アニメにおける「映画とは何か」という問い 2020年を振り返るアニメ評論家座談会【後編】
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2020年のアニメ界を振り返るために、レギュラー執筆陣より、アニメ評論家の藤津亮太氏、映画ライターの杉本穂高氏、批評家・跡見学園女子大学文学部専任講師の渡邉大輔氏を迎えて、座談会を開催した(2020年12月某日収録)。
『鬼滅の刃』現象、ジャンプアニメについて掘り下げた前編(『鬼滅の刃』大ヒットと『ジャンプ』アニメの隆盛 2020年を振り返るアニメ評論家座談会【前編】)に続き、後編では、近年数を増やしているリブート企画の盛り上がり、2020年に活躍した作家にフォーカスをし、語り合ってもらった。(編集部)
加速するコンテンツのリビルド
――2020年に限らないかもしれませんが、この1年は『魔女見習いをさがして』など過去の作品のリブート企画が目立った年でもありました。
藤津亮太(以下、藤津):アニメ市場における、ソフトなどにお金を払えるメインターゲットが30代後半からアラフォーぐらいになってきているんですよね。だから90年代から2000 年ごろにかけて、原作漫画の連載と並走してアニメを放送していた作品を改めて、最終回まできちんとプラン立てて送り出そうという企画が、数年前から出てきているのは確かです。おそらく、OVAとして制作された『うしおととら』や『ジョジョの奇妙な冒険』、時期的には少し前になる『BANANA FISH』といった作品もその枠に入っていて。その流れの中に、『ダイの大冒険』や『デジモンアドベンチャー』といったよりターゲットが広い作品が作られていく流れがあると思います。で、そういう傾向を前提として、僕はそれだけではない理由もあると思っていて。ある一時期人気を得た作品の“作品寿命”が伸ばす意味もあるのかなと。昔は連載が終わったら、作品寿命がそこで終わりだったけれど、ポテンシャルがある作品であれば、うまく今の人に届けば、新たな形でファンを引き付けることができるのではという狙いもあると思うんです。特に『デジモン』や『ダイの大冒険』などは、何らかの形で長く愛されていくものにしたいと。
杉本穂高(以下、杉本):親子2世代コンテンツとして、作品を広げることもできますよね。
藤津:『ダイの大冒険』などは、かなりうまくリーチしていますよね。知り合いのライターさんの未就学のお子さんが普通にはまっているそうです。
杉本:逆に今は、子どもの数自体が少ないので、親世代にも訴求できるタイトルじゃないと、子ども向けのコンテンツはなかなか企画を立てにくいんだろうなという気もしています。
藤津:あと、小学生はやっぱりYouTubeを見ている子が多く、昔よりもアニメから早く卒業するようになったんですよ。かつてテレビの前に座っていた昭和の子どもの行動が、そのままYouTubeに移り変わっている感じがします。
杉本:ブシロードの木谷高明社長が、子ども向けの新規タイトルの立ち上げは、かつてのテレビのような力がないと相当に難しい、みんなYouTubeを小さい時から見ている、という話をインタビューでされていました。そして、若い世代と40代のマーケットサイズを比べるとかなり差があると言うんです。木谷社長曰く、「20代と40代のお金の使い方と人口比を考えると、40代のマーケットは20代の4倍ある。そこが取れないと大ヒットはならない」そうです。リブート企画の多さはその40代にも訴求したいということですよね(参照:80年代懐メロで20代も40代も取る ブシロード新作は「DJ」で勝負|日経 X TREND)。
渡邉大輔(以下、渡邉):リブートということではないですが、たとえばゼロ年代の第1次韓流ブームの時点でも、『冬のソナタ』の物語が当時の主婦層に受けた背景として、70年代くらいのテレビのメロドラマとの類似性が既に指摘されていました。その意味では、おそらくそのころから旧世代にも刺さるコンテンツの重要性は意識され始めていたのかなと思います。また、リブート企画でいうと、私のゼミでは卒業論文のテーマも含め、リメイクアニメに関心を持つ学生が2018年くらいからちらほら出てきていますね。ですので、今の学生のアンテナにはもう3年前から、アニメのリメイクの盛り上がりが引っかかっているのかなと。
また、私も論考を寄稿した『リメイク映画の創造力』という映画のリメイクについての論文集が2017年にすでに出ています。映画研究の領域でも、国内外でここ数年、これまでほぼ手付かずだったリメイクの問題が急速に注目を浴びているんですね。なぜいまこんなにリメイクが盛り上がっているのか理由を考えていくと、ひとつは話に出ているように、どんどん趣味が細分化していく中で、より広い間口のターゲットをつかむため。もう一つもやはりもう話に出ているYouTubeの登場だと思うんですね。今の若い子ほどYouTubeを見ているので、ふとしたきっかけで、過去の名作を知るという機会が私たちの世代より格段に増えています。そういう意味で、過去の作品のリメイクやリブートがやりやすくなっているというのはあると思います。あと最近は、まさにYouTuberやTikTokの動画からお笑いのリズムネタ、ゲームのリプレイまで、まったく観たことのない新しいものよりは、既に観られている作品や、既に観たことがあり、安心できるもの、繰り返し観たくなるものへの評価が高くなっている感じがします。文化消費の反復性と関係しているのでしょうが、何度もループしたり反復したりする中で、コンテンツや演出の微妙なズレこそを楽しむようになっている。文化消費のあり方そのものが、リメイク的、リブート的になっていように感じます。
杉本:映画市場でリメイク企画の増加の要因は何だと考えられているのですか?
