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アジア映画の日本版リメイクを成功させるには? 『あの頃、君を追いかけた』『SUNNY』から考察

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リアルサウンド

 日本映画の“リメイク作品”というものに思いを巡らすと、長い歴史の中には数えきれないほど多くの作品が存在している。一時期リメイク映画が多発してオリジナル不足が騒がれたハリウッドとは比にならないかもしれないが、有名文学の再映画化であったり、史実や伝記など、繰り返し映画化されている広義のリメイク映画も含めれば、ほぼ毎年のように何かしらがリメイクされているというのが実情であろう。

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 あまりにたくさん作られることになれば、現在の最大のトレンドであるコミック原作と同様にネガティブなイメージが横たわってしまう宿命にあるリメイク映画だが、まだ現状、日本映画ではリメイク作品に対する拒絶反応というのはあまり多く見られない。それは、いくらオリジナル作品に対する特別感があるとはいえ、既存の作品を単に焼き直ししているのではなく、リメイクすること自体に明確な意味合いが存在しているからに他ならない。

 例えば『時をかける少女』のように実写からアニメへと媒体を変えることでどのような表現の差が生まれるのかであったり、『櫻の園』のように若手俳優を世に送り出し、そのレベルを比較すること。はたまた『切腹』を3Dでリメイクした『一命』のように、映画技術の進歩は同じプロットにどのような変化を生みだすのか。それを踏まえると、ある意味では、リメイクというのは「実験映画」の一種と言ってもいいかもしれない。

 現在公開中の『SUNNY 強い気持ち・強い愛』、そして10月5日公開の『あの頃、君を追いかけた』は、ともに外国作品のリメイク。外国作品といっても西洋ではなく、比較的似た文化圏を持つ韓国と台湾の作品である。どちらも2010年代にアジア各国で社会現象級のヒットを生み出した青春映画であり、回想によって80年代や90年代のトレンドや若者文化のリアルを映し出しているという共通点を有している。

 アジア圏の作品を日本でリメイクするケースといえば、先日まで放送されていたドラマ『グッド・ドクター』(フジテレビ系)であったり、『魔王』(TBS系)や『銭の戦争』(カンテレ・フジテレビ系)のようなドラマ作品に集中しているイメージが強いが、映画作品でも昨年大ヒットを記録した『22年目の告白―私が殺人犯です―』をはじめ、『あやしい彼女』に『MONSTERZ モンスターズ』、少し前であれば キム・ジウンの『クワイエット・ファミリー』を三池崇史がリメイクした『カタクリ家の幸福』、セシリア・チャン主演の香港映画を『星願 あなたにもういちど』を竹内結子主演でリメイクした『星に願いを。 Nights of the Shooting Starr』など、意外と多い。

 ハリウッドやヨーロッパの作品をリメイクする上では(たとえば『サイドウェイ』のリメイク『サイドウェイズ』のように)純然としたプロットの表面をすくい上げることだけでオリジナルとリメイクの差が顕著に現れるが、アジア圏の作品だとなかなかそうはいかない。こういった場合で必要になってくるのは「リメイクする意味」以上に、「何故この物語を日本に置き換えて描くのか」という作品全体に滲み出るポリシーに従った、極めて内面的な「ローカライズ」であろう。

 たとえば『22年目の告白―私が殺人犯です―』では物語の鍵となる“時効”が日本ではすでに撤廃されており、その転換期となる日付に焦点を当てることで社会派ドラマとしての側面を強くさせた。また『あやしい彼女』では昭和歌謡の名曲を巧みに織り交ぜるという方法をとる(オリジナルでのキム・スヒョン登場のインパクトを、野村周平でやるということにはちょっと弱い気もしたが)など、いずれもオリジナルの持つドラマ性を、日本のある特定のポイントに変換させることでより豊かにさせていく。

 その点では80年代韓国の民主化運動の最中で、その運動によって流入してきた欧米文化への圧倒的インパクトに惹かれながら、友情という普遍的なテーマに向き合う『サニー 永遠の仲間たち』を、90年代後半のコギャル文化と小室哲哉音楽に組み替えて時代を切り取った『SUNNY』におけるローカライズの手法は大成功であるといえよう。

 その国のカルチャーに大きな変化をもたらした時期の、もっとも流行に敏感な世代の群像と、それを現代に器用に結びつけるというプロットは、まさにローカライズのお手本となるべき題材。それを証明するかのようにベトナムリメイク版の『輝ける日々に』が第31回東京国際映画祭で上映されるほか、ハリウッドリメイクも決まっているというのだから、オリジナル作品があらかじめ持ち得ている娯楽性と社会性のバランスは底知れないものがある。

 一方で『あの頃、君を追いかけた』に関してはローカライズをあえて避け“普遍的な青春”を描き出そうとオリジナル版のストーリーラインや描写、小ネタまでも忠実に再現していくという、『SUNNY』とは正反対のアプローチをとる。しかしここで立ちはだかるのは、オリジナル版の監督であり原作者でもあるギデンズ・コーの自伝であるがゆえ、描かれている青春群像に普遍性が乏しいという点だ。90年代の台湾の地方都市に暮らす若者たちの生き様は、現代の日本にそのまま置き換えるというのはなかなか無理が生じる。

 しかも、台湾と日本の気候の違いであったり、制服に個人の名前が刺繍されてることや卒業式の後に受験を迎えるなど、そのままなぞってしまったがために生じた不思議な描写が連続していく。さらにオリジナルで大きな鍵となった「921大地震」が、描かれる時代的にも「東日本大震災」に置き換えられるのかと思いきやそこは明確化させない。おかげで、ただ時空間の歪みに整合性が見出せないまま、オリジナルの最も輝かしい部分に願望として登場する“パラレルワールド”という設定に逃避してしまった印象だ。

 もっとも、対照的なアプローチをとった両作品とも、オリジナルへの圧倒的な敬意というものは強くスクリーンから感じることができる。果たしてそれだけで映画は良くなるのかと問われれば、非常に難しいところではあるのだが、今後日本映画界のトレンドとして、むしろアジア全体のトレンドとして、各国間でリメイク合戦が繰り広げられることは間違いないだろう。その上では、オリジナルのマインドやポリシーを活かしつつも、それぞれの国が持つ色合い、つまりは文化的な側面を反映させなければ意味がないだろう。(久保田和馬)