映画と働く 第9回 ポスターデザイナー:黄海(前編)「創作とは、薄い氷の上を歩くようなもの」
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1本の映画が作られ、長きにわたり作品が残っていく過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。
今回は、日本を飛び出しての海外編として、中国のポスターデザイナー黄海に取材を敢行。「となりのトトロ」や「海獣の子供」、「STAND BY ME ドラえもん」の中国版ポスターを手がけたことで知られ、作品を発表するたびにWeiboでトレンド入りを果たすポスターデザイナーだ。そんな彼に仕事を始めたきっかけや、自身に課したルール、将来の夢などをたっぷりと語ってもらった。
また後日公開される後編では黄海自らが「千と千尋の神隠し」「パラサイト 半地下の家族」などのポスターに込めた思いを解説。さらに、処女作から2020年に手がけた作品まで40枚をギャラリーで一挙大放出する。お楽しみに。
取材 / 徐昊辰 文・翻訳 / 金子恭未子 題字イラスト / 徳永明子
伝統的なものの魅力は外ではなく内側にある
──黄海さんは厦門大学の美術学部を卒業されていますが、子供の頃から絵を描くことに興味があったのでしょうか?
私のおじさんたちが絵を描いていたので、その影響を受けて私も子供の頃から絵を描くことがとても好きでした。その気持ちは今でもずっと変わりません。高校生のときに先生から「君は成績がいいから美術の道に進む必要はない」と言われたんですが、やはり絵を描くことが大好きだったので思い切って美術学部を選びました。
──マンガやアニメから受けた影響はありますか?
子供の頃に受けた影響はあまり大きくはありません。今と比べてマンガやアニメに触れる機会が少なかったんです。観ることができたのは中国国内のものと、日本からやってきた作品。あとはディズニー作品や「トムとジェリー」くらいです。
──黄海さんの「となりのトトロ」のポスターは日本でも非常に好評でしたが、日本のアニメは子供の頃からご覧になっていたんですね。当時は80年代かと思いますが、どんな日本のアニメが放送されていましたか?
「ドラえもん」や「ドラゴンボール」です。「ドラえもん」は当時の私に、とても深く影響を与えてくれました。面白くて、想像力にあふれていて、多くの知識を得ることができましたね。アニメは私たちの想像力を満たしてくれるものです。大人になってからも「ドラえもん」や「鉄腕アトム」は追いかけました。そしてマンガが好きになり、いろいろな作品を読むようになりました。
──当時中国では日本のマンガは、あまり流通していなかったですよね?
多くはなかったですね。だから、流通するようになって読んだものも多いんです。手塚治虫さんが大好きで、「火の鳥」も読破しました。桜井画門さんの「亜人」も読みましたね。とにかくなんでも読んでいますよ。
──最新アニメを追いかけることを中国では「追番」と言いますが、黄海さんは現在も最新マンガやアニメを追いかけていますか?
今はあまり追いかけていませんね。年齢を重ねたことに関係があるかもしれませんが、最近は歴史に興味があるんです。特に東洋の文化が好きなんです。ここ数年で、書道のように中国から古くあるものに触れるのがどんどん好きになっています。歳を取ったということですかね(笑)。
──いえいえ。黄海さんにはぜひ日本に来ていただきたいです。奈良には、中国からの影響を受けた歴史文化がたくさん残っているのでご案内しますよ。
機会があればぜひ一緒に観光したいです。今の最大の楽しみは、時間があるときに外国に行くことなんです。私は現在、文化が蓄積された伝統的なものが好きなんです。歴史が沈殿しているようなものですね。伝統的なものの魅力は外ではなく内側にあります。若い頃は見た目のよいものに惹かれていましたが、今になって伝統的なもののよさを発見しました。
──歴史は何百年もかけて沈殿していきます。現代に残っているものは歴史的価値があるということですよね。
そうです。私は普段から墨で遊びますが、触れれば触れるほどその力がどれだけ大きなものかわかります。
──高畑勲監督の「かぐや姫の物語」もご覧になっていると思います。私は大きな衝撃を受けました。東洋文化の極限に達した表現だと思います。
水墨画は中国が世界の芸術に対して生み出した宝物だと思っています。墨と筆があれば描くことができる。油絵やそのほかの版画はすべて西洋のものです。水墨画は作り手の感情、情緒、功利、内にある教養の詰まったものであり、そのすべてが一瞬の感覚で表現されています。とても難しい表現なんです。10年間積み重ねたものを、舞台上の1秒で表現するようなもの。触れたとき、その限りない魅力に気付くのではないでしょうか。
中国にポスターデザイナーという概念はなかった
──黄海さんの経歴についても伺いたいと思います。大学を卒業したあとは、テレビ局の報道記者をされていたと聞きました。
当時は国内のデザインはイマイチで、デザイナーとして働く条件もよくなかった。福建省などの都市では特にそうです。そういった状況の中で、デザイナーとして働くのはつまらないと思い、あきらめたんです。ちょうどその頃、テレビ局に新しいニュースチャンネルができました。ニュースチャンネルで働くということはとてもすごいことでしたし、若者は新しいものが好きです。だからチャレンジしてみようと思ったんです。
──当時は世紀末、2000年前後です。現在より社会の物事に対して世の中の関心が高かったように感じます。
当時は「東方時空」(※中国のニュース番組)が始まった頃で、ニュースチャンネルが盛り上がっている頃でした。「新聞報道」も有力チャンネルの1つでしたね。本当に貴重な体験をしました。当時は世の中の人たちが報道番組に対して新しい要望を持ち、見方を探究していました。
──数年テレビ局で働いたあと、なぜポスターデザイナーに転身したのでしょうか?
