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『2016年の週刊文春』著者・柳澤健が語る、文春ジャーナリズム の真髄「権力に立ち向う数少ないメディア」

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 忖度だらけのメディアがあふれるなか、毎週のようにスクープを連発する『週刊文春』。なぜ、彼らだけが世の中を動かす『文春砲』を放つことが出来るのか。

 『2016年の週刊文春』は、そんな当代随一のスクープ雑誌の舞台裏を描きながら、『文芸春秋』社100年の歴史と人間模様、そして奮闘する編集者たちの姿を追ったノンフィクションだ。

 タイトルでピンときた人もいるかもしれないが、著者は『1976年のアントニオ猪木』を発表し、「〇〇年の〇〇」というエポックメイキングイヤーを軸に語る手法を確立した柳澤健氏。

 濃密な群像劇と数々の事件の裏側にも切り込み、512ページという大著を放った柳澤氏に、話を伺った。(大谷弦)

勝谷誠彦にはできて、自分にはできなかったこと

――スクープを連発する『週刊文春』の内情を描こうと思ったきっかけは?

柳澤健(以下:柳澤):『週刊文春』について書かないか、という話がきたとき、最初は躊躇したんですよ。業界の内幕や、メディアの攻防みたいなテーマに興味がある人というのがどれくらいいるのかというのもわからなかったし、どうせ私のことだから書き始めたら長くなるに決まってるし(笑)。単行本になっても、プロレスをテーマにしたノンフィクションよりは売れないかも、とも思った。

 ただ、花田紀凱と新谷学というふたりの天才編集者を主人公、あるいは狂言回しにして週刊文春60年と文藝春秋社100年の歴史を一望するのはおもしろいかな、と思い直した。

――かつて「週刊文春」に在籍した柳澤さんでないと書けない内容も盛りだくさんでした。

柳澤:複雑ですね。確かに僕は文春にいたけれど、当時、社内で起こったことを隅から隅まで知っていたわけでは全然ない。普通そうでしょ? プロレスラーだって、自分の試合のことを考えるのに必死で、他の人の試合なんてあまり観ていない。文春の現役社員だった時のことも知らないくらいだから、会社に入る前のことや、辞めたあとのことは余計にわからない。結局、イチから取材を重ねるしかないんです。

――身近なことほど知らないことが多い。

柳澤:はい。先日亡くなった半藤一利さんが執筆した『文藝春秋70年史』っていう社史があって、大いに参考にさせてもらいました。さすがによく書けてるんですよ。ただ、普通の社員は社史なんて読まないでしょ? 公式見解ばかりでつまらないのが普通だから。だから、つまらないのが普通の社史をおもしろく書いてやろうという野望があった。菊池寛が愛人を秘書にしていたとか、使い込みでクビにした経理社員が猟銃を持って文春に乗り込んできたとか(笑)。歴史を知ると、いまの事件も重層的に見えておもしろい。

 たとえば、文春を作った菊池寛は日本麻雀連盟の初代総裁で、国産第一号の麻雀牌はなんと「文藝春秋麻雀牌」っていうんだよ。そんな文春が黒川検事長の賭け麻雀のスクープをとったところが笑えるんですよね。

――裏側や歴史を知ることで、過去のスクープも違った形で見えてきます。

柳澤:僕がやってるのはノンフィクション。おもしろいエピソードは何人もの人たちが断片的に持っている。その事実を積み上げていく。編集長は全体は知ってるけど、細かい現場のことは知らない。逆に、取材現場に行く編集部員や記者たちは、雑誌の全体がわからない。いまの人たちは昔を知らないし、昔の人たちはいまがわからない。それを集めて、整理して、ミクロにもマクロにもピントがあった状態で書くのが仕事だと思ってます。

――その一方で、文春に在籍されていた頃の柳澤さんの回顧録にもなっています。

柳澤:この本を書くときに、最初に悩んだのは自分自身を出すか、出さないかという問題。自分を出せば、リアリティは出るけど自分語りになってダサくなる危険がある。出さなければ、クールでスタイリッシュにはなるけど、リアリティが薄れてしまう。両者を天秤にかけて、だったらリアルかな。ダサくてもいいからリアリティを出そうと。ただ、自分が出るところはあくまでも箸休め。ハードな話ばかりが続くと読者は疲れるので、時々笑い話を挟む時に自分を使った、というところはあります。

