良きライバル、ターナーと競い合った因縁の展示の再現も! 三菱一号館美術館『コンスタブル展』をレポート
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展示風景より。ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景》1816-17年 テート美術館蔵
19世紀イギリスにおいて、膨大な数の風景画を描き、風景画のジャンルとしての地位を盟友J. M. W. ターナーとともに引き上げた画家、ジョン・コンスタブル。日本で35年ぶりとなる彼の大回顧展が三菱一号館美術館で2月20日(土)から5月30日(日)まで開催されている。
『テート美術館所蔵 コンスタブル展』は、イギリスのテート美術館が所蔵する彼の作品や、ターナーをはじめとする同時代の作家作品を中心に紹介。コンスタブルがどのように独自の風景画を作り上げていったのかを辿っていくものだ。
1776年生まれのコンスタブルはロンドンの北東、自然の豊かなサフォーク州で裕福な製粉業者の子として生まれた。当時、風景画は歴史画が頂点にある美術のヒエラルキーにおいて、低い地位にあった存在。しかし、彼は自分が育ったサフォーク州の風景など、戸外の情景を描かずにはいられなかった。
宗教改革後のイギリスでは、従来の宗教画や歴史画よりも風景画や風俗画に関心が集まり、また上流階級の子弟たちがヨーロッパ大陸へ赴く「グランド・ツアー」の風習や景観を尊ぶ文化など、その後の風景画の人気に繋がる地域的な特徴も多くあったという。19世紀に入ると、コンスタブルは戸外に出て自然を目の前に風景画を描くようになっていった。
コンスタブルの風景画は次第に評価を集め、1819年にイギリス画壇の権威的団体であるロイヤル・アカデミーの准教授に選出されることとなる。ロンドンに拠点を移した後も、彼は肖像画の注文を受けつつ風景画に情熱を注ぎ続けた。
アンドリュー夫妻の肖像画も、ロンドン時代にコンスタブルが注文を受けたもののひとつ。風景画を得意としていたコンスタブルだが、人物の柔らかい表情や、特に女性の衣装などを非常に巧みに描いている。
そして、本展の目玉となるのは、1832年のロイヤル・アカデミー展で隣り合わせて展示されていた、ターナーの《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》と、コンスタブルの《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》を並べての展示だ。
両作品はともに1832年のロイヤル・アカデミー展で発表された作品だ。コンスタブルの良きライバルであるターナーは、自作の隣にコンスタブルの華やかでダイナミックな作品を出すことを知り発奮。開幕前の最後の手直しができる「ヴァーニシング・デー」の期間を使って、たゆたう船の前に観客の目を引く明るい赤色のブイを描き足したと言われている。後日、この話を聞いたコンスタブルは愚痴をこぼしていたという逸話も。
この両作品が揃って展示されるのは1832年を除いて3回目。そしてイギリス国外では初めてのこととなる。
故郷のサフォーク州や、親しい友人や家族たちと過ごしたソールズベリやブライトンなど自身の愛する風景を、ときには理想を交えつつ描き続けてきたコンスタブル。彼が愛した土地への思いもしっかりと受け止めてみよう。
取材・文:浦島茂世
【開催情報】
『テート美術館所蔵 コンスタブル展』
2月20日(土)~5月30日(日)、三菱一号館美術館にて開催
https://mimt.jp/constable/
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