NAOKIさんが日本のハードコアパンクシーンの中で教えてくれた、愛のある世界の素晴らしさ ISHIYAが綴る追悼文
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世の中に絶対はないと言われる。確かにそうなのかもしれないが、日本のハードコアパンクという世界に身を置いていると、そういった世間の常識のようなものを、どうしても受け入れられない自分がいる。
通常の学生生活や社会生活を営んでいるだけでは、到底体験することがないであろう様々な出来事が、ハードコアパンクの世界で生きる人間には日常的に起きる。
公には言うことのできない話が多いので書くことはできないが、そんな世界で生きていると「絶対に」やってはいけないことが自然と身についている。
人を殴るだとか犯罪を犯すなどといった、社会常識的に許されないことではなく、人間としてあるべき姿というものが極端にわかりやすく起きていた世界では、生きとし生けるものの最後の砦である「愛」というものを日常的に経験していた。
筆舌に尽くしがたい凄惨な場面もたくさんあった世界ではあるが、そんな中で常に笑いが生まれ、人の心を和ませることにかけては天才的な人物がいた。
2020年9月ごろ、自宅で他界してしまっていた元THE COMES、LIP CREAM、GASTUNK、L.O.X、NO etc.のギタリストであるNAOKIさんである。
私ごとではあるが、先日blueprintより発刊された拙著『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』の中で、LIP CREAMに関する記述が多かったために、メンバーに連絡を取りながら内容確認を進めていた。
NAOKIさんの最終確認が取れたのが9月25日であり、その後12月ごろに再び用事があり連絡してみたが返信がない。
2019年には長年連れ添った最愛の彼女を亡くしてしまい、失意の中にあったNAOKIさんだったために連絡が取れないこともあったが、何度か連絡しても一向に返事が来ない。できた本を渡したいのもあったが、その後のNAOKIさんのことが気になっていたので、盟友でもあり古くからの付き合いである元THE COMES、LIP CREAM、現EIEFITSのMINORU君や、元LIP CREAM、JUDGEMENT、現 桑名六道のJHAJHAに「NAOKIさんと連絡が取れない」と話していたのが、年が開けた2021年になった頃だった。
その後10日ほど経ったころ、MINORU君がNAOKIさんに用事もあり、ふと気になったために自宅を訪ねたところ、去年の9月ごろ亡くなっていたことを知ることとなる。
俺がハードコアパンクのライブに通いだした頃には、NAOKIさんはTHE COMESのギタリストであり、当時まだ高校生の客だった俺は、恐ろしくて話しかけることなどできなかった。
その後THE COMESの終わり頃からだったと思うが、GASTUNKをやり始め、当時の恐ろしかったシーンの中でも異彩を放つ面白さが垣間見れるバンドだったが、その後すぐにLIP CREAMが結成された。
LIP CREAM結成時あたりから頻繁にライブに通うようになった俺は、出演バンドメンバーとも顔見知りになっていくこととなるのだが、LIP CREAMのメンバーと話すようになっていったのは比較的あとの方だったと思う。その中でも一番最初に話をしたLIP CREAMのメンバーがNAOKIさんであり、初めて言葉を交わしたときのことは今でも覚えている。
イギリスのパンクロックバンド・THE DAMNED初来日時に、当時表参道にあった、THE DAMNED来日をオーガナイズした事務所での前売り券発売に並んでいるときだった。
初来日のTHE DAMNEDがどうしても観たくて、前売り券売り場に行くと、なんとLIP CREAMのメンバーが勢揃いしているではないか。
しかしやはり恐ろしくて話しかけることはできない。するとNAOKIさんから喋りかけてきてくれたのだ。このTHE DAMNED初来日をきっかけに、LIP CREAMのメンバーと話すようになっていったと思う。
初めてNAOKIさんと話したときの会話は、当時THE DAMNEDをまるっきりパクっていたバンドがあり、雑誌のインタビューまでTHE DAMNEDのインタビューと同じことを答えるようなバンドがあったのだが「そいつらが今きたら」などと物騒なことを言っていた。しかし後からNAOKIさんと仲良くなるにつれ、その発言が恐ろしいものではなかったことがわかっていくこととなる。
どんなときでも常にギャグの宝庫で、その場にいる人間はたちどころにNAOKIワールドに惹き込まれ、笑いに支配されてしまう。大ボラ吹きの一面もあったが、そのホラもびっくりするほどすぐその場でバレるようなものもたくさんあり、みんなで腹を抱えて大笑いすることばかりだった。
都合の悪いときには、あの細い目をまん丸にひん剥いて、顔芸としか思えない表情でゴリ推ししながら、周囲を爆笑の渦に巻き込んでいた。