渡邉:『リメイク映画の創造力』では、編者のお一人である映画研究者の北村匡平さんの序章が、近年のリメイク研究の動向をよくまとめてくれていますね。たとえば近年のハリウッドのリメイクブームのきっかけとして、日本の『リング』などJホラーのリメイクがやはり大きかったようです。ハリウッドの場合は、ひとつはリスクヘッジ。すでに元の映画が存在しているということで、興行的なリスクが軽減できることと、他の国の市場で1回ヒットしている、1回テストされていることへの安心感。また、リメイクすることによって、オリジナル映画の製作国の市場の興行収入も見込める。なので、アニメの方でも、他の国でのヒットも見込んで、リメイクアニメがこれからどんどん出てくるのかなと感じます。
杉本:渡邉さんのお話にあった、新しいものよりも、どこか見たことがあるものの方が評価が高くなるという傾向は確かに近年感じますよね。
渡邉:そうなんですよ。全然見たことがないものよりは、パターン化、お約束化しているもの、何かみんなが既に知っているものの方がウケるというか。
杉本:SNSなどでのつながりを重視する共感の時代だからでしょうか。みんなが知っているものの方が盛り上がれるわけですよね。
渡邉:まさにそうだと思います。
『魔女見習いをさがして』のメタ的視点
渡邉:『魔女見習いをさがして』は、藤津さんはけっこう褒めていらっしゃったんですね。
藤津:基本的には良い映画だと思っているんですけど、これが1本の作品として成立していることは不思議に感じました。普通であれば、もっとバラバラになっちゃうはずなんです。変にリアルな部分と漫画チックな部分が混在しつつ、そこにある感情はきちんと本物っぽい感じになっている。そのいろいろ混ざっている感じが作りが普通ではないんですよ。一歩間違えると台無しになってしまう可能性が高いのに、佐藤順一監督の絶妙なバランス感覚の上で成り立っているという印象を受けました。
杉本:僕は『おジャ魔女どれみ』を観ていなかったのですが、『魔女見習いをさがして』には感動しました。現代にはコンテンツを生きる糧にしている人がたくさんいるんだということを真正面から描いた作品だったからです。人生の目標は何かと問われた時に、これまでなら恋愛の成就とか、仕事での達成感とか、社会での地位の上昇だったりしたと思うんですが、今はそこからドロップアウトしても、好きなコンテンツと気の合う仲間がいれば、自分らしく生きられるんだということをあの映画は描いていて、大変現代的なテーマだと思いました。
渡邉:今、杉本さんがおっしゃったように、私も、現代のコンテンツの受容経験の本質を象徴的に描いた作品だと思いました。あと、この作品では、『おジャ魔女どれみ』という既に20年の歴史を持つ大きなタイトルを使って、「過去のアニメの歴史や個人を超えた記憶と今の私たちがどう繋がりうるか」という問いに対して、それを自分の子どもの頃の思い出や、身体的な感覚を拠り所にして、もう一度再生することを試みるという回答を提示しているのではないかと感じました。これはアニメに限らず、映画でもそうですけど、今やYouTubeやNetflixの動画のレコメンドみたいにあらゆるコンテンツが歴史の文脈を剥ぎ取られてフラットに消費されてしまう時代に、かつてあったアニメ史や映画史の歴史的な繋がりや文脈性をどうやって継承していくかという問題が問われていると思っています。
たとえば、21世紀の映画やアニメは、『メメント』から『君の名は。』、『ファインディング・ドリー』まで、しばしば“記憶喪失”の問題を描きます。これはまさにネットやYouTubeによって観客身体からコンテンツの歴史的記憶が失われていく現状を暗示していると見ることができる。今は、“記憶喪失の時代”なんですね。それでいうと、『魔女見習いをさがして』では、広島でフリーターをやっているレイカと彼女のお父さんとの関係が出てくるじゃないですか。批評マインドでいえば、「父」というのは、まさに歴史や社会との繋がりを表しているモチーフなわけですけど(笑)、したがって、ここにはアニメの歴史とか記憶とどうか変わっていくかというテーマが隠れている。この読みがそこまで牽強付会でもないかなと思うのが、レイカ父娘は、「絵を描くこと」で結びついているわけですが、『この世界の片隅に』や『ジョゼと虎と魚たち』といった作品でも同様に絵を描くヒロインが登場するわけですけど、『この世界の片隅に』がそうだったように、これは明らかに「アニメ」そのものの隠喩と見ることができるでしょう。そういう意味で、かつてのように、アニメの大きな歴史とか、記憶にもはや繋がれないというときに、自分の子どもの頃の記憶にあったところから、過去の何か大きなものに何とかつながっていこうという模索を現代のコンテンツ消費の状況と絡めて描いた映画として、すごく興味深いと思いました。
