ZOC、日本武道館公演で刻んだ強い意志「出会っていくべき人がたくさんいて、影響を与えるべき人がたくさんいる」
音楽
ニュース
「私にとってZOCは青春でした」
香椎かてぃは最後のMCで、涙を流しながら手紙を読みあげた。そして新曲「REPEAT THE END」は、香椎かてぃがステージを去るなか、ZOCに残る5人で歌われた。香椎かてぃが、ステージへ深く頭を下げ、そして去っていく。
2021年2月8日、香椎かてぃの卒業公演でもあるZOCの『NEVER TRUST ZOC FINAL』が日本武道館で開催された。約2時間半に及んだ公演は、愛情と憧憬と共感と反発と誤解が乱反射しているかのような強烈な空間だった。ZOCが生身すぎるがゆえに、ファンは愛憎に囚われる。さまざまな感情が暴発するエネルギーこそが、ZOCを武道館に立たせた。
大森靖子が「360度晒し上げ状態」と表現したように、ステージは武道館の中央に設置されていた。そして、ZOCにとっての幕開けの楽曲である「ZOC実験室」でライブはスタートし、「AGE OF ZOC」「GIRL’S GIRL」と、女子であることを謳歌しながらも無邪気ではいられない現実を歌っていく。今回、コロナ禍の月曜日の16時30分から開演することになったのも運命のように感じられるのは、ZOCには常に社会が投影されてきたからだ。「断捨離彼氏」が描くのは、日本社会で女子が直面する時事的な問題でもある。
ZOCは、本質的には大森靖子による社会運動に近い。それは同性の若年層に強く支持されて成功し、ZOCは異様とも言える求心力を短期間で獲得した。しかし、その勢いはメンバー自身にもコントロール不能であり、だからこそZOCはソーシャルの業火に焼かれ続ける。
武道館公演を見ていて感じたのは、実存と虚像の混乱がファンの感情を揺さぶるのだろうということだ。西井万理那の「それな!人生 PARTY」、藍染カレンの「紅のクオリア」、巫まろの「まろまろ浄土」、香椎かてぃの「仮定少女」といったソロ曲は、さながらキャラクターソングのようにメンバーの個性を描く。大森靖子は弾き語りで「Rude」「パーティドレス」「ハンドメイドホーム」を歌ったが、売春を描いた「パーティドレス」は「主人公=大森靖子」という構図ではない。実存と虚像の差異がコンテクストの混乱を誘い、そこにSNSが混入することで事態は悪化し、「裏切られた」と感じるファンも出てくる。エンターテインメントは、ファンの数だけ虚像を生みだしてしまうからだ。
個人的には「パーティドレス」は、2012年に初めて大森靖子のライブを見たときに聴いた楽曲だ。あの衝撃の日から約9年の日々を、大森靖子が背負い続けてきてくれたことに感謝した。大森靖子が武道館に立つまでに病没した、熱心な大森靖子ファンの友人のことも思い浮かべた。
新曲の「FLY IN A DEEP RIVER」、そして「ピンクメトセラ」「draw (A) drow」への流れは美しく、ZOCのパフォーマンスを見せるパートだった。本編ラストの「family name」は、母親との関係性への苦悩を歌う楽曲だ。「family name」を聴くとき、私たちはいつでもZOCは何のために生まれてきたのかを再確認することができる。家族とは、私たちが最初に触れる「社会」である。
冒頭に記した香椎かてぃの手紙は、アンコールで読まれたものだった。「REPEAT THE END」を歌い終えたとき、ZOCに残る5人は、2020年にこの世を去った青柳カヲルがデザインしたTシャツを着ていた。大森靖子は武道館に至るまでの葛藤を語ったが、その言葉は強い意志に貫かれていた。
「出会わなければ、こういう気持ちを与えずに済んだのかなって思うこともたくさんあって、たくさんたくさんたくさん考えた末に、出会わなければよかった人なんて、ひとりもいないという結論になりました」
「藍染の実直さ、まろの歌、りこちゃんのダンス、にっちゃんの天真爛漫さ。すべてには、もっともっと出会っていくべき人がたくさんいて、影響を与えるべき人がたくさんいると思っています」
ライブの最後の最後は、アカペラによる「family name」。ZOCは、剥きだしの生身で終わった。取り繕うところはどこにもない。2021年という時代の生々しい記憶として、見た者の中に深く残るはずだ。自ら刻んだ傷跡のように。