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『俺の家の話』に登場するプロレス要素を解説 “スーパー世阿弥マシン”の元ネタとは?

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リアルサウンド

 宮藤官九郎脚本、長瀬智也主演のドラマ『俺の家の話』(TBS系)は、年老いた父親の介護に直面する主人公の奮闘を描くドラマだが、そこでフィーチャーされているのが伝統芸能である「能」と大衆娯楽の「プロレス」だ。

 特に後者は主演の長瀬がプロレスラーそっくりの身体づくりを徹底的に行って吹き替えなしでプロレスシーンを演じていたり、長州力が本人役で出演したりすることで話題になった。プロレスの場面は第1話の試合シーンで終わるのかと思いきや、第3話でパワーアップしていたのにも驚かされた。なお、プロレスシーンの監修は「ガンバレ☆プロレス」のレフェリー・木曽大介氏、同団体の現役レスラー・勝村周一朗選手(スーパー多摩自マン役としても出演。演技も上手い)、翔太選手が行っている。

 ここではプロレス初心者のために、『俺の家の話』に登場するプロレス要素を解説していきたい。とはいえ、筆者はただのプロレスファンでしかないので、プロレス関係者のみなさまにおかれましては、間違いなどがありましたら遠慮なくSNSなどでご指摘ください。

ブロディ、長州、武藤、蝶野……伝説のレスラー総進撃

 第1話はいきなりプロレスシーンから始まる。主人公・観山寿一のリングネームは「ブリザード寿」。ブリザードポーズをちゃんと正面(通路と反対側)に向けて決めている。子ども時代の寿一が寿限無に決めているのは長州力の必殺技・サソリ固め。ブリザード寿の寿固めはアントニオ猪木の必殺技・卍固めを変形させたもの。

 プロレスに入門した寿一がちゃんこを食べるシーンに出演していたのは、DDTなどで活躍する現役プロレスラーの大鷲透選手(寿一が所属する団体の会長役)。木曽大介氏のnoteによるとTBSの金子文紀監督直々の指名で出演したとのこと。

 寿一が憧れていたレスラーは伝説の名レスラー、“超獣”ブルーザー・ブロディ。“キングコング”の異名を持つ超大型レスラーで、チェーンを振り回しながらの入場から始まるド迫力のファイトで、ヒール(悪役)でありながら大人気を博した。「ハッ、ハッ、ハッ」はブロディ独特のかけ声(?)。幼かった寿一が寿三郎とテレビで見ていたのは、1985年10月31日に東京体育館で行われたアントニオ猪木対ブロディの試合。猪木の場外パイルドライバーでブロディを流血に追い込み、最後は反則勝ちを収めた。

 寿一が家を出たのが17歳だから、プロレスデビューしたのは90年代後半頃となる。当時は新日本プロレスなどのメジャー団体が東京ドームなどでのビッグマッチを年に数回の頻度で行っていた。ブリザード寿一のデビュー戦も大会場だったので、団体側の期待も高かった模様。デビュー直後からプロレス専門誌の表紙も飾り、業界全体で彼をプッシュしていこうとしていた様子がうかがえる。『週刊リング』の表紙に使われた「美獣」は70年代から80年代にかけて活躍した名レスラー、ハーリー・レイスのニックネーム。

 本人役で登場する長州力は、1980年代前半に「革命戦士」として大ブレイクしたプロレス界のスーパースター。90年代は現役選手でありつつ、新日本プロレスの現場監督として屋台骨を支えた。2019年に現役引退。必殺技のリキラリアットを第2話で寿一にくらわせたが、ド迫力はさすが。独特の言語感覚でも知られており、ドラマの中でも何度も放つ「キレてないですよ」は有名(UWFインターナショナル・安生洋二との試合後に発した言葉)。「形変えるぞ」は引退後にバラエティ番組で発したフレーズなので、寿一が知らないのも無理はない。

 長州力とともに90年代から2000年代のプロレス界を牽引したのが、若手時代のブリザード寿と対戦した武藤敬司と蝶野正洋。惜しくも亡くなった橋本真也と3人で“闘魂三銃士”と呼ばれていた。武藤敬司は抜群の身体能力と華麗なテクニックで大人気に。悪の化身、グレート・ムタとしても人気を誇った。蝶野正洋はヒール転向後、「nWo JAPAN」「TEAM2000」などのユニットを率いて爆発的なブームを巻き起こした。長州、武藤、蝶野はいずれもブリザード寿の大先輩にあたるため、第3話で揃って頭を下がられた寿一はうろたえるばかりだった。

 ブリザード寿はアメリカでの武者修行の後、プエルトリコへ転戦して膝に大怪我を負う。プエルトリコはプロレスが盛んな国だが、何よりブルーザー・ブロディが刺殺された土地としてプロレスファンの記憶に残る。寿一もブロディの面影を追って旅立ったのだろうか。ブロディが亡くなったのは現在の寿一と同じ42歳だった。

スーパー世阿弥マシンの元ネタとは?

