世界中で6200万世帯が観た『クイーンズ・ギャンビット』 王道チェスドラマが大ヒットとなった理由
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Netflixのドラマシリーズ『クイーンズ・ギャンビット』は、10月23日の配信開始より約1ヶ月間で全世界の6200万世帯で視聴され、アメリカ、イギリス、ロシア、香港、フランス、台湾、オーストラリアなど92の国でTOP10ランキングに入り、イギリス、アルゼンチン、イスラエル、南アフリカなど、63の国ではランキングの1位に輝いた。Netflixは2020年2月から各国のTOP10作品をランキングで発表しており、そのランキングの統計を取っているFlixpatrolによると、現在も多くの国でTOP10入りしている(参考:The Queen’s Gambit [2020] | FlixPatrol)。
Netflixのランキングは2分以上鑑賞した世帯をカウントしているが、米国のニールセンによる総視聴時間数によるランキングでも、10月最終週の1位を記録している(参考:Top 10s: TV Ratings, Video Games, SVOD | Nielsen)。
『クイーンズ・ギャンビット』は全7話のミニシリーズで、孤児の少女がチェスを覚え、やがて世界を相手にたったひとりで戦いを挑んでいく物語。M・ナイト・シャマランの『スプリット』(2017年)、『ミスター・ガラス』(2019年)のアニャ・テイラー=ジョイが主人公のベスを演じ、彼女を養子に迎える義母には、『ある女流作家の罪と罰』(2018年)、『幸せへのまわり道』(2019年)を監督したマリエル・ヘラーが女優として扮している。約37年前に出版されたウォルター・テヴィスの小説を原作に、『マイノリティ・レポート』(2002年、スティーヴン・スピルバーグ監督)、『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)、『LOGAN/ローガン』(2017年、ともにジェームズ・マンゴールド監督)などで脚本家として活躍してきたスコット・フランクが監督と脚本を手がけている。プロデューサーのウィリアム・ホーバーグによると、2000年ごろから映画化に向けて動いていたところ、監督として参加するはずだったヒース・レジャーの急逝により頓挫してしまった。その後テレビシリーズとして企画が動き出し、『クイーンズ・ギャンビット』と同じく全7話のミニシリーズ『ゴッドレス -神の消えた町-』(Netflixにて配信中)で監督・脚本を務めていたスコット・フランクに白羽の矢を立てたのだそうだ。
チェスが中心にある物語だが、フォーカスされるのはゲームや戦術ではなく、天才少女ベスの力強いキャラクターと、60年代のミッドセンチュリーを見事に再現した美しい衣装と美術、そして『The OA』や『ゴッドレス -神の消えた町-』のスティーブン・メイズラーによるメリハリの利いた撮影。天涯孤独だった少女がチェスという武器を得て、アル中の義母の不器用な愛情や一歩も譲らないガチのチェス対戦を交えた相手との友情を築くさまが描かれる。ベスが全米各地の大会を勝ち抜き、やがてメキシコシティ、パリやモスクワといった都市に降り立つたびに、ファッションが洗練されていくのも見どころだ。現在はコロナウイルスのパンデミックにより休館中だが、ブルックリン美術館で開かれている衣装展の模様はオンラインで見ることができる(12月13日まで無料)。
今年Netflixで人気を博した『タイガーキング:ブリーダーは虎より強者?!』や『エミリー、パリへ行く』や『コブラ会』といった作品と異なる、『クイーンズ・ギャンビット』の世界的人気はどこから来ているのだろうか? Netflixのレコメンド機能は、同社が持つ1億9500万人の会員データによって生み出されたアルゴリズムによって各自のインターフェースに表示される。配信開始時などはNetflixが強力に推す作品も瞬間風速的には表示されるが、多くは今までの視聴データと、年齢や性別ではなく同じような視聴傾向を持つクラスターに属する会員が観ている作品が表示される。米Business Insiderの記事(参考:Data shows how Netflix’s ‘Queen’s Gambit’ became a word-of-mouth hit – Business Insider)によると、データ企業Parrot Analysis の視聴需要データを使った考察では、NetflixでTOP10入りするような作品は配信開始とともに人気に火がつき、瞬時にランキングを駆け上がる傾向にあるという。だが『クイーンズ・ギャンビット』の場合、登場週は10位に留まっていたがだんだんと視聴数を獲得し、ひと月かけて需要を高めていった。これは明らかに口コミによる拡散の動きで、作品の高評価と1シーズン7話というコンパクトなシリーズ、チェスという誰もが知ってはいるが詳しくはない題材という点が人々の口上に登ったのだろう。ソーシャル・ディスタンス推奨中の現在はSNSやテキストでの拡散だったかもしれない。口コミで世界中にヒットが広がっていくバイラルは、ウイルスが飛沫によって拡散していったことを思い起こさせ、なんとも2020年らしい現象だ。確かに、『クイーンズ・ギャンビット』が配信開始された10月末から数週間経ったころ、何人もの人から『おすすめ!』と言われた覚えがある。その誰もが、『チェスには詳しくないんだけど』と決まったように前置きした上でレコメンドしていたのもおもしろい。チェスのような頭脳を使うゲームは、知的コンプレックスを刺激するからかもしれない。
アメリカでは、11月初旬の大統領選、そして現在の新型コロナの再流行を経て一種の社会現象と言える状況になっている。原作小説は出版から37年経った現在ニューヨーク・タイムズのベストセラー入り、チェスの売り上げも劇的に伸び、オンラインチェスサイトchess.comの新規会員数は5倍に増えたという。チェスのルールや戦術に明るくなくてもドラマを存分に楽しめるが、最終話を観終わる頃にはチェスへの興味が増すため、このような二次行動を生んでいるのだろう。2000年代からアメリカで重要視されているSTEM教育(Science(科学)、Technology(技術)、 Engineering(工学)、Mathematics(数学)の教育分野の総称)にチェスを取り入れる学校もあり、潜在的なポテンシャルが高まっているところに、何も持たない少女が頭脳だけで世界を渡り歩くドラマがぴったりハマった。そして、全7話で完走しやすいシリーズ、奇をてらうことなくカタルシスに向かってまっすぐに進んでいく物語が、終わりの見えないパンデミックの最中にいる世界中の人々の心に癒しを与えたのだ。
チェスが根付いている欧米ロシア以外でも、台湾、香港、韓国および東南アジアの国々では配信当初からTOP10入りしている。だが、日本だけは11月28日にようやく10位、そして30日に8位と世界から1ヶ月遅れながらようやく注目を集め始めたところだ。12月4日現在、Flixpatrolがデータを集計している101カ国中、80カ国では39日~41日間ランキング入りしているところ、セルビアとルクセンブルグが25日間、そして日本では2日間ランキングに登場している。日本の視聴者はアルゴリズムではなく、観たい作品を検索して観る傾向にあると言われているが、ランキングはずっと代わり映えのしない作品が並んでいる。日本ではチェスが浸透していないからという言い訳も、他のアジアの国々でのヒットを見ると的外れなような気もする。この世界的大ブームにも惑わされることなく、日本だけが独自路線を突っ走っていることがおもしろくもあり、データ企業Netflixにとっては研究のしがいのある国として認識されていることだろう。
■平井伊都子
ロサンゼルス在住映画ライター。在ロサンゼルス総領事館にて3年間の任期付外交官を経て、映画業界に復帰。
■配信情報
『クイーンズ・ギャンビット』
Netflixにて独占配信中
THE QUEEN’S GAMBIT Cr. PHIL BRAY/NETFLIX (c)2020