杉本:世代の共通体験というものは、コンテンツぐらいしかないのかもしれませんね。だから、現代において、記憶を頼りに友情を育むようなストーリーは、もしかしたらコンテンツを媒介にしないと成り立たないのかもしれません。
渡邉:あと『魔女見習いをさがして』では、どれみたちが主人公の女性たちの一種のイマジナリーフレンドとして出てきますね。映画でも、2020年は『ジョジョ・ラビット』や『私をくいとめて』など、似たようなイマジナリーフレンドを描いた作品が目立ったのも個人的には気になりました。
藤津:アニメの場合は児童文学と近しいジャンルなので、イマジナリーフレンド的なものは多いですよね。しかも、もともとが子供向けの媒体からスタートしたので、成長というモチーフとの結びつきも強く、そういう意味では、『魔女見習いを探して』の場合は、イマジナリーフレンド的ではあるけれど、成長とともに見えなくなるわけではなく、どちらかというと、人生の随伴者のように描いています。
渡邉:しかも、イマジナリーフレンド的なキャラクターって、まさに『おジャ魔女どれみ』のような魔法少女アニメに伝統的に必ず出てくる。なので、『魔女見習いをさがして』自体が、ある種の「メタ魔法少女アニメ」みたいになっているんですよね。そこも面白い。
藤津:『魔女見習いを探して』は、企画した側は、そんなにメタ的なものを狙ったわけではないと思うんですよね。もう少しシンプルに、かつて『おジャ魔女どれみ』を観た人たちにいま何を作るかということを考えた結果として、メタ的というか、観客を照らし返す作品になったのは面白かったと思います。
「一生に一度は、映画館でジブリを。」
渡邉:コンテンツの需要供給ということでいうと、2020年のアニメ界隈のトピックとして、「一生に一度は、映画館でジブリを。」というコロナ禍でのジブリ作品のリバイバル上映企画も挙げられると思います。……しかしこの企画、裏を返せば、今の日本ではもう「映画館でジブリを観たことがない人たち」が既に一定数いるということでもあるわけであって、時代の曲がり角を感じましたね。これは実際に、ジブリをテーマにした大学の講義でも、ここ数年感じています。授業のコメントシートでも、「ジブリを1作も観たことがありません」という学生がどんどん増えてきている。
また、「観たことないんですけど、『となりのトトロ』って狭山事件をモデルにしているんですよね? まとめサイトで読みました」という感想もすごく多い(笑)。もちろん、『トトロ』と狭山事件の関係は単なる都市伝説なわけですけど、つまり、今や20歳以下くらいの若者たちにとっては、もはやジブリの存在自体が「都市伝説」的なものになっているというか、フォークロアのように「実際に観たことはないけど、なんとなく日本人みんな誰でも知っているもの」になっているんですよ(笑)。確かに、『風立ちぬ』の劇場公開でさえもう8年前ですから、それも当然ですよね。私は、ジブリアニメはいわば日本人なら誰でも観ている「最後の国民的コンテンツ」というか、少なくともそういう信憑が成立する最後のコンテンツだと捉えていましたが、もうそういうものでもなくなってきている。今年のリバイバル企画は、そういうことも表していたと思いました。
藤津:もはや『白雪姫』とかそういった昔話の仲間に入ってしまっているんですね。「聞いたことないけど、『浦島太郎』のあらすじは言えます」みたいな(笑)。
渡邉:まさにそうなんです(笑)。
藤津:スタジオジブリが配信をやっていないですからね。若い人はアクセスできないんでしょうね。ブルーレイは買わないだろうし。『千と千尋の神隠し』は、リバイバル上映があって、『鬼滅の刃』に抜かれるかもという土壇場で興行収入の積み増しがあったりしましたが(笑)、改めて今きちんとお客さんが入ったというのもすごいです。
杉本:この状況下で8億円稼いだというのは、相当にすごいと思います。
