熊林弘高演出、野田秀樹の戯曲『パンドラの鐘』に松下優也 ビジュアル公開
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熊林弘高演出の舞台『パンドラの鐘』に松下優也が出演することがわかった。
1999年にNODA・MAP第7回公演として初演された野田秀樹の戯曲『パンドラの鐘』は、「遺跡の発掘」「古代の天皇の殉死」「長崎への原爆投下」などのモチーフを扱い、現代と古代という2つの時間軸を行き来する物語。今回は出演者の門脇麦、金子大地、柾木玲弥、松尾諭、緒川たまき、松下優也らが現代と古代をまたいだ1人2役を演じる。熊林がこの構想を野田に相談すると、野田は「そういう話なんだよ!」と快諾したとのこと。
今回の発表とあわせて、同舞台のイメージビジュアルと野田秀樹のコメント、公演日程が公開。4月13日に東京・池袋の東京芸術劇場でプレビュー公演を実施し、4月14日から同劇場で上演された後、5月9日に滋賀・滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、5月13日から兵庫・西宮の兵庫県立芸術文化センター、5月17日に石川・金沢の北國新聞赤羽ホール、5月22日と23日に茨城・水戸芸術館、5月25日に愛知・名古屋の日本特殊陶業市民会館を巡る。東京公演のチケットは3月6日10:00から販売開始。
野田秀樹のコメント
「天上天下唯我独尊」とは、「ジーザス・クライスト」と並び称せられる、あの「お釈迦様」が生まれた時に発した言葉だ。訳せば「この世に俺ほど尊いやつはいねえぜ」である。聞きようによっては、どんだけ傲慢?な響きを持つ言葉だ。だから案の定、この「唯我独尊」が、お釈迦様以外の口から発せられると、「独りよがり」などと訳されもする。だが、熊林氏の演出を見る時、私がいつも感じる、この人の「唯我独尊ぶり」の訳は、「独りよがり」の方ではなくて「お釈迦様」サイドの方である。つまり「尊い」方の「唯我独尊」訳である。世間だろうがコロナだろうが我関せず、熊林氏ならば、脚本をひたすら深く深く読み込み、自分が信じた通りの世界を創るだろう。熊林氏の「唯我独尊」にどっぷり浸った『パンドラの鐘』は、どんな響きをもって、天上天下に鳴り渡るのだろう。I have been looking forward to listening to it. 因みにこの日本語訳は「楽しみだ」である。……短い。