『にじいろカルテ』にみる相互ケアの形 岡田惠和の筆致が生む豊かなコミュニケーション
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人が何かを話し出し、周りはそれをただ受け止める
「へぇ、東京でもねぇ。まぁ見えるか、東京でも。虹ねぇ、きれいだねぇ。でも雨が降らないと、虹は見れないから。なんちって」
救命救急医として働く主人公・紅野真空(高畑充希)の身にある日突然「多発性筋炎」という難病が降りかかり、勤めていた病院を辞めざるを得なくなってしまう『にじいろカルテ』(テレビ朝日系)第1話の冒頭。冷たい表情を浮かべながら彷徨うようにして道を歩いていると、突然雨が降ってきて、真空は公園の屋根の下に駆け込む。そこにもうひとり謎のおじさん(=霧ヶ谷桂<光石研>)が雨宿りをしにきて、雨がピタッと止んだあと、彼は空にかかる虹を見ながらひとりでに上述の言葉を発するのだった。
『にじいろカルテ』というドラマには基本的な構成がある。それは、「人が突然何かを話し出し、それに誘発されるようにしてまた誰かが何かを話し出す」という一見シンプルな作劇だ。しかしその描写にこそ、本作の脚本を務める岡田惠和がここのところ一貫して描いてきた「相互ケア」という主題が垣間見え、それは冒頭の場面にして早速決定づけられているように思う。
「人が突然何かを話し出す」といえば、たとえば第3話の、あの女性4人がそれぞれに悩みを吐露していく場面を思い出してほしい。
「まだら認知症」という病気を抱える雪乃(安達祐実)が、すべての記憶を失くしてしまった日。雪乃の友達である嵐(水野美紀)と氷月(西田尚美)は彼女の元に駆けつけて、慣れた手つきで彼女のこれまでの人生や抱える病気について説明する。最初は戸惑っていたものの、嵐と氷月の献身的な支えによって徐々に自身の境遇を受け止めていく雪乃。その後、一緒に通っていた学校の机を囲む真空を含んだ4人は、雪乃と改めて出会い直すようにして、それぞれが抱える悩みについても話をし始める。
「がさつで無神経なのかなぁ。ある日いきなり旦那が出ていっちゃって。わたし、めちゃめちゃ幸せだったのよ。(娘の)日向が生まれて可愛くて可愛くて。……(中略)全然気づかなくて、旦那も幸せだと思ってたの。そしたら急にある日いなくなっちゃって」
「子どもを産みたかった」という氷月に続いてそう嵐が吐露するように、いつも明るく村の人のサポートをしている彼女たちにも、その裏側には普段見えない苦しみがあることがわかる場面。岡田脚本ではおなじみの悪い人がひとりも出てこないファンタジー的な世界観のドラマでありながら、その実はしっかりとキャラクターの多面性が描かれていることに感心させられる描写でもある。
「悩みを吐露し、周りはそれをただ受け止める」という儀式のような会話劇は、前クールのドラマ『姉ちゃんの恋人』(カンテレ・フジテレビ系)最終話にも同様のものがあったから、岡田惠和という脚本家が、「人が話す場」を作ることにかなり意識的であることがわかる。
主人公の真空は、冒頭の霧ヶ谷による何気ない言葉に惹かれるようにして虹ノ村へやってきた。そこはとても温かい場所で、誰もが彼女を快く迎え入れてくれた。第1話のラストでは、そんな村人に気を許したのか、はたまた罪悪感からか、彼女もまた「嘘をついていました」と言って、隠していた病気のことをみんなの前で吐露しはじめるのだった。
その告白に対して朔(井浦新)が答える「いいんじゃねぇの。医者で患者か、最強じゃん」は、「ただ受け止める」という意味での最上級の包摂の仕方であったように思う。本作では、人は話し出すことによって互いに支え合い、救われていくのだ。
相互ケアの場を生み出す岡田惠和脚本
