坂本龍一やcero 高城晶平も注目のFALSETTOS 4人の“闘う女”が音楽で解き放つ自由な世界
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「東京インディー・シーン最後の刺客」……こんな物騒なキャッチコピーを背負ったガールズバンド・FALSETTOSは、一体何と闘っているのでしょう。
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2015年に坂本龍一氏のラジオ番組『RADIO SAKAMOTO』(J-WAVE)内オーディションで年間優秀賞を受賞。cero、表現(hyo-gen)ら同世代のバンドとの学生時代からの交友関係があるものの、長く正式リリース作品がないままで知る人ぞ知る存在でしたが、今年2月、満を持して1stアルバム『FALSETTOS』を<P−VINE RECORDS>よりリリース。盟友ceroの高城晶平くんがそのアルバムに寄せたコメントは、「闘いは続いている。すべての少女たちの自由のために。」でした。
ドラムのFumieが妊娠中に制作された、これから生まれてくる赤ちゃんの目線で「この世界の素晴らしさ」を謳う「Newborn Baby」。これから見る新しい世界、どんなおもしろい事があるだろう、どんな人に出会えるだろう、楽しみでたまらなくてわくわくする気持ち。英語が分からない私でも、ひとたびFALSETTOSのライブが始まると、歌詞が言葉として入ってこない代わりに、曲の本質がドカンと直接響いて来ます。
曲がリリースされてから初めて対訳を見て歌詞の意味を知り、この曲を聴くといつも条件反射的に涙が流れるのはそういう訳だったのかと、ハッとしました。
〈これから光を見に行くところ/これからハローと言いに行くところ/これから光を見に行くところ/これからこの変な世界を見に行くところ/ここを掘れ!〉
(Newborn Baby/対訳は公式サイトより)
真っ赤な口紅にド派手でサイケデリックなドレス、目元のラメよりも強く光る瞳、周りに媚びることなんて一切なく、颯爽と現れ嵐のごとく轟音をかき鳴らし、クールに立ち去る女たち。英語の意味はわからなくても、とにかく無条件にカッコイイ。私が憧れる「イイ女」の佇まいを、完璧に体現していました。
2000年代の萩尾望都先生の画風のように端正な顔立ちのMiukoが、ほぼ全ての楽曲の作詞を手がけています。背が高くラモーンズのようなカッコ良さのIngel(ベース)。手塚治虫先生の描く和登さん(三つ目がとおる)のような愛らしさのFumie。そしてキーボードとトランペットを駆使し、ソロ音楽活動や子供達のためのワークショップにも取り組んでいる多才なYukiko。バラバラだけれど、華やかな4人。
ステージを降りた彼女たちは、気さくで明るくかわいらしく、メンバーのお子さんを寝かしつけていたりと和やかであたたかいムードでしたが、そんな空気が信じられないくらい、音楽を通して観る彼女たちはとにかくギラギラして、野性的で、獰猛でした。「モテ」だとか「愛され」だとかの、女性を客体としてしか表せない古臭い感性から最も遠いところにある、女の子が女の子であるからこそ得られる強さ。
歴史上、“女性”はずっとマイノリティで虐げられてきました。力が弱いというだけで。二つの性の一方が、この社会のルールを作り上げたというだけで。
科学技術も思想も進歩した今はもうそんな時代ではない筈なのに、何百年何千年という歴史の重みがのしかかり、まだまだ色々な既成概念に縛られています。多くの人が、何だかおかしいと気づき始めた現在。この世の色々な所がほころび始めている現代。
「もっと自由になりたい」という、人間としての根源的な渇望が徐々に表に現れ、爆発する寸前の水風船みたいなこの世の中の空気。FALSETTOSの闘っている相手とは、特定の性別や人種や団体などではなく、人間の“自由”を奪い苦しめる古臭い価値観ではないでしょうか。
FALSETTOSの存在が、奏でる音楽が、膨らんだ風船をぶち破って、私たちを解き放ってくれると信じています。(松村早希子)