藤津:それでいうと、『未来少年コナン』の再放送もありました。これも、コロナの影響で新番組が放送できず、穴が開いたところを『未来少年コナン』で埋めたと。そうしたら最終回が、大阪都構想の住民投票の開票と被って、時間がズレて観れなかった人が多く出てしまった。それを受けて、後日再放送までしている。こんな厚遇で『未来少年コナン』の再放送がされて、そこそこ話題になったんですよね。配信でいろいろな作品にアクセスできるようになった時代は、新作と旧作が同じフィールドで戦う時代でもあるということが、テレビを舞台にしたことで、すごく端的に示されたなと感じました。もちろん大衆娯楽は新作の方が有利なのは間違いありませんが、古い面白い作品と競らなきゃいけないというか、選択肢に入ってくる未来を実感したなというのがひとつあります。
渡邉:まさにそうですね。先程のリブートの話もありましたが、考えてみると2020年はコロナの影響で、アニメに限らず、2005年の『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)など過去のドラマが地上波で流れ、しかも面白い作品は改めて脚光を浴びるという特別な年でしたよね。
杉本:コロナ禍で映画館は大変な状況にはなりましたけど、昔の名作に光が当たるのはいいことだと思いますし、そういう意味では良い機会になったのかなと思います。確かに、今年スタジオジブリの存在感は大きかったですね。お父さん、お母さんが小さい子を連れてたくさん見に来ていましたし、そこでまた新しい観客を作ったんじゃないかな。
映画とテレビと配信の垣根はもはや存在しない
――また、9月に公開された『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』も大きな話題になりましたね。
藤津:リアルサウンドに掲載されていた杉本さんの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のコラムは、すごく同意をしました。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の弱点みたいなところにもすっと触れている点も含めていいなと思って。でも、平常時ではないのにも関わらず、20億を超えるヒットとなったのに、対抗馬が目立ちすぎたのは少しかわいそうです。
杉本:ありがとうございます。この原作は、京都アニメーションの小説レーベル「KAエスマ文庫」から刊行されたもので、京都アニメーションのオリジナル企画と言っていいものだと思いますが、オリジナル企画のアニメ作品が20億を超えるヒットになったというのは、小説企画を公募してそこからオリジナルアニメを作って育てていくという、2010年代の京都アニメーションの事業モデルの正しさが証明されたように思います。
藤津:最近の京アニ作品の中で、特に評価が高い作品ではあったんですけど、そこはうまく期待に応えるお話だったというか、みんなが見たいものというか。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』にどういう感情を求めているかが、すごくうまく消化されていたので。しかも、ufotableと同じく、技術点が異様に高いんですよね。
杉本:技術力も大変高いですし、何より現実を忘れさせてくれるくらいに泣けるんですよね。コロナで大変な時期に大きなカタルシスを提供してくれました。リアルサウンドでも書きましたけど、「泣ける」ことは大切なことだと改めて思いました。
渡邉:僕も映画館で号泣しましたね。僕はメディア論が専門の一つということもあり、手紙と電話とか、メディアのコミュニケーションの違いから読み解くと面白い作品だなと思いました。あとは、これはたぶん誰も指摘しないことだと思いますが、実は同じ2020年に公開された岩井俊二の実写映画『ラストレター』ともテーマが重なるんです。どちらも、「手紙の代筆」が中心になる物語ですから。ちなみに、岩井俊二の映画は、京都アニメーションの映像表現にも影響を与えていると言われていますね。
藤津:要は、電話や電信が出てきて、同期メディアと非同期メディアの話ということですよね。手紙は非同期メディアで、蓋を開くとヴァイオレットの人生がわかるという、映画の仕掛けと連動していました。そこは映画で初めて設定されたテーマなので、面白かったですね。
杉本:TV版10話に登場したアンの孫娘が、アンの手紙を見つけることから物語が始まるわけですが、記憶の忘却に抗うという意味で、手紙はすごく有効なものなのだと再認識しました。今はリアルタイムメディアが強い時代ですが、クラシカルな神の手紙のありがたみが突き詰めて考え抜かれていて、それは今の世の中にも本当な大切なんじゃないかと、深く伝えてくれる、本当に良く練られた作品でした。
