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ラップはすべてスマホのスピーカーから鳴っていた 磯部涼が『フロリダ・プロジェクト』を解説

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 『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』で使われるたくさんのラップ・ミュージックは、すべてスマートフォンのスピーカーから鳴っていた。

参考:アメリカが抱える深刻な問題“隠れホームレス”の実態とは? 『フロリダ・プロジェクト』監督が語る

 2017年に発表されたショーン・ベイカー監督作品『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』はタイトルの通り、アメリカのフロリダ州を舞台にしている。北米大陸の東南端、メキシコ湾と大西洋に向かって突き出した、温暖な気候のこの半島について、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートやマイアミ・ビーチ等を擁するいわゆるリゾート地という印象を持っているひとも多いだろう。また、集まってくるのは観光客だけでなく、カリブ諸島とラテン・アメリカに面した同地はアメリカ有数の移民社会としても知られている。対して、キューバの刑務所からマイアミへと渡ってきたトニー・モンタナが、コカインの売買で成功、やがて破滅していく様を描いたギャング映画の古典『スカーフェイス』(監督:ブライアン・デ・パルマ、脚本:オリバー・ストーン、83年)のような作品を通して、同地は欲望と退廃の街というレッテルを貼られてもきた。他方、近年では例えば『ムーンライト』(監督:バリー・ジェンキンス、16年)が、マイアミの貧困地区で、アフリカ系住民が大半を占めるリバティー・シティをロケーションに使って、ぎらついたイメージの影の部分を繊細に描いている。

 『フロリダ・プロジェクト』の登場人物たちが住んでいるのも、もともとはディズニー・ワールドにやってくる観光客が泊まることを見込んでつくられたが、今や老朽化、プロジェクト(低所得者用共同住宅)と化している安価のモーテルである。ベイカーと共同で脚本を手掛けたクリス・バーゴッチは、2011年、フロリダ中央部へ引っ越す母親を手伝うため、同州の幹線道路であるアメリカ国道192号線を往復する内に、そのディズニー・ワールドへと人々を運ぶ夢の動線に沿って過酷な現実が広がっていることを知り、驚いたという。そして、彼の話に興味を示したベイカーと共に、前述のようなモーテルに泊まってはリサーチを行い、脚本を練り上げ、2016年、遂に撮影が始まる。主演のムーニーを始めとして、映画の要となる子供たちは、オーディションの告知を見てやってきた地元民だった。

 映画は、ムーニーと悪友たちが、モーテル=プロジェクト群の新入り家族の車に、唾の洗礼を浴びせるシーンから始まる。持ち主はムーニーの部屋に文句を言いに行くが、刺青だらけで青い髪をした若いシングル・マザーのヘイリーは取り合わない。素行が良いとは言えないムーニーは母にそっくりだ。ただ、ヘイリーは娘を貧しい生活の中で精一杯愛している。ムーニーもモーテル暮らしを楽しんでいる。そんな親子の生活のBGMとなるのがラップ・ミュージックである。同じモーテルに住み、近所のダイナーで働く親友のアシュリーからもらった廃棄品でもってランチを取っている時。ムーニーが寝付いたあと、アシュリーとモーテルのプールに入りながらビールとジョイントを楽しんでいる時。ヘイリーのスマートフォンからはラップ・ミュージックが鳴っている。それは、親子が生活費を稼ぐため、観光客に偽物の香水を売りつけに行く高級ホテルで鳴っているラウンジ・ミュージックや、近所で働く移民たちが聴いている彼らの故郷の音楽と共に、映画の基調となっている。

