2010年代のアイドルシーン Vol.5 ローカルアイドル文化の隆盛(前編)
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Negiccoによるライブの様子。
2010年代のアイドルシーンを複数の記事で多角的に掘り下げていく本連載。今回は地方を拠点に活動するローカルアイドルに焦点を当てる。
“アイドル戦国時代”の幕開けに伴い全国各地で数多く誕生した地域密着型のアイドルは、自治体や公共団体を絡めた運営形態、独創性あふれる楽曲や個性的なコンセプトなど、メインストリームとは異なる種々雑多な文化を生み出してきたが、そこには地方で活動することのメリットとデメリット両方があった。前編と後編に分けて公開するこの記事では自ら地方の現場に足を運び、幾多のアイドル楽曲を収集してきた音楽ライター南波一海の話を軸に、アイドル本人や運営の証言を交えてローカルアイドル文化の実情に迫る。
取材・文 / 小野田衛
震災からの流れが「オラが街のアイドル」誕生につながった
ローカルアイドル――「ご当地アイドル」「地方アイドル」「ロコドル」などとも呼ばれる地域密着型のグループは、一説によると全国で2000組以上も存在するといわれている。PerfumeやNegiccoをはじめ2000年代から地方を拠点に活動するグループはいたが、アイドル戦国時代が本格化した2010年以降に急増し、13年にご当地アイドルを題材にしたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が放送されると動きは加速化した。グループの多くは大手芸能事務所の所属ではなく、インディーズ系。そのためメディアでの派手な露出展開は少なく、アンテナを高く張ったアイドルファンから口コミベースで魅力が拡散されていく。
南波一海は、もっとも至近距離からこのローカルアイドル現象を目撃してきた人物の1人だ。もともとはミュージシャンとして活動していたが、現在は音楽ライター業務の傍ら、アイドル専門レーベル・PENGUIN DISCも主宰している。
南波がアイドルに興味を持ったのは、ももいろクローバーZ(旧・ももいろクローバー)の存在が大きかったという。当時のももクロは神聖かまってちゃんなどオルタナティブな存在のアーティストと競演する機会が多く、アイドルシーンの外に向けて開いている印象が強かった(参照:仲良くできたかな?ももクロ×かまってちゃん異種対決終了)。そのため「CDジャーナル」や「ミュージック・マガジン」といった純音楽誌も彼女たちを取り上げる機会が増えていく。南波自身もライター業を始めて数年の時期ではあったが、「誰かももクロを知っている奴はいないのか?」といった編集部サイドのニーズに適任の人材だったというわけだ。
「実際にアイドルについて書き始めて痛感したのは、とにかく数多くグループを観ないと話にならないということ。やっぱり何かを語るとき、全体を見ないとシーンがつかめないじゃないですか。仕事で振られるものだけ追っかけていてもダメだと思ったんです。それに熱心なアイドルファンの人たちに『にわかのくせに』『何もわかっていないくせに』ってボロクソ叩かれたくなかった(笑)。そういう声に対して説得力を持たせるためにも、いろんなアイドルを知る必要があった」(南波)
時期で言うと、これが11年春のこと。まさに雨後の筍のようにアイドルグループが乱立し始めていた頃だった。すさまじい勢いでメジャーデビューを果たしたぱすぽ☆、のちに派生ユニット・BABYMETALが世界的な人気となったさくら学院、幼いメンバーがクールでアダルトなナンバーを歌い上げる東京女子流……チェックすべきグループはいくらでもいる。そんな中、南波が注目するようになったグループの1つに、仙台を活動拠点とするDorothy Little Happyがあった。
「ところが彼女たち、いよいよメジャーのエイベックスからCDを出すというタイミングが東日本大震災とモロ被りしちゃったんですよ。これによってリリースに影響が出て、地元ではCDがしばらく店頭に並ばなかった。先送りになっていたリリースイベントも、“チャリティーライブ”という名目がつきました。“がんばろう、東北!”みたいな感じでした」(南波)
