栗城史多は本当に山を愛していたのか? 『デス・ゾーン』著者・河野啓が語る“元ニートの登山家”の実像
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第18回開高健ノンフィクション賞は『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』が受賞した。著者はかつて栗城史多のドキュメンタリー番組を制作したこともある、北海道放送のディレクター・河野啓。
本書の主人公である栗城史多は、私にとって同郷の3学年上の先輩にあたり、地元の体育館の武道場でよく顔を合わせていた。その様な関係性もあり、序盤はここに書かれている“栗城史多”と、自分の知っている“栗城くん”のギャップに驚き、そして本人が反論できないのをいいことに、あまりにひどく書きすぎではないかとも思った。
しかし、読み進めていくうちにその感情は徐々に変化していく。
本作は、河野啓自身が「栗城史多を担ぎ上げてしまったのは自分でないか?」という自責の念と葛藤しながら、正面から栗城史多と向き合った(あくまで「河野啓からの視点」ではあるが)、“ノンフィクション”作品だ。
著者である河野啓に、関係を絶っていた栗城史多の取材を始めた理由、そして本書に書ききれなかった彼の実像について聞いた。(佐々木康晴)
インターネットが大好きだった
――本書によって栗城さんが救われた部分もある。というのが率直な感想です。何も知られないまま、ネット上で「プロ下山家」などと揶揄され続けるより、あくまで河野さん視点ではありますが、何が起こっていたのかを知ってもらうことで、栗城さんに対する印象が変わるのではないでしょうか。
河野啓(以下、河野):そのように言っていただけると嬉しいです。本書にも登場する、栗城さんと同郷の友人である齋下さんには「あいつも喜んでいると思います。目立ちたがり屋だったので」というコメントも頂けました。
――河野さんはなぜ、10年近く関係を絶っていた栗城さんのことを書こうと思ったのですか?
河野:彼が挑戦中に山で死んだというのが、本当に意外だったからです。栗城さん自身も「下山する勇気」「また山に登るために下山するんだ」と僕にも、そして講演でも言っていました。加えて“山で死ぬ”というのは、登山を心から愛している、登山しかできないような選ばれた登山家の心情だと思っていました。栗城さんは山を舞台にしてエンターテインメントを発信したいという、そういう方だと思っていたので。
――凍傷で指を9本切断したことは、知っていましたか?
河野:ずいぶん後になってから知りました。そのときに久しぶりに栗城さんのブログにアクセスしたのですが、見たことのないような長文をあげていたんですよ。それも自分を叩くネット民への反論を。
栗城さんはネットが大好きでした。いつもパソコンを持ち歩いて暇があると電源を入れていた。「今、テレビ局って大変みたいですね。これからはネットですよ」とテレビ・ディレクターの私に言うくらい(笑)。そんな彼がネットで批判され、それに反論しているという構図を見たときに、鳥肌がたちました。やりきれないですよね。
――信じていたネットに「裏切られた」と感じていたのかもしれません。しかし登山界の反応、そしてネット上の批判の中にも真っ当な「指摘」もあったのではないでしょうか?
河野:そうですね。そもそも栗城さんは「単独」という意味を深く考えていなかったのかもしれないです。その言葉の意味で、こんなに叩かれるとも。ひとりで登っているという感覚で、シェルパを雇う登山を最初からやっていますので。それを止める人も、登山を勉強し直す時間もなく、「夢です、夢です」と次の挑戦に向かっていった。
ですが、自分にもそういうところはあって、20代前半や半ばでこれだ!と感じたものがあったら、人の意見に耳を貸さなくなるというのは理解できますよね。
――初の海外登山挑戦でマッキンリーに登れたとあれば、そうなるのも無理はないかもしれません。
河野:栗城さんはお笑い芸人を目指してNSC(吉本総合芸能学院)に入学したくらいなので、サービス精神が旺盛だったと思うんです。だからこそ人が喜ぶように話を盛ってしまう。登山の中継などで「苦しい」「もうダメだ」というセリフを吐いていましたが、それを地上で言えたら、あのような結末にはならなかったかもしれません。
――そこにも繋がるのですが読了後、栗城さんはどこからなら引き返せたろう?と最初に考えました。もしかしたら「山の仲間」だったら止められたのか? でも、本書で書かれていた通り栗城さんには「山の仲間」がいなかったという。
河野:指を凍傷で9本失ったときが、最大のターニングポイントだったような気がします。たくさんの人が山を降りろと言ったらしいです。お兄さんなんかは何度か殴ってまで「もう山に登るな」と止めたらしいのですが、お父さんは応援し続けた。その心情を考えると、本当に切なくなります。
ただ、客観的に栗城さんの行動やブログ、映像で見る山での様子や登山関係者の話を紐解くと、彼も登れないことは解っていたと思います。しかし彼と地上でしか会っていなかった、彼の事務所の運営をしているスタッフや、サイト運営のスタッフの方々は「栗城くんは絶対に登れると信じていた」と言うんですよ。それには驚きました。山と地上での両面があるというのが、彼の不思議な魅力だったと思います。
栗城史多の魅力
――魅力という言葉が出てきましたが、河野さんが栗城さんに惹きつけられた理由はなんでしょうか?
