『樹海村』清水崇、『事故物件』中田秀夫 両監督の健闘で“Jホラー”ブーム再燃なるか
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先ごろ発表された2020年の日本国内の映画概況によれば、コロナ禍の影響を受けた緊急事態宣言期間中の映画館の臨時休業や、相次ぐ公開延期という前代未聞の事態に見舞われたなかでも、21作品の日本映画がヒットのひとつの目安となる興行収入10億円を突破したという。その中には、中田秀夫監督の『事故物件 恐い間取り』が23.4億円で5位に、清水崇監督の『犬鳴村』が14.1億円で12位と大健闘。それを見ると、約20年前に隆盛をきわめた“Jホラー”ブームが再燃することを期待せずにはいられない。
例えば、一昨年社会現象を巻き起こした『カメラを止めるな!』もゾンビ映画というジャンルの特性上ホラー映画に括ることができるとはいえ、いわゆる“Jホラー”の文脈に当てはまる作品とは言い難い。改めて考えてみると、『リング2』/『死国』が配給収入21億円(興行収入に置き換えると40億円前後ともいわれている)の大ヒットを記録した1999年にピークを迎えた“Jホラー”は、その話題性とは裏腹に、決してメガヒットを叩き出すタイプのジャンルではないということは、紛れもない事実であろう。
それでもブームの真只中にあった数年間には、その年の年間興収ランキングにJホラー作品が見受けられることは珍しいことではなくなった。しかしブームのひとつの終焉ともいえる2005年の『着信アリ2』が10.1億円でなんとか圏内に滑り込んで以降は、わかりやすく低迷の一途をたどる。以後10億円のボーダーを超えた作品は2012年の『貞子3D』、2013年の『クロユリ団地』、2016年の『貞子vs伽椰子』のみであり、なんというか“貞子”というJホラーを象徴するアイコンにかなり多くを背負わせるだけのジャンルとなってしまったようにも見えるほどだ。
なぜ急激にブームが下火になったのかという要因を考えてみると、やはり2000年代前半のインターネットの普及が大きいのかもしれない。いわゆるネット掲示板に乱立した、数多くの「怖い話」。それまで怖い話を摂取するためには、テレビや映画が最も有効な手段であり、とりわけ映画で得られる恐怖はスペシャルなものであった。ところがよりバリエーションが豊かで、かつ物語の構築に必要なドラマチックさという一種のノイズを排除し、怖い部分だけを殊更に抽出した「怖い話」がより簡単に得られるようになれば、必然的に映画にその役割が任されなくなるというのも納得せざるを得ない。
もっともそんなJホラーの低迷期に、ブームの先駆けとなった『リング』を手がけた中田、同じくインディペンデントから一気に駆け上がり劇場版『呪怨』シリーズで異例の大ヒットを打ち立てた清水の2人がハリウッドに渡り、それぞれの代表作をセルフリメイクするという日本映画界にとってあまりに大きな1ページを刻んだことは忘れてはならない。しかもその2人は、“ホラー監督”として不動のイメージを与えられることとなりながらも、ブームの衰退に抗うように新たな作品を撮り続け、やがてジャンルを超越することにさえも成功したのである。
中田がハリウッドから帰ってきて最初に手掛けたのはJホラーの元祖とも言える落語「真景累ヶ淵」を原作とした古典ホラー『怪談』。それからは『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』といったサスペンスからロマンポルノのリブート企画である『ホワイトリリー』。さらには『終わった人』ではがらりとテイストを変え、人情味あふれるコメディ作品にも挑んでいく。しかもその間にも、2010年にイギリスに渡って『Chatroom/チャットルーム』を製作。“日本を代表するホラー監督”の一人として確実に世界にその名を刻んでいたわけだ。
そして2018年に発表した『スマホを落としただけなのに』が、まごうことなき大ヒットを記録する。田中圭が偶然スマホを落としてしまったことをきっかけに、その婚約者である北川景子の身にさまざまな危険が襲いかかる。それと同時に進行する連続殺人事件という古典的なプロットと、あらゆる情報が記録された現代人の必需アイテムが陥りかねない極めて身近な恐怖が絡み合うそのスタイルは、20年前に「VHS」という、時代を代表するガジェットに恐怖を植え込んだ『リング』とどこか通じているものがある。その流れで“貞子”をYouTubeデビューさせる『貞子』でシリーズに回帰し、前述のヒット作である『事故物件』にたどり着くのだ。
