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“最狂”の言葉に偽りなし? ソ連再現プロジェクト『DAU. ナターシャ』に圧倒される

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リアルサウンド

 あなたが試しに住んでみるとしたら、演出によって仕組まれたテラスハウスか、自由意思が奇妙に歪んでいく「DAU」の世界か、果たしてどちらを選ぶか?

 「史上最も狂った映画撮影!」(英ザ・テレグラフ)の評言に偽りなし。背景にあるのは約13年にも及ぶ破格の長期プロジェクト。その全貌のほんの一部が、「映画」というパッケージで我々の眼前に差し出される。舞台となるのは、ロシアの旧ソヴィエト社会主義共和国連邦時代――「ソ連全体主義」の社会を完全再現した歴史的シミュレーション空間である。

 監督はロシア・モスクワ出身の奇才、イリヤ・フルジャノフスキー監督(1975年生まれ)。2005年の長編デビュー作『4』でロッテルダム映画祭タイガー賞などを受賞したあと、2007年から「DAU」プロジェクトに着手。2019年1月には、フランスのポンピドゥー・センター(パリ市立劇場、シャトレ座)でインスタレーションを実施し、まずはアート作品としてお披露目した。

 その劇場版第1弾『DAU.ナターシャ』(共同監督:エカテリーナ・エルテリ)は、2020年2月、ぎりぎりコロナ禍の封鎖を逃れてフィジカル開催された第70回ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映。激しい賛否の嵐が吹き荒れながらも、銀熊賞(芸術貢献賞)を獲得した。

 「DAU」プロジェクトの詳細はこうだ。

 もともとはノーベル賞に輝くユダヤ系の理論物理学者、レフ・ランダウ(1908年生~1968年没)の伝記映画として立ち上がった企画だった。そのためにランダウが勤めていた大規模な研究施設を、ウクライナのハリコフで巨大セットとして再現。ここでフルジャノフスキー監督の発想がダイナミック(&エキセントリック)に飛躍する。

 廃墟化していた水のないプールの敷地内に建設した「物理工学研究所」の中に、オーディションで選ばれたキャストたちを集めて、なんと実際に暮らしてもらったのだ。ただし徹底した時代考証の中で、当時の「ソ連人」になりきって。

 キャストは基本的に素人ばかり。著名な科学者やアーティスト、秘密警察、さらには元ネオナチリーダーなどを含む一般市民たち……制作側の発表によれば主要キャストは400人、エキストラも含めて総数10,400人、オーディション参加人数は39.2万人という容易には飲み込めない数字が出ている。彼らが当時の衣裳を身にまとい、ソ連的様式で生活していく日々の中、撮影のスケジュールが組み込まれる。脚本らしい脚本はなく、演技は原則としてすべて即興。それが2009年10月から2011年11月まで約2年間続き、撮影にはデジタルではなく35mmフィルムが使用された。

 研究所内の時代設定は1952年、1953年、1956年に統一。この時期はソ連の大きな転換期であり、レーニン亡きあと、ソ連の最高指導者として国家を統率してきたヨシフ・スターリンが1953年3月5日に死去。それまでは彼の残忍な独裁ぶりが国際的な表沙汰になることは(ほとんど)なかったが、1956年、共産党の第一書記だったフルシチョフによるスターリン批判により、ホロドモール(1932年から33年、ウクライナで起こった弾圧と大飢饉)や大規模な粛清など、ジェノサイド(大量虐殺)の事実がようやく公式に暴露された。

 21世紀の現代人たちが、ハードコアな独裁下にあったスターリニズムの末期――1950年代前半~中頃のソ連国民になりきって生活する人工空間。

 フィルムの中には、この巨大なジオラマ、もしくはテーマパークに敷かれたシステムに沿って、その特定のコードに人間性が自動的に染まっていく様が記録されている。これは「史実の再現」ではない。歴史上と同じ「環境」を作り、その中で人間たちはいかに蠢くか。一種の生体実験であり、『トゥルーマン・ショー』(1998年/監督:ピーター・ウィアー)の応用ではないが、自由と制度を根源的に問う異色のリアリティドラマとも言える。

 以上を踏まえつつ、膨大なフッテージ(映像素材)から創出された第1弾の長編映画『DAU. ナターシャ』を観ると、やはりその異様な迫力に圧倒される。

 筋立て自体はシンプルだ。時代設定は1952年。主人公は物理工学研究所に併設されたカフェのウェイトレスである40代の女性、ナターシャ(演じるのは一般人)。彼女が働く店は秘密実験について話す科学者たちで賑わっており、閉店後、ナターシャは同僚である20代の女性オーリャ(やはり演者は一般人)と残りもののシャンパンを呑みながら世間話する。やがて罵り合ったり、取っ組み合いの喧嘩になったりするが、彼女たちはささやかな人生を過ごす中で不思議な共依存の絆で結ばれている。