藤津:あと、映画でいうと、『魔女見習いをさがして』の佐藤順一監督が手がけた『泣きたい私は猫をかぶる』がNetflixで配信され、その後劇場公開になりました。佐藤監督には東京国際映画祭のアニメ系のマスタークラスに来ていただいたんですが、そこで「映画とは何か」という話が出てきたんです。そこで佐藤監督は「自分としては最終的に、“映画とはこういうものである”というのは虚妄である」という結論を自分で出して作ったという話をされていました。その作品を作っているのであって、映画という抽象概念的なものと向き合って作っているわけではないということですよね。『魔女見習いを探して』は、おそらく意識的に、テレビアニメの『おジャ魔女どれみ』のような演出が入っていたので、いわゆる映画的ではないところも多くある。だけど、それでいいんだと思ったということをお話されていたのが印象的でした。
杉本:それも前編で話が出た、映画とテレビと配信の垣根がもはや存在しないということと繋がりますね。
藤津:そうなんです。40代手前くらいの監督さんたちと座談会をしたときも、そういう意味では、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』はデラックスだけど映画っぽくないところに、みなさんインパクトを受けていて。一方で同時期に、劇場では『TENET テネット』をやっていて、あまりに正反対なものが同じ映画館でかかっていることの面白さ。映画館でかかるということの振り幅の広さ、その中でどういうものを作るかという選択肢の広さみたいなものは、やはり話題に挙がっていました。
杉本:『無限列車編』を映画っぽくないという言い方をされる方、結構いらっしゃいますね。僕はすごく映画っぽいと思ったんですけど。リアルサウンドの連載で列車をキーワードになぜこれが映画的なのを書いたんですが、映画館で見せることをきちんと意識して作られているなと思いました。
藤津:「映画とは何か」的なことですよね。『無限列車編』は僕の中では、引き算が少ないと感じていて、やはり映画は情報量のコントロールで感情をコントロールしてもらいたいと思っているので、映画っぽくはないなと。全部足し算で作っているんですけど、ufotableは音楽も含めて常に足し算なので。『Fate』もすごく足し算的な作り方をしていて、それは決してネガティブなことではないんですが、飽和攻撃みたいなところはあるなと感じています。ただ、トップレベルのデラックスなビジュアルであることは間違いなくて、それはお客さんの期待には答えているのはたしかです。
渡邉:一方で、『キネマ旬報』でインタビュー取材をした『ジョゼと虎と魚たち』のタムラコータロー監督は、掲載された記事にもあるように、逆に「映画にすること」を強く意識して作られたようです。この作品は、既に犬童一心監督による実写映画作品も有名なこともあって、それとの比較からも、取材の時は割と「今回はアニメとしてどう作ったか」というラインで質問を想定してしまっていたんですね。でも、タムラ監督は一貫して「映画を作りたかったんだ」とおっしゃっていました。それには、『おおかみこどもの雨と雪』の助監督として、細田守監督のもとで仕事をした経験が大きかったようです。細田さんはとにかく、「映画にする!」という思いの強い人で、タムラ監督は、それまで別に映画というジャンルにピンと来ていなかったらしいんですけど、細田さんとの仕事の体験が、自分の中の大きな価値転換になったということを強調してらっしゃいました。
藤津:そもそも、画角がシネスコですからね。シネスコは描き慣れている人が少ないので、レイアウトを取るのが大変だったはずなんですけど、そこは、画面設計を担当された川元利浩さんという方が要所要所を押さえているように見えます。僕も実際に映画を観て、ものすごく映画を意識している作品だなと感じました。何を見せるか何を見せないか、何を聞かせて何を聞かせないか、コントロールをすごく効かせようとしているなと。
2つの作品を送り出した湯浅政明監督
ーー2020年に印象的だった監督でいうと、湯浅政明監督も『映像研には手を出すな!』『日本沈没2020』と2本の作品が話題になりました。
杉本:サイエンスSARUを辞められて、今後どうしていくのか非常に気になりますけど、2020年も旺盛にお仕事されていました。『映像研』は素晴らしかったです。
藤津:『映像研』は、原作の読み込みと、アニメ的に面白いところが全部足されているので、すごくいいバランスだなと思いました。
杉本:一方で、『日本沈没2020』はどう思いましたか?