11年5月28日、そのDorothy Little Happyは同じエイベックス所属の東京女子流やDream5と一緒に「東日本大震災復興支援イベント WORDS OF HOPE FOR TOHOKU vol.1」と銘打たれたイベントに出演する。会場は仙台にあるRensa。「もともと女子流は好きだったし、ドロシーが地元でどんなライブをやるのか興味があったから」ということで南波も宮城まで足を運ぶことにした。
「ドロシーのステージには驚かされました。メンバーは5人だったけど、B♭とかスクールの子が大勢バックダンサーとして出てきた。最初はその数に圧倒されたんです。それと同時に歌とパフォーマンスのレベルにも圧倒されてしまった。思わずその場で運営さんに『なんでこんなにすごいんですか!』とか興奮して話しかけましたから。
今考えるとだけど、震災のことも大きかったのかもしれない。2011年5月時点では、原発のことも含めて日本人の生活が本当にどうなるか読めなかった状態。東北地方は放射能の風評被害もあったし、そういう中で車で仙台に向かった自分の心に少なからず影響はあったと思います。あの環境で観たからこそ、何か痛切に訴えてくるものがあったんじゃないかな」(南波)
南波の指摘はローカルアイドルの隆盛を振り返る際、重要なファクターとなっている。未曽有の被害をもたらした東日本大震災によって、日本人の国民感情は救いようもないほどまで落ち込んだ。しかし、それと同時に「なんとか地元を盛り上げていこう!」という機運も全国で顕在化していく。この流れが追い風になり、「オラが街のアイドル」が数多く誕生することになったのだ。
地域おこしの一環としての可能性
もちろんローカルアイドルが増えたのは震災以外にも複合的な理由があった。絶対に外せない要素はAKB48グループの大ブレイク。とりあえずライブを行い、そのあとで握手会や特典会を開催する。そうすれば、さほどノウハウを持っていなくてもビジネスとして成立させられる。アイドル運営の実態が多くの人に知れ渡ったのである。また、AKBグループはSKE48を含めて地域密着型の展開を積極的に推し進めており、その影響力も比類ないほど大きかった。
「3.11以降の『地元を盛り上げよう!』という機運、AKB48の大ブレイクと派生した地域密着型グループ……それにもう1つ要素を加えるとしたら、“地方自治体や地元企業がアイドルに目を付けた”という側面もあるはずです。ゆるキャラのブームと似ていると思うんですよ。ブームの中で自治体が積極的にゆるキャラを作り出したり、勝手に地元でゆるキャラを名乗るような人も出てきたじゃないですか。それと似た構造で、どんどん新しい地方のアイドルが作られていった印象があります。地方自治体や地方企業からすると、アイドルは地元のPRにもってこいだったのかもしれないです」(南波)
元気でかわいい女の子たちが、郷土や地場産業の魅力をPRする。地域おこしの一環としてのアイドルには可能性が詰まっていた。折からのアイドルブームに後押しされる格好で、全国で新たなグループが誕生していく。少女たちにかかる期待は決して小さくなかった。
「費用対効果という点から見ても、アイドルは魅力的に映ったことでしょう。何しろ初期投資が少なくて済むんだから。曲と衣装と振り付けさえあれば、なんとかなっちゃう。待遇面などで今考えるとひどい話だなと思う点もありますけど。AKB人気が大爆発したあとだからこそ、『うちの街でもAKBを作ろう!』というような考えが全国に伝播していったところはあるんじゃないかと思います。こうして自治体や企業だけじゃなく、地元のダンススクールやモデル事務所、在野の運営も含めてアイドルを始める人たちがたくさん現れた」(南波)