 フロリダを舞台にした数々の映画と同様、ラップ・ミュージックもまた彼の地の特性や状況を反映、あるいはステレオ・タイプを生み出したり、覆したりしてきた。歴史の始まりに位置付けられるのは2・ライヴ・クルーだろう。80年代後半、やがてマイアミ・ベースと呼ばれることになるダンス・ビートの上で卑猥なライムを展開して注目を集めたこのグループは、全米の保守層からバッシングを受け、同時期、「ファック・ザ・ポリス」という楽曲で物議を醸したカリフォルニア州のN.W.Aとはまた違った形で、ラップ・ミュージックの反体制性を知らしめた。他方、ルーサー・キャンベルと並ぶ中心メンバーだった故:フレッシュ・キッド・アイスは中国系トリニダード・トバゴ人の移民であり、初めて人気を得たアジア系のラッパーとして評価されている。

 その後、2・ライヴ・クルーの人脈からはトリック・ダディのようなハードなラッパーも登場しているが、マイアミ・ビーチのBGMとなる享楽的なダンス・ミュージックという点では、レゲトンやEDMを取り入れたキューバ系のピット・ブルが後継者だと定義付けられるだろう。他にも、元看守だがギャングのボスというキャラクターを演じるリック・ロスは、『スカーフェイス』のイメージをなぞっているし、近年、州南部はミレニアル世代のラッパーの出身地として注目を集めていて、デンゼル・カリー、スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッド、コダック・ブラック、スモークパープ、リル・パンプ等、次々とスターを輩出している。

 中でもカリスマになっているのがXXXテンタシオンだ。彼は自殺願望と別れた恋人への未練を鬱々と歌い続けた点で、『ムーンライト』と同じようにフロリダの影を表現してきたとも言えるが、ふたつ目のオリジナル・アルバム『?』では、同州:マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で起こった銃乱射事件の犠牲者に捧げる楽曲を収録する等、社会へと踏み出そうとする気配を感じさせたものの、発表3ヶ月後の2018年6月、自身が銃殺されてしまう。フロリダはアメリカの中でも特に銃の規制が緩い州であり、8月にもオンラインゲーム大会で2人が死亡する乱射事件が発生。一方、件の高校に通う学生たちが始めた銃の規制強化を求めるデモは全米に広がった。フロリダは現代のアメリカが抱える問題の突端に位置しているのだ。

 ちなみに、『フロリダ・プロジェクト』で使われているラップ・ミュージックはマイナーなものが多く、フロリダ産にこだわっているわけでもない。そのような選曲になった要因がクリアランスの問題なのか、もしくはヘイリーを演じたブリア・ヴィネイトのスマートフォンにもともと入っていた楽曲を使ったためなのかは分からないが、後者でないかと思うのは、シャカシャカとチープな音で鳴らされる下世話で大衆的な楽曲群が、とても親密な雰囲気を醸し出しているからだ。例えば、ランチの途中、ラップ・ミュージックに合わせてムーニーがトゥワーク(尻振りダンス)をやってみせ、ヘイリーが大笑いするシーンに、教育上宜しくないと眉をひそめる向きもあるかもしれない。しかし、そこにはとても幸福な時間が流れている。反面、ヘイリーがムーニーに対してある秘密を持つ時、それを覆い隠すのもまたスマートフォンから響くラップ・ミュージックの音だ。ヘイリーはふたりの生活を守るために嘘をついたが、そのことが引き金となって、幸福な時間は終わりへ向かっていく。

 ヘイリーの罪の入り口となるのもまたスマートフォンによるセルフィーだった。ショーン・ベイカーの前作『タンジェリン』(2015年)は、全編をiPhone 5sで撮影したことが話題になったが、ロサンゼルスの街中を舞台にトランスジェンダーの街娼や移民のタクシー運転手といった、愛すべきはぐれもののキャラクターたちを活き活きと描けたのも、役者にも通行人にも撮影していることを意識させない同機器のおかげだ。同じように、『フロリダ・プロジェクト』でも前述したラップ・ミュージックの鳴らし方を始めとして、スマートフォンは小道具以上の役割を担っていると言える。何しろ、今回も最後、iPhone 6s Plusが魔法を起こすことになるのだから。それはフロリダが、ひいては誰もが抱える現実と夢が入り混じるような、奇妙だが美しいシーンである。(磯部涼)