藤津:僕は、ゴールはいい作品だと思いました。ただ、湯浅監督は考えていることがユニークなところが魅力なので、脚本家の方でしっかりそれをキャッチした上で、うまく組み込んだほうが上手くいくと思うんです。その点、『日本沈没』の場合は、普通に考えたら観客が細かくひっかかるようなアイデアも、そのまま描いてしまっているようにも感じました。例えば、『DEVILMAN crybaby』のときは、物語に小骨が入りそうなとき、脚本の大河内一楼さんが、小骨を抜きつつ監督のやりたいことをやれるように腐心していた印象があります。なので、今回はその塩梅がうまく効いていなかったのかなと。ただ、ゴールに関してはとてもよかったと思います。『日本沈没』をいま作ると考えたときに、沈没したあとに日本の民族が世界中に散りましたというラストでいいのかということが、まずあると思うんです。そうすると、「沈没しない」という2006年版実写映画のアイデアもあるわけですが、そうではなく、沈没してもなお、日本というものがあるとしたらということを、オリンピック的なイベントと絡めて描かれていたので、すごくいいアイデアだなと思ったんです。
渡邉:僕は、湯浅さんは大好きな作家なので、基本的に、すごく点数が甘いです(笑)。確かに、ネットではいろいろ書かれていましたけど、個人的にはポジティブな感情を持ちました。リアルサウンドの円堂都司昭さんのレビューとかが指摘していたような後半の作画が崩壊していくような様子も、どんどん抽象的になって壊れていく物語の進展とすごくシンクロしている感じがしましたし。しかも、おそらく制作当初は、東日本大震災から9年、10年経って、震災以降の世界のもう一つの可能性みたいなものを描きつつ、本当だったら、堅実に東京オリンピックが現実に開かれて、物語でも東京オリンピックのラストでシンクロして終わるはずが、現実がまた反転してしまって、その東京オリンピックもコロナという災厄でその年の開催がなくなってしまった。現実とアニメがARのようにぐちゃぐちゃになるという意味では、作品の力そのものではないと思うんですけど、今年あれがNetflixで配信されて、それでこの物語かというなんとも言えない迫力はあったんですよね。
藤津:その迫力は確かにありました。
杉本:僕はまず第一に、3.11後に描かれる『日本沈没』はどんなものか、という視点で観ていたんです。前半数話で死んでいくキャラクターと、中盤から後半にかけて死んでいくキャラクターの扱い方が全然違うことが気になりました。最初の方に死ぬお父さんさんかは、無駄死にとも言えるような、偶然死んだみたいな感じですよね。他にも富士山のガスであっさり死ぬ人もいました。でも、後半になると、そういう不条理な死は鳴りを潜めて、ヒロイックな死が増えていきますよね。この扱い方の違いはなんだろうと、ずっと考えてしまったんです。僕らは、3.11を体験して、やっぱり人間の力は自然の脅威には敵わないことを痛感しました。3.11の後に個人の英雄的な行動であれだけの脅威に対抗できると考えるのは、個人的には楽観的すぎると感じてしまったんです。そういう意味では、自然の脅威の前に、物語前半で描かれた死のように延々と不条理に人が死んでいくという展開で、それでいてなお娯楽映画として成立していたら、とてつもない傑作だろうと思いますが。水木しげるさんの『総員玉砕せよ!』じゃありませんが、ほとんどの人は英雄的に死なないと思うので。
藤津:不条理な方がね。
杉本:もちろん、前半のあの調子で全10話をエンタメとしてやるのは相当難しいことはわかりますけど(笑)。でも、湯浅さんという才能は、日本の商業アニメの世界では非常に特異な存在です。2021年公開予定の『犬王』の後に充電期間に入るそうですけど、今の日本の商業アニメの市場の中で、湯浅政明という才能をどうやったら生かせるのかをきちんと考えないといけない気がしています。