 だが、あるきっかけでナターシャの運命は一変する。オーリャの自宅で科学者たちの盛大なパーティーが開かれ、そこでナターシャはフランス人科学者のリュック(演者は実際に生化学の著名な学者)と関係を持った。宴は酒池肉林の退廃に流れ、ナターシャとリュックが性愛に耽る姿も赤裸々に(しかも長々と)映し出される。

 この件が原因で、ナターシャはソヴィエト国家保安委員会の犯罪捜査の上級役員である、KGB調査官のウラジーミル・アジッポ(演者もKGB職員)の尋問を受ける。「ここでは外国人と寝れば、裁判や取り調べなどせずに殺されるんだ」「お前の命など何の価値もない。ホコリと同じだ」などの酷い言葉を浴びせ掛けられたナターシャは、全裸に剥かれ、殴打され、頭をトイレに押し込まれ、コニャックボトルを性器に挿入される。

 この拷問シーンも、あくまで演出ではなく即興で演じた。ちなみにアジッポは本作の撮影後に亡くなったが、普段は知的で礼儀正しい人間だったらしい。ナターシャ役の女性はこう語っている。

「95%の時間、私は私でした。撮影後、本当の自分に戻る必要はなかったのです」

 この傑作(並びに「DAU」プロジェクト)の核となる主題は「システムの悪」だろう。それは暴力や性などをめぐる過剰な矛盾に満ちた人間の本性から生じてくるものであり、「我々もまったく他人事ではない」と本作は鋭く突きつける。例えば太平洋戦争中の軍部が敷いたコードに則った日本人たちの振る舞いでも判るように、悪と道徳は平気で共存する。酒やセックスに溺れるウェイトレスと科学者たちの姿は痙攣した笑いをも引き起こし、『DAU. ナターシャ』は超絶なまでにブラックなシチュエーション・コメディだと取る向きもあるかもしれない。

 実は最近、「ソ連の記憶」を呼び起こす映画が続けて公開されている。先述した1930年代の大虐殺ホロドモールに迫った『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019年/監督:アグニェシュカ・ホランド)や、アーカイヴ映像の再構成でスターリニズムの実相を改めて見つめるセルゲイ・ロズニツァ監督の“群衆ドキュメンタリー”映画『粛清裁判』(2018年)や『国葬』(2019年)。さらに元KGBスパイの英国人女性を描いた実話ベースのサスペンス映画『ジェーンの秘密』(2018年/監督:トレヴァー・ナン)など……。

 これらは一様にコロナ禍の前に制作された映画だが、民主主義の脆弱さがあらゆる意味で露わになる現在、全体主義下の「ソ連の記憶」は、いまの我々、世界構造が行く先の戒めとして必然的にせり上がってくる。

 ちなみに劇場映画第2弾の『DAU.Degeneration(原題)』をはじめ、『DAU』シリーズの映画は続編もどんどん仕上がりつつある。イリヤ・フルジャノフスキー監督はロシア国内で10本の『DAU』作品を上映したいと考えているが、そのうち『DAU. ナターシャ』を含む4本は「ポルノのプロパガンダ」との当局の判断で上映禁止となった。「ソ連全体主義」の残響や実質がまだ終わっていないことの端的な証左だ。

 フルジャノフスキーの今後の展望は、『DAU』映画を全て観られるデジタル・プラットフォームを作ること。そうすれば、ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』よりも差別化された意識の旅を観ることができるはすだ、と語っている。

■森直人(もり・なおと)
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「朝日新聞」「キネマ旬報」「TV Bros.」「週刊文春」「メンズノンノ」「映画秘宝」などで定期的に執筆中。

■公開情報
『DAU. ナターシャ』
2月27日(土)より、シアター・イメージフォーラム、アップリンク吉祥寺ほか全国公開
監督・脚本:イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ
出演:ナターリヤ・べレジナヤ、オリガ・シカバルニャ、ウラジーミル・アジッポ
撮影:ユルゲン・ユルゲス
配給:トランスフォーマー
2020年/ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作/ロシア語/139分/ビスタ/カラー/5.1ch/原題:DAU. Natasha
(c)PHENOMEN FILMS 
公式サイト:www.transformer.co.jp/m/dau/ 
公式Twitter:@DAU_movie 
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