テレビ局で働いていた当時、まだ創作に対して夢を持っていたので広告を作るようになったんです。4A(※中国商務広告協会総合代理専業委員会)制作のCMを観て、なぜ普段自分たちが作っているものよりよくできているのだろう? どうやって撮っているんだろう?と思っていました。そんな好奇心から、北上(※北京、上海、広東省の総称)の広告業界を見てみたくなったんです。だから会社を休職して北京に行く決意をしました。そして運よく、オグルヴィ・アンド・メイザーに入ることになったんです。
──なるほど。
そこでようやくシンプルに創作のことだけを考えられるようになりました。テレビ局で仕事をしていると、さまざまな人と触れ合い、多くの情報をキャッチする必要がある。一方、広告業界は1つひとつの創作物そのものを重視していきます。シンプルな空間です。環境が変わったことによって、私自身にも変化があったのはよいことでしたね。心の中が片付いて落ち着きました。
──1つのことに集中できるのはいい環境ですよね。
私にとって何かを生み出すことはとても大変なことです。どうやって正確に遂行するか、頭の中がいっぱいになります。広告で大切なのは速さ、正確さ、思い切り。精度が高いことがとても重要です。ですからあの頃はひたすら修正を繰り返していました。広告会社にいるときに、そういった訓練を受けたことはとても有益なことでしたね。
──黄海さんが広告業界で働き始めた頃は、中国では映画のポスターデザイナーという概念はなかったと思います。
なかったですね。映画の美術スタッフが適当にやればそれでよいものでした。2007年に私はオグルヴィ・アンド・メイザーを出て、別の広告会社に入りました。中国本土の企業で、オグルヴィ・アンド・メイザー時代の同僚が立ち上げた遠山広告という会社です。大手の広告会社に5年間いたので、小さな会社がどんなところか見てみたかったんです。そこで、ポスターデザインと出会いました。とても運がいいんですよ。
死ぬ気でやるしかなかった
──黄海さんが最初に手がけたのはチアン・ウェン監督の「陽もまた昇る」(原題「太陽照常昇起」)でした。どのようなきっかけでデザインすることになったのでしょうか?
チアン・ウェン監督が遠山広告の社長だったんです。当時我々の会社はみんな広告代理店出身者ばかりでした。だから映画がどのように作られるのか知っておいたほうがいいということになったんです。そのときに社長から「君がちょうどいい」と言われました。単純なきっかけなんですよ。
──そうだったんですね。
私は映画が大好きなので、福建省に住んでいる時代もよく北京に映画を観に行っていました。福建省で上映されるものには限りがあったからです。北京の会社で働くようになってからも、仕事をしているとき以外は映画を観ていました。1日に5、6本は観ていたと思います。文芸映画、商業映画、ジャンル映画、ドキュメンタリーなんでも。あの頃は毎日映画を観ていましたね。だから「陽もまた昇る」のポスターデザインを引き受けたときは、滅多にないチャンスだと思いました。
──仕事を引き受けたときは、映画はできあがっていたんでしょうか?
まだです。撮影中でとても混乱していました。スチール写真だけが送られてきて、それをもとに死ぬ気でやるしかなかった。どのようにポスターを作るか、現場にもノウハウがなかったんです。
──撮影現場にはいかなかったんですね。
当時は現場を訪ねるという概念すらなかったですね。
──チアン・ウェン監督とはまだ交流があるんですか?
ありますね。私にとってとても大切な人です。
──「陽もまた昇る」のポスターは国際的に大きな反響がありました。どのように感じましたか?
実際作っている過程は本当に大変でした。何が正解なのかわからないので一生懸命やるだけ。あのポスターは運がよかっただけだと思っています。
──謙遜しすぎです。黄海さんがポスターデザインを手がけるようになって、10年以上経ちました。ご自身で決めているルールはありますか?
それぞれの作品には独立した価値がある。ですから、尊重するということを大切にしています。海外のポスターをデザインするときは特に尊重することが大切です。私はポスターが大衆の目に触れて成長すること、すなわち人間の共通性が育つことを望んでいるんです。
──具体的にはどういう意味でしょうか?