この『事故物件』もまた、“物件”という衣食住のひとつを占める、極めて必需性の高い存在に潜む恐怖を題材にし、そこにあえて住んで恐怖映像を記録することでブレイクを図ろうとする亀梨和也演じる芸人の姿が描かれていく。その映像を流す場がテレビ番組という辺りはちょっぴり古風ではあるが、誰もが容易に動画を撮影できるという点ではYouTube時代に即したものともいえる。クライマックスの“バトル”はさながら『クロユリ団地』を思い出させるシュールさがあったことはさておき、やはり中田ホラーの強さは時代に敏感に反応し、その時々にメインストリームにあるガジェットとホラーとの親和性をうまく物語に落とし込んでいることに他ならない。その点では、コロナ禍で発表した『リモートで殺される』(日本テレビ系)も、まさに適任であったといえようか。
とりわけ流行に敏感な若者が主要なターゲットとなりやすいホラー映画だけあって、そうした時代に即したアプローチは重要なものとなる。清水もまた、敏感に時代に反応するタイプの作り手ではあるが、不思議なほどにその応用の仕方、扱い方は中田と対照的である。たとえば当時最先端の技術であった3Dを取り入れた『戦慄迷宮3D』や『ラビットホラー3D』であったり、4DX専用映画の『雨女』と、作品の外見の部分から、映画がアトラクション性を求められるという時代の流れに対してあまりにもスムーズに順応していくのだ。
そのフットワークの軽さと同時に、中田ホラーではストーリーに著しく影響を与えるガジェットや舞台が、あくまでも装置のひとつに過ぎないといわんばかりの恐怖の作り方が、清水ホラーの特徴とみえる。『呪怨』シリーズでは“呪いの家”という格好の舞台が用意されるも、一見すると地縛霊かと思われた伽耶子と俊雄は、いとも容易く“お出かけ”をし、襲われる登場人物ごとに章立てがされていく。『犬鳴村』もまた“心霊スポット”自体の怖さではなく、そこに根深くある不条理や得体の知れない何かに“触れる”という行為によって、恐怖を受ける登場人物の心理を描くことを介して観客に恐怖を植えつけるというアプローチが取られる。
特に『犬鳴村』は、興味本位で呪いに“触れて”しまった身内が行方不明になり、それを探すというプロットが『貞子』とかなり似通っており、観比べてみるとそれぞれのホラー描写へのアプローチの差がより顕著にわかるだろう。『リング』の時代よりもアメリカナイズされた、直接的な恐怖描写にシフトした中田ホラーに対し、清水ホラーはオリジナルビデオ版の『呪怨』の頃から一貫して不条理さと、スピリチュアル性が厳粛に守られているのである。それはさながら、“Jホラー”とはホラー映画の小ジャンルではなく、普遍的なヒューマンドラマの延長線上にあるものとさえ思えてしまうほど。
そうしたスピリチュアルな部分と、登場人物を介して観客に提供される怖さというものは、もちろん清水の最新作の『樹海村』でも守られているし、むしろ富士の樹海という格好の舞台設定もあってスピリチュアルな部分はより強力になっている。前述のネット怪談の代表格である“コトリバコ”というガジェットによって主人公姉妹の抱える葛藤があぶり出されていくなかに、ひとつの要素としてホラー描写が加わり、『犬鳴村』同様にYouTuberの好奇は物語の発端として使われているに留まる。とりわけ深い森のなかで繰り広げられる民話的かつ神話的なクライマックスは、ホラー映画を観たという感覚よりもアピチャッポン・ウィーラセタクンの『ブンミおじさんの森』を観たときの感触に近い。おそらくこの『樹海村』と、清水の2006年の大傑作『輪廻』を足して二で割ってホラー要素を引けば、『ブンミおじさんの森』になるのでは、というのもいささか大袈裟な表現ではないだろう。
いずれにしてもブームから長い年月を経て、Jホラーの立役者である監督たちがそれぞれのカラーをより強調させた新作で再びヒットを起こしているということは、実にポジティブなことではないだろうか。如何せん流行のジャンルというものに流されやすい映画界で、一周回って再び“Jホラー”というジャンルが盛り上がり、しかも前のサイクルで輝いていた監督がより力をつけた状態でそれをリードする。しかもこの数年間でホラー映画にすっかり定着したイメージである、若手俳優を売り出す場としての役割すらも果たすとなれば、あとは新たなホラーアイコンの登場を待つほかない。
■久保田和馬
1989年生まれ。映画ライター/評論・研究。好きな映画監督はアラン・レネ、ロベール・ブレッソンなど。Twitter
■公開情報
『樹海村』
全国公開中
出演:山田杏奈、山口まゆ、神尾楓珠、倉悠貴、工藤遥、大谷凜香
監督:清水崇
脚本:保坂大輔、清水崇
企画プロデュース:紀伊宗之
配給:東映
(c)2021『樹海村』製作委員会