひさびさにかかった」とか「あの曲すごくよかったけどなんだったんだろう?」みたいにお客さんの記憶に残りやすいと思う。それがVJの場合、クラブでは気持ちよかったかもしれないけど、映像の記憶として残りづらいんじゃないかと思っていて。思い返したときに「なんかホヤホヤしたものが流れてた気がする」みたいな(笑)。だから、なんか爪痕を残せないかなということは常に思いながら仕込んでいます。単にカッコいいだけの映像じゃなくて、「あのときの映像、なんか頭から離れないよね」と語られるような、何かしら記憶と体験を持って帰ってもらえたらいいなって。ま、カッコいいだけの映像で勝負できないってのもあるんですけどね!(笑)

ちなみに僕は、DJが突然飛び道具のような曲を流したときも、それに合わせたリアクションをすぐにできるようにしておきたい。だから、次にいつその曲が流れるかわからないけれど、そのときのために映像を作っておいています。自分が勝手に準備しているので日の目を見ないこともあるのは前提の上で(笑)。たぶん僕は、お客さんにもアーティストにも、ニヤッてしてもらいたいという気持ちが強いんでしょうね。というのも、人の誕生日プレゼントを考えるのがすごい好きで、無難なものを人にあげるのが嫌な気質なんです。「え、マジ!?」って相手が驚いてくれるようなプレゼントがないか、考えまくります。

仕事に対するマインドもそういうところがあって、初めてご一緒するアーティストさんの、いちファンになった気持ちでプロファイリングするんです。例えば、根底にオマージュされているものを汲み取ってグラフィックにしれっと落とし込んだり、ファンの人がライブ中にする手の振りにモーションを合わせたり。それで会場が盛り上がったら自分もうれしくなるし、それって誕生日プレゼントを考えてるときの感覚と一緒だなと思ってます。

基本、電気グルーヴでのVJ映像はどんな内容にするかお任せしていただいているのですが、この「お母さん、僕たち映画になったよ。」というライブあたりから、ステージ上にどんな映像スクリーン機構を設けるのかも、まずはアイデアレベルから提案させていただくようになりました。僕の最初の突飛もないアイデアをコンサート演出の諸先輩方と共によりよく現実的な演出プランに落とし込んでいく作業は、すべてが勉強になっています。このときは「とにかくステージの横幅いっぱいに映像を出したい!」と希望した記憶があります。この映像スクリーン機構の上には登れるようになっているんです。スリットのあるLEDスクリーンをパズルのように扱ったりして、かなり派手に映像で遊べました。

印象に残っているのはFUJI ROCK FESTIVALでの電気グルーヴのVJ

一番印象に残ってる仕事はやっぱり「FUJI ROCK FESTIVAL」での電気グルーヴのVJですね。特に2014年のライブは初めてメインステージであるGREEN STAGEでVJをしたので、心臓バクバクでした。ちなみに、このときのライブの模様は映画「DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~」の軸にもなっているんですが、この映画の中にはフジロックが初開催された1997年の電気のライブも映っていて、実はその観客の中に大学時代の自分もいるんです。映画を観ているときに昔の自分と今の自分がスクリーンを挟んで向かい合っていて、不思議な感覚になりました。あの頃、お客さんとしてフジロックにも電気のライブにも行っていた自分が、こうして長く携わらせていただいているなんてありがたいなと改めて思いました。自分はVJをたまたま早く始められてただけなんですけどね。恵まれてます。