――現場のエピソードはどれも興味深かったです。

柳澤:僕が週刊文春にいたときはグラビア班で『顔面相似形』や『浩宮さまヘアスタイル改造計画』のようなバカバカしい企画を担当することが多かった。逆にいうと、ハードな事件取材はできない。『Emma』にいたときに、日航機墜落事件が起きて、遺族の所に行って話を聞いてこいと命令されたんだけど、できなかったことがある。大阪の遺族の家の前まで行ったけど、どうしてもピンポンを押せなかった。いま遺族が雑誌の記者に喋りたいことなんて何もないんじゃないかって思ったから。まあ、記者失格です。

――記者としては難しいところです。

柳澤:当時のデスクは花田紀凱さん。手ぶらで帰ってきた僕を怒鳴りつけることはなかったけど、「こいつにハードな取材は無理だな」って思ったんじゃないかな。一方、僕の一年下の勝谷誠彦は喪服を着て「故人の友人です。線香を上げさせてください」と言って遺族の家に上がり込み、仏壇に手を合わせて、「実は雑誌の人間でもあるので、ちょっとお話を聞かせてもらえませんか」ってコメント取って、遺品の腕時計の写真まで撮ってきた。敗北感を感じたよね……。他にもエピソードははたくさんあるけど、自分の話が出過ぎるのは違うかなと思って書かなかった。今回は花田さんと新谷くんが中心だから。

昔の文春は3年で異動

――花田紀凱さんの人物像は興味深かったです。

柳澤:花田さんは、僕にとって最愛の上司。いまの花田さんは体制べったりのネトウヨだと一般には思われてるかもしれないけど、それは実像ではない。僕は、『週刊文春』編集長当時の花田さんがどれほど凄かったのかを書いたつもりです。リーダーとはどういうものか、週刊誌の編集長がどのような決断を迫られるか。ただ、僕から見た花田さん像だけだと客観性がないので、周辺の人たちからの話も聞いて、立体的に書いたつもりです。

――「編集者」としては、まさに天才ということが伝わってきました。

柳澤:花田さんは人とは違う考えを持っている人間、変なことをやるヤツを面白がってくれるし、そういう人を探し出す目利きだった。僕自身、花田さんから「天才」とか「文章が巧い」って褒められたから、それでうれしくなってこの仕事を続けてこられたという面があります。僕が「小林久美子」というペンネームを使って皇室記事を書くと、花田さんはいつも面白がってくれましたね。

――編集部に小林久美子宛にラブレターが届いたというエピソードは面白かったです(笑)。

柳澤:写真付きでね(笑)。50代のおっさんで、バックにはシクラメンの鉢が並んでました。何考えてたのかなあ(笑)。ただ、最近気がついたんですけど、僕の師匠は橋本治だから『小林久美子 高校三年生』というのは、『桃尻娘』から来てるんじゃないかなって。僕の『1976年のアントニオ猪木』が文庫になるときに「完本 1976年のアントニオ猪木」ってつけたんだけど、ツイッターで「これは橋本治の『完本 チャンバラ時代劇講座』のオマージュであろう」と指摘されて、確かにそうだと思った。僕自身はまったく意識してなかったけど。僕は橋本治の影響を本当に深く受けているんです。自覚できないほどに。


――花田さんに限らず、週刊誌編集長としての責任の重さは凄いものがあるんだなって思いました。

柳澤:1990年代前後の花田週刊は、広告費だけで1号1億円くらい。部数も80万部近く出てたから売り上げも大きかった。一方で、取材経費は無尽蔵にかけたから、毎週のように大博打を売ってるようなもの。特に文春はヘアヌードに逃げなかったから、権力に立ち向かっていくしかない。花田さんは政治、経済のような硬いテーマと、芸能のような柔らかいテーマを両方うまく扱うスーパーな編集長です。

