〇〇の異常な愛情 Vol. 2 樋口真嗣の場合:「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」で知られる映画監督は如何にして焼き菓子作りの沼にハマったか
映画
ニュース
ガトーショコラを作った際の樋口真嗣。
樋口真嗣と言えば、庵野秀明とタッグを組んだ「シン・ゴジラ」で日本アカデミー賞最優秀監督賞に輝いた、日本特撮界および映画界の重要人物。新作「シン・ウルトラマン」の特報映像が解禁された際には、ギレルモ・デル・トロやジョーダン・ヴォート=ロバーツといったハリウッドの監督たちから興奮と絶賛の声が上がったことも記憶に新しい。そんな樋口がここ1年ほど、Instagramに手作り焼き菓子の写真を投稿し続けていることはご存知だろうか?
何かに並外れた愛情を注ぐ人にスポットを当てる連載「〇〇の異常な愛情」の第2回では、“焼き菓子作りの沼”に落ちた樋口にインタビュー。お菓子作りを始めたきっかけや、Instagram上のハッシュタグ「#モジャメガネ焼き菓子部」の実態、そしてあの大物にお菓子を贈ったエピソードなどを語ってもらった。
取材・文 / 浅見みなほ 写真提供 / 樋口真嗣
どうして急にこうなっちゃったんだろう
──最近Instagramにアップされている手作り焼き菓子のクオリティは、もはやお店を出せるレベルになってきていますよね。そもそも焼き菓子作りを始めたきっかけから伺えますか。
コロナ禍で去年、予定していた仕事が立て続けになくなってしまって。それと外食ができなくなったのが大きいです。有名店がテイクアウトを始めたけど、冷めたお弁当を食べても、お店で食べるほどの喜びを感じられなかったんですよ。じゃあ自分で作ったほうがいいんじゃないかな?と思ったのがきっかけです。どうせ作るんだったら、普段行列で入れないようなお店のメニューを作ってみようと思って、ネットで探して千里眼というお店のレシピを研究してる人のブログを見ながら冷やし中華を作ったり、お店やホテルが公開してるレシピを見ながら作ってました。感覚的にはプラモデル作るように。
──最初はお菓子ではなかったんですね。
そうです。それで家族の分を作ったけど、すごく評判が悪くて。おっさんのガッツリ飯や酒のアテみたいなものばかり作っていたから不評だったし、できたてを食べてもらえないストレスもあったんです。だんだん嫌になってきちゃったところで「お菓子なら、できたてじゃなくてもおいしいんじゃないの」と言われて。
──ご家族からリクエストが。
はい。最初にマドレーヌを作ってみたら、ビギナーズラックなのかすごくうまくいって、評判もよかったんです。お菓子ってほかの料理よりも、材料や温度管理が細かいじゃないですか。それが科学の実験みたいで楽しくて、どんどん欲がエスカレートして(笑)。そんなとき合羽橋にあるお店で、カヌレの型を見つけちゃったんですよ。そもそもカヌレを食べたこともなかったんですけど、「おいしそうだから作ってみよう」と買って帰ったんです。
──そもそもコロナ禍の前から料理はしていたんですか?
料理は月に1回、気が向いたら作るくらい。お菓子に関しては本当に初めてでした。そもそも積極的にお菓子を食べるほうじゃなかったし、お酒が好きだから甘いものがなくても大丈夫だったし。だから……どうして急にこうなっちゃったんだろう。
──ご自分でもびっくりなんですね(笑)。
そうですね。自分で食べるよりも、人に食べてもらう目的のほうが大きいですね。映画の現場が動くようになってきてからは、お菓子を包んで持っていくと、みんなにすごく感謝してもらえました。普段仕事をしていて、感謝をされることってめったにないので。
──そうですか!?
そうなんですよ。むしろ「お前のせいで大変なことになってるぞ」みたく恨まれることのほうが多い(笑)。まあ、ものを作って褒められる、もしくは喜ばれるというのは、実は普段の仕事と本質的な部分は同じ。でも映画の場合、企画を立ち上げてから褒められるまでに、年単位の時間がかかるわけで。一方お菓子って、1日のうちに作って食べてもらうこともできるから、本当に一瞬ですよ。こんなに早く褒めてもらえるんだ!みたいな。
──特に映画は、作るのに時間がかかる類いのものですもんね。
それに比べてお菓子は早くていい(笑)。僕はお菓子のレシピを考えているわけじゃないので、歌で言うとカラオケみたいなものなんですけどね。基本的に僕、甘いものをそんなに食べないから、カヌレを作ってもその味が正しいかわからなかったんですよ。でもこの間、人が買ってきてくれたカヌレを食べてみたら、意外と間違ってなかったなと(笑)。コンビニのスイーツコーナーでも売ってますけど、値段を見たら133円くらいじゃないですか。「え、俺はあんなに苦労して作ったのに133円で買えるの!? 負けた!」って、企業努力と大量生産の前に敗北感を味わうので、絶対に買ってたまるかと思ってます(笑)。
──Instagramの写真は、ラッピングの凝りようもすごいと思いました。
冷静に考えたら、おっさんが作った食い物とか、口に入れたくないんじゃないかなと思って……。気持ち悪かったら申し訳ないじゃないですか。
──そんなことないですよ!