藤津:2020年、海外からいろいろなアニメ映画が入ってきましたが、なぜ海外であのように作家性の強いタイプのアニメ映画が作れるかというと、日本とはビジネスの組み立て方がたぶん違うから企画が通るわけですよね。国の助成を含めていろいろな制度で、企画を支える仕組みがあるから、例えば『ウルフウォーカー』といった作品は成立している。そう考えたときに、日本でも、興行の成功を前提とした企画とは別に、多様な作品が生まれるオルタナティヴな回路があったほうがいいなと思っていて。湯浅さんはおそらくその回路があれば、もっと自由度があがって攻めていけると思うんです。世界中に湯浅さんが作るような映画を待っている人はいるはず。なので、そこに向けて、日本の国内も含めて、一緒に世界を一体化する回路を作れればいいのになと思っています。
杉本:市場の多様性に加えて、資金調達制度の多様性が必要ですね。そういう意味では、『音楽』にヒットは少し明るい材料なのかなと思います。
藤津:『音楽』も7年かかって作っているということですから、すごい手弁当ですよね。
渡邉:本当に素晴らしかったですね。
杉本:海外アニメーションの公開が増えてきていることも含めて、オルタナティブなアニメーションの市場が、国内においてもちょっとずつ増えてきている印象です。海外に市場を広げるという点では、Netflixのアニメ戦略がやはり気になるところです。
藤津:産業の成長性ですよね。
杉本:政府のクールジャパン構想で、アニメの市場がどれくらいひろがったのかよくわかりませんが、代わりにNetflixが日本のアニメ史上を広げてくれていると状況になっています。Netflixのアニメ部門チーフプロデューサーを務める桜井大樹さんのインタビューを読んだら、Netflixにおけるアニメの再生数が前年比で50%増くらいになっているらしいんですよね。でも、それは日本製のアニメだけじゃなく、『ゼウスの血』や『悪魔城ドラキュラ -キャッスルヴァニア-』のような、いわゆるアルファベットで書く「Anime」も含めてのことのようです。今年以降、フィリピン製のアニメも配信するようですし、MAPPAはアメリカ人監督と組んで制作しますから、アニメを巡って新しい流れが出てきますね(参照:日本アニメの「メジャー化」宣言、Netflixが挑むアニメ産業の“再生”の道筋|WIRED)。
藤津:思ったよりも、Netflix経由で観られているのは、ある意味驚きです。さっき言った、ローカルなものに対して、世界中に少しずつファンがいて、それがビジネスになっているのは、やはり配信が一番繋いでくれているからなんですよね。また、Netflixでいうと、洋ドラ的なものを観るのが好きな人は、日本のアニメと相性がいいんだろうなと感じます。日本のアニメは、連続ストーリーで、設定が少し凝っており、1ネタ入ってるものが多いので。とはいえ、世界中がコロナでもやもやとして配信産業が伸びているものの、Netflixだけが全額出資しているわけではないので、産業が落ち込み景気が悪くなると、アニメ産業も当然影響を受けますし、その辺りがどうなるのかは本当にわからないなと感じます。
杉本:世界の映画市場がコロナの影響で70%減という厳しい中で、配信だけが一人勝ちしている状況です。配信シフトでアニメ関連で重要な動きは、ソニーがCrunchyrollを買収したのも大きくて、ハリウッドのメジャースタジオがどんどん自前の配信サイトを持つようになってきた流れに追随しています。そこで、僕がまだわからないのは、日本アニメの市場はあとどれくらい広げられるのだろうということです。
藤津:僕の実感だと、まだ伸びしろはあると思っていて。なぜかというと、世界で日本で放送中のアニメが日常的に観られるようになったCrunchyrollとテレ東の協業から、まだ10年ぐらいしか経っていないんです。ここ3年〜5年くらいで、NetflixやAmazon Prime Videoが力を入れて、網羅的に観ることができるようになったので、まだ歴史としては短いんですよね。
杉本:2019年も引き続きアニメ産業が伸びていましたけど、まだまだ伸ばせるかもしれないということでしょうか?