互いに尊重するということは大衆の習慣であり、欲望です。世間一般の習慣や、美学には必ず人々が共感するものがある。ですから作品の質と大衆性のバランスは両方大切なんです。作品のクオリティを上げることと大衆に認められること、このバランスを取ることは私にとってとても重要な仕事です。これは、いい作品を作って、より多くの人に認めてもらうための唯一の方法です。いつまでも愛される作品というのは質が高く、大衆性のあるもの。映画も同じですよね。私たちは外国の映画を観ることが好きです。なぜか? そこには多くの愛と、共感できるもの、共通点があるからです。これはとても重要なことなんです。
──おっしゃる通りだと思います。私は日本の芸術が好きなのですが、日本の先輩たちは、作品・作者と鑑賞者との交流も芸術の一環だとお話ししていました。
まさにそうです! さまざまな分野におけるよい作品というのは、地域ではなく人文学に属するものだと思っています。真の芸術というのはより多くの人に受け入れられたものだと思っていますし、そうであることを私は望んでいます。
作品を尊重することは自分を尊重することでもある
──仕事をするうえでのルールを伺いましたが、必ず使用している道具はありますか?
Adobeのソフトを使います。それから、筆と紙とペン、これが私の基本です。
──10年以上の創作過程の中で一番忘れられない作品はありますか?
一番はないですね。創作というのは毎回、山頂を目指すようなものであり、薄い氷の上を歩くようなものです。山を登るのは本当に大変ですが、登ってみないとその美しさには永遠に気付かない。創作というのは私にとっていつもそういうものなんです。
──毎回新しい挑戦ということですね。
その通り。だから毎回難しいんです。
──本当に尊重する姿勢で1つひとつの作品に向き合っているということがわかりました。
作品を尊重するということは自分を尊重することでもあります。なぜなら作品を尊重してこそ、その世界に入り込み、創造することができるからです。
──黄海さんが2020年に手がけた作品について伺いたいと思います。「パラサイト 半地下の家族」のポスターはとても素晴らしかったです。
中国にある「鏡花水月」という成語をモチーフにしています。多くの人が言うように、「パラサイト 半地下の家族」は強化された寓話だと思っているんです。
──世界中のすべての人に警告する寓話ですよね。
2020年にはほかにも「第七の封印」のポスターをデザインしました。私のお気に入りです。
──DVDの収集が好きだと伺いましたが、クライテリオンとの仕事にも興味はありますよね。
そうですね。私の夢はクライテリオン製品のデザインを手がけることです。今も連絡は取り合っています。デザイナーなら間違いなくクライテリオンと仕事をすることは夢です。
──黄海さんはお好きなポスターデザイナーはいますか?
多すぎるほどです。ポスターデザイナーは実際のところみんな好きなんです。私はいろいろなポスターを見るのが好きなのですが、各デザイナーはそれぞれの創作ポイントを持っていて、それぞれの理解と技術があります。でも特に好きなのは、「E.T.」のポスターデザインを手がけたジョン・アルヴィンです。彼は映画の本質を捉えるのが非常に得意です。多くのアートポスターデザイナーがいますが、彼は芸術家としてのクオリティも高い。
──一緒に仕事をしたい監督はいますか?
わあ! それはたくさんいますね。仕事でなくても好きな映画はポスターを作ったりしています。私は欲張りなので、時間や能力があるかどうかは置いておいて、好きな映画はすべてやりたいです。日本の映画はとても好きです。特に黒澤明監督が好きですね。彼の作品は本当に格別です。クライテリオン社から発売された「七人の侍」を観たことがあります。ああいう仕事にあこがれます。小津安二郎監督も好きです。問題は彼らがもう亡くなってしまっていること。そして是枝裕和監督も好きです。
──クライテリオン社から発売されているソフトはとても多いですよね。
ほとんど独占状態ですからね。でもやはり彼らが手がけたものは素晴らしいです。創作の世界に限界はないと思います。素晴らしいクリエイターも多い。
──最終的にはクライテリオン社が手がけるようなソフトを購入することが主流になると思っています。新作映画の市場がこれ以上大きなることは難しいと予想しています。
同意します。1年間に世界中で多くの作品が生み出されますが、1人が観られる数は限られていますよね。映画というのは、例え今好きになれなくても、いつか好きになる日が来ることもあるものです。あとからソフトで観て、その人にとって大切な作品になる場合もあります。人間が成長する道のりにはさまざまな栄養が必要です。そういう意味で映画はとても養分の高い文化商品だと思っています。映画を単なる娯楽とは考えたくない。内面に影響を与えるものですから。
──いい映画は、時間が経っても残り続けますよね。
映画は心の中に種を植えることができる。これは私の映画に対する理解です。すべての人は心の中に種を持っています。映画は、自分の人生の多くのことを修正するのに役立つ種です。映画の魅力はそこにあると思います。
黄海(ホアン・ハイ)
1976年福建省生まれ。厦門大学の美術学部を卒業後、テレビ局に入社し、報道記者に。テレビ局退社後はオグルヴィ・アンド・メイザーでの勤務を経て、遠山広告に加入。そこでポスター第1作となるチアン・ウェン監督の「陽もまた昇る」(原題「太陽照常昇起」)を手がけ、世界中から評価される。その後、独立し自身の会社・竹也文化工作室を創立。