フジロックではRED MARQUEEステージ夜の部のVJも担当しているんですが、個人的には昨年の石野さんのDJで電気グルーヴの「虹」が流れたときの、お客さんもスタッフもVJである自分も一体感と多幸感に包まれた時間が忘れられないです。みんな笑いながら泣いてる感じでした。この感覚は、今年の5月5日にSUPER DOMMUNEで配信された、電気グルーヴの楽曲をプレイしている過去の番組の映像にVJをかぶせたときにも感じられました。「虹」が流れた際にYouTubeのチャットに流れる多くの視聴者の皆さんからのコメントや虹のアイコンを、その場で取り込んでVJ素材として昇華できたときに、「配信という環境でもお客さんとの一体感は生まれるものなのだな」と驚きました。コロナ禍で閉塞感がある中でも、演者しかいない会場と各地さまざまな場所で観ている視聴者の皆さんとで一体感を味わえたこと、離れた場所にいてもつながりを実感できたことに高揚感を覚えました。もちろん、大勢のお客さんと同じ場所で一緒に味わうことには及びませんが、これも1つの形として進化する可能性は感じました。それでもやはり少しでも早く、多くのお客さんと同じ場所で楽しめる日が来ることを願わずにいられないです。

2017年のライブツアーでは、複数の縦型LEDスクリーンの置き位置を手前と奥で差を付けることにより、ステージの奥行をより感じてもらえるような演出プランを考えました。実は途中でさらにもう一段階、透過性のあるメッシュ幕を登場させて、前面から別映像の素材を投影し、映像のレイヤーが重なる世界を作ってみたりもしたんです。その映像が投影された幕の中にステージ上の演者が完全に入った状態でパフォーマンスしたりと、全編を通していくつも違うシーンを作ることができたので、ぜひDVDを購入してご覧いただきたいです!(笑)。

前年のツアーの映像演出が“奥行感”だったのに対し、翌年のツアー「クラーケン鷹」は“浮遊感”をコンセプトにしました。映像が空間に浮かんでいるように見せたくて、LEDスクリーンを輪のようにして吊るしました。この形状を使ってどう効果的に映像を観せられるのか、演出プランを考えて制作するのはとても楽しかったです。各セクションのご尽力により、LEDスクリーンが上下に可動するという仕組みが叶ったので、ここでもいろんなシーンを作ることができました。

VJは今、コロナ以前の興奮や価値を違う形で模索している

VJや映像演出の仕事をしていることで、MVのディレクターやCDジャケットなどグラフィックのお仕事も声を掛けていただく機会があったりするんですが、MVもVJや映像演出と同じマインドで作っています。僕は誰にも気付かれないレベルであっても遊び心を入れたがりなんです。例えばグループ魂「彦摩呂」のMVだったら、彦摩呂さんは元・幕末塾だから踊ってもらいたいなとか、食レポ中のお店の壁に貼ってあるお酒のポスターの人物が楳図かずおさんになっていたら面白いんじゃないかとか(笑)。宮藤官九郎さんをはじめ、審美眼や知識を持ったアーティストの皆さんとお仕事をさせていただく機会も多いので、いつもドキドキです。そういうときに役立っているのが、前述した一見無駄だと思っていた、子供のころからの雑多な知識欲ですね。

彦摩呂さんにはやっぱり食レポしてもらわないと!ということで、「彦摩呂」のMVは食レポとMVをマッシュアップしたような感じにしました。子供の頃にあこがれていたテレビ番組を作っているようで楽しかったです。歌唱シーンをどうしようと考えたときに、なぜかEMF(1990年に「Unbelievable」が全米1位になったイギリスのロックバンド)が頭の中に浮かんだので、シチュエーションはEMFのMVのようにムービングライトの中にしたかったんです。楽器と料理のリンクというテーマもあったので、彦摩呂さんが持つ“バーベキュー串”と似た楽器を考えて、グループ魂の港カヲルさんが持つ楽器は、EMFのイメージ=マッドチェスターから派生してThe Stone Rosesのイアン・ブラウンが持ってる“スティックタンバリン”にすることを思い付きました(笑)。

奥田民生さんの「サテスハクション」は、リリックビデオなのでアラビアンっぽい日本語をデザインするということに全制作時間の半分くらいを費やしました(笑)。このご縁から、先日終了した民生さんのライブツアー「ひとり股旅2020」の配信カウントダウン映像も作らせていただきました。