藤津:ファンの数は増えるかもしれないですけど、映像がどれぐらい売れるかは、全体の経済状況に拠ってくるなと。ただ、ファンの伸びしろが十分にあるので、そういう意味では、Netflixの中でよく観られるみたいなことが起きると思うんですけど、海外の産業の中で、アニメがどれくらい稼いでくれるかはまだ未知数です。
杉本:世界中の映画館で、ハリウッド映画の供給が止まっているので、番組に大きな穴が空いているはずなんです。なので、今こそ世界に売り込んでいく時だと思います。おそらく、中国や韓国の映画館はそういうことをやっているんだろうなと思うんですけど(※大作アニメ『ナタ転生』の日本公開がこの座談会後に決定したが、ハリウッド映画のない今、映画館としては助かるだろう)、その穴埋めに日本アニメもどんどん参加していってほしいです。それはきっと将来の市場拡大につながるはずなので。
コロナ禍でアニメーションの表現に変化は生まれるのか
ーーリアルサウンドでも緊急事態宣言下にコロナが映像文化にもたらす影響について特集を組んだのですが、実際にアニメーションにどのような影響をもたらしていくのでしょうか?
藤津:制作面では、アフレコはいままでのように大勢で収録することができないので、大変だという話は聞きます。ダビングも、参加する人は最小人数で、リモートでやっている人も現れているそうです。映画は無理ですけど、テレビアニメなら大丈夫なのでしょう。一方で、アニメーターさんが家で自宅作業をするケースが増えている。デジタル作画も進んでいるみたいですけど、制作工程そのものをデジタル化しないと末端がいくらデジタルになっても意味がないということがはっきりしてきたのですが、そこはまだ移行したところが少ないという感じですね。だから、2020年は問題が明らかになった年だったということだと思います。
杉本:今のところ、内容面での大きな変化は感じていません。テレビドラマでは、コロナがある世界を舞台にした『#リモラブ ~普通の恋は邪道~』(日本テレビ系)といった作品が作られていますが、そういう動きはアニメでは起きていないですよね。
藤津:『富豪刑事 Balance:UNLIMITED』の第1話で、一瞬モブがマスクしているカットを作っていましたね。
杉本:あれはコロナを意識していたということですか?
藤津:おそらく。記憶では、土壇場で差し替えてたような画でしたし。企画が影響してくるのは、2021年以降だと思います。フィクションだから気にせずにやればいいという考え方の一方で、観ている人が違和感を持つので日常系のような作品は難しくなるのでは? という意見もあるようです。僕は、ちょっとだけズラした世界、つまりファンタジー世界の街が舞台なんだけど日常系といった作品が増えるのではないかと予想しているんですけど。
杉本:なるほど。例えるなら、異世界転生で、村人になって農業をやるようなタイプの作品ですね。
藤津:そういうテクニックで、感性はもうほぼ現代の日本だけど、設えとしてだけ異世界とすれば、マスクがなくても違和感がなくなりますよね。
杉本:直球で、コロナ禍の中で日常を描く作品はそうそう出ないですかね。
藤津:テーマにするならともかく、テーマにしないと単純に顔が見えないアニメという難しい話になってしまいますからね。まずは漫画の方でそういう作品が試しに出てきて、それをアニメ化するという流れが、まずはハードルが低いと思います。
■公開情報
『魔女見習いをさがして』
公開中
声の出演:森川葵、松井玲奈、百田夏菜子、千葉千恵巳、秋谷智子、松岡由貴、宍戸留美、宮原永海、石毛佐和、石田彰、浜野謙太、三浦翔平
原作:東堂いづみ
監督:佐藤順一、鎌谷悠
脚本:栗山緑
キャラクターデザイン・総作画監督:馬越嘉彦
プロデューサー:関弘美
アニメーション制作:東映アニメーション
配給:東映
(c)東映・東映アニメーション
公式サイト:Lookingfor-Magical-Doremi.com
おジャ魔女どれみ20周年Twitter:@Doremi_staff
おジャ魔女どれみ20周年公式Instagram:doremi_20th_anniv