 ブリザード寿が所属する「さんたまプロレス」は三多摩地域を中心としたローカル団体。現在、全国各地にこうした小規模なローカル団体が数多く存在する。さんたまプロレスの会長はレフェリーの堀コタツ(三宅弘城)。リング上でのキビキビとした動きが素晴らしい。プロレスのレフェリーはカウントや反則などをジャッジするだけでなく、試合の進行そのものを担うことが多い。レフェリーの動きも重要な試合のアクセントとなる。

 ブリザード寿の引退試合の後、堀コタツがプリティ原(井之脇海)を叱るが、背後のドアに貼られた「TIME HAS COME 時は来た」は橋本真也がかつて試合前に語った名ゼリフ。プリティ原がマイクパフォーマンスで語った「その道を行けばどうなるものか」はアントニオ猪木が引退試合で語った「道」という詩の一節。一休宗純の言葉として紹介されることがあるが、実際は住職・哲学者だった清沢哲夫の詩。ブリザード寿が控室で前髪を切るのは、藤波辰爾(当時・辰巳)の「飛龍革命」へのオマージュにも見える。

 第3話冒頭には寿一がスーパー多摩自マンの代役として出場したプリティ原との試合を振り返る場面がある。受け身を取り損ねて焦ったことを「一生の不覚」と悔やむが、プロレスにとって何よりも大事なのは受け身(入門直後も受け身の練習をしていた)。相手の攻撃を防ぐのではなく、攻撃をしっかり受けてから反撃に出るのがプロレスの魅力。寿一はそのような試合運びができなかったことを心から悔やんでいる。

 寿一が発案した覆面レスラー「スーパー世阿弥マシン」は、能を大成した世阿弥とスーパー・ストロング・マシンのマリアージュ。スーパー・ストロング・マシンはアントニオ猪木を苦しめたヒール、マシン軍団の一人。打ち合わせで寿一が盛り上がった「6.14蔵前国技館」とは1984年6月14日に行われたアントニオ猪木対ハルク・ホーガンの第2回「IWGP」決勝戦のこと。第1回の失神KO負けの雪辱を期した猪木だったが、突如乱入した長州力が猪木にリキラリアットをくらわし、ホーガンのアックスボンバーとも相打ちとなって不透明決着に。観客たちは激怒して騒乱状態になった。

 デビューしたスーパー世阿弥マシンは能面のオーバーマスクに世阿弥が遺した言葉が描かれたガウンを着用して入場する。「初心忘るべからず」は世阿弥の言葉。能面のオーバーマスクはWWEのASUKAが使用している。スーパー世阿弥マシンが相手の頭を足で挟んで投げ飛ばす技は「ティヘラ(スペイン語で鋏。あるいはヘッドシザーズホイップ)」。コーナーから繰り出すのはフライングボディアタック。大きく足を開いてL字にした指を左右に掲げるポーズは武藤敬司の「プロレスLOVE」ポーズをアレンジしたもの。一連の動きを長瀬智也が実際にやっているのは本当に驚きでしかない。実況の辻よしなりは『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)で長きにわたって実況をつとめた人物。

 寿三郎が見守る試合の序盤でスーパー世阿弥マシンがリング中央から動かないのは、「リングの真ん中に立っているのは格上」というジャイアント馬場の教えを忠実に守っている(たぶん)。プリティ原をキックで止めた後に放つのは、相手の首にダメージを与えるスタナー。最後の必殺技・親不孝固めはリバース式のテキサスクローバーホールド(ゴリラクラッチ)から相手の脛にかじりつく技。脛をかじるのはもちろん反則だが、プロレスの場合はレフェリーが見ていなければセーフ。「あの形から脛をかじる=親不孝固め」を考案したのは長瀬智也本人らしい(木曽大介氏のnoteより)。長瀬智也、あらゆる意味ですごすぎる。

 今後もスーパー世阿弥マシンの活躍は見られそうだ。どんなプロレス要素が飛び出すのか、注目していきたい。

■大山くまお
ライター・編集。名言、映画、ドラマ、アニメ、音楽などについて取材・執筆を行う。近著に『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』(共著)。文春オンラインにて名言記事を連載中。Twitter

■放送情報
金曜ドラマ『俺の家の話』
TBS系にて、毎週金曜22:00〜22:54放送
出演:長瀬智也、戸田恵梨香、永山絢斗、江口のりこ、井之脇海、道枝駿佑(なにわ男子/関西ジャニーズJr.)、羽村仁成(ジャニーズJr.)、荒川良々、三宅弘城、平岩紙、秋山竜次、桐谷健太、西田敏行
脚本:宮藤官九郎
演出:金子文紀、山室大輔、福田亮介
チーフプロデューサー:磯山晶
プロデューサー:勝野逸未、佐藤敦司
編成:松本友香、高市廉
製作:TBSスパークル、TBS
(c)TBS