書店は“犯罪者の手記”や“ヘイト本”とどう向き合うべきか? 書店のリアルを活写する『書店員と二つの罪』
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書店員を主人公にしたミステリーの作者として、碧野圭ほど相応しい人はいないだろう。なぜなら、書店を舞台にしたお仕事小説『書店ガール』全7巻の作者だからだ。書店や出版業界を取り巻く厳しい現実を踏まえながら、女性書店員たちの前向きな生き方を描いた『書店ガール』はヒット作となり、『戦う!書店ガール』のタイトルでテレビドラマ化もされた。まさに代表作といっていい作品なのである。
その作者が、再び書店員を主人公にした物語に挑んだ。しかもミステリーである。書店や古書店を舞台にしたミステリーは、大崎梢の「成風堂書店事件メモ」シリーズや、三上延の「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズを始め、幾つも存在している。そうした一群のミステリーの特徴として、あまり凶悪な犯罪を扱わないことが挙げられるだろう。もちろん殺人事件を題材とした作品もあるのだが、数は少ない。まあ、考えてみれば当然か。本来、犯罪と無縁(万引きを除く)な書店や古書店を舞台とするならば、ミステリーの内容も日常の謎が中心になるのである。
だが、本書は違う。社会派書店ミステリーとでもいえばいいのか。非常に重い題材を扱っているのである。モデルになっているのは、神戸連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇事件」の犯人の少年Aが、2015年に元少年A名義で出版した手記『絶歌』を巡る騒動である。この点に触れる前に、まず物語の粗筋を書いておこう。
高田馬場にあるチェーン書店「ペガサス書房」で副店長をしている椎野正和は、取次から送られてきた本を見て衝撃を受ける。死我羅鬼潔著の『告白 名古屋東部女子中学殺人事件』。17年前に起きた殺人事件の犯人の手記だ。死我鬼潔を名乗った犯人は、当時、中学3年生の藤木創。学校の同級生の田上紗耶香を殺し、バラバラにしたのだ。死体は何かの儀式のような形で学校に置かれ、口には詩のようなメモが咥えさせられていた。どうやら天神我門という駆け出し漫画家がマイナー青年漫画誌で連載していた『魔女の墓標』を参考にしたらしい。そのせいで我門はマスコミから叩かれ姿を消した。
同じクラスの紗耶香が殺されたことでショックを受けた正和だが、犯人が判明すると大きな騒動に巻き込まれる。椎野家と藤木家は隣同士であり、正和と弟の秀和は、創と弟の祐と仲良しだったのだ。しかも、あることから正和が共犯ではないかと疑われた。この頃の記憶はあやふやであり、やがて正和は故郷を出た。秀和は実家で引きこもりになっている。
副店長といっても身分は契約社員。とはいえ文芸書などを任せられ、書店員が決める書店大賞(モデルは本屋大賞)にも参加している正和は、それなりに充実した日々をおくっていた。しかし手記の出版を契機に、かつて付きまとっていた週刊誌の記者が現れるなど、周囲が騒がしくなる。また、手記を本当に創が書いたのかという疑惑も浮かんできた。暗い気持ちを抱えながら正和は、騒動に深くかかわっていく。
酒鬼薔薇事件の犯人の手記が出版されたとき、その是非を巡り、世間は大きく揺れた。本を扱わないと決めた書店も少なくない。本書の描写は、それを踏まえたものである。たしかこの件から書店の社会的役割が、あらためて注目されるようになったと記憶している。そもそも書店は、取次から送られてきた本を並べて売る小売店だ。私も若い頃に書店員をしていたが、売る本の是非など真面目に考えたこともなかった。仕事がきついことと、給料が安いことしか不満がなかったものである。
しかし出版不況が常態化し、書店の経営が苦しくなると、厳しい選択を迫られるようになる。それが本書でも取り上げられている、ヘイト本の問題だ。この手のヘイト本を置きたいと思っている書店員は、まずいない。だが売れるのだ。つまり優良な商品なのである。良心と商売。ふたつの狭間で、書店員は心を揺らしている。手記を巡る騒動に加え、ヘイト本の問題も掘り下げ、書店のリアルを活写する。ここが大切な読みどころなのである。
なお、2019年に出版された、永江朗の『私は本屋が好きでした――あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』を読むと、編集者や書店員など、出版業界の人々がヘイト本とどうかかわり、何を考えているのかよく分かる。本書と併せて、お勧めしておきたい。
おっと、ミステリーの部分にも触れなければ。ストーリーは後半のある出来事を経て、大きく動き出す。一介の書店員である正和に、事件の手掛かりを与える、作者の話の運びは滑らかだ。息苦しい展開なのに、だから、ページをめくる手が止まらないのである。そしてその果てにたどり着く意外な真実。ミステリーに慣れた人なら、ある程度は予想できるかもしれない。しかし全体の構図を見抜くことは不可能だ。ミステリーのサプライズも、存分に堪能できるのである。
その他にも、さまざまな出版業界の最新事情が盛り込まれており、本好きにはたまらない一冊になっている。そんな読者なら、終盤で正和が口にした言葉や、ラストの3行に込められた作者の祈りに、必ずや共感するはずだ。いつまでも書店が、自分の行きたい場所でありますように。本書を閉じた後、そう思わずにはいられなかった。
■細谷正充
1963年、埼玉県生まれ。文芸評論家。歴史時代小説、ミステリーなどのエンターテインメント作品を中心に、書評、解説を数多く執筆している。アンソロジーの編者としての著書も多い。主な編著書に『歴史・時代小説の快楽 読まなきゃ死ねない全100作ガイド』『井伊の赤備え 徳川四天王筆頭史譚』『名刀伝』『名刀伝(二)』『名城伝』などがある。
■書籍情報
『書店員と二つの罪』
著者:碧野圭
出版社:PHP研究所
価格:本体1600円+税
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-84860-0