僕がVJを始めて以降、映像機材は著しく進化して小型化し、PCで映像を感覚的に送出できるアプリケーションが出始め、映像をDJライクに扱えるようになるなど、VJを取り巻く環境が大きく変わりました。そして今は、そのときと同じかそれ以上に表現の幅がすごい勢いで広がってきている時期だと思います。配信やオンライン上でのライブエンタテインメントが増え、制限がある中でも、関わるすべての演出セクションがコロナ以前の興奮や価値を違う形で模索しています。VJという役割も、これまでのVJという言葉に収まりきらない広義な存在になってきていて、とんでもなく面白いアプローチや凄い世界を作る人がたくさん出てきていて自分も刺激を受けています。オンライン上で個人でライブを楽しむときも、いずれまた会場に大勢で集まれるようになって一緒にライブを楽しむときも、アーティストの後ろにある映像演出やVJにも気にかけてみてもらえたらうれしいですね。って僕みたいなもんが言うのはおこがましいですけど!

DEVICEGIRLSが影響を受けた映像作品

Underworld「Footwear Repairs By Craftsmen at Competitive Price」(1998年)

文中でも話していますが、めっちゃ影響を受けた作品集です。観倒してボロボロ(笑)。界隈の方にとってはベタでしょうが、僕にとってはエバーグリーン。プロモーションビデオというよりもビデオアートとして成り立っていて、偶然性を紡いでリズムを作っていく手法とか、ずっとイマジネーションの基になっています。この作品の影響で、いまだに東急ハンズで変な素材を見つけては「これ、なんかの映像ネタになるかな?」と集めてたりしますね。「自宅で撮影した炭酸水」「偶然撮れたノイズ」といった素材を映像ネタ化して巨大なLEDスクリーンに表示して、それを大勢の人が見て盛り上がってくれたりするのは確信犯的でゾクゾクしますし、インスタレーションのときに感じたポテンシャルを引き出す感覚に近いと思っています。映像の作り手であるTomatoと音楽の作り手であるUnderworldとがシームレスに関係してるというスタンスも素敵です。

セリーヌ・ディオン「Live in Las Vegas: A New Day...」(2007年)

セリーヌ・ディオンがラスベガスでやった長期公演のDVDです。このために建設されたデカい劇場で、数年間にわたって行われた伝説のショーです。当時お仕事させていただいていたポルノグラフィティやPerfumeの演出チームの人たちがこれを観に行ってて、「本当にすごいから観に行ったほうがいいよ」ってオススメされたので、一緒に会社をやっている映像クリエイターの堀とラスベガスに行ったんですよ。そしたら行った期間にちょうどやってなくて。代わりにシルク・ドゥ・ソレイユとか「オペラ座の怪人」を観て帰ってきました(笑)。

これを観ると「セリーヌ・ディオンって『タイタニック』の人でしょ?」みたいなイメージがマジで打ち砕かれます。舞台上の映像が「スクリーンに流れるもの」という概念に収まってなくて、情景と一体化してるようなんです。ダンサーたちがバッと動いて正確にピタッと止まるその陣形すらも含めて、客席から見えるすべてがデザインされた景色の一部って感じで。本当に素晴らしいショーです。こういった完成されたショーエンタテインメントと、決めごとの少ないクラブVJは一見対極に見えますが、映像演出によってお客さんに盛り上がってもらうことを目指しているのは同じなので、僕はどちらも突き詰めていきたいと思います。

DEVICEGIRLSの今後のVJスケジュール

電気グルーヴの1年9カ月ぶりのライブにてVJを担当。

配信ライブ「FROM THE FLOOR ~前略、床の上より~」

2020年12月5日(土)20:00~

ファンクラブ「DENKI GROOVE CUSTOMER CLUB」会員限定で配信。
視聴チケットは12月8日18:00まで発売。チケット購入者は12月8日23:59までアーカイブ映像を視聴可能。
詳しくはこちら