――本を読んではじめて知ったんですが、文藝春秋という会社は異動が多く、編集部や体制がどんどん変わっていくんですよね。

柳澤:そうですね。たとえば新潮社はほとんど異動がない。入社してから、定年までずっと文芸部という編集者がゴロゴロいるわけだけど、昔の文春は3年で異動です。最初の年はわけもわからず動き、2年目はやりたい放題。3年経ってちょっと飽きた頃に異動(笑)。だから、たとえば作家とのつきあいは、新潮のほうが明らかに深い。20年つきあってる人と、この前挨拶に来たヤツのどちらに原稿書くかっていったら答はあきらかでしょう。それでも文春は社風として人を動かし続けた。だからこそ活性化して明るくなっている部分もあるでしょうね。

――担当しているものだけでなく、会社全体をみるというか、愛社精神が強くなりそうな気がします。

柳澤:現場の人間からしてみたら、配属されて1年目は仕事を覚えるのに必死。2年めはバリバリに働く。そして3年めにはちょっと仕事に飽きてくる(笑)。そこで異動すれば、新しい空気を吸えるし、机を並べる相手も変わる。文春の風通しの良さや明るさは、そういうところから出てるかもしれない。

――それは会社として意図的にやっていたことなでのでしょうか?

柳澤:わかりません。歴史としてそうなっている。編集者を育てるという意味ではメリットも大きいんですよ。たとえば、僕が週刊文春のグラビア班にいた時、90年のイタリアワールドカップに「取材に行かせてください」って花田さんにお願いして、経費をもらって行かせてもらったことがある。そのあとにNumberに異動するんだけど、編集部にはワールドカップを実際に観たヤツなんていないから、初めてのサッカー日本代表特集もドーハの悲劇の時も初めてのヨーロッパサッカー特集も僕が中心となって作った。

 Numberのあと、僕は出版部に異動になったけど、イタリアワールドカップ以来の知り合いである後藤健生さんの『サッカーの世紀』という本を作った。僕には“文春サッカー本の父”という異名もあるんですよ(笑)。花田さんにワールドカップに行かせてもらったことで、文春でサッカーという文化を持ち込むことができた。そもそも花田さんがそういう考えだったんでしょうね。編集者を外に出せば、勝手に何かを拾ってくる。その経験や人脈は結局は会社のためになる、と。

――花田さんの意向でもあったんですね。

柳澤:でも逆に言うと花田さんは横並びで組織をまとめようとしないから、愛されてない人たちは不満を持ったでしょうね。こいつは面白いと思えば重用するけど、重用されない人たちもいるわけだから。花田さんはスターだから、嫉妬する人も多かった。そういう負のエネルギーが社内に溜まっていて、花田さんが退社することにも繋がってると思う。

――記事が問題になっただけじゃなく、花田さんへのジェラシーもあったからこその退社劇に繋がった。

柳澤:文春だって、面白い人ばかりではない。むしろ普通の人の方が圧倒的に多い。花田さんみたいな感覚の人は排除されてしまうんでしょうね。上層部というか、立場が上の人が花田さんを見れば、また違うだろうし。私はエラい人になったことがないからわからないけど、権力を持つ人からみたら花田さんが疎ましかったのかもしれない。

スクープを連発

――そのバトンを見えない形で受け継いだのが、本書のもうひとりの主役である新谷学さんです。

柳澤:新谷くんは、僕の4年下で入ってきて、Number編集部でも一緒だった。ちょっと強面だけど、一方では凄いオシャレ小僧で、出版界でも一番じゃないですか。新谷くんがファッショングラビアで撮られてるのを観たこともある。ツイードのスーツを着こなして、もう一分の隙もないわけ(笑)。

 今回は、花田さんと新谷くんというふたりを主軸にしようという構想ではあるんだけど、僕は花田週刊を実際に体験してるから、そこにハンデはあるんだよね。どうしても花田さんのエピソードが多くなっちゃうから。新谷くんも「花田さんはカッコいいエピソードがたくさんでてくるけど、僕は酔っ払って怪我するとかそんなのばっかり」と僕にこぼしてましたけど(笑)。かっこいいエピソードもあるんですけどね。

――その新谷さんが2015年の秋に春画のグラビアを掲載したことを理由に、3か月の休養を言い渡されます。そして、2016年正月に復帰後、週刊文春はスクープを連発し、文春砲を確立するというのが『2016年の週刊文春』の章になります。

