『犬鳴村』のスケールを大きく超える恐怖表現 『樹海村』の恐怖の源泉を考察する
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90年代の終わりから2000年代にかけて、ブームを巻き起こし、「Jホラー」として世界的な注目を集めた日本のホラー映画。その代表的な存在である清水崇監督が、いま手がけているのが「恐怖の村」シリーズだ。福岡に実在する「旧犬鳴トンネル」にまつわる都市伝説を映画化した前作『犬鳴村』(2020年)のヒットを受けて、やはり日本に実在する場所「富士の樹海」を舞台に、ふたたび村にまつわる恐怖を表現する。
ここでは、そんな本作『樹海村』や、シリーズ全体を振り返りながら、描かれた恐怖の源泉がどこにあるのかを、できるだけ深く考察していきたい。
富士の樹海は、富士山の周辺に広がる森林地帯である。約1200年前に起こった富士山の噴火によって流れ出た溶岩流が、あらゆるものを焼きつくし、その30平方キロメートルもある広大な面積の土地には、長い年月をかけて森が形成された。ここが自殺の名所として知られるようになったのは小説に書かれたことがきっかけとされている。さらに口伝えなどで広がった噂や、TV番組などで何度も紹介されることで、地元の人々にとっては迷惑な評判が定着してしまった。海外でも「スーサイド・フォレスト(自殺の森)」としてメディアで紹介され、ガス・ヴァン・サント監督による、自殺を題材にしたアメリカ映画『追憶の森』(2015年)の舞台ともなった。
森の中では方位磁石が狂うという話や、一度迷い込んだら出られなくなるなどの都市伝説が広まっていて、『犬鳴村』同様、本作でもこれらの噂を映像として表現している。前回大変な目に遭ったはずのユーチューバー、アッキーナ(大谷凜香)は、本作にも登場。樹海で死体を探す実況配信を行うという、またもな不謹慎な行動に出る。そして彼女が、前作に引き続いて都市伝説のなかの典型的な被害者を演じている。
樹海の噂は比較的現実的と思えるものが多く、『犬鳴村』よりも幻想的な怪談としての密度は薄いといえる。そこで本作は、インターネット掲示板で広まった都市伝説「コトリバコ」をミックスさせることで、かなり盛り沢山の内容にしている。
都市伝説「コトリバコ」とは、日本のある地方で、古くから村ごと差別に遭っている人々に伝えられたという“呪いの箱”についてのエピソードだ。村の人々は外の人々に対抗するため、強い怨念の力で周囲の女や子どもの命を奪うというコトリバコを一種の武器として使用していたという設定となっている。この箱には動物の血と子どもの身体の一部が入っていて、その中身となった死体の数によって呪いの強さが異なるのだという。本作では、そのシャレにならないようなきわどい設定を改変し、大人と子どもの違いなく薬指を箱に入れることで呪いが生まれるという設定にしている。
『犬鳴村』と同じく、本作にも霊感が強く、“異界の者が見えてしまう”女性が登場。山田杏奈演じる天沢響と、山口まゆ演じる、その姉で霊的な力は弱い天沢鳴が、友人たちとともにコトリバコを発見してしまうことで、彼女たちや、とりまく人々を襲う、禍々しい呪いとの闘いが始まることになる。
目を見張るのは、『犬鳴村』のスケールをすら大きく超える恐怖表現である。コトリバコの呪いに怯えた響や鳴たちは、寺で箱のお祓いをしてもらうことになる。異界の者を感じることのできる響が、お祓いの様子を見ていると、いつしか彼女の周囲には、この世ならざる者たちがうごめいている。異常を感じた響が寺の建物の外に出ようとした瞬間、寺の境内全体で同じように異様な現象が起きていることにも気づく。このように、飛躍的にスケールが広がる演出があるのが、本作における大きな驚きとなっている。
同様に、クライマックスにおける溶岩洞での怪異の表現も、これまでの清水監督作品には見られなかったような、大規模なスペクタクルが展開する。それは「Jホラー」というより、ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』(2006年)を想起させられるような、一種の「ダークファンタジー」として成立している部分があるように感じられる。さらに、本作の姉妹や母親への愛情がフォーカスされる展開は、『アナと雪の女王』(2013年)のようですらある。
同時にデル・トロ監督も、アカデミー賞作品賞などを受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年)では、中田秀夫監督の『仄暗い水の底から』(2002年)のような、おどろおどろしい水の演出を行っている。ハリウッド映画の製作を経た清水監督は、東洋と西洋の狭間にある立場を自作のなかで昇華することを考えているように思える。そのバランスが、東洋の作品をも愛し、表現をとり入れるデル・トロ監督を、別方向から同じ座標へと導いたのかもしれない。
とはいえ、清水監督のもともとの才気が発揮されたシーンにも、継続して見どころがある。息を呑んだのは、ある不幸があった人物の妻が、加害者の家族の挨拶を無視して、凍りついたような笑みを浮かべながら扉を閉め、磨りガラスごしに不気味な姿を見せるシーンだ。人が、人を憎むことで生まれる連鎖……本作がたどり着くコトリバコと樹海の真相の奥にあるのが、その構図であるように、この奇妙なシーンでは、呪いというものの本質が、よりストレートに表出されているように感じられる。その意味では、複雑な儀式めいたルールが必要なコトリバコの描写以上に、この一瞬の場面が印象に残る。
『犬鳴村』も『樹海村』も、怪異の謎を遡っていくと、たどり着くのは被害者の復讐の感情である。それは同時に、加害者の罪の意識が反射したものであるとも考えられる。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年)では、アメリカの社会で銃が蔓延し続けている理由の一つとして、黒人に対する白人の防衛意識があるのではないかという考えを紹介している。差別的な白人ほど、自分自身が差別を行ってきたことや、自身の民族が長い年月にわたり、ある人種の人権を奪ってきたということを、じつは心の中でよく分かっているのではないか。だからこそ、自分が踏みつけてきた集団に復讐されるかもしれないという、ヒステリックな妄想が自然に生まれるのではないか。その構造は、日本において、ある集団に対する差別的なデマが蔓延した歴史や、いまもかたちを変えながら同様の問題を抱える社会の状態と重なっているように見える。
そう考えると、口で伝えられ、妄想や創作が入り混じる都市伝説における恐怖というのは、多くの人々に共通する意識や深層心理が反映したものなのかもしれない。それを映画にする「恐怖の村」シリーズは、まさにホラーというかたちで、日本の歴史を描き、いまの日本社会を表現したものだといえるだろう。そしてそれが、いまの「Jホラー」であるのかもしれない。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『樹海村』
全国公開中
出演:山田杏奈、山口まゆ、神尾楓珠、倉悠貴、工藤遥、大谷凜香
監督:清水崇
脚本:保坂大輔、清水崇
企画プロデュース:紀伊宗之
配給:東映
(c)2021『樹海村』製作委員会