そうした普段の楽しい姿とステージでのギャップも新鮮で、唯一無二と言えるNAOKIさんのオリジナルなギター奏法に影響を受けた人間が、この世界には無数に存在する。
THE COMES時代のギターもかなり素晴らしいが、ハードロックやロックンロールが好きだったNAOKIさんの独特なフレーズは、ギターソロを聴けば一発で「あ! NAOKIさんだ」とわかるもので、その奏法はLIP CREAM時代に昇華されたのではないかと思っている。
ステージングも素晴らしくカッコよく、ブンブンと腕を振り回しながら弾く姿と、NAOKI節が炸裂するライブは常に緊張感に溢れ、心底痺れてしまうライブばかりだった。
普段は柔和でギャグの塊のような人であり、決して自ら揉め事を起こすような人ではなかったが、一旦揉め事となると一歩も引かず、その芯の強さを垣間見たときには、改めてNAOKIさんという人間の表には現れない心の奥深さに触れた気がした。
貧乏で暇だった俺や友人たちを、いつも快く迎え入れてくれ、いつも大笑いしながら朝まで一緒に遊んだり、飯を食わせてもらったりと、楽しい思い出しかない。普通世話になった先輩や仲の良い友人でも、嫌なことのひとつやふたつはあるものだが、個人的にNAOKIさんにはそれがない。それほど後輩にとっては優しく面白く、面倒見のいい先輩だったと思う。
LIP CREAM解散後に、THE COMES、GASTUNKのドラムであったMATSUMURA氏と一時やっていたNOというバンドの企画にも呼んでもらい、一緒にライブもやったが、その後NAOKIさんは表舞台からは退きながらも音楽活動をしていたと聞く。
オジー・オズボーンとMotörheadが来日した際の、さいたまスーパーアリーナのイベントで久々にNAOKIさんと会ったが、そのときも相変わらず一緒に大笑いし、LIP CREAMが復活するあたりの時期には、久々に家にも遊びに行くなどして話していると「NAOKIさん全然変わんねぇ」と、びっくりして笑いながらも、非常に嬉しい思いだった。
しかし実は、その頃も体調はよくなかったらしく、LIP CREAMが復活するということで、俺には昔となんら変わらない姿を見せて安心させてくれたのかもしれない。
その後年に1、2度会う機会があったが、体調はあまり思わしくなかったようで、酒を飲むこともしなくなっていた。
ここ10年ほどだと思うが、友人や先輩が死んでも涙が流れることのなかった俺は、友人の死があまりにも多いせいか「もう友人の死では涙を流すこともない、感情を失った人間になってしまったのではないか?」と、忸怩たる思いでいた。しかしMINORU君からNAOKIさん死去の一報を聞いたあと、夜には涙が止まらなくなり号泣してしまった。耐えられずに友人に電話してやっと少し落ち着いたが、未明に気を失うように眠るまで涙が止まることはなかった。
遊びに行った時に、みかんやチョコが入った手作り餃子が振舞われ、最終的には中にティッシュが入っているような仕込みまでしていて、みんなでゲラゲラ笑った日を思い出す。
一緒にツアーに行ったときや家に泊まったときに、寝る前に必ず始まるギャグが忘れられない。
あの顔で笑うNAOKIさんと会えないなんて信じられない。
あんなに楽しくて優しくて、カッコイイギターを弾く人がいなくなったなんて信じたくない……。
NAOKIさん。また一緒にバカやって腹抱えて笑いたいです。またステージでギターを弾いてる姿が観たいです。またホラばっかり吹いて笑わせてほしいです。どうせまだ、仕込みのネタがあるんでしょ? お願いだから、もう一度でいいから、あの笑顔で笑ってる姿を見せてください……。
NAOKIさん。あなたが伝えてくれた愛は、俺の中では絶対的なものであり、俺の心にこびりついて忘れようがありません。楽しくて大笑いしながら、愛のある世界の素晴らしさを教えてくれてありがとうございました。
一緒にライブができたことや、ツアーに連れて行ってくれたこと、一緒に遊んだことやバンドができたことは、俺の人生の宝物です。
今頃彼女さんとも会えて、また一緒に仲良くやってるんですよね。また会えてよかったですね。また遊びに行くので、そのときまで少しの間寂しいですけど頑張ります。俺たちがやることを、ゲラゲラ笑いながら観ていてください。
あの恐ろしくて凄惨なハードコアパンクの世界で、あなたは面白すぎました。そのおおらかで優しい楽しさと音楽に対する真摯な姿勢、あなたのギタープレイはみんなの心に永遠に刻まれ、影響を与え続けていきます。あなたのことは、絶対に忘れることなどありません。
NAOKIさん、どうぞ安らかに。心からの冥福をお祈りいたします。本当にありがとうございました。合掌。
■ISHIYA
アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。2021年1月、自身の体験をもとにシーンの30年史を綴った書籍『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』(blueprint)を刊行。FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST