Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > ぴあ映画 > 人間の心と社会の闇を深くえぐる “ワールドクラス”の日本映画となった『すばらしき世界』

人間の心と社会の闇を深くえぐる “ワールドクラス”の日本映画となった『すばらしき世界』

映画

ニュース

リアルサウンド

 自らの脚本によって、リアリティある人間ドラマを映画監督として描き続けてきた西川美和。この度、その作品のなかでも、驚くほど濃厚で、人間の心と社会の闇をこれまでになく深くえぐる映画が現れた。本作『すばらしき世界』は、その意味で、「ワールドクラス」と言える必見の日本映画となっている。ここでは、本作がなぜそこまでの作品と言えるのかを、描かれた内容を振り返りながら解説していきたい。

 本作は、作家・佐木隆三が実在の人物を取材して書いた小説『身分帳』(1993年)を原案として、設定を現在に移して書き換えている。オリジナル脚本を手がけてきた西川監督にとっては、初の試みだ。そして、役所広司が演じる主人公は、暴力団だった過去を持ち、罪を犯して長年の間刑務所に服役していた男・三上。務めを終えて出所した彼は、生き別れとなっていた母親を捜してほしいと、TV番組の若手ディレクター津乃田(仲野太賀)に相談していた。津乃田の方は、敏腕TVプロデューサー吉澤(長澤まさみ)の命により、刑務所生活の長かった三上が社会復帰することができるのか、その生活をドキュメンタリー作品にするため、ビデオカメラで撮影することにする。

 気の弱いところがある津乃田は、殺人犯として収監されていた三上に会うことを警戒していたが、会ってみると意外にかわいげのある振る舞いや、屈託のない笑顔を見せる、裏表のない性格に好感を抱き始める。だが三上は、ときに激昂する姿を垣間見せることがあり、路上で悪さをしているチンピラを叩きのめすこともある。就職活動に励んだり、自動車免許を取得しようと、社会復帰に前向きな三上ではあったが、そのような気性を変えない限り、彼が社会に溶け込むことは無理だと感じる津乃田だった……。

 あらすじを書き連ねていくと、いかにも地味に感じられるストーリーだが、本作は目が離す瞬間がないと思えるほどに面白い。それは、もちろん西川監督の手腕によるところも大きいだろう。劇映画には主軸となるテーマが必要になる場合がほとんどだが、そこに集中するあまり、シーン自体の娯楽性が薄くなっている作品は少なくない。例えば、三上が同じアパートのチンピラと勝負する展開や、教習所でデタラメな運転をしてしまうシーンなど、本作の多くの場面は、一つひとつがテーマに関係しながら、同時に、刑務所あがりの男が現代社会で体験する苦い現実を、ユーモラスな娯楽表現としても成立させることができているのだ。

 そして、なんといっても役所広司の名演に触れずにはいられない。もともと役所は、顔の表情だけで複数の感情を表現したり、目の焦点を変えるだけでも多くの事柄を語り得るほど、演技のプロとして高いステージにある俳優である。とはいえ、凶暴なヤクザの役は、『孤狼の血』(2018年)などで、現代の日本映画としては十二分に好演しているとはいえ、一方で持ち前の上品なイメージが影響することで、例えば『仁義なき戦い』シリーズの俳優たちの持つ、ある種のいかがわしさまでには達していない部分があったように感じられるところがあった。これは役所だけでなく、俳優たちも、そして映画監督たちがより大人しい存在となった日本映画全体に共通する事象だといえる。

 だが本作の三上は、内に野生味を秘めながら社会復帰を目指すことに葛藤する役だ。その意味では、『孤狼の血』を経た役所の個性と演技のバランスは、まさにうってつけではないか。このような現代社会との軋轢を体現した役所の演技は、同様に社会に押し潰される男を描く『ジョーカー』(2019年)で主演を務め、アカデミー賞他多くの賞を獲得したホアキン・フェニックスの演技と比較しても、けして遅れをとることはないだろう。

 そこにあるのは、おそらく、“人間を描こう”、“人間を表現しよう”という強い意志ではないか。三上はけして悪人ではないし、聖人であるわけもない。さまざまな問題を引きずり、迷いながら生活を続けていく存在である。それは、より良く生きたいと願う多くの人間の象徴ともいえる。そして、彼の行動や性格の理由は、幼少期に生き別れとなった母親との関係にあったことも分かってくる。

 本作では、やっと三上が勤めることのできた介護施設で、ともに働いている青年が他の職員たちから執拗に責められ、いじめを受けているところを目撃する様子が描かれる。三上は衝動的に、その現場に飛び込んで、職員たちを叩き伏せようとしてしまう。

 なぜ、三上はそんな衝動を覚えてしまうのか。それは、被害に遭っている青年が、三上と同じように不器用で、周囲に馴染むことが苦手な存在であるからだろう。もっと言えば、幼少期から家族からの愛情を知らずに育ち、腕っぷしだけを頼りにヤクザの世界に飛び込んで、いつしか世の中全体から“反社(反社会勢力)”として排除される存在となることを経験した三上にとって、目の前で排除されつつある青年はまさに自分自身のように映ったのではないか。