いやいや、だから粉飾にも力を入れるようになったんです。最初は100均のフィルムとシールでラッピングしていたんですけど、本物感が足りないなと思って。日持ちさせるために脱酸素剤を入れるようにして、熱でシーリングするグッズも買って。お店で買ったやつみたいだからおいしそうでしょっていう、“俺が作ったことを忘れさせる”ための工夫をしてるんです(笑)。
乙女のような気持ちで「皆さん食べてください!」
──2020年7月に開催された「8日で死んだ怪獣の12日の物語―劇場版―」の舞台挨拶では、斎藤工さんが「樋口さんにクッキーをいただいた」と話していました。
実は、あれが初めて(家族以外の)誰かに配った日なんですよ。「カプセル怪獣計画」(※樋口が立ち上げたリレー動画企画)のときに斎藤さんからもらった奄美大島の緑茶を入れたクッキーを焼いて、それまで人に会えなかったから、乙女のような気持ちで「今日はあげられる!」「皆さん食べてくださーい!」って配りました。監督の岩井俊二さんも「俺も高校生の頃お菓子作ってた!」と懐かしんでました。意外な感じだけど、俺なんかよりずっと乙女力あるから納得です。
──そこで、人に食べてもらう喜びを味わったんですね。
そうですね。差し入れを買っていくよりも、作っていったほうが体感的には10倍くらい喜んでもらえる気がするんです。そこからは、次の日予定があったら「じゃあその前にケーキ焼かなきゃ」って、スケジュールから逆算してお菓子を焼く時間を入れるようになって(笑)。どうしちゃったんだ俺、って感じですよ。さらに、だんだん「どうも、いい材料で作るとおいしいらしいぞ」となって……。どんどん沼にハマっていく感覚です。
──凝り性のレベルがとんでもないというか、「さすが樋口監督」と思ってしまいます。
最初はやることがないから作ってみるか……くらいだったんですけど、そのうちに「喜んでもらいたい」という承認欲求みたいなものが芽生えてしまって。アートディレクターの秋山具義さんという友達も、同じくらいのタイミングでお菓子作りを始めたんです。2人で、インスタで同じハッシュタグを付けて。
──「#モジャメガネ焼き菓子部」ですね。
本当はもう1人、コピーライターの小西(利行)さんもメンバーなんですよ。タルトタタンを作らせようとけしかけて、合羽橋で型も買わせたんだけど、忙しいんでしょうねえ……一向に作る気配がない。秋山さんは食べ物の商品カットを並べるプロなので、上げる写真も「こりゃ勝てねえ」ってくらいうまいんですよね。
──樋口さんがアップしている写真もすごくおいしそうですよ。
それはもう、おいしそうに見えるようにごまかして撮ってるんです。めちゃくちゃ盛ってます。盛らないとダメだこりゃって感じですよ。
──モジャメガネ焼き菓子部は承認制ですか? 例えばこの記事を読んだ人が、自分からハッシュタグを付けて投稿してもいいのでしょうか。
全然いいと思うんだけど、だーれも来ない!
特に、栗と相性が悪い
──今までで一番うまく作れたお菓子はなんですか?
ある企画で、のんさんとご一緒したとき、打ち合わせにスコーンを持って行ったんです。“腹割れスコーン”という、ビキビキッとヒビが入った状態のものを作ろうと思って。あまり生地をこねちゃいけなくて、折りたたんだ状態のものをパンと型で抜くんですよ。それがかなりいい感じにできて、想像以上に喜んでもらえてうれしかったです。
──インスタにもアップされていましたよね。
あとは、クリスマスにシュトーレンを作りました。あれも食べたことはなかったんですけど、イースト菌を使って、パンみたいに発酵させるんです。僕にとっては人生初発酵ですよ! すごい膨らむ! こんなふうになるんだ! 楽しい!と思って。
──そうなると、パン作りにもハマってしまうのでは?
そっちにはなるべくいかないようにしてます(笑)。
──逆に、失敗した経験はありますか?