河野:まず挑戦そのものが新しいと思いました。登山とテレビというのは相容れないものだと考えていました。自分が行って撮って来られないですし。それが栗城さんは「僕が撮ってきますよ」と映像まで提供してくれて、しかもその映像には「苦しい」とか「畜生」と言いながら、涙を流している。これまでの登山家のイメージとはまったく違いました。非常に可愛いらしいルックスで、応援したくなる、放っておけないキャラクターでした。
――確かに可愛らしい部分はありますよね(笑)。私は地上での栗城さんが凄いと思うのは、何度もスポンサーの出資を受けてエベレストへ挑戦することができたということです。幾度も失敗していたのにも関わらず、スポンサーが出資し続けてくれた理由はなんだったと思いますか?
河野:スポンサーが登山に詳しくないというのもあると思いますが、企画書の謳い文句を読むと“いかに自分の挑戦が凄いか”“前代未聞の挑戦なのか”というのが、とても上手に書かれているんですよ。2012年にエベレストに挑戦したときは「このコースを秋に単独で登った人はこれまでにいません。世界初です」ということを書いていたのですが、秋より難しい時期に登った人はいるんですよ。夏の方が雪崩は起きやすいので。そういうアピールの上手さがありましたね。
――「秋の単独登頂は初」は嘘ではないと。
河野:加えて出資してくれた人たちへのお土産やプレゼントなどを、上手に考えるんですよ。「ご家族の写真を持ってエベレストをバックに撮影します」とか、いかにもテレビ的な考えでしたね。テレビの会議で言ったら、「おお!」と歓声が上がりそうな企画をどんどん出してくる。
ですが、その感覚が登山界からの不評を買います。例えばネパール側から登るコースにはアイスフォール地帯という箇所があり、単独では登れないそうなんです。それを出資者に説明しなかったりしていので、それはルール違反だろうと。栗城さんはバッシングと言っていましたが、そのような正当な批判を浴びるようになっていきました。そこは栗城さんの事務所の人や周りが指摘してあげていれば、少しは回避できたのかもしれないです。
――登山界では全体的にそのような評価だったのでしょうか?
河野:一緒にトレーニングしていた花谷泰広さんは割と栗城さんの味方というか、登山界という世界ではめちゃくちゃな定義で矛盾だらけだけど、指を失った栗城さんが「メディアを使って自分の勇姿を視聴者に伝えよう」という考えは尊いものだという考えでした。そして大蔵喜福さん。栗城さんの実現しなかった中継での登頂解説ゲストに何度も予定されていました。「とにかくあいつがバカだから好きなんだと、最近気づいた」と力説されていました。本当に栗城さんのことが好きだったんだと思います。
――メディアで登山の魅力を広く伝えたりと、実際に評価できる部分はあったということですね。
栗城史多は本当に山を愛していたのか?
――ここまでの話を聞いていると、栗城さんは山、そして登山を本当に愛していたのか?と考えてしまいます。
河野:……愛してはいなかったと思います。ただ、自分が生きていく場所だとは実感していたのではないでしょうか。面白いものを見つけたという手応えはあったと思います。最初にマッキンリーに登ろうとしたときに、みんなに止められた。でも、登れた。これは事件ですよね。「これで行けるところまで行こう。自分はエベレストに登れるはずだ」と。
本書にも少し書きましたが、マナスルのキャンプでスタッフと話している映像があるのですが、「エベレストはもう誰でも登れる山になっている」と言っているんですね。「ボンベ背負って登っても、酸素吸って登っても、何も面白くない」と。「登れるのが分かりきっているのだから」と口元に笑みを浮かべて、自信たっぷりに語るんです。それを見たときに彼の中の登山というのは、自分がどう輝けるかを見せるエンターテインメントなんだと確信しました。それはテレビの世界も一緒で「同じことやってもつまんないだろ」と。彼は企画者として、人がどう飛びつくかということを常に意識していた。マッキンリーに登れていなかったら、同僚になっていたかもしれないと思ったことがあります。企画も面白いし、営業も出来る(笑)。
――輝ける場所を探していたというのは、ものすごく納得できます。栗城さんは地元のお祭りでも太鼓も叩かず、ひとり山車の上でSMのときにつける様な目隠しマスクをして、(チアガールが持つような)ポンポンがついた棒を振り回していました(笑)。 それが自分にとっての“栗城くん”ですね。
河野:弊社の職員で、栗城さんと同郷の者がいるのですが、まったく同じことを言っていました(笑)。
――そういう気持ちのいいところを見ている分、山を降りた後の栗城さんを見てみたかったというのが本音です。
河野:本当にそう思います。登山を辞めていたら、もしかしたら今金町の町長、下手したら国政もあり得たかもしれない。人に気に入られるキャラクターだったと思います。
――栗城さんが町長になった姿は、容易に想像できますね(笑)。最後になりますが、河野さんが本書で最も伝えたかったことはなんでしょうか?
河野:栗城さんを「トリックスター」だと呼ぶ方もいるのですが、そうではなく、私自身とさほど変わらない、ごく普通の人間であり、誰もがこうなる可能性は秘めていると思います。だからこそファンだった人にも、アンチだった人にも読んで欲しいです。それぞれの栗城さんに対する感情が変わると思っています。私自身も書いている最中に彼への印象が変わりました。
そして、この栗城史多という人間の人生を描いた本を通して、その思いをなんらかしらの形で皆様の中で活かして頂けたら嬉しいです。
■書籍情報
『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』
著者:河野啓
出版社:集英社
価格:本体1,600円+税
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