今期のドラマには『俺の家の話』(TBS系)や『監察医 朝顔』(フジテレビ系)があり、『にじいろカルテ』とともに「介護」や「ケア」の物語が描かれ注目されている。テーマが一致する作品がこうして並ぶのは何も偶然ではない。高齢化に加えコロナ禍においてさらに、そうした問題に関心を寄せている視聴者も増えているのだと思う。医療従事者にだってケア“される”ことは必要不可欠で、反対にそうでないものもケア主体となって生きていくことの重要性が問われている時代ーー。
岡田惠和が『ひよっこ』(NHK)や『そして、生きる』(WOWOW)、『姉ちゃんの恋人』といった作品で描いてきたのはまさに、そうした「誰もがケアし、ケアされながら生きていく」姿だった。だから本作のヒロインが「医者」であり「患者」でもある=「ケアを施す側」であり「ケアを受ける側」でもあるというのは、とうとう真正面からそのことを描こうとしている意思の現れなのだと感じる。人々がともに支え合いながら生きていく『にじいろカルテ』を観ていると、その相互ケアこそが生を営むうえでもっとも重要なものだと考えさせられる。だから、「いいんじゃねぇの。医者で患者か、最強じゃん」なのだろう。
ときに、本音を隠して朔に毒づいてみせたりする姿がとても愛らしく映る高畑充希なのだが、それだけに彼女は、「ケアを受ける」「他人に悩みを吐露する」ことに難しさを抱える人物でもある。そんな真空は第2話において、患者の声に耳を澄ましすぎるばかりに緊急を要する次郎さん(半海一晃)の容態の変化に気づけなかった。そのことにすごく落ち込み、肩を落としてしまっていた姿が印象的だ。
そんな彼女を救うのが、桃井佐和子(水野久美)という、一人暮らしをしているおばあさんからの留守番電話であるところもすごく心に沁みる。ともすれば人に頼ることができず孤立してしまうかもしれない真空に対しても、虹ノ村の住人は方々に助け舟を出してくれている。真空を気にかける太陽(北村匠海)のさりげなさしかり、岡田脚本の登場人物はみんながそうしたケア主体であろうとしているから、観ていて心地がいいのかもしれない。佐和子さんと交わす第3話の電話でのやりとりも味わい深かった。
真空「もしもし?」
佐和子「もしもし? 真空先生……元気?」
真空「はい、元気です。……あぁ、ごめんなさい、嘘つきました。あの、元気じゃなかったんですけど、いま元気になりました」「佐和子さんは?……お元気ですか?」
佐和子「いま元気になったところ」
「元気?」と聞いてくれる人がいて、「元気じゃなかったけど、あなたからの電話のおかげでいま元気になった」と本音で話すことができる。そんな場がひとつあるだけで、どれだけ生きていくのが楽になるか。そうした相互ケアのあり方としての「人が話す場」を生み出していく本作の姿勢に、毎話否応なしに泣かされてしまうのだ。だからこそ『にじいろカルテ』は、観たあとに「ちょっとあの人に電話してみようかな」なんてことを思わせてくれる、そんな優しさに満ちたドラマなのだろう。
■原航平
ライター/編集。1995年、兵庫県生まれ。Real Sound、QuickJapan、bizSPA!などの媒体
で、映画やドラマ、YouTubeの記事を執筆。Twitter/ブログ
■放送情報
『にじいろカルテ』
テレビ朝日系にて、毎週木曜21:00〜21:54放送
出演:高畑充希、井浦新、北村匠海、安達祐実、眞島秀和、光石研、西田尚美、泉谷しげる、水野美紀、モト冬樹、半海一晃、池田良、水野久美
脚本:岡田惠和
演出:深川栄洋
ゼネラルプロデューサー:三輪祐見子(テレビ朝日)
プロデューサ:貴島彩理(テレビ朝日)、松野千鶴子(アズバーズ)、岡美鶴(アズバーズ)
制作:テレビ朝日、アズバーズ
(c)テレビ朝日
公式サイト:https://www.tv-asahi.co.jp/nijiiro/