柳澤:いろんなタイミングが重なって、あの快進撃が起きたんだと思う。新谷くんも休養でリフレッシュして、気持ちを新たにしたこともよかたし、新谷くんの下にいた編集部員たちも、理不尽な処分を受けた親分のために、なんとかスクープをモノにしてやろうと爪を研いでいたんじゃないかな。すごいスクープの連続でしたよね。

――「ベッキーのゲス不倫」に始まって、「甘利大臣の賄賂疑惑」「清原覚醒剤疑惑」「宮崎謙介育休不倫」「元少年Aへの直撃取材」「ショーンKの嘘人生」……と毎週のようにスクープが飛び出し、その結果、ベッキーが謹慎、甘利大臣が辞任、ショーンKが降板など、世の中を動かしました。

柳澤:ベッキーの不倫は、別にどうってことない話(笑)。でも、彼女が『週刊文春』が出る前に記者会見して記事内容を完全否定し、その際に嘘をついた。だから『週刊文春』はLINEでのやりとりまで出さざるを得なくなって、結果、ネットで炎上した。ベッキーが比較的小さい事務所にいたこともあって、他のメディアも次々に後追い記事を出したから大騒ぎになった。文春がちゃんとしてるのは、後に「ベッキーからの手紙」を載せてるし、そもそも彼女のことを叩いてない。

――事実を晒しているだけであって、良いとも悪いとも言ってないんですよね。

 柳澤:『週刊文春』をゴシップ誌と言う人もいるけど、そういう面がゼロとは言わない。ただ読者がそういう記事を求めていることは確かだし、権力に立ち向かっている数少ないメディアであることは間違いない。実はいま僕がやっている仕事も、すごく文春的というか、手法が近い。某レスラーにどう思われても、ファクトを積み上げて完全否定する。スケールは全然違うけど(笑)、結局は僕も文春ジャーナリズムをやってるんだな、と最近思うようになりました。

――この本は『週刊文春』を文春的手法でルポしたという画期的な構造になってますね。

柳澤:個人的に親しい人もたくさん登場するけど、ちゃんとフェアに書いたつもりです。花田さんも、新谷くんも、そこは評価してくれてます。文春社内の評判もいいですよ。ただ、文句のある人は私には言ってこないから(笑)。

――いま日本のメディアはスクープに関していえば『週刊文春』が独走というか、孤高の存在になっています。

柳澤:『週刊ポスト』や『週刊現代』は、もはやスクープ戦争からは降りてしまって、「死ぬまでセックス」とか「食べてはいけない」とか、そんな特集ばかりやる定年後の団塊世代向けのクラスマガジンになり果てている。文春がそうなっていないことはOBとしてうれしいですよね。いまは雑誌が売れない、広告が入らない大変な時代。コンテンツメーカーよりもプラットフォーマーが圧倒的に強い時代に、100年の歴史を持つ出版社がどう対応していくか。スクープという武器を使って、デジタルで勝負していくしかない。その最大の推進者が新谷学です。いま、文春に新谷くんみたいな豪腕のリーダーがいるのは非常にラッキーなことだと思います。

――危機感はあるけど、次世代のビジョンも見えているんですね。

柳澤:編集者はみんな雑誌づくりが大好き。でも、編集者はおもしろいことをやりたいわけで、紙であることは本質的な問題ではない。いまの『週刊文春』編集長の加藤晃彦くんは、「別にめちゃめちゃ稼がなくてもいい。『週刊文春』のちょっといい加減で、でも、おもろいことをみんなでやろうぜ、という環境をなんとか残したい」って言ってましたね。ビジネスはもちろん大事。でも、それ以上に大事なのはおもしろいことをやるということ。文藝春秋はそういう会社なんです。

――本書を読んで、これから文春に入りたい、という人が増えそうです。

柳澤:それは意識してます。この本を読んで、優秀なヤツがひとりでもいいから文春に来てくれることを願ってます。いい給料をもらうんだったら、コミックを出してる出版社のほうがいいかも。でも、たぶん文春のほうが楽しい仕事ができるんじゃないのかな。

■書籍情報
『2016年の週刊文春』
柳澤健 著
定価:本体2,300円+税
出版社:光文社
公式サイト