音楽的クリエイティビティに関しても、地方から新たな才能が出てくる土壌は耕されていた。一例を挙げると、Dorothy Little Happyの楽曲を手がけた坂本サトルは、ロックバンド・JIGGER'S SONで確固たる実績を残したミュージシャン。愛媛のひめキュンフルーツ缶にしても、仕掛け人の伊賀千晃はロックバンド・ジャパハリネットの元プロデューサー。メジャーフィールドで活動してきた彼らが地元に戻って新たな活動にチャレンジするのだから、クオリティ的には自然と高いものに仕上がっていく。また、DTMやインターネットの普及もこうした動きを後押しした。わざわざ東京に出なくても才能がきちんと評価される世の中に変わりつつあったのだ。
「TOKYO IDOL FESTIVAL」や「@JAM」といったアイドル系メガイベントが盛んに開催されるようになると、ローカルアイドルのメジャー化はさらに進んでいく。それまで知る人ぞ知る存在だったグループが、ネットや口コミで拡散されるようになったのだ。
「仙台のテクプリがすごいらしいぞ」「どうやらキャラメル☆リボンがヤバいらしい」「しず風&絆~KIZUNA~はライブが激しいんだってさ」……東京に拠点を置くメジャーなグループと違うだけに、ファンが一種の情報飢餓感に陥ることも多かった。テレビでローカルアイドル特集が組まれたり、ローカルアイドルをテーマにしたムックが刊行される動きも2013年以降は目立つようになる。「今、地方がアツい!」というのがアイドルファンの間で共通の認識となっていった。
11年にはT-Palette Recordsも設立された。T-Paletteはタワーレコード内に設立されたアイドル専門レコードレーベルであるが、ローカルアイドルを積極的にサポートすることでシーンの盛り上げにひと役買う。また、これに呼応するようにして南波自身もタワーレコードが運営する配信番組「南波一海のアイドル三十六房」をスタート。こうして南波はますます多くのローカルアイドルに触れることとなったが、その中でもっともエキサイトした存在が、福岡を拠点に活動するLinQだった。
「LinQはとにかく曲が素晴らしかったです。曲を手がけているH(eichi)さんは中島美嘉さんを世に送り出したような人だし、そのHさんとSHiNTAさんとのタッグはクオリティ的に最高。その高い楽曲クオリティに地方特有の純朴なキラキラした空気感が加わって、素晴らしい空間を作り出していたんです。
それにLinQは人数が多いですから。一時は30人以上いた。それってすごいことなんです。人数が多いということは、それだけ経費がかかってしまう。ランニングコストなどを考えると、管理する側は大変でしょうしね。そういった点が東京の大手事務所でもないのに立派だなと感心しました。LinQはダンスのSO先生なども含めて、体制が大手に負けないくらいしっかりしていたので、取材を通じて知れば知るほど驚きばかりでした」(南波)
そのLinQに創設メンバーとして11年から在籍している高木悠未は、九州のアイドル事情について説明を加えてくれた。
「東京の次にアイドルが多い都市って実は福岡なんですよ。だから当時、福岡の街ですれ違うかわいい女の子は基本どこかのアイドルさん。例えば同じビルの別階でHKT48さんとLinQがそれぞれ練習していて、メンバーがエレベーターで鉢合わせすることもありましたし。それくらい福岡ではアイドルというのが身近な存在なんです。イベントのステージには“アイドル枠”というものがあって、高島(宗一郎・福岡市)市長も、『地元のアイドルのために』って市役所の大広場に特設ステージを設置してくれたんですよね。とにかくアイドル文化が根付いている街なのは間違いないです」(高木)
地元で地道に活動していたグループが“発見”され、全国区の人気者になるという流れは、当時、多くのローカルアイドルが通った道だ。LinQも集客力が上がるにつれ、遠征してのライブが多くなった。だが地元での活動とは勝手が違うことも多く、メンバー張本人からすると困惑することも多かったようだ。
「地域性ということなんですかね。東京の方と九州の方では、お客様の特徴が完全に2つに分かれているような印象があったんです。簡単に言うと、九州でのライブでは“鑑賞”する方が多いイメージ。逆に関東でのライブはものすごい声援が上がっていて、前のめりで大声を出している印象でした。同じ曲でも会場での雰囲気が違うと、当然、巻き込み方も変化が必要。だから、そのあたりで難しさは感じていました」(高木)