意外と安定していなくて、ときどき大失敗するんです。特に、栗と相性が悪い。あるとき栗を大量にもらったからモンブランを作ったんですが、マロンペーストも自分で作ってみたら、けっこう粒が残っちゃって。細い絞り金で絞ろうとしたら、何度も何度も引っかかって、最終的にはビニール袋が限界に達したらしく、クリームがベチャーッ!っと吹き出して……。あとパウンドケーキを作ったとき、栗がゴロゴロ入ってたほうが食べ応えがあっておいしいんじゃないかと思ったんです。でも焼いたあとに型から出そうとしたら、中の栗だけが生地を突き破ってベーッと出てきて。だいたい、栗+食べ応え重視という条件がそろうと、物事は悪い方向に進んでいくんです。
俺のケーキが映画の歴史の一部に…
──最近も頻繁にお菓子作りを続けているんですか?
最近打ち合わせや撮影準備で忙しくて、なかなか作れなかったんです。今回この取材をしてもらえるということで、バレンタインデーに合わせてガトーショコラを作りました。初めて作るガトーショコラ。うわあ、めちゃくちゃ楽しい! 心の底から楽しい!って気分でした。趣味が高じて映画の仕事を始めてしまったので、今までほかに趣味と呼べるものがなかったんです。だから、純粋に趣味ができた!という感じで。
──何よりです! 今回、某有名店風のガトーショコラを2種類お作りいただいたんですよね。
言ってしまえば日本代表と、フランス代表。フランスのほうは小麦粉を入れるので、ふくらんでケーキっぽくなる。日本のほうは、材料がチョコレート、バター、卵、砂糖くらいなので、チョコレート感が強い。冷やしておかないと溶けちゃうくらいです。
──お味はいかがでしたか?
おいしくできました。この間、須賀川特撮アーカイブセンターの小冊子を作っているとき、山田洋次さんにコメントをいただくことができたんです。それから数日経って、山田洋次さんから「先日はありがとう」という内容のハガキをいただいたんですよ。本来はこっちが手紙を出さないといけないくらいなのに、感動してしまって。娘さんとも別件で仕事をしたことがあったんですが、「父は甘いものが好き」と聞いて「これだ!」と。昨日、カヌレとガトーショコラ2種類を届けに行きました。
──ええ!
そうしたら、あとで食べている写真を送っていただけました。どうも、娘さんたちがバレンタインデーのチョコレートを持ち寄ったタイミングで、自分のも一緒に食べてもらえたみたい。とうとう俺のケーキも、映画の歴史の一部に……みたいな経験でした(笑)。
──すごいエピソードですね。今回作っていただいたガトーショコラのポイントは?
僕もあまりチョコレートには詳しくはないんだけど、カカオ成分の高い、いいチョコレートを使うこと。あとは型に入れたあと、トントンして空気を抜くことですかね。気泡があるとムラができちゃうから、なめらかに混ぜたほうがいい。それと作る日の前の晩から、バターと卵は冷蔵庫から出して常温に戻しておくこと。作り方に関しては、コロナの影響でいろいろなお菓子屋さんやホテルが、独自のレシピをたくさん公開しているんです。「あの店の味ができるのか」と思うとモチベーションにもなるので、よく使ってますね。
ジョン・ファヴローが他人とは思えない
──ありがとうございます。では最後に、今後作ってみたいお菓子を教えてください。
簡単だからつい後回しにしていた、プリンを作りたいですね。僕らが中学生の頃、技術家庭の授業では、男子が旋盤での金属加工を学んでいる間に、女子は調理実習をやっていたんですよ。ある日女子がプリンを作って、「食べる?」とか言われて……。あの味が忘れられない。
──シチュエーション込みで、確かに記憶に残りそうです。
固くて中に気泡のブツブツがいっぱい入ってて……でもそれが異常においしかったんですよ。あと、Netflixで「アイアンマン」の監督のジョン・ファヴローが料理番組をやっているじゃないですか。
──ファヴローが食の世界を探求する「ザ・シェフ・ショー ~だから料理は楽しい!~」ですね。
いろんな人に「ジョン・ファヴローのまねしてるの?」と聞かれて、「いや観たことないから!」って答えていたんですけど、この間観てみたんです。意外と作品は真面目でした(笑)。でもあのモジャモジャ、ヒゲ、体型、メガネ……なんとなく他人とは思えなくて。
──いつか、お二人の共演が観てみたいです!
ははは、いいですねそれ(笑)。機会があればぜひお願いします。
樋口真嗣(ヒグチシンジ)
1965年9月22日、東京都生まれ。1984年「ゴジラ」に造形助手として参加し、映画界入り。「ガメラ 大怪獣空中決戦」「ガメラ2 レギオン襲来」「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」で特撮監督を担当したあと、「ローレライ」「のぼうの城」(犬童一心と共同監督)、「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」2作などで監督を務める。2017年には「シン・ゴジラ」で総監督の庵野秀明とともに日本アカデミー賞最優秀監督賞に輝き、2018年にはテレビアニメ「ひそねとまそたん」の総監督を担当した。2021年初夏、監督作「シン・ウルトラマン」の公開を控える。現在「ガメラ2 レギオン襲来」がDOLBY CINEMAで上映中。