 だが、その気持ちとは裏腹に、三上はその状況を黙認する。そして、その青年を揶揄する同僚に対して、追従すらしてしまう。弱い者を見捨て、面倒を避けて長いものに巻かれる……まさに三上は、この瞬間に、生活を守りリスクを避けるために目の前で起こることを見ないようにする、現代社会の一員になったのだ。しかし、それが目指すべき“普通”の生き方だというのなら、“普通”とは、ひたすら社会から与えられた自分の立場を優先して、あくまでその範囲が定める中でしか、正しく生きられないということなのだろうか。

 三上は、六角精児が演じるスーパーの店長に短慮を諌められた際に、世の中の階級構造について言及している。社会は、権力を持っている者が下の人間を利用することで成り立っているところがある。そこで三上は、「自分は大人しくなんかしていない」と、気を吐いていた。

 弱い者を助けるという考えは、もともとヤクザ社会のなかで「任侠」として理想化されてきた思想でもある。1960年代頃にブームになった任侠映画は、はみ出し者を主人公にしたからこそ持ち得る善性を描いたものだった。だからこそ、その象徴の一人である俳優・高倉健のイメージは、大きな力に追従しようとする政府の動きに反発する、当時の学生運動の旗印ともなったのだ。しかしそんな理想に反して、現実のヤクザは、「シノギ」と呼ばれる賭博、詐欺、売春、覚醒剤など非合法なビジネスを営む存在として、凶悪化していった面がある。

 三上は、ヤクザ社会でおそらくこのような闇のビジネスを経験しながらも、“一匹狼”になることで、一時的に食物連鎖のシステムの外にいることができた。だが、真っ当な社会に参加しようとすると、彼はふたたびその構造の底辺の位置で、強い者に追従することを求められ、さらに自分よりも低い位置にいる者を踏み潰すことすら強いられるのである。それが社会というものなのだとしたら、果たしてそんなものに価値などあるのだろうか。そして、“反社”に組み込まれた者たちは、そんな弱肉強食の社会が無自覚的に送り出してしまった存在だったのではないのか。

 そのような絶望的な世界に光明を与えるのが、台風の日に介護施設の青年が、園に植えたコスモスを助けだそうとする場面である。彼は、あんなにも苛烈な扱いを受けたその日に、それでもなお自分よりも弱いもののことを心配することができる人物だった。もちろん、施設の花壇から花を掘り起こして持ち出したりしたら、後日問題になるのは目に見えている。掘り起こしたことで、むしろ花が台風を生き延びる可能性を奪い、花の寿命を縮めてしまったかもしれない。しかし青年は目の前のコスモスに対して、何かをせずにはいられなかったのだ。世の中に価値があるとするなら、それは誰かが自分以外の者のために優しさを見せる瞬間に発揮されるものなのではないだろうか。それは、自分の生活を待ちながら三上の社会復帰を応援した人々の姿にも重ねられる。

 三上は児童養護施設に育ち、母親が自分を迎えにきた事実があったのかどうかを気にしていた。三上には知り得ないその事実は、彼にとって“世界の意味”を変えてしまうほど大きなものだ。もし、母親が自分を迎えにきてくれるような世界であれば、そこは彼にとって生きるに値する世界になり得たはずである。暴力が幅を利かす世界に身を投じた三上が、それでも自分の能力を使って弱い人を助けてしまうのは、世界には自分以外の者を助けようとする優しさがたしかに存在し、母親もまた自分のことを気にかける人間だったということを、自分自身に言い聞かせようとしていたのではなかったか。だからこそ劇中で三上は、優しさによって掘り起こされた、善意の象徴であるコスモスをしっかりと握りしめたのではないだろうか。

 優しさや心遣いによって、世界はその姿を変える。三上が安田成美演じる昔の妻と会話するシーンは、そんな瞬間を、カメラのフォーカスを利用した、光がぼけて広がっていく演出で表現する。“自己責任”という言葉が蔓延し、“自助”を強調することで政府すら自らの責任を回避しようとする現在の社会において、それでも世界の価値を見出そうとする本作は、本来の人間の価値や社会の価値を、きれいごとだけではなく問題点をも描くことでリアリティを持たせながら、あらためて正面から提出しているのだ。

 そして本作では、三上の生き方に影響される津乃田の姿も印象的に描かれている。彼はもちろん三上のように腕っぷしで、自己責任社会を打破していくようなことはできない。だが津乃田には、文字を紡ぐという才能がある。彼は彼のやり方で現状をうったえ、人の心を動かすことで、社会の構造に変化を与えられる可能性がある。自分のやり方で、この世界をより良い状態にしていく……それは、三上を助けた人々にもいえるし、あのコスモスを掘り起こした青年にもいえることだ。そして、この映画自体もそんな役割を担っているといえるのではないか。生きるに値する“すばらしき世界”をつくることは、誰にだってできる。本作はそんなメッセージとともに、広い視野でグローバルに通用する、未来に開かれた作品となっている。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『すばらしき世界』
全国公開中
出演:役所広司、仲野太賀、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、長澤まさみ、安田成美
脚本・監督:西川美和
原案:佐木隆三著『身分帳』(講談社文庫刊)
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
公式サイト:subarashikisekai-movie.jp