必ずしも営利目的で運営していない
高木の所属するLinQだけでなく、ローカルアイドルの多くはライブで地力を磨きながら地道にファンを獲得していくしかない。大手メジャーレーベル所属のグループのように派手なプロモーション活動ができないためだ。だが、裏を返すとそれはメジャーの制約がない自由な表現活動が可能ということでもある。アイドルであるということを盾にして実験的な試みを仕掛けるクリエイターも多く、他ジャンルからも多くの才能が集結し始めた。マスコミを巻き込んだAKB48の爆発的人気がアイドルブームの第1波だとしたら、地方で勃発したこのD.I.Y的な第2波のムーブメントはシーンの裾野を確実に広げたといえるだろう。
「アイドルのインディーシーンから面白いことをやる人が次から次へ出てくるような印象が確かにありましたね。いろんな洋楽のオマージュを入れるとか、そういう動きが僕からすると単純に面白かったんです。それで自分もライフワークとしてローカルアイドルの音源を求めて地方まで遠征するようになっていくわけですけど。もともと僕はアンダーグラウンドの音楽を掘り起こすのが好きな性分。アイドルにおいても半ばムキになって知らないものを探しまくっていた。Twitterとかでちょっとでも興味を惹かれるものを見つけると、お金のことなんて度外視して現地にすぐ飛ぶようにしていましたし」(南波)
KGY40Jr.も南波の度肝を抜いたグループの1つだ。音楽的にはパラパラとゴアトランスをスペーシーにゴッタ煮したようなテイスト。ステージで摩訶不思議な合いの手を入れるプロデューサーの皮茶パパは、タマネギの被り物をした奇抜な容姿や言動から「和製リー・ペリー」と一部で呼ばれていた。はっきり言ってカオスそのものである。
「KGY40Jr.を最初に観たのは彼女たちの地元・鎌ケ谷。東京から1時間くらいかけて、ショッピングモールでパフォーマンスしている姿を観に行きました。ライブでは“たまねぎ皮茶”というものを販売していたんですよ。たまねぎの皮を煎じて飲むわけですけど、このたまねぎ皮茶を買わないとCDを入手することができない。なので、僕も買いました。お茶1箱2500円につきCD-Rが1枚。3箱買って、3枚CDを手に入れました(苦笑)。
結局これはどういうことかと言うと、ローカルアイドルというのは必ずしも営利目的で運営しているとは限らないわけです。“CDを売って利益を出す”のではなく、“地元を知ってもらうキャンペーンの一環としてCDを作っている”という考え方。そして音楽面に目を向けると、粗い部分も目立ったものの、間違いなくメジャーではありえないオリジナリティが存在した」(南波)
もちろんローカルアイドルだからユニークでオリジナリティがあるかと言うと、必ずしもそんなことはない。AKB48を100回くらい劣化コピーしたような志の低いグループも数多く存在した。ひと口にローカルアイドルといってもさまざまなスタイルのグループがおり、質的にも玉石混交だったのだ。
しかし、そんな現実を吹き飛ばすくらいのパワーと勢いがローカルアイドルを取り巻く環境にあったのも事実。何よりもメンバーたちの「東京の子たちに負けたくない!」「私たちだってメジャーになりたい!」という切実な気持ちがブームをますます肥大化させた。気付いたらローカルアイドルは音楽ビジネスとしてしっかり数字が計算できる対象になり、レコード会社も全国各地の原石グループに目を光らせるようになっていく。
ブームの本格的な到来。ローカルアイドルのメジャー化。当然、関係者は諸手を挙げてこの流れを歓迎した。しかし皮肉なことに、それは彼女たちが本来持っていた「素朴な味わい」「尖った表現」といった特徴を失わせることにもつながりかねなかった。メジャーに取り込まれることで牙を抜かれたグループを、地元ファンは物悲しい気持ちで見つめることしかできずにいた。
※「高木悠未」の「高」は、はしごだかが正式表記。
※記事初出時、固有名詞に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。